俺の恋はクラスの中にあった
陸沢宝史
第1話
六月に入り制服は長袖から半袖に変わっていた。教室には多くの生徒が集っており後数分もすれば朝のホームルームが始まる。生徒たちは友人同士で陽気に喋る者もいれば、机に座ってスマホをいじっている者もいる。
俺、
間のなく担任が来てホームルームが始まるから無駄に誰かと話す必要もない。ただ一人で何もしないのも退屈ではあった。話し相手を求めるように教室で数少ない友人を目玉を動かして探す。友人は別のクラスメイトと愉快に会話していた。
いつも朝のホームルーム前は一人で居ることが多いから、誰かと会話できなくても悲しみはしない。そもそも高校に通っているのも友人と喋るよりかは大学進学に向けて勉強するためだ。
実家は貧しい俺は中学生の頃から堅実な将来を目指している。少しでも偏差値の高い大学に受かるために勉学に励み、高校入学後は大学の入学費を稼ぐためにアルバイトもしていた。
俺にとっての高校生活は勉学とアルバイトに注いでいる。結果的に友人との交流も最低限で俺の青春は誰が見てもつまらないものに仕上がりつつある。この生活も悪くもないが高校三年にもなって人生に盛り上がりを微かに期待している自分がいた。もっとも友人も少ない俺に爽やかなイベントなど訪れるはずもなかった。
「おはよ永江」
机の右側から聞き慣れた声がしたので右を向く。視線の先には同じクラスで女子生徒の
「川森か。もうすぐホームルームだから会話したいならあとの方がいいと思うが」
退屈だったので川森が寄ってきてくれたことは多少有り難い。ただ感情を表情に出すのは気持ち悪く感じたので素っ気ない対応をした。
「ちょっと話すだけよ。それにしても最近勉強とアルバイトの調子はどうなの? 忙しそうだから息抜きできているのか心配で」
朝からクラスメイトに調子を気遣われるのは悪い気はしない。川森とは高校一年からの付き合いで校内ではよく声をかけられ、気づけば私生活のことも話してしまいがちだ。俺がアルバイトをしていることを知っている数少ない人物でもある。ただ学外での交流は皆無であり、友人よりかは知人程度の認識でいた。
「何とかやってるよ」
俺は平坦な低声で手短に答える。体調管理には気を使っている。ただ息抜きができているかといえば微妙だ。休みの日も大抵一人だから虚無な時間を過ごしがちだ。
「さっきのはあんたの状態を確認したかっただけ。それより今週の土曜日空いてる? 良かったらのんびりと買い物でも行こう」
川森は片手を俺の机に突き、口から弾んだ声を出す。正直川森には友人として見られていないと思い込んでいたので、遊びに誘われて心に動揺が走っていた。誘われたのは嬉しいし、川森となら二人っきりで遊んでも構わない。
「土曜日は確かアルバイトもないし、いいけど」
川森の目を見て返事をするが、普段より声が高くなっている気がした。
「なら決まりね。詳しい予定は後で連絡して決めよ」
川森は白い歯を見せると俺の前から離れていく。俺は俯くと本当に川森と遊ぶのかと自問を何度も繰り返していた。
土曜日、俺はとあるビルの前で川森を待っていた。周囲には高層ビルを始めとしていくつもの建造物が立ち並んでいる。その多くが何らかの商業施設だった。俺の背後にあるビルもいくつものテナントが入った商業施設で、それを目当てに朝から若者を中心とした多くの人々がビルの中へと消えていった。あまり人で溢れた場所には足を運ばないため、少し落ち着かず早く川森と会うこと待ち望んでいた
「お待たせ。今日は思いっきり遊ぶからね」
口角の緩んだ川森が目の前に現れると勢いよく声を飛ばす。この瞬間、帰宅したら体が疲弊していると確信した。
「一応昨日もアルバイトだったから加減はしてくれよ。てか川森も昨日部活だから無茶はしないほうがいいのでは」
俺は顔を引きづりながら川森に要望を出す。川森は上半身を俺の方と傾けると表情を変えずに口を動かす。
「わたしはテニス部だから体力は余りまくっているので。ではいくぞ」
