最終兵器勇者~異世界で魔王を倒した後も大人しくしていたのに、いきなり処刑されそうになったので反逆します。国を捨ててスローライフの旅に出たのですが、なんか成り行きで新世界の魔王になりそうです~

国広仙戯

第1章『魔道士との再会』

●1 処刑からの制圧、制圧からの退職、退職からの旅立ち 1











「アルサルよ、おぬし反逆をくわだてておるな?」


「は?」


 国王に呼ばれ謁見の間に来てみたら、初手からこれである。


 意味がわからない。


「えー……何のお話でしょう? 私に反逆の意志などございませんが?」


 ひとまず、素で返しておく。いきなり反逆罪に問おうとするとは、やぶからぼうにも程があるではないか。


 セントミリドガル国王ことオグカーバ・ツァール・セントミリドガルは、俺の言葉にうんうんと頷き、


「そうかそうか、あくまでシラをきるつもりか。かつては魔王を倒した勇者が、嗚呼ああ、なんと嘆かわしい……」


 いや待て、おい。話を聞けって。ないって言ってんだろうが。


「じゃが、無駄じゃ! 元勇者にして、今は我が王国軍の戦技せんぎ指南役しなんやくアルサルよ! おぬしが反逆を企てていることは明白! いさぎよく観念するがいい!」


 何が明白なんだ、何が。というか唾を飛ばすんじゃあない、この耄碌もうろくジジイめ。まぁ、距離があるからここまで届かないんだが。


 しかし、おかしいな。このオグカーバ陛下、俺が十三歳で勇者として旅立った頃は、まだそれなりに頭の切れる人間だったはずだが。いや、子供に魔王討伐の任を負わせて国から追放した件については、かなりちょっと頭おかしいとは思うんだが。まぁ、あの時は色々と非常事態だったしな。それはそれで仕方ないにしても――


 俺は、はぁ、と溜息を吐き、


「何か証拠でも? 私には全く心当たりがないのでございますが」


 さてはボケたか? いや、それにしては準備万端だな。陛下の周囲はもちろんのこと、この謁見の間には多くの近衛兵が詰めている。既に部屋の出入り口は大勢の兵士によって塞がれているし、全員が妙に殺気だった目で俺を睨んでいる。


 俺はこの十年間、兵士を教育する戦技指南役として働いてきた。しかし、だからと言って全ての兵士を教導していたわけではない。ここにいる近衛兵は指揮系統が違うので、こうして俺を敵視するってのも、まぁわからんでもないのだが。


 というか実際問題、俺が指導した奴らなら【たとえ死んでも俺と戦おうなんて思わないはず】だしな。


「証拠はないが、証言ならある! 我が息子、ジオコーザの証言がの!」


「王子殿下の証言?」


 国王がてのひらで示した方を見やると、そこには陰険いんけんな笑みを浮かべた王子、ジオコーザ・ツァール・セントミリドガルの姿がある。


 やや陰気の濃い顔付きに、癖のある金髪がよく似合っている少年だ。おや? 今日は珍しく、やけに似合わない片ピアスをつけているな。ちょうどこういうお年頃が好むセンス、って感じのデザインだ。大人になるとちょっと使いにくいアレである。


「――まさか、何かの間違いでしょう?」


 ははは、と俺は適当に笑い飛ばした。今年で十五歳になるジオコーザ王子は、何を隠そう俺の教え子である。三年前から俺の訓練部隊に入り、それから毎日訓練に励んでいる。


 王子なのに軍の訓練部隊に? 何故? と思うかもしれないが、魔王が打倒され人界の危機は去ったとはいえ、人間同士のいさかいが無くなったわけではない。


 むしろ魔王や魔族、魔物といった外的脅威が縮小したからこそ、人間の国家間の戦争などいつ起こってもおかしくない状態なのだ。


 人の上に立つ者こそ強くあれ――多少ボケが進んだ国王ではあるが、その考え自体は素晴らしい。この思想が故、オグカーバ陛下はジオコーザ王子を俺に預けた。当時はヘロヘロのもやしっ子だった王子だが、今となっては精悍な青少年である。我ながらいい仕事をしたものだ、と自分で自分を褒めてやりたい。


 しかし――


「そうとも! かつての勇者にして、我が軍の戦技指南役――いや、今はこう呼ぼうか、【反逆者】のアルサルよ! 私は知っているぞ! 貴様が国家転覆を企てていることを! この目で見て、この耳で聞いたのだ!」


