●33 削れていく心根 5





 思えばなかなかの偶然だ。師匠である俺の切り札が対シュラト戦で披露した〈スーパーノヴァ〉なわけだが、その弟子のファルウィンの編み出した必殺技の名前が〈新星裂光斬ガルス・ノヴァ〉とは。まぁ、ガルウィンは俺が〝銀穹の勇者〟だと知っているのだから、それにあやかってこの名前をつけたのかもしれないが。


 聖魔相克剣バルムンクの刀身から銀色の煌めきが迸り、瞬時に収束し、ゴルフスイングよろしくかち上げた斬閃が、光の怒濤どとうと化して飛翔する。


 地上から天空へ、一条の流星が真っ直ぐ上昇していく。


 限りなく予備動作を削った早撃ちだが、先程も言った通り混じりっ気なしの『本気の一撃』だ。


 魔力の性質も併せ持つ〈新星裂光斬ガルス・ノヴァ〉はニニーヴの結界を紙のように食い破り、さらに加速すらしてき上がっていく。


『ほ?』


 結界が破られたことによってニニーヴが異常に気付いたらしい。可愛らしいが、何とも間抜けな声が漏れる。


 だがもう遅い。


『――あ、しもた』


 ポツリとこぼした刹那、昇竜のごとく地上から伸び上がってきた烈光が炸裂した。


 爆ぜる。


 高エネルギー化した〝氣〟と理力が衝撃音を轟かせ、ニニーヴを起点として四方八方へと散る。


 手応えあり。直撃だ。


 と言っても、これだけで仕留められるとは露とも思ってないが。


『……ふわぁ、びっくらこいた。いつの間にバレてたんやろ?』


 暢気なことを宣うニニーヴ。


 案の定だが、不意打ちだったというのに完全に防御されてしまったらしい。声の調子から無傷であることがうかがえる。


 だが、今の一撃のおかげで聖術で隠蔽されていたであろう聖女の姿が剥き出しになった。


 俺は遠見の理術を用いて、遙か頭上へと焦点を合わせる。


 宙の一点、不可視の足場に直立している人影。


 果たしてそこにいたのは、天使かと見紛おうほどの美少女であった。


『……んん?』


 思わず声が出た。


 凄まじいまでの違和感に。


 いや、だが、無理もない。何故なら、前に会った時から十年も経過しているのだ。見た目が多少変わっていても何ら不思議ではない。


 しかし――


『んん……んんん?』


 いやおかしいだろ。【少女】だぞ、【少女】。よわい二十四になっているであろうやからが。どう見ても少女にしか見えないって。そんな馬鹿な話があるか。エムリスじゃあるまいに。


 って、そういえばニニーヴも同類だったか。


 いやもう一体どうなってるんだ、俺以外の奴らは。そういえばシュラトも以前は、肉体操作で痩身の優男になってたし。というか嫁であるレムリアとフェオドーラの言を信じるなら、子供の姿にもなっているみたいだしな。というかアレ、人格も変わっているようだったが、子供の時もやはり相応の雰囲気に変わるのだろうか?


 などと、どうでもいいことを頭の片隅で考えつつ、


『――若作りか?』


 我知らず呟くと、


『おんどりゃぶっ殺すでほんまに』


 物凄いドスの利いた声で恫喝どうかつされた。さらに、


『あ? 今、何て言うた? お? もっぺん言ってみぃ。いてもうたろか』


 エムリスと戦闘中だった時のように荒ぶるニニーヴ。こんな風にニニーヴからストレートに怒られるのは初めてだ。確実に〝憤怒〟の影響だと言い切れる。


 遅くなったが、現在の彼女の姿をお教えしよう。


 それ自体が輝きを放っているかのごときプラチナブロンド。サラサラでいながら芯のある髪質を持った長いそれを、可愛らしくツインテールに結っている。金でも白でもない、しかし煌めく色彩が、陽光を受けて周囲にプリズムを散りばめる。


 瞳もまた、蒼天の下でなお輝いて見える黄金ゴールド。大きくパッチリとしていて、まるで人形のように整っている。


 身につけているのは、いかにも聖女然としたデザインの祭服。〝白聖の姫巫女〟の名に由来してか、白を基調として各所に金や銀が配されている。


 総じて、天使か女神かと見紛おうほどの容貌だ。


 相変わらずと言う他ない。ニニーヴは出会った頃から、こんな風に光り輝く美貌を持った少女だった。


 ただ当たり前だが、あの頃より確実に成長している。と言ってもその変化の具合は、先程言ったように明らかにおかしいのだが。


 一見して、年の頃は十七、十八と言ったところか。初めて会った時は十三歳だったので、なかなかの成長っぷりである。全く変化の見られないエムリスとは違い、出るところが出て、引っ込むところは引っ込んでいる。


 ただ、ついさっきまで俺の隣にいたイゾリテ――まだ十五ぐらいだったと思うが――と比べると、起伏が若干乏しい。と言っても、おそらくイゾリテの方が血筋的にグラマーな体型になりやすいだけで、別段ニニーヴの発育が悪いわけではなかろう。


