第二五話 一一月二五日の海戦

「船団は命令通り北東に変針!敵艦は船団へ進路を変えつつあります!」

見張り員の報告通り、敵のガリア艦は南西に向かうインディファティガブルと北東に向かう船団の間に位置し、風が悪いためか、少しづつではあるが、船団を追う形で舵を切っていた。


「帆を張り増してタック!もし敵艦が船団に近づけば地中海艦隊はロクな補給ができなくなるぞ!」


「アイアイサー!しかし艦長、あのままでは我々が追いつく前に鈍足な船団は敵に捕まってしまいます!」

風で動く帆船は風上に船首を置いた時、四十五度より小さい角度で航行することはできない。

その為、快速艦とはいえ、敵艦との距離が開いているインディファティガブルが追いつくにはかなり時間を要してしまうのだ。


「クソッ……船団に『各自待避行動を執り、ランズ・エンドで合流せよ』と伝達せよ!我々は引き続き敵艦を追い、これを撃滅せんとする!」


「「「アイアイ・サー!」」」


「ねえねえアルフィ──艦長。」

何故か艦が直ったというのに未だに残り続けているインディが俺の服の裾を軽く引っ張る。俺はこんな緊急時に何のつもりなんだと少し腹を立てながらインディに振り向く。


「何だインディ?今はくだらない話に付き合っている暇はないんだ!おい、もっと帆をしっかり張れ!ミズンスルがバタついてるぞ!」

俺は片手間に少し怒鳴りながらインディに尋ねる。


「このインディファティガブルが追いつけばいいんだよね?」


「あ。ああ。だけどそれが何──」


「ちょっとうるさいよ、艦長。さて、いい感じに私が持つといいけど……」

俺は文句を言いかけるが、インディの擦れの無い綺麗な音で鳴らしたフィンガースナップに遮られてしまった。


──その時だった。インディの掛け声に呼応するかのように船体をギシギシ唸らせたインディファティガブルは見る見るうちに六ノットほどに増進した。

いや、と言うよりかは突如としてさっきまで吹いていた風を真正面から吹き消すほどの強風が吹き始めた。


「な、何がどうなって──?」

俺は口をポカンと開き、誰かに聞くと言うわけでもなく、ただ言葉でも音でも何でもいいから何か発していないとどうにかなってしまいそうな気がしたから発しただけの言葉を吐く。


