●10 地獄の戦場 13






 ドラゴンに貴族アリストクラットクラスという特別なカテゴリがあるように、魔族にも階級が存在する。下級、中級、上級と区分けされるなかで、さらに上級魔族の中には貴族という地位につく者達がいる。


 魔界は『力こそ全て』、即ち『弱肉強食』の世界だと聞く。


 つまり、高い地位にいるものほど単純に【強い】。


 アルサルが略するところの『ザコ』は〝侯爵こうしゃく〟と名乗っていた。


 魔族の上位である魔界貴族の中でも、さらに上位の地位にあるということだ。


 その力は、もはやガルウィンには想像もつかない。


 ――アルサル様、ご武運を……!


 ザコ侯爵の放つ圧力で指一本動かせないガルウィンには、そう祈ることしか出来なかった。


「来い、〝フォーマルハウト〟」


 アルサルが告げると、天空で銀光がまたたいた。


 星が落ちる。


 流れ星がアルサルの体に激突し、吸収された。


 そこからはもう、目で追うのが精一杯だった。


『ウウウウォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』


 ザコ侯爵の咆吼がとどろく。


 銀光を纏ったアルサルと、紫の魔光を放つザコ侯爵は凄まじい速度で宙を飛び、大空へと飛翔しながら幾度も激突を繰り返した。


 衝突のたびに信じられないほどの衝撃が生まれ、空間が爆発する。


 空中には先程のアルサルの銀光によって舞い上がった土や砂の煙がまだ残っていて、二人がぶつかるごとに弾ける衝撃の様子が、綺麗に可視化されていた。


 次いで、高温にねっした鉄板に一斉に水をぶちまけたような、何かが連続で弾け飛ぶ音が空に響く。


 殴り合いの音だ、とガルウィンは気付いた。


 高空にのぼったアルサルとザコ侯爵がお互いに距離を詰め、超高速で真っ正面から殴り合っているのだ。


 途端、二人の戦いとはまったく関係ない、遠く離れた場所が手当たり次第に爆発していく。


 流れ弾だ。


 アルサルとザコ侯爵、それぞれの打撃の威力が強すぎて、遠く離れた場所にまで衝撃が届き、大地をえぐっているのだ。


 もう滅茶苦茶だ。


 魔界の大地だけでなく、ガルウィン達が飛行魔術で越えてきた『果ての山脈』までもが、流れ弾ならぬ〝流れ衝撃波〟を喰らって穴だらけになっていく。


 これでは台風や竜巻といった自然災害の方がまだマシだった。


 しかしアルサルとザコ侯爵の大立ち回りが拮抗していたのは一瞬だけのこと。


 突如、空に尋常ではない範囲で猛火が広がった。


「――っ!?」


 蒼穹を見上げていたガルウィンは、一瞬にして真っ赤に染まった天空に思わず息を呑む。この時ばかりは体にかかる膨大な圧力さえ忘れた。


 なにせ目に見える範囲すべての大空が、真紅の炎に覆われてしまったのだから。


 世界の終わりが来たのか、とすら思った。


 だが次の瞬間、空一面を覆っていた燎原りょうげんの火が一点へと収束した。


 急速に大火炎が凝縮されていくのは――果たしてアルサルの手元。


 刹那、手の中に生まれた【炎の剣】を、アルサルは大きく振りかぶり、ザコ侯爵に向けて振り下ろした。


 斬。


 余波で生まれた斬撃波だけで、大地が割れた。


 天に棲まう巨人が炎の大剣を振りかぶり、地面を切り裂いたかのようだった。


 下から突き上げるような地震が起こり、真実、ガルウィンの体は宙に浮いた。


「う、うわっ……!?」


 慌てて受け身を取り、地面に転がって衝撃を逃がす。ゴロゴロと転がり、どうにか身を起こすと、


「……っ……!?」


 改めて空を見上げた瞬間、アルサルとザコ侯爵が一つになって――否、違う、アルサルがザコ侯爵の腹に炎の剣を刺した状態で――地上に向かって超高速で落下していた。


 二人はあっという間に墜落し、一切の減速もないまま地表に激突する。


 爆裂。


「お、おおおお――!?」


 先程よりも凄まじい爆発と地震が起こり、体勢を崩していたガルウィンは今度こそひとたまりもなく吹っ飛ばされた。ボールのように転がっていく。


「くぅっ……!」


 二転三転の後、必死で地面に這いつくばり、なおも押し寄せる爆風に耐える。


 こんなもの、もはや『戦い』などと呼べない。呼んではいけない。


 完全に別次元の『何か』だ。


 ――アルサル様は、十年前にもこんなことを……あんな怪物を相手に……!?