 おっと、こいつはまずいぞ。


 普段は俺の部下として「はい、アルサルさん!」とか「了解です、教官!」とか言っている王子が、急にタメ口でしかも高圧的なことを言い出した。なのでつい、反射的に俺の中の〝傲慢〟が反応してしまう。


「――あ? 今なんつったよ? つか呼び捨て?」


 我慢しようと思ったが、無理だった。こめかみに青筋を浮かべて、素で威圧してしまう。


「ひぃっ……!? す、すみ――申し訳ありませんっ!」


 途端、ジオコーザ王子は背筋を伸ばし、いつものように俺に対して敬礼した。といっても今日はいつもの訓練用の装備ではなく王子としての正装を身に着けているので、その姿にはやや違和感があったが。


 しかしまぁ、条件反射に過ぎなかったのだろう。ジオコーザはすぐ我に返ると、怒りに顔を歪めた。敬礼した手をブルブルと震わせ、ぎこちない動きで俺を指差し、


「――って違うわ! わ、私は王子だぞ! お前の方が立場が下なんだ! なんで敬語を使わにゃあならんのだ! ふざけるな!」


 声が裏返ってしまっているが、それはまぁその通り。訓練中ならともかく、今は公式の場。ジオコーザの言い分はもっともである。


「おっと、失礼しました殿下。つい、いつものクセで。なにせ軍において規律は絶対ですから」


 言外に、これが訓練中のことだったらお前くびり殺してるぞ? という脅しも含めて、丁重に謝罪しておく。普段は俺の部下として敬語を使いまくっているくせに、よく言うぜ。


「――が、それはそれとして。一体全体どういう意味でしょうか、ジオコーザ王子殿下。この私が〝反逆者〟などとは。そのような根も葉もない言いがかりをつけられるとは、このアルサル、まことに遺憾であります」


 正直に言えば、てめぇ舐めてんのかクソ野郎テキトーなことぶっこいてるとしまいにゃぶっ殺すぞ、と言いたいところを、どうにか丁寧な口調で言いつくろう。


 実際問題、寝耳に水だ。俺は反逆を企てたことなんて一度もない。魔王討伐の褒賞ほうしょうの一つとして与えられた『戦技指南役』という役職は、仕事は楽だわ給料はいいわ俺のしょうにあっているわで、何の文句もないのだから。


「ふん、何を調子のいいことを! 貴様、言っていたではないか! よりにもよってこの私に対して!」


「はて? 何をでしょう?」


「アルサル、貴様……先日の酒の席において『お前が本気になれば、我が王国を一人で制圧できるのではないか?』と私が尋ねたことを覚えているな?」


「――ああ、訓練合宿が終わった打ち上げ会でのことですか?」


 確か、三日ほど前のことだ。酔っぱらった王子からそんな話を振られた覚えがある。というか、あの時は『もしアルサルさんが本気になったら、うちの国なんてひとたまりもないですよねぇ? えへへへ』と大分へりくだった言い方だった気がするんだが。


「そうだ。その時、貴様はなんと答えた?」


「確か……」


 思い出そうと記憶の引き出しを探り始めたところ、俺が思い出すより先にジオコーザ王子が自分で答えを言った。


『俺がその気になったら半日もいらないって。なんなら試してやろうか?』と! アルサル、貴様はそう言ったのだ!」


「はぁ……」


 なにせ酒の席だ。つまり無礼講だ。場を盛り上げるため、そんなことを言ったような気がしないでもない。もちろん冗談でしかないことは、その場にいた全員が暗黙の内に了解しているはずだが。


