●9 破滅への暴走と眷属化 9






 エムリスの言う〝龍脈結界〟は人界と魔界を隔てる不可視の壁だ。


 人体には毒である魔力を含め、魔物や魔族を大陸の東側に封じている防壁でもある。


 無論、しかるべき手順を踏めば突破することはさして難しくもないのだが。先日の黒瘴竜ミアズマガルムが、セントミリドガルとアルファドラグーンの国境付近に忍び込んでいたように。


 とはいえ、魔力の類いを遮断する効果においては絶大であるため、〝蒼闇の魔道士〟たるエムリスの超感覚をもってしても、向こう側の様子を探知するのは容易ではなかったらしい。


「ま、百万程度の数ならよっぽどの大物は出てこないだろ。お前の空けた穴の調査が目的だろうしな……って、あっ」


 ふと気付いて、俺は思わず声が出た。


 思ったより魔界側の動きが早かった理由に気がついたのだ。


「――あー、【そういうこと】か……」


 なんだかんだ言いつつも、手は勝手に動く。慣れた動作であるため、俺は半分無意識の動作で食パンと具材をホットサンドメーカーに詰め、二つのそれらを焚き火にくべていた。


「どうしたんだい、アルサル? そういうこと、というのは?」


 頭上からエムリスの質問。まぁ、こいつが気付かないのも仕方ないと言えば仕方ない。なにせ、試し撃ちと行こうじゃないか、などと言い出した張本人なのだから。


「……なんだい、その恨みがましい目は? ボクの顔に何か変なものでもついているのかい?」


 ペタペタと両手で自分の頬に触れるエムリス。すごいな、自分が何か悪いことをしたのかも、とは微塵も考えないのか。やはり〝傲慢〟は俺が引き受けてしかるべきだったようだ。


「いや、さっきのガルウィンとイゾリテの試し撃ちだけどな?」


「うん?」


「俺が見るに、〝向こう側〟からでも見えるぐらい派手だったと思うんだが、お前はどう思う?」


「あっ」


 腐っても大魔道士を自称する女である。俺がヒントを出すと理解は早かった。


 というかエムリスの奴、思考が〝怠惰〟に毒されてないか?


 昔のこいつなら試し撃ちなんぞする前に気付いたことだと思うんだが。まぁ、俺もさっきまで気付かなかったので、同罪なのは自覚しているつもりだ。


「……あー、なるほど……【そういうこと】かぁ……」


 げんなりした顔で、さっきの俺と同じようなことを呟く。


 が、それもつかのこと。


「――ま、いいさ。別段、やることが変わるわけでもなし。むしろ予定が早まって助かるぐらいさ。そうだろう?」


「お前、昔から失敗した時はそうやって開き直るよな」


「な、なんだよ、アルサルだって気付かなかったんだろー! わかってたんなら止めてくれればよかったじゃあないかぁーっ!」


「はいはい、俺も悪かった悪かった」


「二回返事するなー! 同じ言葉を二回繰り返すなー! 誠意がまったく感じられないよー!」


「うっせぇなぁ……」


 普段は澄ましているくせに、追い詰められるとこうやって子供みたいな反応をしやがる。


「……ん? どうした、ガルウィン、イゾリテ」


 気付くと、俺達の眷属となった二人がホットサンドをのせた紙皿を持ったまま、唖然とした顔を並べてこっちを見ていた。


「食べないのか?」


 まったく手つかずのホットサンドを見てそう声をかけるが、二人は微動だにしない。


 というか、青ざめた顔でエイリアンでも見るような目を俺達に向けている。


「おや? 一体どうしたんだい、二人とも? 雷鳴を聞いたアヒルみたいな顔をして」


 キョトンとしたエムリスが言う。俺から見れば二人は、鳩が豆鉄砲を食ったような、と称すべき表情をしていた。


「……………………申し訳ありません、アルサル様、エムリス様。ひとつ、ご確認させていただいても……?」


「どうした、ガルウィン? というかお前、腹が減ってたんじゃないのか? 食べろよ、ホットサンド。熱いうちに食べた方が美味いぞ。ほら、イゾリテも」


「は、はい……あの、質問の後でいただきます……」


 神妙な様子で頷き、遠慮がちに紙皿を軽く掲げてから、


「あの……先程から『百万ぐらい』や『大きい反応が十個ぐらい』と仰っているのは、もしや……?」


 怖々こわごわと差し出された質問に、俺は、はた、となる。


 そういえば昔ながらの感覚でエムリスと喋っていたが、内容が少々ハイコンテクスト過ぎた。あれでは事情を知らない人間にはさっぱりだ。


 とはいえ、ある程度は察しがついているようなので、俺は首肯する。


「おう、魔物と魔族の数のことだ。今頃、あっち側の裾野すそのに百万ぐらいの魔物と、そこそこ強めな魔族が十体ぐらい布陣しているはずだ。あれの調査のためにな」


 そう言って、俺はエムリスの『BANG☆』で穿うがたれた風穴の方面をあごで示す。


 それにしても、さっきのガルウィンとイゾリテの試し撃ちを足して何倍にもしたような破壊力を、詠唱も発動音声もない『BANG☆』だけで発揮したエムリスは、やはり化物――もとい、『最終兵器』と呼ぶ他ない。