 しかしながら、やはりどう考えても計算が合わない。先程も言った通り、俺達四人は全員が同い年。つまり、ニニーヴも今年で二十四になる大人なのだ。


 それがどうしたことか。どこからどう見ても、俺の元いた世界で言うところの『女子高生』にしか見えないではないか。髪型が子供っぽいツインテールだけに、余計に幼さが際立っている。


 俺は遠見の理術を使っているにも関わらず、ついつい両目をすがめ、


『――いやいや、言っちゃ悪いが明らかにおかしいだろ。何だ? シュラトみたいに肉体操作の術でも身につけたのか?』


 謝罪する必要性は感じなかったので、俺は左の掌を振りながら言い返した。


『だってお前、もう二十四だろ? 流石に厳しくないか、その見た目は』


『……ほんまに死にたいようどすなぁ、アルサルはんは』


 もはや怒りを通り越したのか、ニニーヴは声のトーンは低いまま、うふふふ、と笑みをこぼした。


 しかし、ここで援護射撃が入る。


『おやおや、こいつは驚いた。随分な正統派美少女に成長しているじゃあないか、ニニーヴ』


 エムリスである。なんと拍手までしてニニーヴの容姿を褒めそやしたのだ。もちろん、皮肉であろうこと間違いない。


『そういうエムリスはんは、なんやあまり【お変わりあらへんみたいで】? 相変わらず可愛らしおすなぁ』


 地上を見下ろすニニーヴが、にっこり、と微笑んだ。声のトーンも上がっている。無論のこと、褒めているわけでは決してない。


 うーん……こいつら昔からこんなに仲悪かったっけ? それとも俺が知らないだけで、会っていない間に二人に何かあったとか?


「わからん……」


 誰にも聞こえないよう小声で呟くと、さらに女傑二人の会話が続いた。


『まぁ、ボクの肉体は魔力の影響でね。こう見えて、ゆっくりだけど成長中さ。いずれは最適な成長具合で老化が停止して、永遠にそのままになる予定だよ。いわゆる〝最盛期〟という状態でね。でもニニーヴ、君は? 聖力に森羅万象の理をねじ曲げるなんてことは出来なかったと思うのだけどね』


 飄々ひょうひょううそぶくエムリスの口調は、やや普段のものに戻りつつある。まだ少し、抑揚が薄い気もするが許容範囲内だろう。


『ウチも似たようなもんやで。ほなら、今の姿がウチの〝最盛期〟ちゅうことなんやろね。えっへん』


 両手を腰に当て、わざとらしく胸を張るニニーヴ。大きくも小さくもないサイズのそれが内側から衣服を押し上げ、絶妙なるシワと陰を作る。


『よくもまぁ豪語するものだね。君こそ相変わらずだ。恥を恥とも思わないところが、特にね』


『せやろ? それがウチの可愛いところなんよ。ようわかってはるやん、エムリスはんも』


 エムリスの露骨な皮肉に、しかしニニーヴは一切の痛痒を感じていない様子だ。


『そういったところが〝あざとい〟と、ボクは言っているのだけどね』


『嬉しいわぁ。そんな褒めても何も出ぇへんで?』


 エムリスの当てこすりがニニーヴに通用しないのは今に始まったことではないが、昔と比べると若干ニニーヴの対応がより一層逞しくなったような気がする。かつてはエムリスがどれだけ小言を言おうとも、ニニーヴは頓着することなくスルーするのが定番だったが――年を経た今では、いい感じに押し出しが強くなっているではないか。これをコミュニケーション能力の向上と言っていいものかどうかは、ちょっと迷い所だが。


 はぁ、とエムリスから吐息の気配。


『やはり相変わらずだね。まったく嫌味の言う甲斐もない。まぁ、そんな君だからこそ〝憤怒〟と〝嫉妬〟を任せたのだけれど』


 うふん、とニニーヴが艶っぽく微笑む。


『そうなん? やけどエムリスはんは、見た目はともかく、中身はえらい変わりはったなぁ。性根のひねくれ具合に磨きがかかっとるんとちゃいます? 〝怠惰〟と〝残虐〟の影響なんやろか』


 チクチク――否、バチバチか?――と刺す言葉の応酬をしながら、高空に身を置いていたニニーヴがやにわに降下を始める。


 こうして俺達に見つかったからには、もう離れた場所にいる意味などない。【続き】をするにせよ、停戦するにせよ、まずはニニーヴも結界内に入ってから――そういった暗黙の了解が俺達の間にあった。


 ふふ、とエムリスが笑う。


『いやはや、さっきから思っていたけれど、君だって以前と比べて随分と言うようになったじゃあないか。先程なんて珍しく声を荒げていたようだけれど、アレが昔は見せてくれなかった君の〝素〟だったのかい? それとも……君だって八悪の因子の影響を強く受けているんじゃあないかな、ニニーヴ?』


 ニニーヴが唇を尖らせて、拗ねたような気配を見せる。


『へえ、そうどすなぁ。さっきはえらい恥ずかしいところを見せてもうて、ほんま申し訳ないどすわぁ。そやけど、あんまりイジらんといてくれはる? 血液が沸騰してしまうよってに』


 やがてニニーヴが聖力で張り巡らされた結界内に入った。途端、周囲の空気がビリビリと帯電したかのように震える。いや、これは女傑二人の間に流れる険悪な雰囲気を、俺がそう錯覚しているだけか?


