憧れの人
恋子
憧れの人
気持ちの良い、真っ暗な世界から一転。
重たい体を起こして朝の準備を始める。面倒臭い、家に居たい。そんな気持ちも、彼女を見れば全て吹き飛ぶ。
「おはよう、今日も素敵だね。」
君はこちらを見てはいるが、きっとこの言葉は届いていない。
さっきまで夢で見ていた姿。みんなから天使と呼ばれるほど、とても綺麗な姿。白い肌に映える赤い唇。少し色素の薄い大きな目から伸びる長いまつ毛。腰あたりまで流れている焦茶色の髪。そのどれもが美しく、愛らしい。
君は私に話しかけないけれど、私は誰よりも君を知っている。君の視界に私は居ないけれど、私は誰よりも君の近くに居る。
彼女が唯一私と目線を合わせてくれるのは、夜、浅い眠りについている時。何を話すわけでもない。ただ、彼女が私のことを見ているのが嬉しくて。
いつも他の子とは話すのに、私とは話してくれない。それだけに、彼女と同じところに居る時は、死んでも良いと思えるほど嬉しいかった。
その日、彼女は告白された。相手も彼女と似て、人気のある子。いつも集団の中心にいるような人で、俗に言う陽キャだ。本当なら彼女に釣り合う人間なんていないから、今すぐにでもこの身の程知らずを彼女から遠ざけたかった。でも、私が出ることはない。ここで変に出しゃばって彼女の印象に傷が付いてはいけないし、何より彼女はちゃんと断る。
私が彼女以外の人間を
彼女は本当に美しい。外見はもちろんのこと、中身だって。褒められればそれを素直に受け取るし、理不尽に悪く言われれば訂正させる。それが自分の為じゃなくとも、彼女は口に出す。全てのものに平等なのだ。
今だって、頼まれたことが出来ていなかった人と話している。
『出来ないなら、最初から引き受けなければいいでしょ?』
彼女は相手にそう言う。怒っているつもりはないが、相手は少し怯えた様子で謝った。
『これがもっと重要なものだったら他の人も困るって話、それだけ。今回は謝らなくていいよ。』
彼女は優しく微笑んだ。彼女はいつだって正しくて、間違いなんてない。間違っているとするならそれは、彼女以外の有象無象の方だ。
そんな日々から数年。あれだけ可愛い、天使だと言っていたのに、みんな彼女に冷たくなり始めた。彼女は相変わらず美しい。彼女は何一つ変わっていない。だから変わったのはみんなの方だ。
対応が冷たかっただけだったのが、無視をされ、陰口を言われ、嫌がらせをされるようになっていった。
こんなのは嫉妬からくる幼稚な振る舞いだ。気にする価値もない。彼女はそれらを無視し続けていた。しかし、彼女が気にかけないと分かった途端、さらにいやがらせは酷くなった。
時に悪口を目の前で言われ、時に仲間はずれにされ、時に濡れ衣を着せられた。故意に持ち物を落とされたり、隠されたり、ひどい人は壊したりした。挙句には彼女が自分の力を過信している、なんて嘘まで広めた。
あれは彼女の力だ。彼女の努力の結果で、彼女が言うことにだって間違いはない。しかし気持ちとは反対に、その自信が私の中で揺らぐ。同時に、彼女の自信も消えていった。
しばらくして、彼女は壊れた。いや、壊されたのだ。
周りの急な態度の変化が怖くなって、怯えるようになった。以前とは違って、周りの目を気にするようになった。直接的ではなく、間接的に攻撃をされ続けて疲れてしまったのだ。
あんな、幼稚な、行為のせいで。
彼女をそんなことで惑わせないで、狂わせないで。そうは思えどもう遅い。彼女は完全に自信を失くしていた。
気がつけば、彼女はビルの屋上にいる。夕暮れ時の、住宅街。小中学生はもう家にいて、学生や会社員も帰り始めている頃。彼女はフェンスの内側に相変わらず美しく立って、ずっと空とも街とも言えない場所を眺めていた。
そして考えた。私のしてきたことは間違いだったのか、と。
『出来ないことはするな』
まさに今の彼女だった。
彼女はゆっくりとフェンスに足をかける。美しいとか、美しくないだとか、もうそんな話じゃない。
私はこうなると薄々気がついていたのかも知れない。人は、壊れてしまうと、何をするかわからないものだ。彼女の場合は、自分以外の外界に原因があった。故に、自分ごとこの世界からいなくなろうと考えた。
「私」なんかより、『彼女』の方が愛された。だから『彼女』は「私」の憧れだった。
「私」は臆病だった。ずっと、ずっと『彼女』よりも劣って勝てないと思っていた。
でも、今の「彼女」は?
『彼女』が居なくなりさえすれば、「私」は『私』になれるだろうか。ならばやるべきことは一つ。「彼女」に出来なくて、『私』に出来ることをすればいい。先程から、彼女は屋上の端に立って、フェンスを掴んでいる。だから、これが彼女に出来ないこと。
私は『私』になる為に、その場から一歩踏み出した。
体が宙を舞う。アトラクションとはまた違う浮遊感。落ちてく中、仰向けになって誰もいない空を見上げる。
これで、『私』は「彼女」より上だって証明できた。もう「彼女」はそこから飛び降りることは出来ない。
『私』は今いつぶりかも分からない笑顔で、「彼女」と一緒に地面にぶつかった。
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