第3話
手渡された地図に指定された場所は街の外れだった。
ユイは顔を隠し、一般階層が住んでいる住宅街を抜けて、貴族が住まう煌びやかな豪邸を通り越す。
しばらくすると見えてくる丘を少し登った先にある小汚い建物。
あれがレーナルト曰く「孤児院」ということらしい。
遠くから見ると寂れた教会のようにも見えた。
緑色の蔦が絡みつき、石造りの外壁は所々剥げている。
「……汚い」
それがユイの嘘偽りない第一印象だった。
この距離から見てもわかるほど貧相で汚い家。
周りには家どころか、他に建物一つなかった。
だが、指定された場所はあそこで間違いない。
こんな場所に住み着いている化け物とやらは、さぞかしかわいそうな扱いを受けてきたのだろう。
多分、いやきっと、恐らく、絶対にそうだ。
口角が自然と上がっていく。
「あぁ、たぶん、これじゃダメか……。あの人に指摘されたばかり……」
ユイは顔を覆い隠していたスカーフを脱ぎ去る。
そして、両手で頬を摘み、ぐにぐにと動かした。
何度かやり直した後、
「よしっ! こんな感じ!」
ユイは満面の笑みを浮かべる。
頬を軽く数回叩いて気合いを入れた。
「いこう!」
孤児院の敷地に入るために歩を進めると、不快な感覚が全身を包み込む。
辺りを見回すと、直ぐ原因に気づくことができた。
「魔封じの結界……」
魔術を上手く使用できなくさせるための結界が敷地内を覆っている。
おそらく、原理は首にぶら下がっている鉄輪と同じようなものだ。
魔術の能力を制限して、いざという時には処分することもできる魔具。
きっと、いとも簡単に魔人を殺せるんだろう。
ここに住んでいる化け物とやらは、余程信用をされていないらしい。
砂利が敷き詰まった道をひたすらに歩き、ようやく建物の入口に着いた。
入口と思われる場所には重そうな鉄の扉が設置されている。
汚らしい外観には不釣り合いなほど真新しい。
どこを見渡しても訪問を知らせるベルはどこを見ても設置されていなかった。
あたりを見渡し、どうしようかを考えていると、
『ユイ様ですね』
幼い少女特有の高い声がした。
声を大きくする魔具がどこかに置かれているのか、やけに声が響く。
「はいっ! 本日からここの管理人となりました、ユイと申します! よろしくお願いします!」
『……はい、こちらこそ。今、扉を開錠します』
少し間があったが、返答がある。
重そうな扉がゆっくりと開いていく。
すると、建物の中からは少女が出てきた。
ユイの顔を見た途端、彼女の無機質な目が確かに色付いていく。
「わぁ……、綺麗……」
まんまるに目を見開いた少女がユイを見て呟く。
少女の姿は、何というか異質だと感じた。
病的なほど白い肌、真赤な瞳に白い髪、顔立ちは恐ろしいほどに整っている。
人が悪魔と呼ぶ、恐ろしい存在を形にしたような少女。
歳はおそらくユイよりも幼いだろう。
そして、細い首には鉄輪が嵌められている。
間違いなく、この子はユイと同じ立場だ。
つまり、大体は予想通りということ。
お互い無言で見つめ合い、数秒が経つ。
「あの、どうしたの?」
沈黙を破ったのはユイだった。
脳が溶けるような甘い声で語りかける。
すると、少女はビクッと体を震わせた。
「す、すみません!」
そして、綺麗に背筋を伸ばす。
「ユイ様、孤児院へようこそ。私はアリスと申します。あく……、いえ、貴方様の指示に従う誓約を結んでおりますので、これからは何なりと私にお申し付けください」
アリスは丁寧にお辞儀をする。
姿形だけでなく所作も美しい。
多分、貴族の血が入っているのだろう。
だけど、そんなことよりもアリスの言葉の中で特に気になるものがあった。
「誓約?」
「はい。王家と交わした契りです」
「……もし守らなかったり、逆らったらどうなるの?」
「誓約を破った場合や破ったとみなされた場合、私はこの世から去ることになります。その代わりに多少の自由をいただきました」
この首輪はそんな使い方もできるらしい。
レーナルトの言っていた奴隷という言葉に嘘偽りはないようだ。
「でも、なんでアリスが選ばれたの?」
「孤児院では唯一のと同性ということで選ばれたようです」
「……そうなんだ」
「はい」
話さなければならない事は全て終わったのか、また沈黙。
ユイは彼女の顔をまじまじと見つめる。
「あ、あの……。私の顔に何かついてますか?」
静寂に耐えきれなくなったのか、今度はアリスから言葉を切り出してくる。
「……アリスはとっても可愛いなって」
「えっ! わっ、私がですか?!」
思いがけない言葉にアリスの声が上擦る。
彼女の白く透き通った肌が赤く染まった。
「うん。そんな驚くこと?」
「い、いえ。……そんなこと初めて言われました。いつも、みんなは怖い、恐ろしいって……」
この国では、美しすぎる容姿は畏怖の対象になる。
どうしても恐怖の対象である魔人を連想させるからだ。
黒髪と茶髪が普通の日常で「私達」はとても目立つ。
「そんなことないよ。アリスは可愛いっ!」
ユイは迷うことなくアリスに抱きつく。
「わっ……! あ、あのっ、ユイ様!」
「アリス。さっき、私に見惚れてたでしょ?」
「あっ、いや、それは……。申し訳ありません……でした……」
アリスは申し訳なさそうに俯いた。
「アリス、私は怖い?」
「……え?」
ユイは腕の中にいるアリスを見つめる。
「怖いかな……?」
ユイは悲哀に満ちた表情をアリスに向ける。
今すぐにでも泣き出しそうな、そんな顔。
「そんなことありませんっ!」
アリスは勢いよく首を振る。
「ユイ様は綺麗で、美しくて……、とてもお優しい方だと思いました……」
優しい、ね。
「じゃあアリスも、私と同じ気持ちだね!」
「え? 同じ……?」
「うん! だってアリスも綺麗で可愛いし優しいよ?」
「わ、私がですか?!」
まるで信じられないものを見るような目をユイに向けてくる。
「恨んでもおかしくない相手に、綺麗で美しいなんて気持ちを持てるアリスはとっても優しいよ」
不自然ではないだろうか、間違ってないだろうか。
理由と理屈は少し強引な気もしてしまう。
だが、そういった少しの不安はアリスの表情で解消された。
彼女の顔は、何かが手に入るかもしれないという期待で満ちている。
それなら、とるべき行動は一つしかない。
「アリスのこと気に入っちゃった!」
「……ほんと?」
アリスは上目遣いで語りかけてくる。
「ほんとっ!」
「……ユイ様、ありがとうございます」
アリスはユイの腕の中に、再度収まった。
ユイは胸を貸して優しく抱きしめる。
「もう大丈夫、大丈夫だから」
「うん……」
これまでとても辛い経験をしてきたのだろう。
悲しくて、逃げだせなくて、信頼できる人は一人も周りにいなくて、自分ではどうしようもない。
そういう人生をこの子は送ってきたんだと思う。
「今は泣いていいよ」
ユイの言葉を聞き、アリスは腕の中で静かに肩を振るわせる。
「今日から、私がアリスと一緒にいる」
腕に収まる幼気な少女を見て、ユイの口角が上がる。
先程とは違い、どうしても抑えることができなかった。
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