第三四話 左目は捨てても。

「メアリー。」

俺はようやく口を開いた。


「なんだい、旦那様?」


「………俺は今すぐ甲板に立つべきか?」

恐る恐る尋ねる。


「それが艦長という職務であり、みんながそれを望んでるよ。」

メアリーは俺の気を使うような素振りも見せず、淡々と答えた。

一見すると冷たい彼女の言葉だが、俺の心臓はまるで今動き始めたかのように、脈打ち始め、胸には血液ではない、何か暖かいものが流れ込んだのが感じられた。


「そうか、ありがとう。」

俺はそう言って体を起こした。


「よしてくれよ。旦那様が憔悴の危機とあれば、側に居てあげるのが妻の役目だからね。」

メアリーは恥ずかしそうに体を捩らせた。


「はははっ、そうかもな。」

俺は何百年ぶりに笑った気がした。


__インディファティガブル上甲板


インディファティガブルは臨時的に指揮を取っていたロッテの命により、アルビオン艦隊の後方に移動され、朝靄の中、徐々に鎮圧されつつあるガリア艦隊を傍観していた。


「なんて悲惨な………」

甲板に上がるとまず目に入ったのは、アブキール湾の海岸線に沿ってびっしりと打ち上げられたり、水面に浮かんだ肉塊たちであった。

無論、人としての原型を保ったものも多くあったが、大半は四肢が無かったり、腹に穴が空いていたりなど、欠損の一切無いものは一つとして見つからなかった。


「ああっ、艦長!よかった!」

そう言ってまず俺に抱きついてきたのは、ハンナだった。

耳は真っ赤になり、俺の胸からは啜り泣く音が聞こえ、彼女がどれほど心配していたかが明々白々に伝わった。


「艦長……その目ってやっぱり………」

ハンナは気が済むまで抱きついてから、俺の顔を見上げて尋ねた。


「まあな。だ、だが、左目こそ敵にくれてやったが、俺はまだまだやれるさ、命は助かったんだからそれでいいだろう?」

俺は苦笑いで答えた。するとハンナはまた目に涙を滲ませたので、俺は慌てて言葉を付け加えた。


「でも……」


「艦長!!」

ハンナが何か言おうとした時、ルナが顔を輝かせてこちらを見つけた。


「艦長、無事だった───その目って………」

ルナは急いで駆け寄ってくるが、頭の左半分に巻かれた包帯を見るなり、心配そうに尋ねる。おそらくハンナやルナの反応を見る限り、俺の状態はできる限り秘匿されていたのだろう。


「うん、まあ、そう言うことだ。」

俺はできるだけ気にしていないように見えるように話した。


「………艦長が気にしてないならボクも気にしないけど、辛かったら言ってね。」

しかし、ルナはそれでも心配なようだった。


__六時


ガリア艦隊はようやく形勢の圧倒的不利を認め、次第に東の海岸からゆっくりと撤退していった。しかし、二隻の戦列艦はマストを撃ち倒され、船体も滅多撃ちにされ、逃げるにも反撃に繰り出すにもままならない状態だった。


漂流を続けた二隻は間も無く座礁し、一斉に近づいてきたアルビオンのアレキサンダー、ゴライアス、シーシュース、リアンダーの数分の攻撃によりその旗を下ろした。


その後は一一時に撤退するガリア艦を追いかけたゼラスが激しい放火を浴びせ掛け、ガリア艦を散り散りにした。


__一四時


「カローデン離礁!」

ネルソン提督の命により、アルビオン艦が戦闘による損害の修理や索具の交換を行っていた中での報告だった。

俺の忠告を無視したトーマス・トラウブリッジ海佐は曳航のために近づいたインディファティガブルに対し、カローデンに謝罪と感謝を示させた。


__八月三日、早朝


「降伏を勧告しろ!」

俺は数千人は居るだろうか──そう思えるほどたくさんのガリア水兵らを乗せた最後のガリア艦にインディファティガブルを寄せてそう命じた。


「白旗が揚がりました!」

シーシュース、リアンダー、インディファティガブルの三隻に詰め寄られた敵は、遂に見慣れた白旗を掲げ、降伏を認めた。

実際のところ、白旗というのは公使を求めるという意味合いであるが、基本的にどんな戦いにおいても、無条件での降伏というのはなかなか無い。ほとんどの場合、捕虜の待遇、降伏の条件などを協議するからだ。