「そういえば、そんなことも言いましたね。それが何か?」


「それが何か、だと……!?」


 ただでさえ怒りに顔を真っ赤に染めていたジオコーザの顔が、ビクッ、と引きった。おっと、どうやら地雷を踏んでしまったようだ。


「ふざけるな! 自分がその気になればこの国を支配できると、貴様は言ったのだぞ! これが叛意はんいでなくて何と言う!」


 まなじりを決して怒鳴りつけた王子に、俺は笑顔でこう返した。


「冗談と言います」


 よし、これで一件落着だ。何だか妙な誤解をしていたようだが、あくまで酒の席での冗談だ。当然、本気ではない。


 何故なら――こんなに楽で給料もいい仕事を捨ててまで、国を乗っ取ってまつりごとに精を出す必要など、一体どこにあろうか。


 いいや、ないね。全くない。ナイフを持つ人間と同じで、人を殺せることと、実際に人を殺すことの間には、天と地ほどの隔絶があるのだ。


「ふ、ふ、ふ……ふざけるなアルサルゥゥゥ――――――――ッッッ!!!」


 おやおや? なんだなんだ、どうしたどうした? 王子がえらい剣幕で絶叫を上げたぞ。


「冗談だろうが何だろうが、言っていいことと悪いことの区別もつかんのか貴様はぁっ!! 許さん、許さんぞぉアルサル! 言い訳など聞かん! 貴様に叛意あり! これはもう揺るぎようのない事実だッッ!!」


 おいおい、そんな無茶な。違うって言ってるのに、そのこじつけは無理筋にも程があるってもんじゃないか?


 というか、ジオコーザの奴、こんなすぐキレるような奴だったか? 俺の訓練で忍耐する根性だけはしっかり叩き込んでやったはずなんだがな。


 さっ、とオグカーバ陛下が手を上げ、王子の激昂を制した。


「……聞いての通りじゃ、アルサル。我が愛する息子ジオコーザがここまで言っておるのじゃ。余はこれを聞かなかったことには出来ん。おぬしは反逆を企てておる――これはもはやくつがえしようのないことなのじゃ」


 低く押し殺した声で告げ、国王は俺を見据える。ボケたかと思っていたが、流石は一国の統治者ということか。その眼光は、なかなかに鋭い。


「お待ちください、陛下。ですから誤解だと申し上げております。私が口にしたのは、あくまで酒の席、無礼講の場でございます。当然ながら、本意ではありません」


「黙れぇッ!!」


 改めて弁解しようとしたところ、にべもなく大声で遮断されてしまった。


 いやだから話を聞けって。


 オグカーバ陛下は豊かに伸びた顎髭あごひげ――かつては金色だったが年老いて真っ白になってしまった――を手でかしながら、


「そもそもの話、魔王を倒した勇者ということで特別待遇の戦技指南役に据えてやったというのに、おぬしはどれだけ国に貢献した? あれから戦争どころか小競り合い一つも起きず、国は平和そのもの。これではおぬしはただの【穀潰し】ではないか! この役立たずめ!」


「穀潰し……?」


 おおっと、こいつは聞き捨てならないな。いいじゃないか、平和。戦いなんて起こらない方がいいに決まっている。軍隊が何の役にも立たないのは、それだけ世界の情勢が安定しているということだ。この状況を喜びこそすれ、憤激するなど見当違いもはなはだしい。


 万死に値するぞ、おい。


「あまつさえ反逆の意志を持ち、それを放言するなど言語道断じゃ!」


 いや言語道断はお前だ、クソ野郎。この平和を手にするため、俺と仲間達が十年前どれほどの地獄を味わったと思っている。


「反逆者アルサル! これらの罪状により貴様を処断する! 死を以て罪をあがなうといい!」


 なるほど、死刑というわけか。ははは、笑わせてくれるな。随分と極端な沙汰さたじゃないか。


「――死刑、というわけですか。十年前、この国どころか人界を救った英雄の一人である、私を殺す……と。それ、本気でおっしゃってます?」


 内心の激憤げきふんはともかく、あくまで丁寧に俺は問うた。そんなこと、本気で出来ると思っているのかと。


 しかし、これには意外な返答があった。


 オグカーバは嗜虐的しぎゃくてきな笑みを浮かべ、鼻を鳴らし、


「ふん、英雄が聞いて呆れるわ。貴様、もはや当時ほどの力はないと見えるのう。これもジオコーザから聞いているぞ」


「ほう、また王子から? 何をお聞きに?」


「先日の格闘訓練で、貴様は王子をこう褒めたそうじゃな。『お前がこのまま成長すれば、いずれは勇者と呼ばれた俺をも超える存在になれるぞ』と」


 ああ、言った気もするな。ただの社交辞令というか、すぐにやる気をなくすジオコーザを奮起させるための方便ほうべんというか。というか、正確には『お前だってちゃんと頑張れば、勇者だった俺を超えられる【かもしれない】ぞ』という、非常に曖昧な言い方だったはずだが。