「艦長!この風はあんまり長い間続きはしないから、早く命令を!」

インディの言う通り、直ぐに風は勢力を落としていき、次第に先ほどの風が力を取り戻していったのが顔で感じられた。


「あ、ああ!総員、この期を逃すな!敵はたった三〇門の足らずの六等艦であるぞ!」

風と共に士気も上がったのだろうか、乗員は先ほどよりもずっとテキパキと動き始め、懸命な作業もあってか、インディファティガブルは二四ポンド砲の射程まで近づいた。


「そ、そうそうその調……」

インディは青ざめた顔で気を失い、艦が並みで大きく揺れた瞬間にフッと倒れる。


「おっと、インディ、大丈夫……そうではないな。あれがお前がやった確証はないがまあ……ともかく有難う。今医務室に連れて行ってもらうから、大人しく留守番してろ。」

俺は虚な目でほとんど失神しているインディに優しく語りかけ、近場の水兵に訳を話し、インディは背負われて医務室へと連れて行かれた。


「カノン砲の砲戦距離に突入!どうする!撃つか!?」

掌砲長からの問いに俺は必死に頭を巡らせる。全門を射程に入れるにはもう少し艦を走らせる必要があるが、その間に敵は船団の最後尾の船ぐらいなら攻撃してしまうだろう。

しかし、かと言って今砲撃したとしても当たる見込みは風下ということも相まってほぼゼロだ。


「撃たずにみすみす攻撃させるぐらいなら……右舷砲撃用意!目標敵艦!可能な限り全弾命中させよ!」

無論全弾命中と言うのはあくまで意気込みの話ではあるが、乗員たちは先ほどのほんの一瞬の追い風に感化されて士気が上がっており、本当に当てる気で準備を始めた。


「右舷全門用意完了、いつでもいけるぞ!」

掌砲長はしっかり砲門が開かれ砲身が船体から押し出されたのを確認し、大声で伝える。


「了解、何としてでも止めるぞ!──てーっ!」

下級士官の復唱と伝達により、視界を覆う程大量の白煙を撒き散らしながらインディファティガブルは砲丸を撃ち出した。


「至近弾五発!四発は敵前方に、四発は敵の頭上を通過!もう一発は……命中しました!着弾一発!」

真っ白な砲煙の中、マストで目を凝らしていたジョンは嬉々として報告する。


「「「ばんざーい!ばんざーい!!」」」

乗員は手を止め歓喜の万歳斉唱を行うが、敵は『たかが一発ではただの偶然、少し近づかれたが今は大した脅威ではない。』とでも判断したのだろうか、インディファティガブルには目もくれず進路を変えることはしなかった。


「敵はまだ健在だ、喜ぶのはまだ早いぞ!次弾装填!今度は倍以上当てろ!」

勝って兜の緒を締めよ、と言う言葉がある様に、俺は大歓喜の乗員たちに厳しく一喝し、乗員たちもそれを理解したのか、またテキパキと装填作業を進めた。


「装填完了!一二ポンド砲も射程に入りました!」


「了解!てーっ!!」

今度は一八発の砲丸が一目散に敵艦の横っ腹目掛けて飛び出して行いった。

乗員たちが目を凝らして濃い白煙の向こう側で見たのは、メインマストが根本から軋む音を立てて傾く姿だった。


「敵艦進路変更!本艦へ向かっています!」

俺はその報告に思わず手で大きくガッツポーズをし、満面の笑みを浮かべた。

もちろん本来であれば悲壮すべきことであることは確かだが、少なくとも俺たちの目的は達成され、敵艦はマストを失った上で少なくとも二〇門差の艦と戦闘をする羽目になったのでは、喜ばずにいられる方がおかしいだろう。


「諸君、よく奮闘してくれた!もう一踏ん張りだ!敵に撃たせる前にこちらが撃って白兵戦に持ち込むぞ!次弾装填、進路を敵艦の右舷に合わせろ!接舷させるぞ!」

船の足となるマストを折られかけ、文字通り船体は満身創痍に近い状況の敵艦を見た乗員らは歓喜の有様で直ぐに次の作業に回った。


「艦長!本艦の後方に新しい敵が!!」

その報は、吉報で浮かれていたインディファティガブルにいるもれなく全員の顔に冷や水を浴びせかけるには十文すぎる報であった。

すぐに手の空いている者が嘘だと言ってくれとでも言わんばかりに新手の登場を恐る恐る確かめに後部甲板へと足を急がせた。


「敵はガリア艦藉、おそらく四、五等艦程度と見られます!」

確かに、その艦は先程まで戦っていた敵よりは遥かに大きく、だからと言って例えば地中海艦隊のヴィクトリーなんかとは比べ物にならないほど小さく、大きさだけならばインディファティガブルとは大して変わらなかったが、その登場には数一〇隻規模の艦隊と対峙することとなった時のような絶望感があった。


「な、何を怯んでいる!敵は我々と大して大きさも変わらない良くて四等戦列艦だ!その上味方は手負の等外艦一隻のみ!進めば勝利、怯めば敗北だ!」

何とか気を取り直した俺は画面蒼白の乗員たちにとにかく作業の継続を促すが、その速度は明確に遅くなっていた。


「クソッ、何てタイミングで来やがるんだよ………一旦新手は放置して先に手負いから先に仕留めるぞ!白兵戦用意!間髪入れずに接舷戦闘だ!」


現在インディファティガブルは敵と敵の間におり、先ほどの手負いの艦にとっては風下に、新手にとっては風上にいるので、敵が辿り着くまでに先に風上側の艦から攻撃すれば、多少不利ではあるが、逃げるにしろ戦うにしろ、十分に用意を整えた上で有利な位置にいることができる。

