●18 宇宙勇者の絶叫





 ふざけたことに、俺とシュラトがムスペラルバードのグリトニル宮殿、その謁見の間であった場所へと戻ってきた時、エムリスの姿はどこにもなかった。


 あの野郎、自分だけ別の所に転移して逃げやがったのだ。


 当然ながら謁見の間は俺とシュラトの激突によって消滅していたので、巨大なクレーターの中心地に足を下ろすことになった。


 靴底の下は砂。ザラつく感触を踏みしめながら、俺とシュラトは無事に転移し終えたことを確認する。


 ここからは色々と面倒な流れだったので、ある程度は省いて説明しよう。


 まず俺は、通信理術でガルウィンとイゾリテに呼びかけた。すぐさま喜びの声が返ってきて、そのまま合流地点を決める。


 シュラトもまたつたないながらも理術を用いて、レムリアとフェオドーラ、二人の美姫とコンタクトを取る。


 ちなみに先程の戦闘中、シュラトは理術はおろか魔術も聖術も使えない、とは言ったが、それは戦闘用の術式の話であって、基礎的な理術であれば使用することが可能だ。俺やエムリスと違って、その練度れんどは小さな子供並みではあるが。


 やがてガルウィンとイゾリテ、そしてレムリアとフェオドーラの話を総合すると、どうやら互いのあいだで戦闘が起こらなかったことがわかった。


 突然の事態に慌てふためくであろう民衆の保護や、避難を優先したのだという。


 我が教え子ながら見事な判断力である。正直、想定以上の成果だった。


 なおかつ、シュラトの眷属であるレムリアとフェオドーラの行動も、いい意味で予想外だった。


 なんと、休戦はあちらから申し出てきたのだという。


 その結果、四人は余計な手間を掛けることなく、すぐに民衆の対応へと行動を移せた。


 おかげでムスペラルバード王国の王都〝アトラムハーシス〟は大きな混乱におちいることなく、早期に沈静化したのだ。


「よくやったな、二人とも。えらいぞ。はっきり言って期待以上だ。成長したな、本当に。俺も鼻が高くなるってもんだ」


 再会した折、俺は手放しでガルウィンとイゾリテの二人を褒めそやした。


 ガルウィンはいつものように満面の笑みで、イゾリテもまんざらではなさそうに薄く微笑して、俺の褒め言葉を受けとった。


 しかしイゾリテはすぐに表情を引き締め、


「それよりアルサル様、御身おんみはご無事でしょうか? それにエムリス様の姿が見えませんが……」


 俺の体の心配と、ここにいないエムリスの身を案じる。


 ガルウィンは妹の言葉を聞いてから、はた、と気付いたらしく、


「そ、そうでした! シュラト様とはどうなったので!? も、もしやエムリス様は……!?」


 あからさまに周章しゅうしょう狼狽ろうばいした。


 この場にはシュラトもいなかったので――二人の美姫に会いに行っていたのだ――、浅黒の顔がすっかり真っ青になっていた。


 俺はまず、シュラトとの対決は無事に勝利で終わったこと。そして、エムリスはサボり癖を発揮して一時的にどこかへ行っていることを説明した。


 二つの朗報に兄妹は揃って胸をなで下ろし、安堵の息を吐いた。


 なお、エムリスのサボタージュにイゾリテが幻滅するかとも思ったのだが、


「エムリス様のことですから、何かしら深慮しんりょ遠謀えんぼうがあるのでしょう。その思考の射程距離は、私程度には及びもつきません。姿をくらませたというのなら、ただ帰りをお待ちするのみです」


 とのことで、どんな手段を使ったのやら、エムリスはこの短期間の内にイゾリテから不動の信頼を勝ち得ていたらしい。


 というか、凄まじいフィルターがかかっているな。


 しかし、それにしても――なぁイゾリテ? その優しさと思いやりを、もう少し兄貴にも向けてやってもいいんじゃないか……?