「我が息子に追い越される程度の者など、もはや勇者でも英雄でもあるまい! 落ちるところまで落ちたようじゃな、アルサルよ!」


 大声を張り上げてオグカーバが俺を罵倒したところ、続けてジオコーザの馬鹿王子がこちらを指差し、せせら笑う。


「その通り! 父上の言う通りだ! たとえ今は私の力が及ばずとも、貴様の力がその程度なら怖くも何ともない! ここにいる近衛兵の数を見よ! どうだ、これだけの人数を相手に勝てるかアルサル!」


 勝てまいよ、ざまぁみろ――とでも言いたげな顔で俺を嘲笑あざわらうジオコーザ。


 おいおい。


 なんて――なんて脳天気な頭をしているのだろうか。


「――はっ……」


 俺の方こそ笑ってしまう。


 脳みそがお花畑のザコ王子に、そんな馬鹿の言うことにそそのかされた愚かな王――


 そう、どうせ言い出しっぺはジオコーザの方なのだろう。


 先程、奴らが並べ立てた証言――俺が反逆の意志を持っているかのように思えるような言葉と、もう少し鍛錬すればジオコーザが俺を超えるかもしれないという可能性の示唆。この二つをもって、気に食わない俺をおとしいれ処刑する算段でもつけたのだろう。浅はかなバカ王子がいかにも考えそうなことだ。


 でもって、オグカーバの愚王。見ての通りジジイだ。ジオコーザは年老いてからやっと生まれた第一王子で、待ちに待った後継者で、昔から掌中しょうちゅうたまのごとく大事に育てていたのは知っている。目に入れても痛くないほどの溺愛できあいっぷりで、なおかつ高齢によるボケも混じれば、こんな馬鹿な話に騙されるのも、まぁ無理はないかもしれない。


「は、はは、ははは……」


 しかしまぁ、だからと言って、ここまで事態がこじれるものかね? まいったな。ジオコーザめ、いつも健気に訓練を頑張っていると思って褒めてやったというのに。こいつ、こんなに根性が歪んでいたのか。それとも、俺のせいでこうなったのか?


 いやまぁ、今はそんなことどうでもいい――


「はははは、ハハハハハハハハ!」


 俺は我慢できず、おとがいを上げて哄笑した。ここが謁見の場であることも忘れ、呵々かか大笑たいしょうする。


「アルサル……! おぬし、気でも触れたか……!」


 オグカーバがたじろぎ、


「な、何を笑っている貴様ぁっ!!」


 ジオコーザが激昂する。


 これがどうして笑わずにいられようか。


 この俺だぞ? かつて魔王を倒した勇者だぞ? 〝天災の魔王〟と呼ばれたエイザソースを滅ぼした、〝銀穹ぎんきゅうの勇者〟アルサルだぞ?


 そんな俺を相手にして――【たかが人間が勝てると本気で思ってるのか?】


「ハハハハ……」


 くだらん。


 あまりにもくだらん。


 なんて愚かな奴らだ。


 ひどく馬鹿馬鹿しい。


 何だこれは。あの頃の苦労が、何もかも水の泡ではないか。


 かつての俺は、こんな奴らを守護まもるために、あの地獄の方がまだマシだと思うような戦いを生き抜いたのか? 血反吐を吐き、嗚咽おえつを漏らし、汚泥おでいの上をのたうち回りながら、こんな未来が来るとも知らずに戦い続けたというのか?


 ふざけるな。


「ええい近衛兵! 奴を取り囲め! 絶対に逃すな! 捕まえろッ!」


 ジオコーザが指示を飛ばすと、謁見の間に詰めていた近衛兵らが身構え、ざわめき立った。


「反逆者アルサル!」「おのれ不敬なやつめ!」「無駄な抵抗はやめろ!」「貴様は死刑だ!」「手を頭の後ろに回し、膝をつけ!」


 鎧に身を包み、武器を手にした兵士達が口々に叫ぶ。大人しくお縄につけ、と。


 馬鹿なのか?


 何十万、いや何百万もの魔王軍を相手に【たった四人】で激闘を繰り広げ、死に物狂いで敵陣を突破し、常識では到底計り知りようもない巨敵――〝災厄の魔王エイザソース〟をぶっ倒した俺に、【無駄な抵抗はやめろ】? 【貴様は死刑だ】?


