一章:港町・ヴァルムハーフェン④
残されたジークハルトたちはすぐに本題へと入った。エーゴンが改めて依頼内容を伝え、ウルリーケが改めて本の状態を確認する。その間、彼女の表情はまったく変わらなかった。
本を
「修理はいつまでをご希望されていますか?」
「いつまでなら出来る」
「お約束はいたしかねますが、二、三ヶ月後には」
想定はしていたが、視察中に直すことは無理そうだ。ジークハルトは「そうか」と頷く。
「……出来れば修理後に本を誰かの手に渡すのを避けたい。この中身を他の人間に知られたくない」
「左様でございますか」
淡々とした口調だ。ジークハルトはどういった相手であってもある程度相手の感情を読み取れると自負しているが、ウルリーケの場合何を考えているのか全く分からない。
彼女は少しの間黙り込むと、「お父様」と突然父親に話しかける。
「ラーラのことが心配でしたらあちらへ行かれてはいかがでしょう」
先程からエーゴンはどこか落ち着かない様子だった。ジークハルトもそのことが気になっていたが、ウルリーケも同じだったのだろう。
視線を本から動かさず、彼女は言葉を続ける。
「仕事の話はわたくし一人で出来ます」
「そ、そうか。では――」
「私もそれで構わない。行ってくれ」
客人の許可を得たエーゴンは図書室を出ていく。扉が閉まるとウルリーケは再び口を開いた。
「こちらの書物には何が書かれているのですか?」
その質問で、ジークハルトはウルリーケが本の情報を父親にさえ隠すためにエーゴンを追い出したことを理解した。
「……エーレハイデ建国以前の地霊信仰に関する伝承について書かれている」
本を手渡してから一度も動かなかったウルリーケの視線が動く。
「それは大変珍しい書物でございますね」
真っ直ぐ向けられる瞳を見てジークハルトは理解した。今まで彼女はまるでこちらに興味がなかったこと。そして、今ようやく興味を持ち始めてくれたことに。
ウルリーケは再び本を観察する。
「建国以前となりますと五百年より以前ですが、こちらの本はそれより新しいものに見えます」
「ああ。元々口伝していたものを書き留めたものと聞いている」
「建国以降、識字率の向上と紙の普及にかかった年数を考えるとおかしな年代の差ではないということでございますね」
元々エーレハイデがあった地は小国やどこにも属さない集落ばかりだったと聞く。
誰でも文字の読み書きが出来るような教育体制と紙の普及を始めたのは初代国王――そして、その命を受けたメッテルニヒ家を中心とする人々だったそうだ。その辺の事情はウルリーケのほうが理解が深いのだろう。自分で納得したようだ。
そこでふと質問を投げかけてみる。
「……メッテルニヒ家はエーレハイデ建国以前の記録について何か知っていないか?」
メッテルニヒ家は建国から存在する古い名家の一つ。国中の書物を蔵書し、様々な知識に精通している。本にまつわることなら彼ら以上の専門家は存在しないだろう。
「いいえ。ご存知の通り、エーレハイデは元々各地の王を斃すか家臣に加えることで成り立った国です。なくなった国の記録を継承しておりません。我が家に伝わる記録もすべて建国以降のものでございます」
――やはり、か。
ウルリーケの答えは納得と同時に落胆するものでもあった。
エーレハイデ人の特性が魔力を持たないためと気づいたジークハルトの母は、生前そのことについても調査を行っていた。当然、過去の記録についても調べているだろう。そのとき、メッテルニヒ家を頼ったことは容易に想像できる。
母は結局それ以上の詳しいことを突き止めることはできなかった。メッテルニヒ家に何か建国以前の記録が残っていれば既に母からその情報を教えてもらっていたはずだ。
口元に手を当て考え込んでいると、ウルリーケが訊ねてくる。
「元帥はこの国の建国以前の時代にご興味がございますか」
――一体どこまで話すべきか。
エーゴンの「我々が守るのは書物だけでなく、書物に関係する秘密も含まれている」という発言。そして、ウルリーケが本の詳細を知られないため父親を追い出したことで、彼等の口の硬さは信用できると思っている。
しかし、そんな相手でも今胸の内に抱えている疑念について明かすことはできない。
「……あなたは建国以前の時代に興味はないのか?」
メッテルニヒ家の人間は知的好奇心が強いと聞く。地霊信仰の話をした際、彼女は興味を示した。ウルリーケの見解が知るため、ジークハルトは問いかける。
「いいえ。わたくしはそれほど」
しかし、返答は予想外のものだった。
彼女はきっぱりと否定する。その表情は変らないままだが、嘘をついてるようにも見えない。
ジークハルトは怪訝に思う。
「……なら、あなたは何に興味がある?」
「わたくしは――」
そう呟いたきり、ウルリーケは黙ってしまった。彼女の視線が本に戻る。
――拒絶された、というのがハッキリと分かった。
ウルリーケは置いてあった箱の中に丁寧にボロボロの本をしまうと、エーゴンが退室してから何もなかったかのように話し出す。
「修理が終わりましたら、わたくしが直接元帥のもとへお持ちいたします。――お父様たちのところへ向かいましょう」
ウルリーケは箱を持つと入口へと歩き出す。これで話は終わりと言わんばかりだった。
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