「ではアルサル様、この後は如何いかがなさるので?」


 と顔色を取り戻したガルウィンが問うので、俺はこの後の流れを簡潔に説明した。


 まずはシュラトによるムスペラルバード王家への謝罪、そして王位返上。


 特に王位返上、これが重要である。世界情勢の構図を元の形――即ち『人の手』に戻すには、何よりもそれが必要不可欠なのだ。


 少なくとも俺達四人は権力を手にすべきではない――これは俺だけでなく、仲間全員が同じ意思を持っている。


 残念なことに今回、シュラトはその内に宿した〝色欲〟の因子が暴走したことによってこのルールを破ってしまった。


 だが、不可抗力だからといって、そのまま【なあなあ】で済ますわけにはいかない。


 なにせ力尽くで行われた王位おうい簒奪さんだつなのだ。


 謝罪は必須だろう。


 とはいえ、手続きもなく野蛮な方法で奪われた王冠を、元の位置へと戻すだけだ。


 国の様子を見る限り、大きな被害が出たようには見えない。もちろん、宮殿の崩壊を除いての話だ。


 おそらくだが、王位返上は何のとどこおりもなく平穏無事に進められるはずだ。


 その後は、壊してしまった宮殿の賠償について話し合いが必要だろう。


 詰まる所、全責任はシュラト――否、こちら側にあるのだ。ムスペラルバード王家が望むだけの額を支払う必要がある。


 だが幸いなことに、金なら十分以上にある。セントミリドガル城の宝物庫からいただいてきた金品も豊富だ。そこにエムリスのたくわえや、まだ確認していないがシュラトの手持ちがあれば、問題なく補償することが可能だろう。


 その後は、シュラトを連れてこの国を出る。


 今回の件は、頭に『超絶』とつけていいほど余計な〝寄り道〟だったのだ。


 俺達――というか、この旅の発起人ほっきにんである俺の目的は、のんびりスローライフの旅をすること。


 適当に観光をしながら、気の向くまま色々なところに足を運び、自然の中で生活する――そんな自由な旅を夢見たのだ。


 まぁ、ことの発端ほったんはクソみたいな言いがかりからだったのだが。


 ともあれ、これにて本道に回帰できる。


 世間はえらいことになっているが、俺達には関係ない。俺は戦技指南役をクビになったのだし、エムリスは工房を燃やされた。シュラトは〝色欲〟の因子が悪さをするまでは諸国放浪の旅をしていたはずで、つまりは俺達みんなが世捨て人なのである。


 金だって、グリトニル宮殿の補償をしてもなお多くの額が残るはずだ。まだ全然、余裕で遊んで暮らしていけるだろう。


 いや、そうは言ってもいつかは資金も底をつくか? その時はどうしたものか。


 ああ、いっそのこと、冒険者ってやつになってみてもいいかもしれないな。前に会った……何て名前だっけ? よく思い出せないが、やたらと派手な髪色をした馬鹿でもやれていたぐらいだ。俺やエムリス、シュラトなら間違いなく楽勝だろう。まぁ、目立たないように力をセーブして仕事に従事する必要はあるだろうが――


 などと、予想や展望、あるいは妄想をまじえつつガルウィンとイゾリテにこれからの話を語っていると、


「アルサル」


 深い声が俺を呼んだので、振り返る。


 そこには、先程レムリアとフェオドーラの二人の美姫らと落ち合うため、宮殿の南側に向かったシュラトの姿があった。


「おう、早いな。てか、嫁さん二人と合流したら、そのまま王家のところに行って話をするんじゃなかったのか?」


 いったん分かれる前、シュラトはムスペラルバード王家の人々に会って王位を返上してくると、そう宣言して俺の前から去って行ったのだ。


「ああ、そのはずだったんだが」


 はっきりした口調で、しかしシュラトは言葉を濁す。


 そんな奴の背後には、魔界に戦場を移す前に見た顔が二つ。赤毛黒肌の美女レムリアと、銀髪白皙の佳人フェオドーラが控えている。


 改めて見ても双方、かなりの器量持ちだ。いわゆる〝傾国の美女〟と言っても過言ではないと思う。


 しかしながら、どちらも浮かない顔をしているのは一体全体、どうしたことだろうか?


 次なるシュラトの言葉は、あまりにも予想外すぎて俺は即座に反応を返せなかった。


「断られた」


 まるで別の世界の言語でも聞いたかのように、俺はその一言を理解することができなかった。


 コトワラレタ?