「はぁぁぁぁぁ……」


 深い、それはもう深い溜息が出てしまった。


 怒りを通り越して、いっそ呆れてしまう。


「アルサル、貴様! 何を溜息などついている! 馬鹿にするのも大概にしろ!」


 呆れ果てて物も言えなくなった俺に、またしてもジオコーザが文句をつける。


 ダメだ、さっきからちょいちょい俺の中の〝傲慢〟が反応してしまっているが、こんなことになってしまっては、もはや我慢する理由が一つもない。


 死刑になどなってたまるか。


 そして、俺の命を奪おうなんて思っているやからに対して、慈悲など持つ必要もない。


「やれやれ……」


 俺は肩をすくめ、そして――【今の今まで抑えていた力を一気に解放した】。




「勇者を舐めるなよ?」




 ズン――!!


 俺が体の内側に押し込んでいた〝力〟を解放した途端、場の空気が激変した。


 真実、目に見えない重力が発生し、周囲を押し潰す。次いで、王城全体が小刻みに振動し始めた。


「う……!?」


「な……!?」


 オグカーバとジオコーザが同時に呻き声を漏らす。へぇ、腐っても王族か。ちょっと声が出る程度とは、なかなかの胆力だ。


 しかし。


「う、うおぉ……!?」「ぐっ……がぁぁ……!?」「ひ、ひぃぃ……!?」


 近衛兵の大半は悲鳴を上げ、震え上がっていた。


 生まれたての子鹿のように全身をブルブル震わせている奴、膝が笑うというかダンスしているみたいになって崩れ落ちる奴、極めつけにはそのまま失神する奴が続出する。


 近衛兵が次々に膝を突くので、硬い足甲グリーブが床とぶつかる音がそこかしこで響く。次いで、手にした武器が転がる音も。


「――な、何を、した……!?」


 近衛隊長と思しき精悍な男が、四つん這いになって俺に問う。顔を歪めながらでも、そうやって声を出せるのは人間にしてはなかなかの〝強度〟だ。


「別に何も?」


 俺はしれっと答えた。


「むしろ、さっきまで〝何かしていた〟のをやめただけだ」


 はっ、と思わず嘲笑してしまった。


 そう、俺はやめただけだ。自身の力を抑えることを。


「お前ら全員バカだろ? 俺をどこの誰だと思ってるんだ? 元とはいえ勇者だぞ? 仲間もあわせて【たった四人】で魔王軍と戦って、勝利して帰ってきた英雄だぞ? はははは、面白いなぁ」


 揶揄するように笑うと、俺はさらに自身の内側から溢れる『力』を解放した。抑えることをやめたら、どんどん尽きることなく出てくる出てくる。長年の我慢のツケってやつだろうか。


 途端、


「ぐ、おお、おおおお……!?」


 オグカーバが玉座から滑り落ち、床に四つん這いになった。毛足の長い絨毯に垂れる長い顎髭あごひげが、五本目の足のようにも見える。


「が、がぁぁああああああ……!?」


 若いジオコーザは片膝と片手を床に突き、それでもなお歯を食いしばり、全身にのし掛かる重圧に耐えていた。


 ――【威圧】。


 詰まる所、俺がしているのはそれだけだ。


 まぁぶっちゃけ、いつも気を張って全身に込めていた力を抜いただけなんだがな。そう、体のあちこちを脱力させて、外へ漏れ出ないようにしていた『力』を好きなだけ放出しただけで、それ以外には何もしていないのだ。


 だが、たったそれだけで俺以外の生物は威圧され、全身に凄まじい重力がかかり、気の弱いものに至っては意識を失う。


「十年前、俺達が何と戦っていたと思うんだ? 魔王は言うまでもないが、その取り巻きにどれだけの魔人や魔物がいたと思ってる? 四天してん元帥げんすい十二じゅうに魔烈将まれつしょう八大はちだい竜公りゅうこう狂武きょうぶ六司令ろくしれいと、それはもうわんさかわんさか、あれやこれやがいたんだぞ? だっていうのに、俺と仲間はたった四人で――そう、たったの四人だけでそいつらと戦ったんだ」


 俺は、本来ならそこから先へは進んではいけない線を越え、謁見の間の奥へと歩を進める。玉座へ近付くために。


「世界の東側を支配する『魔の領域』。そこに棲息する魔人――つまり魔族だな。そして、その配下の魔物の群れ。そんな奴らがどれだけのかずいたと思う? いや、数字だけなら知っているだろうし、想像だけなら何となくできるだろう?」