 しかも、子供の頃に、仲間とたった四人で。


 さらに言えば、あのザコ侯爵よりも遙かに強大な魔王と戦い、勝利したというのか。


 戦慄でガルウィンの体が震える。


 もしかしなくとも、自分が主君と仰いだ方は、想像していた以上に【途方もない存在】だったのかもしれない。


「――っ……!」


 ならば、いや、だからこそ。そんな主君に仕えた自分が、こんな場所で情けなく寝そべっているわけにはいかない。


 ガルウィンは全身全霊をもって身を起こし、立ち上がった。


 せっかく〝眷属化〟で強い力を与えられたのだ。黙って見ているだけなど、絶対にあり得ない。


「アルサル様……アルサル様ぁあああああああっっ!!」


 我知らず大声で名を呼び、駆け出す。気付けばザコ侯爵から重圧プレッシャーが消えていたが、頓着とんちゃくするところではなかった。


 爆心地――ではなく、アルサルとザコ侯爵が墜落した地点へ全速力でせる。目で見た距離感では近いように思えたが、実際にはかなりの距離を走らなければならなかった。


 しかしそこはそれ、やはり〝眷属化〟によって強化された脚力が時間を短縮してくれた。


「――アルサル様っ!」


 ようやっと墜落地点へと到着すると、そこは同心円状に抉れたクレーターになっていた。その中心に、アルサルとザコ侯爵の姿が確認できる。


 果たしてガルウィンが目にしたのは――


 地面にめり込んだザコ侯爵の顔を、アルサルが長い足で踏みつけにしている姿だった。


「……………………えっ?」


 思いも寄らなかった光景に、思わず変な声がこぼれる。


 ガルウィンはクレーターの端で足を止め、唖然とした。


『グゥゥゥゥゥ……キッサマァァァァァ……!』


 標本の虫のごとくクレーターの中心に縫い付けられたザコ侯爵は、顔を靴底で圧迫されながら怨嗟の声を吐く。


 本当なら身を起こしたいのだろうが、アルサルの足がそれを許さないのだろう。なんとも情けない格好ではあるが――


『何故だっ! キサマ何故、剣を抜かぬっ! 素手でこのザフォッスルメント・コリースーダンの相手をするとは! 舐めているのかぁッッッ!!!』


 ザコ侯爵の怒りの理由は、ガルウィンには予想外のものだった。


 剣、というのはおそらく『勇者の剣』を指しているのだろう――そう気付いて、ガルウィンは慌てた。その剣は今、この手の中にあるのだから。


 しかしアルサルは、


「いらねぇよ。別にお前を斬るつもりは最初からなかったんだからな」


『なにぃ……!?』


「さっき言っただろ? 〝鬼ごっこは面倒だから、さっさと顔を出して大人しく俺にボコられろよ〟――って」


 はっ、とアルサルはザコ侯爵を見下ろし、嘲笑する。


「お前には生きて帰ってもらわないとな。人界にはまだ俺達がいる――その情報を、魔界の中心で叫んでもらわないと困るんだよ。だから殺すつもりはない。ただ、俺の顔と名前をよーく心に刻んでいけよ。忘れられない思い出をくれてやるから」


 そう言ったアルサルの両拳に、銀色の輝きが宿る。


 この瞬間、ガルウィンは彼の意図をあやまたず察した。


 見せしめだ――と。


『ふ――ふざけるなぁっっ!! 私は誇り高き魔界貴族の一人! そのような屈辱など』


 ザコ侯爵が抗議の声を上げかけた瞬間、叩き潰すように。


「じゃあ死んでもいいぞ? 殺してやる。後でお前の死体を魔界の央都おうとに投げ込んでやれば、まぁそこそこの効果があるだろうしな」


 容赦なく、無慈悲に、冷酷に、アルサルは言った。


 ピタリ、とザコ侯爵の舌が止まる。


「好きに選べよ。生きて俺の存在を喧伝けんでんするか。死んで見せしめになるか。俺はどっちでもいいぞ。【それなりに殴るか、死ぬまで殴るか】の違いでしかないんだからな」


 自分は何か致命的な勘違いをしていたのかもしれない――とガルウィンは思う。


 皆から〝勇者〟と呼ばれる存在とは、高潔にして誠実な人物なのであろうと――心のどこかでそう思っていた。


 そして自分の目で見たアルサルは、そのイメージからさほど外れていなかったように思う。


 もちろん口が悪いところもあり、理不尽なところもあったが――それでも根底には『勇者たる素養』があったように、ガルウィンには感じられていた。


 しかし――違うのかもしれない。


 思えば、魔族や魔物は『怪物』だ。『化物』だ。


 そのような存在と互角以上に戦い、なおかつ勝利を収める存在ともなれば――


 それは『怪物以上』であり、『化物以上』ということだ。


 魔族や魔物よりもさらに上の存在である、〝勇者〟。


 あるいは超越しているのは戦闘力だけでなく、その残虐性もまた――


『や、やめろ……』


 ザコ侯爵が小さく呻いた。


 銀色に光り輝く拳を振り上げたアルサルに対して。


「とりあえずボコボコにしばく。その後でも殺して欲しいどうしてもとお願いするなら、殺してやるよ」


 無論、制止の声など蚊ほどの力も持たなかった。


 アルサルはザコ侯爵の顔を強く踏みにじり、宣告する。


「あれだけ威勢のいいこと吐き散らしてくれたんだ。そう簡単に――折れるんじゃねぇぞ?」


 かつて〝銀穹の勇者〟と呼ばれた男は、ニヤリ、とわらった。


 次の瞬間。


 圧倒的な蹂躙じゅうりんが始まった。






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