俺はシーシュースから公使が送られるのを、数一〇フィートほど離れた海の上で見守っていた。


「これで残るは向こうの一隻だけですね。」

ソフィーは、ようやく終わったとばかりに、ホッと安堵の溜息を漏らした。


「うん…………」

俺は反射的に頷いた。

この数時間前に逃してしまった、二隻の戦列艦と、二隻のフリゲートの後ろ姿のみが俺の脳裏に写っていた。


__正午ごろ


「ガリア艦が爆発しました!ティモレオン号爆沈!」

その時、俺は実に一六〇〇人以上ものガリア兵を乗せたガリア戦列艦のトナンに海兵と数名の補助役らと共に乗り込んで捕虜リストを作成したていた。

残されたもう一隻のティモレオンは、ティモレオンの乗員が火を付けたらしく、危険だということでアルビオンの艦も、拿捕された艦も、数ヤード離れた位置に避難していた。


「動揺するな!シャーロットに連絡してもう数ヤード離すように頼むんだ!」

ティモレオンでは、海兵やガリア兵たち、その場にいた全員が一昨日のロリアンの大爆発を思い出し、ざわめき立った。


インディファティガブルはティモレオンの信号を受け、ロクに使えるマストも無いティモレオンを慎重に曳航して行った。


__夕刻ごろ


──甲板に出て艦隊の状況を見たが、それはひどい光景だった。湾全体が死体で埋め尽くされ、ズボンのほかは着の身着のままだった──

前世でゴライアスの乗員だったジョン・ニコルは後にこの海戦をそう語ったと言う。


「諸君、今回はあれほどの劣勢とプレッシャーの中、よく頑張ってくれた。乾杯。」

ネルソン提督は戦闘の最中に負ったらしい、海軍人らしく荒々しくも、諸所は整った、ハンサムだった顔全体を覆う痛々しい傷跡を、包帯で隠しながらグラスを掲げて乾杯の音頭をとった。


「「「かんぱーい!」」」

提督室に集められた艦長たちはそれに合わせてグラスを掲げ、次に、一斉にグラスに並々と注がれた、ワインを飲み干した。


ワインは暗がりの中で光るランタンに照らされて仄かに本来の赤みがかっており、それがグラスを伝い、口を渡って喉に流れ込むと、各艦長たちは至極幸せそうにグラスを机に勢いよく置いた。


「クリントン海佐、本当にあの時はすまなかった!」

宴会の開幕早々カローデンの艦長、トラウブリッジ海佐が俺に頭を下げてきた。

本来彼はプライドの高い人物であり、あまり人に謝ることが好きではなかった。

しかし、彼は恩には奉公で返すような忠義に熱い面もあった。

それ故に、彼がどれほど自らの行いを恥じ、後悔しているかがその謝罪一つに物語らせることができていた。


万が一の可能性ではあるが、もしかすれば、酒の勢いというのもあるかもしれないが。


「いえいえ海佐。こちらこそもう少し丁寧な伝え方ができれば良かったのですが。」

俺は頭を掻いて少し頭を下げた。


「いんや、俺が完全に悪かった。この恩は、俺が提督になったら必ず返してやる。楽しみにしておけよ。」

トラウブリッジは俺の胸の、心臓の上の方をグーでトントンと叩いたつもりらしいが、酒の勢いか思い切りドンドンと叩いてしまい、思わず俺はよろけてしまった。


__二時間後


俺は少し体が熱い気がしたので、酔いを覚ますためにも、提督室の喧騒から離れて、甲板の上に無造作に置かれた樽に腰掛けた。


辺りは完全に陽が落ちたせいで、真っ暗だったが、各艦から漏れる灯りと、海岸をびっしり埋める現地のマスルエジプトの民族たちの焚き火で、眩しいほどの月光が無くとも、アブキールの凄惨な水面は皮肉にも美しく輝いていた。