 もはや近衛兵のほとんどが俺の威圧――まぁ実際には〝脱力〟なんだが――にやられて意識を失っている中、独り言のように語る。


「魔族だけでも何十万。魔物を含めたら何百万だ。そいつらが雁首かんくびそろえて、魔王を守るために布陣していた。壁を作ってたんだ。俺達は四人しかいないってのにな」


 幸か不幸か、いまだに意識が残っている奴でも戦意は完全に失われていて、ガクガクブルブルと震えながら俺を見ているだけ。涙を流して、場合によっては失禁して。これまで経験したことのない恐怖に怯えてしまっているが故に。


「わかるか? たった四人で、何百万もの魔王軍と戦う恐ろしさが。どれだけ大変だったと思う? いや、大変とかそんなレベルじゃあなかったんだけどな。正真正銘、あれは地獄だった。いや、地獄以上の何かだったよ。今でも上手く言葉に言い表せやしない」


 オグカーバの座っていた玉座は、謁見の間の最奥に設置された壇上にある。そこまでは五段ほどの階段があって、玉座の脇に控えたジオコーザもそこでうずくまっていた。


「普通、ただの人間が猛獣の前に出たらどうなる? 怯えるよな。恐怖で体が凍り付くよな。気の弱い奴ならそのまま気を失うよな?」


 俺はゆっくり、踏みしめるように階段を昇っていく。国王と王子、双方を交互に見据えながら。


「でも、魔物は猛獣なんかよりもずっと大きくて、強くて、凶暴だった。そんなのが何百万もいて、一斉に襲いかかってくるんだぞ? 当然、後ろには魔族の兵士や、さっきも言った幹部共も控えている。俺も仲間も、万単位の魔物なんざ片手で吹き飛ばすぐらいじゃなきゃ、勝ち残るどころか生き残ることすら出来なかったんだ。わかるか?」


 俺が近付けば近付くほど、この全身から放たれる重圧プレッシャーは強くなっているはずだ。自分ではよくわからないが、そういうものらしい。


「そんな状況だってのに、俺達は歯を食いしばって魔王軍を突破して、どうにか魔王を倒したんだ。少なくとも、俺に与えられた〝勇者〟ってのは、そういうことが出来る奴にだけ与えられる称号だったんだ」


 これだけ俺が近付いても気を失わない王族二人は大したものだと思う。皮肉じゃない。心底、感心している。正直、意外に思っているほどだ。愚王にザコ王子、どっちもすぐ気絶して倒れると予想していたのに。王族の矜持きょうじか、それとも別の要因でもあるのか。


「――なぁ、わかるか? たかだか猛獣を前にしただけで怯えるような人間が、そいつらよりも強い魔物を何百万と倒してきた俺の前に立ったら、一体どうなるのか? 簡単だろ?」


 今、目の前に広がっている光景。それこそが、揺るぎない答えだった。


「だというのに、そんな俺を死刑にするだって? ほんと何を言ってるんだ? 力関係もわからなかったのか?」


 そう、熊や獅子といった肉食獣の前に立っただけで、常人であればおそおののき、まともに動けなくなる。


 そんな奴が魔物、つまり魔獣を前にしようのものなら指一本動かせなくなるだろうし、多少の訓練を積んでいたとしても、どうにか逃げるのがやっとだ。


 ましてや魔族や、その幹部である四天元帥や十二魔烈将と相まみえた日には、十中八九気を失うか、そのまま絶命するに違いない。


 だが、俺はそいつらに勝った。


 俺はそいつらよりも強い。


 つまり、


「本来なら、普通の人間は俺の前に立っただけで死ぬんだよ。俺は【そういう奴】になっちまったんだ。【そういう奴】にならなきゃ生き残れなかったし、魔王も倒せなかったんだ」


 故にこそ俺や仲間達は、人間の世界へ戻る際に自らの『力』を封印した。強くなりすぎた俺達は、ただそこにいるだけで人々を怯えさせたり、ひどい場合は恐怖だけで死なせてしまうから。


 だから俺は、十三歳で旅立ち、一年で魔王を倒した後――つまり十四の頃からずっと自らの『力』を抑え込んできた。


 そんな状態で魔王討伐の報償として〝戦技指南役〟という、これまで存在しなかった役職を与えられ、いわば天下りのような立場でこの十年を過ごしてきた。


 だというのに、だ。


「その俺が、反逆? 穀潰し? はははは、何だよ、笑わせるなよ。とりあえずまぁ、穀潰しってこと自体は否定しないさ。というか、王様よ、オグカーバ陛下様よ、俺はてっきりアンタがわざと【俺を飼い殺している】もんだと思っていたんだけどな? どうやら俺の目は節穴だったらしい。まさか、何も考えずに俺をそばに置いていただなんてな」


