●21 開戦の決意 2





 未だグリトニル宮殿が工事中のため、臨時の謁見の間に通されたセントミリドガルからの使者――見覚えのある顔だ。おそらくヴァルトル将軍の下にいる武官の一人だろう――は、しかし見るからに【やつれて】いた。


「――このたびは拝謁はいえつたまわり、まことにありがとうございます」


 粛然しゅくぜんと片膝をつき、頭を上げる武官。年の頃は俺よりも上。おそらくは三十代前半だろうか。


 こういうのは形式が大切だと知ってはいるが、なにせ相手は俺に冤罪えんざいをおっかぶせて追い出した国の人間だ。また、俺に王たる資格がないことも自覚している。


 なので、俺の態度は自然と雑になった。


「あー、堅苦しい挨拶はいらねぇんだわ、めんどくさい。それにちょっと前までお互い同僚みたいなものだったろ? 肩の力を抜いて、それから用件を話してくれ。手短にな」


 声にけんがこもってしまうのもいたかたあるまい。セントミリドガルから来たということは、十中八九ジオコーザかオグカーバが送り出してきた使者に決まっているのだから。


「……はっ。我が名はコバッツ・リヒター。ご存知の通りセントミリドガルぐん少佐しょうさでございます。アルサル陛下および他の皆様、どうかお見知りおきのほどよろしくお願いいたします」


 セントミリドガルの武官――コバッツ・リヒター少佐は悲壮感ひそうかんただよう顔を若干じゃっかんしかめて、自己紹介を述べた。


 だから、そういう堅苦しい段取りはいらないと言ったんだけどな。


 いや、突っ込んでも話が長くなるだけなので、もう黙っておこう。


「……此度は、はじ承知しょうち嘆願たんがんに参りました。ですが、その前に一つ質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 嘆願たんがん? やっぱり嫌な予感しかしないが、


「いいぞ、何が聞きたい?」


 許可すると、コバッツは頷きを一つ。


「――何故なにゆえ、アルサル様がこの国の王に……?」


 非常に理解に苦しむ、とでも言いたげな顔で問いを口にした。


「あー……」


 だよなぁ。やっぱりそう思うよな。普通なら絶対おかしいって思うよな。うんうん、わかるぞ。俺もいまだにこの状況の意味がわかってないからな。いやほんと一体何がどうしてこうなった? マジで意味がわからん。


「確か、先日の報道ではムスペラルバードの王位は、かの〝金剛の闘戦士〟シュラト様が簒奪さんだつされたと聞いていたのですが……それが何故、現在はアルサル様がその地位に……?」


