第4話


「ユイ様、こちらへどうぞ」

「うん。お邪魔します」

 

 これ以上玄関先で話すのもどうかということで、アリスに「孤児院」の中へと招き入れてもらった。

 外と玄関の境目を越えると、視界に入ったのは至って普通の居間だった。

 狭くも広くもない室内は家具も、壁紙も、床も真っ白に彩られている。

 部屋の中で色を持っているのは、レンガ造の暖炉、照明の魔具、無機質な黒色のテーブルと木で作られた椅子だけ。

 簡素な作りの一般的な普通の家といった印象だ。

 だが、生活感はカケラもないし、レーナルトの言っていた化け物とやらの姿もない。

 だからこそ、異質なドアが一際目を引いた。

 玄関の扉と同様に真新しい鉄のドアが設置されている。

 それは雰囲気を無視して無理矢理取り付けたという印象だ。

 まるで何かを隠しているような感覚を覚える。

 

「ユイ様、申し訳ありませんでした」


 ゆっくりと室内を見渡していると、すっかり平静を取り戻したアリスが頭を下げる。


「どしたの?」

「先程、奴隷の分際でユイ様のお召し物を汚してしまいました」

 

 ユイの眉に自然と力が入った。

 

「アリス、そんなことで頭を下げなくていいの。早く顔上げて」


 諭すように優しく声をかける。


「いえ、そういう訳にはいきません」

「でもね……」

「ユイ様と私は主人と奴隷の関係ですので」

 

 アリスの言葉を聞きユイがはっと息を呑むと、表情は真剣なものに変わった。

 

「アリス。そういうのやめよ。これから私達は家族になるんだから」

 

 わざと語気が強くなるように言葉を発する。

 きっと、今はそれが自然だ。

 

「かぞく……?」

 

 アリスはあり得ないものを見るような目をユイに向ける。

 でも、どうやら怯えてはいないらしい。

 この子は絶望的なまでに人の優しさを知らない。

 ユイの中で、憶測が確信へと変わっていく。

 少女の表情を見て、ユイは迷わず言葉を続ける。


「そうだよ。ここは孤児院、そして私は管理人。てことはね、アリスは私の子供になるんだよ!」

「こ、子供!」


 ほら、また真っ赤だ。

 アリスはユイから急いで目線を外して、また戻した。

 たぶん、もうひと押し。

 ユイはうんうんと頷き、とにかく優しく微笑む。


「ま、子供って歳の差でもないか……。じゃあ、おねえちゃん!」

「……おねえちゃん」


 アリスはユイの言葉をオウムのようにただ返していく。

 これは、初めての驚きと信頼できるかもという期待が入り混じり、感情が混乱している子供特有の反応だ。

 これまで飽きるほどたくさん見てきた。

 どうすればいいかも、よく知ってる。

 ユイは首を傾けてウインクをする。


「そう! ユイお姉ちゃん! アリス、リピート!」

「ユイさ……、おねえちゃん……」

「うーんっ! かわいい!」


 りんごのように真っ赤になったアリスに抱きつく。

 包み込むように優しく、身体の暖かさが伝わるくらいに強く抱きしめる。


「わ、わっ!」


 慌てふためくアリスを一度離し、彼女の瞳を覗き込みながら両手で頬を包み込む。


「アリス、何でも言って、何でも頼って!」


 迷いを消してあげればいい。


「……ほんとうに、いいの?」

「いいのいいの!」


 ただ、肯定してあげればいい。


「たぶん、たくさん寄りかかっちゃうよ」

「いいよ! 私も辛い時はアリスを頼るから!」


 何故なら、彼女は頷きたいのだから。


「頼る……」


 それは期待が確信へと変わる目だ。


「そう。私が辛くなったら、アリスを頼らせて」

 

 醜かった人生が変わるかもしれない。

 これが最後のチャンスなのかもしれない。

 この人なら幸せにしてくれるのかもしれない。


「……うん」

 

 そう思い込んでしまったら最後。

 優しさを知らない心が、制御不能になった感情に飲み込まれていく。


「ユイおねえちゃんの妹になりたい」

「……嬉しい」


 そういった甘美な期待を、人は隠すことができない。

 目の前にいる幼気な少女のように。

 そして、アリスに、一生忘れられない「その瞬間」を刻み込む。


「アリス、私と生きていこう!」


 アリスは限界まで目を見開き、ユイを見つめる。


「きっと、楽しいよ!」


 魔術以外の武器をユイは最大限を活用した。

 おそらく、もうアリスには必要ない。

 これからなにが起こるかわからないからこそ、一番の武器は残しておかなければ。

 アリスの反応を見ても、判断は間違っていなかったと確信できる。

 

「……でも、迷惑をかけるかも」


 アリスは迷ったように言葉を発する。

 しかし、それは形だけの拒絶。

 もし、が起こってしまった時の保険だ。

 

「いいよ! そういう時は助けてあげる」

「本当にいいの……?」

「うん。だから、アリスも私を助けて?」

「……うん」

 

 ユイはアリスが求めている「正解」を答え続ける。

 

「ボク、本当に、本当に面倒くさいよ?」

「ドンとこい!」


 本来の一人称はボクなんだな、と思った。

 自然と敬語が抜けて、言葉も砕けてきている。

 先程もそうだったが、アリスは感情が溢れると歳相応の反応をするようだ。

 ユイは子供に言いかかせるように言葉を紡ぐ。

 

「今日から私と家族になろう?」


 アリスの表情から戸惑いの色が消え失せる。


「私、ついさっき無くしちゃったからさ。アリスが記念すべき一人目!」


 確実に彼女の信頼を掴んだと、そう感じた。


「うん……。ユイおねえちゃん!」


 今度こそ、アリスは迷うことなく頷く。

 そして、潤んだ瞳をユイに向けながら言い放つ。


「ボク、最期はユイおねえちゃんの為に死ぬね」


 彼女の顔はいたって真剣だった。




 

 

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