「どうした、飲みすぎたのか?」

俺がぼうっと海面を見つめていたのを見つけたネルソン提督が、声をかけた。

俺はあまりに驚いたために、樽から飛び上がり、危うく海に落ちかけたところで、提督に腕を引っ張ってもらい、なんとか甲板に戻った。


「え、ええ……ありがとうございます。」

俺は乱れたシャツを引っ張って伸ばしながら答えた。


「気にしないでくれ。」

提督はそれだけ言って、俺の座っていた樽の近くの箱にゆっくりと腰を下ろした。


「………勝利という名前は、このような光景にふさわしいほど強い名前ではない。」

提督はそう呟いた。


「え?」


「中年の戯言だ。さあ、君はもう帰りなさい。俺たちむさ苦しい男どもとは違って、君には帰りを待つ可愛らしい乗員がいる。だろう?クリントン君?」

提督は俺に向き直って、悪戯な笑みを向けた。


「あ、ありがとうございます。では、お先に失礼致します!」

俺は敬礼して、次に近くで待機していた連れの海兵や水兵たちを呼び戻した。


__インディファティガブル


「おかえりなさい、艦長!」

まだ完全に酔いが覚めていない俺の帰還を迎えてくれたのはハンナだった。


「うん、ただいま。」

俺は若干辿々しい足取りでボートからインディファティガブルに移った。


「うわっ、飲みすぎちゃったんですか?昔からあんまり飲まないタイプだったのに。」

ハンナはよろけて海に落ちかける俺を支えて、立たせる。


「すまない、周りが囃し立てるもんでな。」

俺は少し照れて笑った。

実際、前世から俺は酒に異常な程に弱かったし、今世でもあまり強い方ではなかったらしい。

しかし、よく考えれば叔父もいくら強い酒とは言え、割と簡単に酔うタイプだったのを思い出すと、俺と下戸と言うのは切っても切り離せない関係らしい。


「それじゃあ、海に落ちちゃわないように気をつけてくださいね。その……これ以上艦長に何も失わせたくないので。」

ハンナはそう言うと、どこかへ歩き出した。


「……なあ、ハンナ。」

俺はふと思い出したかのように──できるだけそう聞こえるように呼び止める。


「どうしたんです?」

ハンナは不思議そうに振り向く。


「……今までは冗談半分で聞いていた。でも、この間のことで確信に変わった。こんな事を言って間違っていたら、恥ずかしいなんてものじゃ無いだろう。

──だからこそ、だからこそ俺はハンナをハンナを信じて尋ねたい。」

俺は頭がぼうっとして、なんだか真っ白な部屋でハンナと二人きりで立っている様な、そんな感覚がしてきた。

そんな曖昧な感覚というのに、ハンナがゴクリと唾を呑んだことはまるで間近にでもいるように感じられた。


「…………つまり、ハンナは俺に好意を寄せているんだよな、上司と部下とかじゃなく、一介の男女として………………」

俺はこっ恥ずかしくも、一度出発した以上戻ることはできないと腹を括り、できるだ平気そうに、何ともない当たり前のことかのように話してみる。


「………違います。」

ハンナはキッパリと告げた。

俺は思わずたじろいだ。


「違うんです、私は艦長のことをそんな薄っぺらい言葉なんかじゃ表せないぐらいに愛しています。初めて会ったその時から、艦長に助けられたその時からずっとです。ずーっと待ってたんですよ。『一生振り向いてなんてくれないかもしれない。』そんな事が何度頭を過ぎってもです。」

ハンナは大粒の涙をボロボロと流し出した。

目に溜まる隙もなく溢れ出した涙に俺は一瞬困惑する。

ハンナは急いで後ろを向いて袖を丸ごと使って涙を拭く。


「………ごめんな。ずっと、隣にいたのに寂しい思いさせたんだな。」

俺はハンナの背中にそっと手を伸ばして、涙を拭いた。六フィート約一八二cm余りの俺の身長と、五フィート約一六〇cmまでようやく四捨五入で達するようになったハンナとでは、余りにも不恰好だった。


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どうもお久しぶりです、二話連続遅延計画性皆無ゴミクズ作家hi9h1and3rsでございます。(>_<)

今回は体調不良や用事関係無く普通に遅延してしまったので、本当にただの締め切り大遅刻野郎でございます。

言い訳を許されるのであれば、モチベがあまりにも無かった事でしょうかね。

つまるところ、リアルでのモチベが下がっていた時期に小説のモチベも下がって──というダブルパンチを喰らってしまったことが原因でしょう。( ;∀;)


このような厨二ノリの体現のような駄作を読んでいただいて、その上フォローなどしていただいている身でこのようなこと言うのは非常に恩着せがましいですが、どうか作品継続のためを思って、ご評価のほど、何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m


 訂正、応援コメント、何でもください!

『いいな』と思ったらレビュー、☆、フォローなど何卒よろしくお願いします!


 次回 回る歯車、進む帆船ほぶね お楽しみに!

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