●6 指先一つで山を穿つ 8






「へぇ……あのピアスがね。特に魔力や理力は感じられないけれど、そういうことなら確かに納得はいくかな」


 エムリスほどの奴が『魔力も理力も感じない』と言うのであれば、それは事実なのだろう。だが、あのピアス以外にそれらしき原因は見当たらない。何か、俺達の知らないカラクリがあるのかもしれないが。


「――ねぇ、勢いづいているところに申し訳ないのだけど、モルガナ王妃。あなた、なかなか素敵なピアスをしているね?」


 いきなり、エムリスが単刀直入に切り込んだ。


 ドレイク国王と喚き合っていたモルガナ王妃が動きを止め、振り返る。同時、何故かドレイク国王もぎょっとした顔を見せた。


 エムリスは、にやり、と笑みを浮かべ、片手を差し出す。


「それ、ボクに譲ってくれないか? 今回の騒動のお詫びとして」


 ちょくで要求しやがった。何の工夫もなく。


「ちょ――」


 思わず声が出そうになった。せっかくコソコソと小声で伝えたのにまったく意味がない、と。


 しかし。


「――なりません!」


 意外なことに、そう声を上げたのはモルガナ王妃ではなく――ドレイク国王だった。


「……へぇ? どうしてだい? ピアスの一つや二つ、大したものじゃあないと思うのだけど」


「いいえ、なりません。これはお渡しできません」


 なんと、ドレイク国王は玉座の前から動くと王妃の前に立ち、両腕を広げて自らを守護の壁とするではないか。


 そんな必死な行動を見せる国王に、エムリスはどこからからかうような口調で、


「ボクが要求しているのに? 断るというのなら……そうだねぇ、この城を燃やすと言えば、どうだい?」


 右手を軽く掲げ、緩く広げた五指の先端に五つの火が灯る。一つ一つは蝋燭の火のように小さなものだが、歴とした魔術の火炎だ。エムリスの工房がレンガ造りでも容易たやすく燃え上がったように、その小さな火種は、燃え移ればいずれは巨大な王城をも包み込む大火となる。


 そのことは、この場にいる全員が理解してることだろう。なにせここは、魔術国家アルファドラグーンなのだから。


「それでも、ピアスを渡す気にはならないのかな?」


 これみよがしに五本指の炎をちらつかせながら、重ねてエムリスは問う。


 ドレイク国王は苦渋に顔を歪ませながら、


「……なりません」


 それでもなお、申し出を断った。


 ピアスを渡すぐらいなら城が燃えてもかまわない――と。


「……なるほど、よくわかったよ。それじゃピアスは諦めよう」


 意外にもすんなり、エムリスは引き下がった。その上で、


「陛下、最初に言っていたのはこのことだったんだね。【出来ることと出来ないことがある】、そして【言えることと言えないことがある】というのは」


「…………」


 ドレイク国王は無言。真っ直ぐエムリスの青白い瞳を見つめ返してはいるが、その唇は動かない。


 ただ、膨大な感情の奔流を押し殺しているような、得も言えない表情をしていた。


「おっと、これも【言えないこと】だったかな? 失礼したね。どうやらそのピアスに関することはなんにも言えないようだ。ああ、これにも答えなくていいよ。ほとんど独り言のようなものだから」


「…………」


 国王は無言のまま。だが、この場合の沈黙は肯定の意に他ならない。


 なるほど、俺も得心がいった。当初はおかしなことを言うものだと思っていたが、そういうことだったのか。


 おそらく――【国王は脅されている】。


 多分、モルガナ王妃を人質に取られているのだ。


 ということは、あのピアスを外すと爆発したり、あるいは何かしらのギミックで王妃に危険が及ぶ可能性が高い。


 だから国王は最初に宣言したのだ。自分には出来ないこと、言えないことがある――と。


 実際、ピアスの話題になった途端、国王は「なりません」しか言ってないしな。詳しい説明をすることが許されていないのだろう。


「よし、じゃあ宣言通りここを燃やそうか」


 あは、とエムリスが笑った。


 直後、謁見の間にこれまでにない緊張が走る。


 しかし。


「――なんてね。今のは冗談さ。流石のボクも、大切な本が燃やされた上に何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も〝魔女〟と呼ばれたからって、命までは取らないよ」