「……話すと長くなる」


 本気でわけがわからない、と言った風なコバッツに、俺は重苦しい声で答えた。


「だから、細かいことは省略して手短に話すが……」


 んんっ、と咳払いをしてから、俺は言う。


「――シュラトの愚行を正そうとしたら、なんかこうなった」


 俺なりに真面目に考えて出した答えだったが、やはりと言うか何と言うか、無茶に過ぎたらしい。


 ぷふっ……と堪らず噴き出す声がどこからか聞こえてきた。


 多分、ガルウィンだろうな。まさかイゾリテではあるまい。いや、まさかのイゾリテが心なしか顔を逸らしているような気もするが、あの真面目な少女に限って――いやいや。


「……なるほど。わかりました。やむを得ない事情があったと……そういうことでございますね」


 幸いなことに、コバッツは今の説明で納得してくれたらしい。多分、本当はよく理解できていないのだろうが、こちらの顔を立ててくれた形だ。


 なので、俺も咳払いを一つ。


「話が早くて助かる。ともかく、まだ公式発表はしていないが今は俺がこの国の王だ。そういった前提で話を進めてくれ」


 我ながら説明になっていない説明だが、詳しく話すとキリがない。


「で? 改めて聞くが、何の用だ? まさかとは思うが、わざわざこんなところまで宣戦布告しに来たってのか?」


 もしそうだったら、普通なら生きて帰れないぞお前――という皮肉も込めて、俺は問い直した。


 当たり前だが、コバッツは神妙な顔で首をゆっくり横に振った。


「いいえ、とんでもございません。そのような意思は、少なくとも小官にはございません」


 だろうな。もし本当になら、謁見の間に入ってきてすぐ攻撃してくるなり自爆するなり、いくらでもやりようがあっただろうしな。


 コバッツはひざまずいたまま俺の顔を真っ直ぐ見つめ、どこか苦しげな表情で言葉を紡ぐ。


「――本日は、アルサル様に我が国へお戻り頂きたく、馳せ参じました……」


「はぁ?」


 思わず脊髄せきずい反射はんしゃで声が出てしまった。


 あまりにも理解しがたい話すぎて。


 ぐっ、とコバッツが身を引き締める気配。俺の反応を予想はしていたが、間髪入れずに聞き返されたことでつい身構えてしまった――という感じか。


「……悪い。意味がよくわからなかったんだが……戻ってきて欲しい、と言ったのか? 俺に? セントミリドガルへ?」


 自分で言うのも何だが、耳はいい方だ。聞こえなかったわけがないんだが、俺は敢えて聞き返した。


 本気で言ってるのか? という意味で。


「……はい。我がセントミリドガルは、あなた様のお帰りを切望しております」


 俺の意図はあやまたずコバッツに伝わっているようで、セントミリドガル軍の少佐は表情筋をバキバキに硬くして問いに答えた。


「…………」


 俺が無言を返すと、見る見るうちにコバッツの顔が蒼白に変わっていく。自分がどれほど舐めたことを言っているのか、自覚はあるのだろう。


 だが、俺としては当たり前のことを言うしかない。


「――その俺を国外追放にしたのは、他ならぬ国王と王子だったと思うんだが? いや、その前に処刑しようとしていたと記憶しているんだが。俺の気のせいかな?」


 刺々とげとげしい物言いになるのも仕方なかろう。


 あまりにも支離滅裂すぎる。


 あんな形で俺を追い出しておきながら、今になって戻ってこい、だと?


 何言ってんだ。


「――は。その件につきましてジオコーザ様は、アルサル様がお戻りになるのなら全てを水に流すと……」


「水に流す、だぁ?」


 ふざけた発言にたまらず声に力が入った。


 ビクッ、とコバッツの両肩が跳ね、唇が微妙に開いたまま固まる。


 おっと、少しだけ威圧感が出てしまったかもしれん。落ち着け、落ち着け。こいつはジオコーザの言葉を伝えているだけにすぎない。阿呆なことを抜かしているのは、今も王城の中でふんぞり返っているだろう、あのザコ王子なのだ。