「魔物がひゃく、ま……」


「そこそこ強めの魔族が……」


 俺の言葉をそれぞれオウム返しにしたガルウィンとイゾリテが、それっきり黙りこくってしまう。


 さーっ、とさらに二人の顔から血の気が引いていく気配。


 ああ、そうか――と今更のように思い至る。


「心配すんな、大丈夫だから。棚ぼた的にお前らも強くなったし、第一ここに俺とエムリスがいるんだからな。安心しろって」


「は、はい……!」


「……承知、いたしました」


 肯定的な返事こそしているものの、ガルウィンの頬はヒクヒクと引きつっていて、イゾリテの表情はガチガチに固まっている。


 なんだなんだ、ガルウィン、お前は俺が用意した地獄にも喜んで飛び込んでいくようなクレイジー野郎だったじゃないか。いやまぁ、流石に百万は一般的には『桁違い』と言っても過言ではない数字だとは思うが。


「そうさ、ここには魔王を討伐した英雄が二人もいるんだ。大船に乗った気でいたまえ」


 ふふーん、と薄い胸を張るエムリス。どうでもいいが、今のようにイゾリテと見比べられる位置にいられると、どうしても体格の違いが気になってしまうな。エムリスの成長速度が通常より遅いと言っても、肉体年齢で言えば同じぐらいのはずだ。だというのに、この顕著けんちょな差は――


「アルサル、笑顔で聞くけど君のその妙な視線は何を意味しているのかな? ん? ボクとイゾリテ君を見比べて何を考えているんだい? ん? 言ってごらんよ、ほら、んん?」


 しまった、気付かれた。一見おしとやかな態度で問い質しているエムリスだが、その笑顔は石膏を固めたかのごとく偽物めいていて、声にも底冷えする響きが含まれている。


 俺は咄嗟に思考速度を加速させ、必死に頭を回転させた。


 その結果、


「――いや、綺麗どころが揃っていて何よりだな、ってな。十年前もお前とニニーヴがいてくれたおかげで殺伐とした旅にもうるおいがあったが、今回も四人中二人が美少女ってことで、これはまた楽しい旅になりそうだ、とか考えていただけだよ」


 その場しのぎにしては、なかなか上手い返しができたのではなかろうか。表情もごく自然な上、口調もスムーズだった。ちょっとでも噛んでいたら、それだけで致命的なミスになっていただろう。


「ふーん……」


 せっかく褒めそやしてやったのに、疑わしげな視線を隠しもしないエムリス。無駄だぞ、俺の心の底はお前にだって読めやしない。思考を読み取る系の魔術や理術に対する防御は、勇者やってた頃から完璧な俺なのだ。


「……お褒めにあずかり、光栄です」


 一方、イゾリテは楚々そそとして頭を下げた。心なしか肌が紅潮しているように見える。おっと、俺に懸想けそうしてくれている女子相手には少し刺激が強すぎただろうか。だが嘘ではない。イゾリテが美しく成長したのは疑う余地もない事実なのだから。


 とはいえ、従姉妹のように思っていた女の子を相手に恋愛感情を抱くというのは、なかなかに難儀ではあるのだが……


 おほん、と俺は咳払いを一つ。


「よし、ぼちぼち焼き上がるぞ、皿くれ。ほら、お前らもわかったんならとっとと喰え。食べ終わったら〝向こう側〟に行くぞ。腹が減っては戦はできぬ、ってな。戦いの基本だ」


 ホットサンドメーカーを取り上げ、エムリスの魔力で浮かび上がった紙皿に、新たに焼き上がった昼飯を盛り付ける。うん、今度もいい焼き加減だ。もうこれ売って商売できるんじゃないか、俺?


「いただきます」


 有言実行とばかりに、アツアツのホットサンドを直に手で掴み、かぶりつく。


 うん、美味い。


 ベーコンとソーセージは焼かずに挟んだが、一緒に入れた卵の白身で煮られる形になって、いい感じに熱が通っている。歯ごたえがあって、実に肉々しい。


 そして、何より舌を楽しませてくれるのが、絶妙な具合で半熟になった卵だ。熱々でありながら、なんとも言えない【とろみ】があってたまらない。あふれ出す黄身の濃厚な味がパリッと焼けた食パンと絡まって、口の中が天国になる。


 焼きたてをそんな勢いよく頬張って熱くないのかって? 火炎竜のドラゴンブレスでも火傷一つ負わない俺である。たとえ焼け石を口に入れられようとも、ゼリーのように飲み込んでやるとも。


「アルサル様、どうぞ」


「お、ありがとな」


 どうにか再起動したらしいイゾリテが、先程淹れたコーヒーを差し出してくれる。先程のコーヒーブレイクでも使ったシェラカップを受け取り、咀嚼そしゃくしたホットサンドを湯気の立つ漆黒の液体で胃に流し込む。


 さて、俺的にはこれでもう準備万端だ。


 他の三人が昼食を終えたら、おそらく、山向こうで決戦が始まる。


 久々に大暴れできる予感に、少しだけ、ほんの少しだけ――背中がゾクゾクする俺なのであった。






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