●20 内憂外患 4




 愚かな失言をした武官を迎えに向かわせてから、もうしばらくが経つ。それそろ戻って来ていなくてはおかしいのではないか? という意味で、ジオコーザは誰にともなく問いを投げた。


 当然、答えを持つ者などいない。


 現在、かつての戦技指南役アルサルの行方ゆくえを知る者は、セントミリドガルには一人もいなかった。


 なにせアルファドラグーン側は、王城に〝勇者〟アルサルが訪れ、〝魔道士〟エムリスと共に出て行ったことを公表していない。


 少なくとも公的には〝勇者〟アルサルは行方知らずのままだ。


 さらに言えば【非公式な情報】――つまり裏の情報網においても、ドレイク国王は目を光らせている。


 まずもって、アルファドラグーンと敵対しているセントミリドガルに対して、情報漏洩は起こり得ない。


 だが、そんなセントミリドガル側でも、手元にある情報からある程度の推測を立てることならばできる。


 東の大国アルファドラグーンのさらに東、魔界との境界線にあたる『果ての山脈』が突然爆発し、景観けいかんが大きく損なわれたことは記憶に新しい。


 あればかりは流石さすがに隠しきれない大事件だった。


 悪い噂は翼を持つと言う。


 この未曾有みぞうの事態は山を越え、谷を渡り、人里を駆け抜け、世界中の人々の耳に届いていた。


 これをなんとアルファドラグーンは、なんとこれを『セントミリドガル王国の仕業』と断定して宣戦布告をおこなってきた。


 だが常識的に考えて、これはおかしい。


 今でこそ『聖具』なる破格の兵器が各国に存在しているが、当時はそのようなものは提供されていなかった。


 そんな中、一種の霊山れいざんとも言える『果ての山脈』を、その景観が変わるまで破壊するなど、余人よじんには到底とうてい不可能ふかのう所業しょぎょうである。


 可能だとすれば、それはかつて世界を救った〝銀穹の勇者〟、〝蒼闇の魔道士〟、〝金剛の闘戦士〟、〝白聖の姫巫女〟の四人か――


 あるいは魔王、ないしその配下の上級魔族。もしくは八大竜公のような超強力な魔物。


 それぐらいしか考えられない。


 であれば、くだんの犯人がアルサルである可能性が高いと考えるのは、ごく自然なことであった。


 そのため、例の武官はおそらくアルファドラグーンに向かったはず――というのが、この会議の間にいる臣下達の共通認識だった。


 無論、余計なことを口にして首が飛ぶなんてことは、誰しも御免ごめんこうむりたいものである。


 よって、この場にいる全員が知らぬふりを決め込み、決してジオコーザに進言しようなどとは思わなかった。


 だが、そうとは知らぬジオコーザは、


「それに、アルサルもアルサルだ! 大々的に『城に戻ってきてもよい』と喧伝してやっているというのに、未だに【なしのつぶて】とはな! どこまでつけあがる気だ、あの愚か者め!」


 憤懣ふんまんやるかたない様子で吐き捨てる。


 何を隠そう、理術通信や新聞といった各種媒体を介して、


『セントミリドガル王国、敗色濃厚。この局面を打開するには、かつての〝勇者〟にして元戦技指南役の帰還が必須だと思われる。既に王家は水面下で交渉中との噂あり』


 といった情報を世間に流したのは、他ならぬジオコーザ自身なのだ。


 戻ってこいと声を掛けてやればアルサルの奴も喜んで帰ってくるだろう、しかし直接的に言うのは品がない。ならば第三者を使ってほのかに匂わせてやれば、餌を目にした獣のごとく近付いてくるはずだ――


 ジオコーザはそう考え、遠回しに情報を流したのである。


 無論、無駄な行為であることは言うまでもない。


 ひとくさり怒気を放出したジオコーザは、ふと肩の力を抜いた。


「――ふっ、だがまぁよい。今となってはあの男も、もはや無用の長物よ。いまや我がセントミリドガルには最強の! そう、最強の聖具があるのだからな! ハハハハハハハハハハッ!!」


 歯牙にも掛けずに笑い飛ばす。それも、ボルガンから提供された『聖霊せいれいミドガルズオルム』があるのだから、と。


 借り物の力を我が物と思い込む――〝とらきつね〟とはまさにこのことだった。


「それよりもヴァルトル将軍、気になることがあるのだが」


「はっ! 何でしょうか? 殿下」


「此度の戦闘ではアルファ、ニルヴァン、ヴァナルの三国とその他の有象無象を殲滅せんめつできたようだが……何故なにゆえ、南のムスペラルバードは含まれていない?」


 敵の用いる聖具の軍勢にされ、敗走はいそうおよび潰走かいそうを装って後退。これにより敵軍を自国の領土までおびせ、時機を見計らって『聖霊せいれいミドガルズオルム』を稼働させ、一網打尽にする――


 これが強大無比の聖具と共にボルガンから献上された反撃策だったのが。


何故なぜだ? 何故なぜあやつらは我が国に攻めてこなかった? あの国にも聖具は配備されているのであろう?」


 かつていない快勝を重ねたおかげか、今のジオコーザには精神的な余裕があった。よって、落ち着いた口調で問いを重ねる。


 これに対し将軍ヴァルトルは、


「はっ! 聖術士ボルガン殿の話によればムスペラルバードに与えられた聖具は『聖炎せいえんムスペルテイン』――重火器じゅうかき搭載とうさいした戦車せんしゃぐんとのことですが……」