もちろん、敵も馬鹿ではないので風上側の艦は風下へ南下しつつあるが、それも途中でこちらに攻撃されるリスクが高い。まあ突破されてはどうしようもできないが。


「風上艦発砲!風下はまだかなり遠くにいます!」

向こうもこちらが手間取っている間に用意を整えたようで、優々と砲撃を開始した。


「そのままあの土手っ腹に突っ込んで乗り込むぞ!そうすりゃ俺たちの勝ちだ!」

正確には“敵が追いつくまでに”制圧できればの話ではあるが、面倒な話をすれば士気を下げるのみだ、俺は言葉を飲み込んでただ指揮を執る。


「風向き急転!南西から北東の風です!」

突如風上に変わったインディファティガブルは、少しでも風を受けようと目一杯に開いていた帆が風を大きく受けた結果、急激に速度を上げていった。


「しめた!敵は風下だ!全力であの艦を倒すぞ!」

風に呼応するように士気は上がり、まるでそれに更に呼応し風がさらに強く吹いたように見える程風は急激な変化を遂げ、インディファティガブルは瞬く間に敵の懐まで辿り着いた。


「皆んな頑張ってきなよ!新手は風下だし、十分に時間はあるから!」

ルナの言葉通り、途中で反転し南西側から敵へ攻撃を加えていたインディファティガブルは最適な位置で風を受けることができたが、敵は南東から来たため、どうしても俺たちに追いつくには一度大きく通り過ぎる必要があり、今だ遠くで何とかこちらに近づこうと奮闘していた。


「じゃ、ちょっくら俺も言って来らあ!」

俺は、授爵祝いに買ったが今となってようやく出番の来たきらりと光る腰のサーベルをスラリと抜き、万力の如き力で柄を握りしめ、力強い一歩で敵艦へ乗り移った。


「あーっ!また艦長乗り込んで──危なっ!」

ハンナはほんの一瞬だけだが、俺に気を取られていたせいで、敵の士官らしき男からの斬撃を受け、危ないところで気づき避けたが、耳元を掠め少し髪を切った。


「ハンナ、しゃがめ!」

俺はそう言うと、腰の特注のピストルを引き抜き慣れた手際で撃鉄を上げ、引き金を引くと事前に装填されていた弾が発射され、ハンナの頭を通り過ぎ、寸分狂わず敵の胸を貫いた。


「戦場でよそ見なんてするなよハンナ。危うく死ぬところだったぞ。」


「髪の毛数本になに言ってるんですか。それに、人のこと言えませんよ艦長。」

俺がハンナに少し説教している所で、敵の水兵の手斧が俺を狙うが、ハンナが腕を切り落とし、胸に一突き入れると、水兵はその場で倒れ、そのまま絶命した。


「そうだな、それは済まん。だが女の子が髪の毛を粗末にするなよ、特にハンナの髪は綺麗なんだから。おっと。」

俺は敵の攻撃をいなしながら少し反論して見るが、ハンナの声はもう聞こえず、気づけば艦首の方で無双状態で敵を切り伏せていた。


「いきなりどうしたんだ……?」


__数一〇分後


どうも、最初の被弾で敵の白兵隊に少なくない損害を与えていたようで、暫くすると上甲板は完全に制圧され、艦尾のガリア海軍旗が取り外されると、最後まで抵抗していた敵の艦長と乗員はこれ以上の戦闘は無理だと諦め、俺にサーベルを手渡して艦の降伏を告げた。


「あー、お名前をお伺いしても?ミスター──」


「りゅ、リュクス。アントワーヌ・リュクス。うン。」


「ありがとう、ミスター・リュクス。見ての通り我々には時間がない。

最悪の場合はこの艦を燃やして破棄し、君たちを捕虜として地中海艦隊まで連れ帰ることとなる。

だが、君が我々に協力すると言うのであれば、臨時に君をインディファティガブルの海尉心得に昇進させて、この艦の回航艦長に任ずる。君はこの艦を率いて我々と同行してくれ。

本土に辿り着けさえすればアルビオン海軍の軍人にでもなれるよう推薦状でも何だって書いてやる。だから今回ばかりは頼む!」


俺は頭を下げる。本来ならここまでする必要は一切ないが、最近金欠気味なことやできれば不要な犠牲は増やしたくない気持ちもあり、俺はアントワーヌに頼み込む。


Bien reçu.わかった。あなだの提案でいあんに乗りまッす。うン。」

アントワーヌはガリア語混じりの辿々しいアルビオン語でなんとか俺に承諾の意を伝えた。


「決まりだな。頼んだぞ、リュクス君。」

俺はそう言うと急いで乗員に撤退を命じ、操舵手に先にランズ・エンドに向かった船団を追わせた。


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 次回 おまけ② 制服 お楽しみに!

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