「――も、申し訳ございませんっ……!」


 蒼白を通り越して顔色が真っ白になりつつあるコバッツが、大きく頭を下げた。今にも額が床に触れそうな勢いだ。


 虎の尾の近くでタップダンスを踊っている自覚があるのだろう。よく見ると、生まれたての子鹿のように全身がブルブルと震えている。


「……一応聞くが、お前さんはわかってるんだよな? いま自分がどんだけ舐めたこと言っているのか、ってのは」


 助け船のつもりで俺は問う。だが、コバッツは肯定も否定もせず、


「……申し訳、ございませんっ……!」


 と苦しげに謝罪の言葉を繰り返した。


 まぁ、臨時の宮殿とは言えここは公式の場だ。自分の主君に対して非難するような言葉は吐けないか。


 しかし、否定しなかった時点で内心は見え透いている。


「はぁぁぁぁ……」


 俺はわざとらしく大きな溜息を吐いた。


 あきれて物が言えない――なんて気分になることが最近多い気がする。


 思えば、何もかもが全部、あの時からだ。いきなり反逆だの何だのと言われて、処刑だ国外追放だと騒いだ、あの時から――全てが始まったのだ。


 ややの間を置き、俺はゆっくりと答えを告げる。


「――戻るわけないだろ、常識的に考えて。一体何を水に流すつもりかは知らないが、クソでも流してろタコ――ってジオコーザの馬鹿に伝えてくれ。話は以上、帰っていいぞ」


 途中から、そういえばコバッツは使者だったな、と思い出して途中から伝言形式にした。ぞんざいに手を振って、コバッツに帰還きかんうながす。


「お、お待ちくださいっ! お話を! どうか私めの話を聞いてくださいっ!」


 用件が用件だけにあっさり帰るかと思ったが、意外にも食い下がられた。


 とはいえ。


「話を聞いてもいいが、無駄だと思うぞ。あっちは俺を追放したし、俺は城をぶった切った。お互いにやることやってんだ。いまさら関係修復なんか出来るわけねぇだろ」


 俺は薄く笑って、肩をすくめてみせる。結果的に誰も死ななかっただけで、あれは一歩間違えれば誰かが死んでいてもおかしくなかった案件だ。そう易々やすやすと水には流せないし、流すべきではない――というのが俺の見解けんかいである。


「で、ですが! 今こそ我がセントミリドガルは存亡の危機にあります! 我が国の〝勇者〟であるアルサル様さえお戻りいただければ、此度の戦いなどたやすく――!」




「お前、何か勘違いしていないか?」




「――ッ!?」


 コバッツの顔が大きく引きつった。どば、と毛穴という毛穴から汗が噴き出す。


 ああ、いかんいかん、みょうかんにさわることを言うものだから、つい声に変な力が入ってしまった。


 はっきりとした〝威圧〟が出てしまって、コバッツだけでなく謁見の間にいるほぼ全員が愕然がくぜんとしていた。幸い、一瞬だけだったから誰も倒れていないが。


 だが――ああ、そうだ。お前、確かに【踏んだぞ】。俺の中にある、虎の尾をな。


「何だ、その『我が国の〝勇者〟』って? 俺がいつそんなものになった? 俺はあの国の戦技指南役になった覚えはあるが、専属の〝勇者〟にあった覚えなんぞまったくないぞ? 誰から聞いた、そんな馬鹿な話?」


「も、申し訳あり――」


「いや【誰から聞いた】つってんだよ。謝らなくていいから質問に答えろよ。今度はスルーしてやらねぇからな」


 謝罪で濁そうとしたコバッツをさえぎり、俺は舌鋒ぜっぽうを喉元に突きつける。


「答えろ。誰が言った? ジオコーザか? オグカーバか?」


 もはや俺はムスペラルバード国王で、セントミリドガルは敵国というのもあるが、別の意味も込めて馬鹿王とザコ王子を呼び捨てにしてやった。


 俺はもう奴らを『上』だとは認めていない。なにせ、国からもらった〝戦技指南役〟という役職をしたのだ。いまや奴らと俺との間に上下関係などない。


「それとも……お前自身の考えか? コバッツ・リヒター少佐」


 低い声で、わざとらしくフルネームで呼びかける。


「――~っ……!?」


 もう威圧は抑え込んでいるから余計な重圧プレッシャーはかかっていないはずだが、コバッツは凍り付いたように身じろぎ一つしない。頭を俯かせたまま、小刻みに震えている。


 ま、そうなるようにしているのは他でもない俺なんだけどな。


 ふぅ、と吐息を一つ。


「――なんか、【お前ら全員が】勘違いしているようだから教えておいてやる。いいか?」


 コバッツを人差し指で示し、俺は言う。


「俺は確かに〝勇者〟だ。もうあんまり大声で言いたくないが、星の力をつかさどる〝銀穹ぎんきゅうの勇者〟って奴だ。そんな俺の役割は何だと思う? 何のためにこの世界に出てきたと思う? まずそこをちゃんとわかってるか?」