 冷静な口調ながら、それでも充血しきった赤い目が横に動き、部屋の片隅に佇む漆黒のローブを一瞥いちべつする。


 ヴァルトルのテンションもまた、ジオコーザのそれと呼応するように平静状態を保っていた。


「――理術による遠見とおみによれば、ムスペラルバード軍は聖具を横列に並べてはいますが、移動は一切させていない模様ですな。おそらくですが、かの〝金剛の闘戦士〟シュラトが王位を簒奪さんだつしたため、指揮系統に混乱が生じているのでしょう。専守せんしゅ防衛ぼうえいというわけですな」


「ほう? ということはつまり、ムスペラルバードは攻めてこないのではなく、【攻勢に出られない状況】だということか?」


 腐ってもアルサルのもとで訓練を積んだジオコーザである。その精神は狂気に囚われていても、軍事における最低限の見識はゆうしていた。


 急激な王位の変動により、現在のムスペラルバード軍は正常な状態にない。故に、攻めてくる敵勢に対しては応戦するが、積極的な進軍はできない状況にあるはずだ。


 みなみ怨敵おんてきがせっかくの罠に引っ掛からなかったのはしゃくさわるが、逆に考えればこれは好機こうきとも言える。


 かの国の陣容じんよう万全ばんぜんではない。


 ならば、今こそ攻め落とす絶好の機会である――!


 ジオコーザはそう考えた。


「――ふっ……フハッ、フハハハ、フハハハハハハハハハハハハハッッ!!」


 昂揚が腹を揺らし、ジオコーザは声高く哄笑こうしょうした。ギラリ、と赤く充血したひとみ剣呑けんのんな輝きが宿る。口を大きく開き、歯を剥き出しにして叫んだ。


「決めたぞ! 逆襲のだい一手いってはムスペラルバードからだ! まずは態勢たいせいととのっていないあそこからとす! 見せてもらうぞボルガン! お前の自慢するミドガルズオルムの本領とやらをな!!」


 後にわかることだが、これは最低にして最悪の采配さいはいだった。


 無知は罪なりという。


 この場合、ジオコーザはアルサルの居場所を知ろうとしてもわからない状態にあったのだが、それも所詮は言い訳にしかならない。


 余計な欲などかかねばよかったものを。


 愚かな王太子は、自らの国を巻き込む形で、わざわざ世界最大の地雷を踏み抜くことを決意したのである。


 ヴァルトルは最敬礼をとり、この下命かめいはいした。


「はっ!! すぐにでも!!」


 応じて、何人かの武官が立ち上がり、最敬礼をしてから会議の間を出て行った。進軍の準備へと向かったのだ。


 しかしながら、会議の間に残った武官と文官のあいだに『他国への侵略の前に内憂への対処ではないのか』といった空気が流れる。


 国内の懸念けねんと言えば、かつての五大貴族が盟主となった『自由貴族同盟』だ。


 周辺諸国の軍勢であれば国境線こっきょうせん沿いに潜伏せんぷくしているミドガルズオルムによって撃滅できるが、もとより国内の中心部にきょかまえていた『自由貴族同盟』に対してはそうもいかない。


 現在はセントミリドガル王国軍が精強ゆえに余裕を持って対応できているが、ともあれ彼ら反乱貴族が〝獅子身中の虫〟であることに変わりはなく。


 このままの状況が続けば、場合によっては叛徒はんとの牙がジオコーザや、オグカーバ国王の喉笛を切り裂くことも十二分にあり得る。


 なるほど、ボルガンが用意した『聖霊ミドガルズオルム』は最強の聖具かもしれない。だが、国境線に沿って配備されているその威光は、しかし国内の紛争に対しては無力だ。


 油断している間に足元をすくわれねばよいのだが――と臣下達は思ったが、やはりこれも言葉にはされなかった。


「フフフハハハハハハ!! 見ていろ臆病者のムスペラルバードめ!! 何が〝金剛の闘戦士〟だ!! 我らセントミリドガルを差し置いて世界征服を宣言するとは、不遜ふそんやからめ!! この私が成敗してくれるわ!! ハハハハハハハハハハハハッ!!」


 傲岸に笑うジオコーザは、暴走する自意識にうごかされるように豪語する。


「大国の一つを陥落させれば、あのアルサルもよろこいさんで戻ってくるに違いない!! ミドガルズオルムにあの愚か者の力が加われば、名実ともに我が国が最強だ!! もはや世界征服は成ったも同然よ!!」


 本人は気付いていない。


 当初はアルサルを反逆者として粛清しゅくせいするだけだったはずが、いつの間にやら目的が世界征服へと変化していることに。


 自らの意思が肥大化する欲望に呑み込まれ、支配されていることに。


「――――」


 そんな息子の隣に座る国王オグカーバは、やはり沈痛な表情を顔に固定したまま、黙して語らなかった。


 あるいは、既にこれから起こることについて覚悟を決めていたのかもしれない。


 畢竟ひっきょう、坂道を転げ落ちる石は壁にぶつかるか、砕けでもしない限り止まることはないのだ。


 くして、セントミリドガル軍は聖具ミドガルズオルムと共に、南国ムスペラルバードへの進軍を開始する。


 そこに、自らが帰還を待ち望んでいる〝銀穹の勇者〟アルサルがいるとも知らずに。






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