第7話『ありがとう……おじさん。天使のおねーちゃん』
いよいよ裕子のお腹も大きくなり、家に居るよりは病院に入院した方が良いだろう。という事で大岡の紹介もあり、裕子は隣町の病院に入院する事になった。
横倉村の人々は裕子が病院に行く前に一言と、毎日の様に野中家に誰かしらが行き、裕子を励ましているのだった。
まるで今生の別れをしている様であるが、裕子の体が弱い事を考えれば当然とも言える。
かつて裕子よりは幾分か体が強いが、それでも体が弱い久美子という女性も美月という娘を産む際には生死の境をさ迷う事になったのだ。
彼らの不安も当然であろう。
そして、いよいよ病院に行くという日には多くの人が集まり、裕子を見送るのだった。
「裕子さん。必ず帰ってくるんだよ」
「アハハ。もう大袈裟ですねぇ」
「大袈裟なもんかね。必ず無事に帰ってくるんだよ!」
「はい。頑張りますよ。元気な赤ちゃんと一緒に帰ってくるので、待っててください」
「裕子さん。そろそろ行きましょうか」
「そうですね。では皆さん。私は行ってきますね」
「いってきまーす!」
「ましろちゃんも気を付けるんだよ!」
多くの人に見送られ、緩やかに走り出した車はそのまま県道に入り、誰も居ない道を進んでゆく。
村に行く人以外通らない道は、人通りもなく穏やかだ。
あまり運転をしない誠は安全運転を心掛けながら、ひたすらに山道を走らせる。
後ろからは楽しそうに歌を歌う裕子とましろの声が聞こえてきており、それをバックミラーで見ながら、誠も楽しそうに笑うのだった。
「まるでピクニックみたいですね」
「そういえば。そうですね!」
「ぴくにっく?」
「そう。ピクニックですよ。ましろちゃん。お弁当を作って、見晴らしのいい場所で歌を歌ったり、遊んだり、寝たり、楽しく過ごすんです」
「わぁー! 楽しそう!!」
「そうでしょう? この子が生まれたら、行きましょうね」
「やったー! お弁当いっぱい持っていこうね!」
「そうですね。ましろちゃんは何か食べたい物はありますか?」
「ましろ、卵焼き!」
「ふふ。じゃあいっぱい入れましょうね」
そんな楽し気な約束をしながら山を進む一行は、隣町の病院に着くと、そのまま入院の手続きを進めてゆく。
前々から準備していただけの事もあり、作業は順調に進んでいった。
そして全ての手続きが終わり、無事出産まで待つだけという状態になった一行は、諸々の買い物をするべく近くのデパートに向かうのだった。
デパートに着いた二人は、早速裕子より託された買い物をするべく各階をまわりながら必要な物を買ってゆく。
初めてのデパートにましろはずっと楽し気にはしゃぎまわり、笑っているのだった。
そんなましろは人の目を惹く容姿をしていたせいか、多くの人々に注目されていたが、誠は特にその目線から悪意を感じない事に安堵しつつ、少しましろを落ち着かせようと声を掛けた。
しかし。
「ましろさん。少し落ち着きましょうか……ましろさん?」
「お父さん。あそこ」
ましろの行動に誠は何事かと、その指さす方へ急いで視線を向けた。
するとどうだろうか。その方向には吹き抜けの向こう側……一つ上の階で手すりを乗り越えようとしている子供が一人いたのだ。
それを見た瞬間誠は走り出していた。
エスカレーターを駆けあがり、一つ上の階へ向かうと、そのまま走って子供の所へ向かう。
そして今まさに乗り越え終わって体が滑り落ちようとしている子供の手を誠は必死に掴んだ。
誠は普段あまり運動をしないという事もあり、非力である。
しかし、そんな事を理由にして手を離せば一人の小さな命が失われてしまう。
だから誠は今までにない程の力で必死に子供を掴み、それをこちら側に戻そうとした。
だが、絶望的に力が足りない。
「あ、あぁ、ぁ」
「動かないで!! 大丈夫。必ず、助けますから」
そうは言いつつも限界が近い誠は周囲に誰か居ないかと視線を走らせるが、生憎と人の気配はない。
そして、そうこうしている間にズルズルと誠の体は引っ張られて行き、遂に子供ごと空中に投げ出された。
瞬間、誠たちの存在に気付いたのか様々な場所から悲鳴があがる。
これから起きる悲劇を予感させるような悲痛な悲鳴が。
そしてその悲鳴は子供からも上がっていたが、誠はそんな子供を引き寄せて強く抱きしめた。
何が何でも子供だけは助けると自分の体を子供より下に送り、そのまま地面への落着を待った。
子供が居たのは五階であり、どうやっても誠は助からないが、子供はうまく自分をクッションにして助かるかもしれない。
そんな奇跡を誠は願った。
しかし、奇跡の体現者はそんな悲劇を生み出すつもりは欠片もない。
「お父さん!!」
「……!? こ、これは」
「ゆ、ゆっくり、下ろすよ」
誠と校舎で出会った時よりも大きくしっかりとした純白の翼を広げたましろが空中で誠を捕まえていた。
そしてそのまま翼をはためかせながらゆっくりと一階に向かって降りてゆく。
もはや子供を含めて誰も悲鳴を上げていなかった。
ただ、吹き抜けの天井から差す光を背に受けて、純白の翼を広げた美しく白い少女が、今まさに落ちようとしている二人を捕まえて下りてくるという神秘的な光景に目を奪われていたのだ。
そしてゆっくりと時間を掛けて一階の床に降りたましろは、一仕事終わったとばかりに息を吐きながら額の汗を拭う。
「ありがとうございます。ましろさん。お陰で命拾いしました」
「ううん。お父さんのお陰で私も間に合ったから。ありがとう。お父さん」
二人が笑い合いながら互いを褒め合っている頃、ましろたちを囲むように出来ていた群衆の中から一人の女性が飛び出してきて、子供に抱き着いた。
誠は驚きながらも子供を放し、女性に託す。
「一真!! バカ!! 何やってるの!! こんな、こんな危ない事して!!」
「ご、ごめん、なさい!! ぼく」
「ありがとうございます! お二人のお陰で、本当にありがとうございます!!」
「いえ。無事でよかったです。君。次はこんな危ない事をしてはいけませんよ」
「うんうん。気を付けるんだよ」
「うん。うん!」
「なんとお礼を申し上げればよいか」
「いえ。皆無事でしたから。私は何も。ましろさんは何かありますか?」
「うーん。そうだなぁ。一真君って言ったっけ」
「は、はい!」
「もうお母さんを悲しませちゃ駄目だよ。ちゃーんとごめんなさい。するんだよ? いーい? 出来る?」
「うん。お母さん。ごめんなさい」
「じゃ。これでオッケー。あ。お父さん。荷物全部上の階に置いてきちゃった」
「それはいけませんね。迷惑が掛かってしまいます。急いで取りに行きましょうか。……では、お気をつけて」
「ばいばーい」
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
「ありがとう……おじさん。天使のおねーちゃん」
子供と母親に見送られながら、ましろと誠は割れていく群衆の間を通り、エスカレーターへと急いだ。
そして、四階まで急いで上がり、ましろが投げ捨てていた荷物を回収して車の所へ向かうのだった。
それからまた病院へ戻り、病室でゆっくりと休んでいた裕子に買ってきた物を見せてゆく。
その過程で、ましろがついうっかり先ほどの出来事を話してしまった為、裕子に二人とも叱られる事になるのだが、それはまた別の話だ。
とりあえずは皆無事であったという事に笑い合い、誠とましろは横倉村へとまた戻るのだった。
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