 国王は理解しているものと思っていた。俺という存在の危険さを。俺をただ温存しているだけで、周辺諸国に対する【睨み】が利くってことを。


 だが――悲しいかな、我が王はそんなことにすら気付かない暗愚だったらしい。仕える主を間違えるとは、まさにこのことだ。


 それどころか、いくら愛息子が可愛いからと言って、その妄言を盲目的に信じ、国どころか世界の恩人であるはずの俺に牙を剥くなんてな。


「はぁ……」


 いっそ力が抜けてしまうぜ。おっと、さらに脱力してしまったせいか、俺の中から溢れる『力』がまた大きくなってしまった。ズシン、と音がして城全体の震えが激しくなる。ちょっとした地震みたいだ。


「お、おおお、おおおお……!?」


 グラグラと揺れる床に這いつくばったオグカーバが、目を白黒させる。この様子から察するに、本当に俺を怒らせたらこうなるってことがわかっていなかったようだ。情けない。


「ちょっと考えればわかるだろうに……魔王を倒した四人の内の一人だぞ? いくら四分の一でも、この国の全員が束になっても敵うわけないだろうが」


 俺は視線を、片膝を突いたジオコーザへと向けた。ここまで来ても、親父のように四つん這いになっていないところは褒めてやる。これも俺がしごいてやった成果だな。


「お前も調子に乗りすぎだよ、馬鹿。社交辞令って言葉を知らないのか、王族のくせに。情けないな。訓練で体は鍛えられても、心や知性までは鍛えられなかったか」


「ぐ、ぐぐぅぅぅうううううう……!!」


 下から俺を見上げているジオコーザが、悔しそうに歯噛みして唸る。ほう、まだ戦意を失っていないとは大したもんだ。


 だが――


「ぁあ?」


 睨む。ちょいと視線に力を込めて、ジオコーザを射貫いた。


「あ、がっ……!?」


 それだけでジオコーザの心が折れた。奴にだけかかる重圧が増大し、今度こそ崩れ落ちる。四つん這いになるどころか、床に接吻する勢いで倒れ伏した。


「――というわけで、オグカーバ陛下。私めを処刑するというのは不可能だとおわかりいただけたでしょうか?」


 俺は両手を広げ、敢えて丁寧な口調で告げた。


「おお……馬鹿な……」


 茫然自失のていでオグカーバが呟く。彼の視界には、俺の背後に広がる凄惨な光景が写っているはずだ。頼りにしていた近衛兵が死屍累々と――いや別に死んではいないはずだが――転がっている、得も言えぬ光景が。


 俺はもう恥も外聞をかなぐり捨て、かつて少年だった頃の口調で話しかける。


「というわけで、王様。ぶっちゃけ、もうやってられっかって気分なんで仕事辞めさせてもらうわ。バカ王子になに吹き込まれたかは知らねぇけど、反逆だの何だの気にするなら俺はもういらないだろ? お望み通り出て行ってやるよ。ああ、これ、あくまでも円満退職ってやつだから。企業都合ってやつ? 当然、退職金というか手切れ金、出してもらえるよな?」


 笑顔で言うと、オグカーバの瞳が焦点を結び、俺の顔を見た。


「ぐっ……アルサル、おぬし……!」


 悔しげに顔を歪ませる国王の姿に、俺の中にある〝傲慢〟に引き続き、〝強欲〟までもが目を覚ました。いや、今回はこの十年の間に一度もなかった緊急事態だ。無理に抑える必要は感じられない。


 俺は片膝を突き、頭の高さをオグカーバに合わせた。そのまま半笑いで、


「ああ、そうそう。そっちの無茶な要求の結果、関係がこじれての退職なんだからさ。もちろん色はつけてもらえるよな? 確か、予定では俺の退職金って五億エルロぐらいだっけ? じゃあ、その倍はもらおうか」