 いやメチャクチャ気にしてるだろ。かなりご立腹だろ。とんでもなく恨めしい声をしているぞ。無理に浮かべている笑顔が凄まじく怖いぞ。


「でも、【それ以外】なら遠慮はしない」


 エムリスが指先に灯した火を消し、そのまま右手を拳銃の形にして、真横に向けた。


 今更だが、謁見の間の右側の壁は大きなころしの窓になっている。透き通ったクリスタルガラスで、外に広がる絶景がよく見えるよう意図したデザインだ。


 この部屋、俺達から見た右方向とは即ち『東』――他ならぬ『魔の領域』こと魔界のある方角だ。


 が、当然ながら魔界の様子が見えるはずもない。


 何故なら、人界と魔界のさかいには『果ての山脈』が立ち塞がっているからだ。


 人の住む世界と、魔人や魔物の棲息する領域を分かつ巨大な山のつらなり。


 アルファドラグーン城の謁見の間から見えるのは、そんな壮大な山々の姿である。


「確か、この王都は魔術だけでなく観光地としても有名だったね。あの『果ての山脈』の壮大な景色は、世界中どこを探しても比べようもないほどの絶景だ。ボクも久々に見たけど、実に素晴らしい風景だね。心が洗われるようだ」


 などと感動的な言葉を吐きつつ、明らかにエムリスの右手の人差し指は『果ての山脈』を照準している。


 かつて小耳に挟んだ話によると、あの『果ての山脈』は、何代か前の勇者一行が倒した八大竜公の遺骸が変化したものだという。


 確かに俺達が戦った八大竜公も山みたいにデカい奴らだったが、流石に無理のある伝説だと俺は思う。いや、有り得るか有り得ないかで言えば、一応アリ寄りのナシって感じなのだが。


 とはいえ、あのクソでかい山脈が魔界で生じる濃密な魔力をめ、結果として人界を守護しているのは紛れもない事実だ。多少は何らかの力が作用しているというのも、ありそうな話だ。


 エムリスが何かしでかしそうな気配を察してか、再び王妃が喚き始めた。


「な、何をするつもりですの!? そ、そうね、そうなのね!? やはりそうですのね! 〝反逆の魔女〟が本性を現したのよ! あの者を引っ捕らえなさい! いいえ、いいえ! 殺しなさい! 今すぐ! 抹殺するのよ! 早くっ!!」


 もはや狂乱していると言っても過言ではない言いぐさだった。謎のピアスに洗脳されているであろうモルガナ王妃は、エムリスを指差して早口でまくてる。事ここに至っては、本来なら美しいはずであろう面貌も、ひたすらみにくく見える始末だった。


「 もう黙れよお前 」


 ダメ押しの〝魔女〟呼びにとうとうエムリスが本格的にキレた。遠慮なしに魔力を注ぎ込んだ言葉で、モルガナ王妃一人を狙い撃ちにする。


「ぁ、がっ……!?」


「モ、モルガナ……!?」


 突如、見えない手に首を掴まれたように喘ぐ王妃に、その前に立ちはだかっていたドレイク国王が愕然とする。当たり前だがエムリスの力ある声は障害物など関係なく、狙った相手に届けることが出来るのだ。


 不意にエムリスの顔や手、露出している部分にダークブルーに輝く幾何学模様が浮かび上がった。


 輝紋きもん――魔力まりょくないし理力りりょくを出力高めに使おうとすると、皮膚上に浮かび上がる経絡けいらくの一種である。〝銀穹の勇者〟である俺の色は銀だが、〝蒼闇の魔道士〟であるエムリスのそれはダークブルー――即ち、どこか青紫のようにも見える【夜空の色】。


 これが光り輝くということは――


「何があなたをそうさせているのかはわからないし、誰かに言わされている言葉かもしれないけど、それでもボクを〝魔女〟と呼んだことに関してだけは、たった一度でも万死に値するよ。でも、今のあなたを殺すのはお門違いだと思うから、せめて背後にいるだろう奴らに対して見せしめをさせてもらうかな。ほぼ八つ当たりで申し訳ないけれど、一応はボクの力を誇示しておかないといけないからね」


 そう言い置くと、エムリスは青白い瞳を『果ての山脈』に向けた。


 誰もが内心で『一体何をするつもりなのか』と疑問に思いつつ、しかし同時に『よくわからないが凄まじいことをしそうだ』と思っていたことだろう。


 魔王を倒した四英雄の一人〝蒼闇の魔道士〟とは、そう思わせるに足る存在だった。


 御年二十四となる、しかし幼い少女の姿をした魔道士は、茶目っ気たっぷりに片目を閉じ、何なら少し可愛い子ぶりっ子した声音でこう言った。


「BANG☆」


 そうして拳銃の形にした右手の指先を、軽く上に跳ね上げる。


 直後。


 目の前の巨大なガラスは割れず、しかし遠い彼方かなたにあるはず『果ての山脈』の一部が、ド派手にぶっ飛んだ。


 ちゅどーん、と。


 大爆発だった。


 歴史ある壮大な山脈に、千年を経てなお消えない風穴がぶち抜かれた瞬間だった。






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