 コバッツだけでなく、この謁見の間にいる全員に問うように俺は言葉を紡ぐ。


 予想はしていたが、誰からも応答はない。というか、ガルウィンとイゾリテですら『???』という顔をしている。俺が国に縛られるべき存在ではないとは思っているだろうが、それでも〝勇者〟の存在意義についてまで思考を及ばせたことがないのだろう。


 仕方ないので、俺はそのまま語を継いだ。


「――【人々を救うため】だ。そして、【人の世界を守るため】だ。もちろん、その枠の中にセントミリドガル王国も含まれているが……逆に言えば、あの国だけじゃなく【人界じんかい全部ぜんぶ】が俺の守護する対象なんだよ。そのために魔王を倒す――それが〝勇者〟である俺の使命だったんだ」


 俺だけでなく、〝魔道士〟も〝闘戦士〟も〝姫巫女〟も、全員が同じ目的のために生まれた――正確に言えば『この世界に召喚された』だが――のであって、どこか一つの国を救ったり守ったりするような、そんなクソ矮小わいしょうな理由で戦ったのでもなければ、普通の人間としてのせいを投げ捨てたわけでもない。


「俺がセントミリドガルの戦技指南役になったのは、たまたま最初に呼び出されたのがあの国で、魔王を倒した後もそのまま流れで戦技指南役のポストを用意されたからであって、別にあの国専属の〝勇者〟になったつもりは毛頭ないし、なってたまるかって話だ。俺は別に誰のものでもなければ、どこの所属ってわけでもない。強いて言うなら【この世界専属の〝勇者〟】だ。だから、国家の枠組みなんざ知ったことか。必要があればどこの国にだって行くし、そこに魔族なり魔物なり、もっと言えば魔王がいるんだったら、俺は全身全霊をかけて戦ってやる。何度だって人界を救ってやる。それが俺の〝勇者〟としての使命だからな」


 あくまでも俺の――〝勇者〟の敵は『魔の存在』である。そのために異世界から召喚されたのだから、それ以外はぶっちゃけ管轄外だ――と。


 俺自身はそのスタンスを徹底してきたつもりだったが、どうも自分が思うほど他人には伝わっていなかったらしい。


 この場にいるほとんどの人間が『知らなかった』『そんなこと考えもしなかった』みたいな表情を浮かべて俺を見つめている。


 例外として、ガルウィンとイゾリテだけが『そのような深遠しんえんにして崇高すうこうなるお考えのもと動かれていたとは』みたいなキラキラした顔で俺を凝視しているが、まぁ例外はあくまで例外である。というか、自分が崇拝すうはいの対象になるって本当に慣れないな。いつまで経ってもこそばゆいというか、居心地が悪い気分になる。


「つまり、お前の言う『セントミリドガルの〝勇者〟』なんて奴はどこにもいない。元セントミリドガルの戦技指南役なら、ここにいるけどな。でもあくまで〝元〟だ。退職した今となっては完全かんぜん完璧かんぺき徹頭てっとう徹尾てつび、あの国とは無関係だ。よって、俺がそっちに戻る理由なんて微塵みじんもない。つか、未遂とはいえ死刑にしてくれようとした国に帰るなんざ頭おかしいだろうが。普通に考えて」


 俺はコバッツの懇願こんがんを完膚なきまでにひねり潰した。


 セントミリドガルに帰ることなど未来みらい永劫えいごうありえない、と断言したのだ。


 途端、コバッツの顔が露骨ろこつなまでに絶望ぜつぼうゆがんだ。もはや、どれだけことを尽くそうとも俺を翻意ほんいさせることは出来ない、と悟ったのだろう。


 ちょっと悪いことをしたな、と思う。流石にここまで言うことはなかったか。


 がくり、と肩を落としてうなだれるコバッツ。


 が、やがて――


「……こうなっては致し方ありません……正直に、お話しいたします……」


 力の抜けた声で、そう語り始めた。





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