神の手

 何もかもが計画どおりのはずでした。実行日時、侵入経路、……美術室の後ろにある生徒の作品が保管されている部屋。そこから目当ての彫刻を盗み出すことは造作のないことだったのに、決行当日何かが狂ったのです。作品保管室のなかにあるはずのその彫刻がなかったのです。狼狽するファイナの姿をいつから見ていたのか、保管室の入口には美術教師の影がありました。


「あいにくだな。きみのお目当ての『神の手』はないぞ」


     *


 事の起こりは三年前、つまりこの高校にファイナが入学する以前にさかのぼります。

 その年で卒業するMという生徒が美術の時間に作った右手の彫刻、それが神の手だというのです。


 神の手と呼ばれるようになったきっかけは、その、人差し指と親指をピストル状に突き出した彫刻に、超常現象のような出来事が起こったからでした。


 彫り終えたMがトイレに行っているあいだのことです。Mは運悪く右手人差し指をトイレのドアにはさんで突き指に近い状態になりました。その直後、美術室に帰ってみると自ら作った彫刻もまた、人差し指が折れていました。


 ……と、これだけではまだ、ただの偶然ですし、神の手というほどの神秘性は感じられません。この話には続きがあるのです。


 せっかく作ったばかりの彫刻が壊れてしまったMを気の毒に思った美術教師は、Mの右手の彫刻を強力な接着剤で修復するから預けてくれないか、とMに提案、Mも気安く、はい、と答えてその日の授業は終わりました。


 生徒たちが帰ったあとの美術教室でMの彫刻を修繕するうちに、美術教師はふと、おかしな考えを抱きました。Mの怪我と彫刻の損傷に因果関係があるように思えてきたのです。


 ためしに美術教師がとった行動は、もしも両者に関連があったとしても危険のない、それでいておかしなことでした。彫刻の手に水をかけてみたのです。するとどうでしょう。外は雲一つない晴天だったはずなのに、土砂降りの雨に変わったのです。後日Mに訊いてみたところ、帰宅途中で雨に降られてびしょ濡れになってしまったとのことでした。


 この数日後、美術教師が職員室で話しているのを生徒の一人が聞いてしまい、以来、この右手の彫刻は天気すらも変えてしまう神通力を持った神の手として、生徒たちのあいだで伝説となったのです。


 そして冒頭の場面です。ファイナは美術教師が美術室を留守にする時間から何から、すべてを綿密に計算に入れて、神の手を盗み出す計画を立てたのでした。


「どうしてわたしが『神の手』を狙ってるってわかったんですか」


 ファイナの問いに美術教師は少しだけ表情を緩ませたかに見えました。


「『神の手』は事前にこの事態を予測していたんだよ。昨日、本来の持ち主のMという卒業生から電話があってね。Mは昨日、妙に右手がむずむずして、ペンを持っても同じ文字しか書けないというんだよ」


 ファイナが話の先を促すと、美術教師は、


「明日、右手が盗まれる。○○時○○分、保管室に盗人が現れる。……いくらやっても、それしか書けないというんだな。未来予知だ。これこそまさしく『神の手』じゃないか。Mの本物の右手こそが『神の手』なんだよ」


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