 想定していなかった響きに、俺の耳はそれをただの音のつらなりとして認識した。


 脳が理解することを拒否したのである。


「……?」


 思わず首を傾げて、ガルウィンとイゾリテの方を向き、顔を見合わせる。


 このムスペラルバードの血を引く二人の兄妹は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


 多分、俺も同じ表情を浮かべているはずだ。


 改めて、真面目くさった顔つきのシュラトに向き直り、


「……ことわ、られた?」


「そうだ。王位を返そうとしたら、いらないと断られてしまった」


 いや意味がわからん。


「――はぁ? な、え、そ……はぁ?」


 意味不明すぎて、何か言おうとしたのに語彙ごいがまったく浮かばず、変な声を出すだけになってしまった。


 シュラトの言葉が少なくて要約が必要だが――つまり、ムスペラルバード王家の人間、特に前国王に奪った王位を返上しようとしたら、そんなものはいらない、と拒絶されてしまった……ということか?


「――いやなんでだ!?」


 つい大声が出てしまった。しかし、これは仕方ないだろう。こんな訳のわからないことを言われたら、誰だって叫びたくなるに決まっている。


「それがな」


 シュラトは、さも当然、みたいな顔で頷き、事情を説明した。


 ムスペラルバード前国王がいわく――


 色々と飽きた。


 王様というか王族というのは、皆が思っているほど楽しくない。


 一度、王族という立場から離れてみて、それがよくわかってしまった。


 そもそも、シュラト陛下が王家を奪いにくるまでは王族の間には権謀けんぼう術数じゅっすうが張り巡らされ、時には暗殺という形で身内が死ぬことも多々たたあった。


 だが、どうだろう。


 一時いっときとは言え『王家』という立場を失い、〝義務〟ではなくただの〝仕事〟として国家運営をしてみたところ、これが存外に気が楽だった。


 思えば、たった一つの血族が長年にわたって国を治める、という形式には無理があったのだ。


 建国の初代は、それはもう偉大な人物であっただろう。


 だが、その子孫までもが偉大な人物であるとは限らない。


 有能だとも限らない。


 さらに言えば、例え王族内の権力闘争に勝ち抜き、玉座を手にしたところで、次に待っているのは他国との生存競争だ。


 来る日も来る日も、誰かを殺し、何かを奪い、自国を栄えさせることばかりを考える――


 これでは、野生の獣と一体何が違うのか?


 そんな日々にはもういてしまった。疲れてしまった。愛想あいそが尽きてしまった。


 なので、もう大きな権力などいらない。仕事としては生まれてこの方、内政しかしてこなかったのでこれを続けさせて欲しいが、過剰な権限は必要ない。


 王位はそのままシュラト陛下が持ち続ければいい。


 幸いなことに、国民の大半は大して気にしていない。統治に関しては我々、【元】王族が全面的にカバーする。国としての運営は問題なく遂行できる。


 今日までがそうだったように、これからも『君臨すれども統治せず』の方針でいてもらえれば、このムスペラルバードは安泰だろう。


 現在継続中の戦争についても、聖術士ボルガンから譲り受けた古代兵器『聖炎せいえんムスペルテイン』がある。国の防衛は完璧と言っていいだろう。


 どうしても王位がいらないと言うなら、どなたか信頼できる相手に譲渡じょうとするのもありだと思う。


 少なくとも我ら元王族には、もう王位など無用の長物だ。


 長い時の果て、ようやく身内同士で殺し合わずに済む日々が到来したのだ。


 子々しし孫々そんそんについてはわからないが、ひとまず当代の我らにとっては王権は忌避すべきもの。


 今はただ、この平和な時間を享受きょうじゅさせて欲しい。


「――とのことでな。王位の返上には応じてもらえなかった」


「……………………マジか……」


 シュラトの説明を聞き終えた俺は、小さくうめくことしかできなかった。


 そこまで聞いて、意味がわからない、と言ったら嘘になる。


 前国王の気持ちが、俺には痛いほどよくわかる。


 色々あってセントミリドガル王国の戦技せんぎ指南役しなんやくを退職してスローライフの旅に出た俺にとっては、もう王位などいらないという前国王の『飽きた、疲れた、愛想が尽きてしまった』という言葉が、とても深く心に突き刺さった。