「な……!? 何をふざけたことを……!」


 オグカーバが両眼を見開き、憤怒に塗れた声を漏らす。


 ああ、また余計なことを。ドクン、と俺の中の〝強欲〟が強く脈打ったじゃないか。


「あっそ。じゃあ【三倍】だ。耳を揃えてきっちり払ってもらおうか」


 俺は軽い口調でさらに金額を釣り上げた。


「三倍、じゃと……!? お、おのれ、この――」


「じゃあ【四倍】だ。ちなみに、これ以上俺を怒らせるなら、この城が崩壊したり、国全土がめちゃくちゃになったりする覚悟を決めろよ?」


 俺は更に全身から放たれる重圧プレッシャーを強めた。王城の震動がより一層激しくなる。ゴゴゴゴゴ……巨大な建物が激震する中、やがて天井や壁に次々と亀裂が走り始めた。


 俺は声を冷たくしてうそぶく。


「早く承認しろよ。俺がその気になったら指一本でこの城を真っ二つにも出来るんだ。今そうしてないのは、十年間も世話になった恩義もあるからであって……つまりまぁ、単に慈悲をかけてやってるだけなんだぜ?」


 無論のこと、そんな大量虐殺になるようなことはしたくないが。まぁ、脅し文句としてなら問題はないだろう。


 しかし、信じてもらわねば困るので、俺は右手の人差し指をピンと立てた。オグカーバの顔の前で、指先に銀色の小さな光を灯す。


 キィィィン……と微かに澄んだ音を響かせる銀の輝きは、即ち〝銀穹の勇者〟たる力の片鱗だ。


「……っ……!?」


 反応は劇的だった。オグカーバは露骨に息を呑み、既にかなり強張っていた顔をさらに恐怖で引き攣らせた。


「――わ、わかった……! わかった、許してくれ……か、金なら出す……お前の望む金額でいい……よ、余が悪かった……」


 完全に心が折れたらしい。オグカーバが、がくっ、と頭を落とした。すると、頭に載せていた黄金の王冠が床に転がり、何とも虚しい音を立てた。


 体内の〝傲慢〟と〝強欲〟が満足した気配を得て、俺はにんまりと笑った。


「よろしい。じゃ、退職金は四倍の二十億でよろしく」


 そう言って、俺は無秩序に垂れ流していた『力』を抑制した。


 途端、潮が引くようにして周辺を圧迫していた重圧プレッシャーが消えていく。王城の震動は嘘のように止まり、国王や王子にかかっていた圧力も消失した。


「そんじゃま、お世話になりましたってな。ああ、金は下で受け取っておくよ。現金がないようなら、宝物庫で現物支給させてもらうぜ」


 俺は立ち上がり、それを捨て台詞として踵を返した。玉座の壇から降りて、倒れ伏した近衛兵の隙間を縫うようにして謁見の間を辞す。


 が、そんな俺の背中にジオコーザの怒声がかかった。


「……許さん、許さんぞ反逆者アルサル! この恩知らずめ! 貴様など国外追放だ! くこの国から出て行くがいい!」


 おうおう、よく吼えたもんだ。なかなか根性あるじゃないか。


 はは、と俺は笑う。


「いいぜ、そこまで言うなら出て行ってやるよ。どっちにせよ、晴れて無職になったんだ。ちょうど旅にでも出ようと思っていたところさ」


 振り返りもせず、手を振って杜撰ずさんに応対する。負け犬の遠吠えにまともに応じてやる必要なんて微塵もない。


「いいか、周辺諸国にも根回ししてやるぞ! もはや貴様はどこの国にも安住できない! どこぞで野垂れ死ぬがいい!」


 うん、負け惜しみとわかってはいるが、ちょっと腹立ってきたな。なんかザコ王子が調子に乗っているかと思うと、妙に苛立ってしまう。


「あーもーやかましい」


 俺は振り返りがてら、そのへんに転がっていた近衛兵の槍を適当に蹴っ飛ばした。


 瞬間、何の変哲もない槍が稲妻のような速度で飛んだ。玉座の横に立つジオコーザめがけて、一直線に。


「ひぃぃぃぃ!?」


 情けない悲鳴を上げてジオコーザが身を仰け反らせ、後ろに倒れた。直後、さっきまで奴の頭があった空間を槍が貫き、背後の壁へ深々と突き刺さる。


「……ッ!?」


 柄の半ば以上まで壁に埋まった槍を目の当たりにして、仰向けに転がったジオコーザが絶句する。


 俺は壇上に向かって人差し指を突きつけ、


「お前、次に何か喋ったらマジぶっ殺すからな。黙って俺の背中を見送ってろ、タコ」


 そう言い置くと、今度こそ俺は謁見の間を後にした。


 やれやれ、最悪の退職だよ、こいつは。







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