五章:礼拝堂と真実と秘密⑥


「何で」


 気づいたとき、アナベルは身を乗り出し、彼の服を掴んでいた。


「何で、それをヘルマン将軍に言わなかったんですか」


 ヘルマンが「この国の正当な王位継承者はジークハルト」と主張したとき、ユストゥスは一切反論をしなかった。ただ、今の推測が正しければ――悲しいことだが――そもそも、ジークハルトに王位に就く資格はない。


 ジークハルトは魔術解除の腕輪を使えない。この場所に立ち入ることも出来ない。がジークハルトの在位中に起きても、アダムが子孫に望んだ役割を全うできない。ヘルマンは悪い人じゃなかった。言葉を尽くせば、理解してくれたのではないか。


 しかし、そんなアナベルの期待を、ユストゥスは否定した。 


「君は、信用できない相手に『君のやっていることは間違っている』と言われて、その言葉を信じるのかい?」


 彼は息を吐いた。どこか面倒くさそうな表情で額に手を当てる。


「さっき言っただろう。今話したのは王太弟の座に就いた後、兄上や姉上から話を聞いて上での僕の推論だ。次期国王が僕に決まったとき、誰もそんなことは考えてなかった。――僕が王太弟になったのはね、ジークハルトの特異体質を知った母上が騒ぎ立てたからだよ。魔術耐性を持たない、真逆の体質を持つ王子は次の国王に相応しくないってね。結果、兄上は母上の主張を受け入れた。兄上は自身のわがままで魔力を持つ女性の血を王妃に迎え入れた。これ以上、習わしに逆らうわけにはいかなかった。ヘルマンからすれば、キルンベルガー家の人間が国王の弱みにつけこんで王位を奪ったも当然なんだよ」

「でも、でも」

「それにね、言葉は何を言うかじゃなくて、誰が言うかが大事なんだ。既にヘルマンには兄上が言葉を尽くしている。それで聞かなかったのだから、それ以上僕が何を言っても意味はないよ。彼にとって、僕は嫌悪すべきキルンベルガー家の血を引く人間なんだから」


 王太弟の瞳は冷たい。突き放すような言葉に、それ以上アナベルは何も言えなかった。俯いてしまう。


(――分かりません)


 先ほど、ヘルマンはユストゥスが王位に相応しくないと言った。だけど、アナベルには分からない。この国のことも、政のことも分からない。


 一体、誰が正しいのだろう。いや、正しいなんてものは存在しない。将軍は自身が信じた結果、王太弟を殺そうとした。そして、王太弟も自身の推論を信じている。全員にとっての正しさなんてありはしないのだ。


 それでも、一つだけ気にかかることがある。


 アナベルは大きく息を吸う。改めて王太弟を見上げる。


「先ほど、ヘルマン将軍がおっしゃったことは本当なんですか? ……国のお金を横流ししてるって」


 ヘルマンはキルンベルガー家の人間が如何に欲にまみれているかを演説してくれた。アナベル自身、キルンベルガー家の人間で会ったことがあるのはルッツぐらいだ。そして、あの青年は大嫌いだ。他の人間についても以前聞いた「性根が曲がってる奴らばっかり」という言葉を信じれば、おそらく好きになれない相手だと思う。


 だが、そう評したのは目の前にいるユストゥス自身だ。


 権力や地位に執着する母親に家族の情は感じているが、尊敬の対象とは思っていない。彼はそう言った。


 母親がキルンベルガー家の血を引くのは事実だが、彼自身にその影響が多くあるとは思えないのだ。キルンベルガー家と同列にユストゥスを語るのは違和感がある。その上、国庫の金銭を母親のために使っているというのは今までの彼の印象にはそぐわない。とてもではないが、本当とは思えないのだ。


 その質問に、彼は答えなかった。その反応にアナベルはいら立ちを隠せない。


「ちょっと! 答えてくださいよ!」

「――僕のほうこそ聞きたいな」


 ユストゥスがこちらを見る。思わず、腰が引けてしまう。服を掴んだままの手が掴まれた。軍人に比べれば、彼は非力だろう。しかし、アナベルよりはずっと力がある。逃れることは出来なかった。


 何かを探るような眼がこちらを射抜く。


「なんでジークハルトのところへ行かなかったんだい?」

「な、なんでって」

「君も分かっているだろう? ニクラスに君を別室で拘束させたのは、ただの時間稼ぎだ。毒を盛った犯人が僕を狙っていたことはすぐに分かった。犯人の目星もついた。後はわざと犯人たちが僕を襲いやすい状況を作って、そこをニクラスたちに捕縛させればいい。現行犯だ。言い逃れのしようもない」