 わかる。


 とてもよく理解できる。


 凄まじく共感してしまう。


 こういうのって一度でもそう思ってしまったら、もうダメなんだよな。


 心が離れてしまうというか。一気に氷点下まで冷めてしまうというか。


 重い肩の荷を下ろしたときの解放感。それを一度でも味わってしまうと、重荷を背負せおっていた時の窮屈きゅうくつな思いはもうごめんだ、と思ってしまうものなのだ。


 だから内政の仕事は続けるが、もう必要以上の責任は負いたくない――と。


 特に、親族間での殺し合いが日常と化していた王家の人間がそう言うのだ。


 その言葉は、ただひたすらに重い。


「いや、じゃあどうしたらいいんだ? この国にも貴族はいるだろうから、そいつらに譲渡するとか……?」


「ああ、俺もそう思ったんだが」


 首を捻った俺に、シュラトが同意の頷きを一つ。最後の否定形が不穏だ。


「だが……?」


 と聞き返すと、シュラトは後方の赤毛黒肌の美人――レムリアへと視線を向ける。


 エスニックな美貌を持つ女性は、にっこり、と微笑み、


「それがねー? 今この国って他の四大国を相手に戦争中でしょお? あたし達も大貴族様に連絡を入れてみたのだけど、皆さん尻込みなされちゃってねー?」


 うふふふ、と井戸端で世間話でもするかのような調子で言う。


 いや、笑い事じゃないんだけどな?


「こんな面倒な時期に王となっても貧乏くじを引くようなもの。さらに言えば、実質的な権力は元王族が握っている体制ともあれば、手が出ないのも当然かと」


 銀髪白皙の美女――フェオドーラが追随した。


 それはまぁ、確かに。


 前国王および周辺の体制が武力で倒されたのならともかく、彼らは健在で、今なお王権以外の部分を掌握しているのだ。


 この状態でたなからぼたもちてきに国王になったところで、実権はほとんどないに等しい。


 旨味うまみがないのに貴族が食い付くはずもなかった。


「では、いっそ議会制度を取り入れるとか……?」


 俺が元いた世界ではそのような形で治世を行っていた。不可能ではあるまい。ある意味では、国の根幹が変わる千載一遇の好機と言っても過言ではなかろう。


「議会制度……? 己はよく知らないのだが、それは一体どういうものなんだ? すぐに導入することが可能なものなのか?」


「…………」


 戦闘スタイルと同じくシュラトの鋭い指摘に、俺は言葉を失った。


 この世界にはまだ議会制度というか、民主主義というか、そういった思想がまだない。


 知りもしない概念を押しつけて、それをやっておけ、というのは無茶ぶりにも程がある。つたなくとも骨組みを知る誰かが先頭に立ち、推進していく必要があるのだ。


 というか、これまでにない政治形態なのだから、導入にはめちゃくちゃ時間がかかる。手間もかかる。たねを植えて木を育てるぐらいの根気が必要だ。


 うはやすおこなうはかたし、とはまさにこのことだ。


 沈思ちんし黙考もっこうの果て、俺は諦めの吐息を一つ。


「……ってことは、このままお前が王様でい続けるしかない、ってことになるのか?」


 人外が人間の国の王であるなど、あまり良くないことだと思うのだが――現状では致し方ないのかもしれない。


 そも、責任をとるべきはシュラトを含めた俺達側だ。被害者であるムスペラルバード側に多くを求めてはいけない。


 他に、何か他に手がないか考えなければ――


「そのことなんだが」


 と、再び思索の海に潜ろうとした俺に、


「自分でしでかしたことではあるが、しかし己は王や首領といったものには向いていない。不得意だ」


 淡々とした口調で、自己分析を口にするシュラト。


「――? ああ、言っちゃ悪いが確かにそうだろうな」


 こいつは昔から朴訥ぼくとつなタイプだ。リーダーシップをとることには不向きだと、俺も思う。


 昔ながらの付き合いと言うことで遠慮無く肯定した俺に、シュラトもまた『わかってくれるか』と頷きを一つ。


 そして、とんでもないことを言い放った。




「だから、王位はお前に譲りたい。アルサル、この国の王になってくれ」




 真剣な顔でまっすぐに言われて、俺の頭は真っ白になった。


「――――」


 この時、俺の背後には遙かな宇宙空間が広がっていたに違いない。


 まさしく、宇宙のただ中に放り出されたような気分だったのだから。


 そうして俺が反応できずにいると、


「おお……!」


 とガルウィンが感動の声を上げ、


「この時を待っておりました」


 とイゾリテがしたり顔で頷く気配があった。


 どうやら聞き間違いでも、言い間違いでもないらしい。


 シュラトはこう言ったのだ。


 この俺――〝銀穹の勇者〟アルサルに、ムスペラルバード王国の新たな王になれ、と。


 無論、俺の答えは一つである。




「――はぁあああああああああああああああああああ!?」




 目をいてさけぶ以外に、他にどうしようもなかったのだった。








 第3章『熱砂の闘戦士と新たな国王』  完



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