『ああ、思った通りだね。もしかしたらとは思っていたのだけれど――【君も限界が近かったんだね、ニニーヴ】』


『へえ、まさかとは思っとったんやけど、そないなこと言いはるっちゅうことは――【エムリスはんもなんやね】?』


 空気が凍り付いた。


 今の二人の会話は『不穏』の一言だけでは片付けられないほど、聞き過ごせないものだった。


『――おい待て、お前らまさか……』


 背中から脳天へ、嫌な予感が一気に突き抜ける。


 そうしている間にもニニーヴの降下は続き、いつしか肉眼で確認できる距離にまで来ていた。


 久々にこの目で見る、〝白聖の姫巫女〟ニニーヴの姿。降下に合わせて祭服のたっぷりとした布がはためき、まさしく天使か女神の降臨かのよう。


 改めて見るだに、エムリスとは正反対の人物だと思う。エムリスが闇属性なら、ニニーヴは光属性。陰キャと陽キャ。まるで太極図のように対照的で、対極的な二人。


 くすっ、とエムリスが【苦しげ】に笑った。大判の本の上で、なおもふんぞり返った体勢のまま。


『ああ、そのまさかだよアルサル。お察しの通りさ』


 えへっ、とニニーヴが困ったように微笑んだ。


『ほんま堪忍なぁ、アルサルはん。ウチら、もうアカンみたいやわ』


 地上のエムリスと、空中のニニーヴが互いに顔を見合わせ、視線を交わす。


『一応言い訳をしておくけれど、これでもボク達は頑張った方だと思うよ。自分で言うのは本当に何なのだけれど、今の今までそれなりに理性を保っていたのが不思議なほどさ。どうにか、どうやらボクと同じ状態だったらしいニニーヴと【じゃれ合ってガス抜き】することで、進行を遅延させていたつもりだったのだけどね……』


『へえ、もうそろそろ誤魔化しが利かんようなってきた、ちゅうわけよ。やけど、ウチもエムリスはんもちゃんと気張ったんやで? そこんとこはようわかって欲しいわぁ。おかげで、それなりに状況は整っとるやろ?』


 待て。待てって。いや本当に待ってくれ。


『残念だけど、ボクとニニーヴはこれから本格的に〝暴走〟する。もう八悪の因子の活性を抑えられそうにない。ボクとしたことが、本当に迂闊だった。おそらくだけど、アルファードに何かしらの細工がされていたらしい。まさかくだんの聖神がここまで用意周到だったなんてね。正直、してやられたよ』


 本格的に、って何だ。今までのは全然そうじゃなかったってことか。


 つまり――この騒動が始まってからこっち、エムリスもニニーヴも〝暴走〟を避けるために八悪の因子から生まれる影響を少しでもやわらげるため、互いに争っていたってことなのか?


『ウチもや。ほんま、いつどこで仕込まれたんやろなぁ。気が付いたらこうなってしもうてて。アルサルはん、申し訳ないんやけど……もう手遅れみたいなんどす。あとはあんさんに任せてもうてもかまへんよね?』


 これまでの一連――あの無意味に見えた大喧嘩が、実際には二人にとって精一杯の抵抗だった、と。


 暴走寸前の因子の力を小出しにすることで、どうにか本格的な〝暴走〟を後回しにしていた、と。


 俺に喧嘩を売ってきたのも、そう。何とかエネルギーを発散させることで、可能であれば〝暴走〟を未然に防ごうと――


『もちろんのこと、完全な〝暴走〟状態に入る前に断絶結界を張るよ。正直ボクにとっては半ばどうでもいいことなのだけど、この世界が滅ぶのはアルサルにとっては悲しいことなんだろう? 一応、それだけは避けないといけないからね』


 エムリスの呼吸が、ゆっくりと深いものに変化していく。限界が近いというのは、どうも本当らしい。その息づかいは、確かに崖っぷちに立っている人間のそれだった。


『できたらシュラトはんもここにおっとってくれた方がよかったんやけどねぇ。時間稼ぎもここまでやし、どうも間に合えへんみたいやわ。ままならんもんやなぁ』


 のほほーん、とまるで他人事のように宣うニニーヴ。だがその口振りに反して、こちらも呼吸が荒くなりつつある。自らの奥底から迫り来る何か――胃の腑からせり上がってくる何かをこらえるように。


 直後。




禁呪きんじゅ解放かいほう――」




神威しんい降臨こうりん――」




 エムリスとニニーヴの二人が、同時にそれぞれの切り札を切った。





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