 ヘルマンは礼拝堂の王太弟を狙った。現状、ユストゥスの思い通りに物事は運んでいる。


「ただ、懸案事項はあった。ジークハルトだよ。あの子だけは、自力で誰が犯人かたどり着く危険性がある」


 ジークハルトが毒を飲んだのは、飲み物が入れ替わったからだ。そのことは彼も気づいているだろう。ユストゥスと同じように真犯人を推理するのはそれほど難しくない。


「魔術薬の副作用が切れて、ジークハルトが目覚めればあの子は動き出す。エーリクを捕まえて、そこから他の仲間を見つけ出して――だから、君とジークハルトを別々にしたんだ。僕以外にジークハルトを無理やり目覚めさせられるのは君だけだ。君がずっと大人しくしているとは思えなかったけど、数日時間が稼げれば十分だった。ジークハルトの傍には、状況を理解しているテオバルトも控えている。そこからあの子がどう動こうと、ヘルマンの襲撃には間に合わないと踏んでたんだ」

「……そういうことだったんですね」


 あの不可解な状況はそういう意図があったのか。ようやく、アナベルも理解する。


「でも、君は僕に会いに礼拝堂に来た」


 妙な緊張感が走る。


 今のユストゥスは敵じゃない。だから、何を話したっていいはずだ。なのに、下手な答えが許されない、この空気はなんなのだろう。


 もう一度、ユストゥスは質問をする。


「それはなぜ?」

「――だ、だって」


 アナベルは子供の言い訳のように説明する。


「あなたならジークを殺そうとした犯人が分かると思ったんです。ジークの傍には他に護衛もいました。それならあの人の身の回りを警護するより、先に犯人をどうにかするほうが先だと思ったんです」

「僕が正直に答えると思ったの?」

「さっき、正直に教えてくれたじゃないですか!」

「ニクラスが君を拘束したのは僕が裏で糸を引いていると思わなかったのかい?」


 ユストゥスは一呼吸置く。


「半年前。僕が君に何をしたのか、忘れたわけじゃないだろう?」


 アナベルは目を見開く。


 覚えている。忘れるわけがない。調査員として来たアナベルを彼は利用しようとした。ジークハルトに、王太弟はアナベルが死ぬ危険性を理解していたことを聞かされたことも覚えている。


 でも、なぜ、今更そのことを彼は持ち出すのだろう。


 確かにその件については言いたい文句は山ほどある。また、彼がいつかアナベルを利用しようと考える日が来ないとも限らない。アナベルは彼のことをよく知らない。知りたいとも思っていない。


「君は僕のことを嫌っていると思っていた」


 アナベルはエーレハイデに来てから多くの人と出会った。好きだと言っていい相手は山ほど。そして、好きじゃない相手が少し。――目の前の王太弟はどちらかというと後者だ。


 アナベルは目を伏せる。


「……そうですね。正直、あなたのことを気に入ってはないです」


 調査員時代、苦い思いをさせられた。頭の良さは知っている。魔術師であるアナベルにとって、魔術解除の能力と腕輪を持つ彼は天敵だ。好んで近づきたい相手ではない。仲良くなりたい、と思うような関係性も築けていない。


 ただ、それでも、一つだけ信頼していることはある。


「でも、あなたはジークを裏切ったりはしないでしょう?」


 アナベルはしっかりと彼を見つめ返す。その目が僅かに瞠られた。


「私がここにいるのはジークのためです。でも、私がここに来る切っ掛けを作ったのはあなたでしょう? あなたがジークを守りたいと強く望まなければ、私はここにいませんでした」


 彼との唯一の共通点は、ジークハルトを守りたいという利害の一致だ。ユストゥスはアナベルを裏切るかもしれないが、ジークハルトを裏切ることはない。そう信じている。


「あなた自身のことは気に入ってはいませんが、あなたのジークに対する想いは信頼しています」


 彼がジークハルトの味方であり続ける限り、彼がアナベルを裏切っても、敵にはなりえない。だから、そう断言した。


 広い何もない空間には二人以外には誰もいないし、何もいない。そのため、二人が黙り、動かなければ何も物音がしない。無音が妙に耳につく。


 しばらく、王太弟は何も言わなかった。瞬きもせず、固まっている。


(……なんでそんなに驚くんでしょう)


 文句の一つでも言ってやろうかと思っていると、大声でユストゥスが笑い出した。


「――あははははははは!」


 突然のことに、アナベルはびくりと肩を震わせる。


「な、なんで笑うんですか!」


 アナベルとしては真面目に話していたつもりなのに、爆笑されるなんて不服でしかない。抗議すると、笑いを堪えながらユストゥスが言う。


「いや、まさか、大真面目な顔でそんなこと言われるとは思わなかった。そうだね。ジークハルトは僕にとって大事な弟だから。あの子を裏切ることは絶対しないよ。それだけは約束する」


 先ほどまでの緊張した空気はどこへやらだ。すっかり、王太弟はいつもの胡散臭さを取り戻してしまった。――ずっと、気持ちを張り詰めていられないので、その点については有り難いが。


 掴まれた手が離されたことで、アナベルは姿勢を戻した。ユストゥスは視線を前方へ向ける。


「うん、そうだね。君には色々話しちゃったから、ついでにこれも話しておこうかな」

「……何ですか」


 秘密の話はこの部屋や、初代アダムの考えだけでお腹いっぱいだ。聞きたくないと全身で訴えたが、ユストゥスは聞いてくれなかった。


「僕はね、本当は国王になんてなりたくなかったんだよ」


 そして、笑顔でとんでもない爆弾を投下したのだ。

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