川森は上半身を鉛直にすると拳を天に突き出し、一人ビルへと歩き出す。俺は苦笑いしながら今日は普段より楽しくなることを期待しつつ後を追った。
「置き時計買ったんだな」
横に並ぶ川森の手には先程の寄った雑貨屋で購入した小さな置時計の入った紙袋が握られている。雑貨屋から出ても川森は笑顔を浮かべて紙袋を何度も見ていた。相当置き時計が気に入ったみたいだった。
「前の古かったし、小さいのが可愛いし、色がピンクなのも本当にいいの」
川森は紙袋を顔の前に持ってくると置き時計について熱弁する。話に耳を傾けている俺の表情筋も自然と緩んでいることに気づく。川森の話は飽きが来ず、聞いているだけで愉快な気持ちにさせてくれる。
「それより次はどっか行きたいところあるか?」
ビルに入った当初は川森は俺の行きたいところ優先して周ろうとしてくれた。だが俺は物欲が限りなく低く、欲しいものが特に思いつかず結局川森の行きたい店を周っていた。せっかく気を利かしてくれた川森には申し訳ない気分だ。
「文房具売っている店に行かない? あそこなら永江が欲しそうなもの見つかりそうだし」
川森の提案は物欲の低い俺を唸らす妙案だった。生徒である以上文房具との縁は深い。欲しいものも見つかるだろう。
「ボールペン丁度切らしてたからいいぜ」
「デザインに凝ってるものが多いから良いの見つかると思うよ」
川森が次に行く店の太鼓判を押す。俺は話に意識を向けながらも川森の瞳に顔ごと囚われていた。テニス部の川森は学校でも活力に満ちていて、友人も多い。今日二人だけで過して改めて実感した。日常が地味な俺は昔から川森に憧れを持っている。だが俺が抱いた感情はそれだけではない。川森という人物に俺は惹かれていることに今更気づいてしまった。
昼の中頃、小腹の減った川森の提案で俺たちはとあるカフェで休憩していた。円形のテーブルを間に挟み、向かい側の席に座る川森は注文したチーズケーキを味わっている。食べる姿の川森も可愛い。今まで学校ですら降ってこなかった感情がいとも簡単に出てくる。俺は自分の変化に困惑を覚えつつも心の自分は嬉しそうに踊っていた。
「最近部活の調子はどう?」
俺は目の前に置いてある空の皿に載せてあるフォークに軽く触りながら川森に話しかける。空の皿には元々チョコケーキがあったが、甘さが絶妙でまた食したい。川森は口にチーズケーキを含んでいたがしばらくすると歯の動きも止まり、喉から声が外へと流れてくる。
「上達してないね」
川森の顔は一瞬強張り、俺はつい息を呑みこむほど状態を懸念してしまう。けどすぐに表情は笑みに変貌して川森は話を続ける。
「小学校からやってる割にはそう思う。けどやっぱりテニス好きだから楽しいよ」
「やっぱり楽しいのか。川森から時々部活の話聞かされるけど、部活したことのない俺からすれば川森の部活での話にはちょっと憧れるな」
部活経験皆無の俺にとって部活という響きだけで憧れを抱きがちだ。昔聞いた川森の話によれば上下関係とかで色々苦労しているそうだ。ちなみ川森のテニスでの強さは大会に出ても間違いなく初戦負けする程度らしい。
「今から部活って流石に三年の六月じゃ遅いか。けどわたしたちも来年には卒業だよね。永江は高校三年間で何が一番思い出に残ってる?」
川森は両肘をテーブルに突き組んだ両手に唇を合わせる。俺は右肘をテーブルに立て右頬を右手に載せる。文化祭、体育祭、修学旅行、学校行事に俺は参加していたが消極的な姿勢でいつも関わってきた。学外でも友達と遠出した経験すらない。はっきり言って人に自慢できるような印象に残る思い出はなかった。ただ一年から川森と教室で会話している思い出が薄っすらと浮かんでいたが、それを本人には口外できない。
「特に……ないかな」
少し考えた後、虚しい回答をする。川森は顔を両手から離すと口を噤む。頬には空気が溜まり膨らんでいる。思い出がないことを不憫に思われても仕方がない。それでも俺にとって川森と教室で話した時間が宝だと知れた今、高校生活に後悔はないかもしれない。
「そっか。ならさ今日で思い出一杯作り行こう。元々は永江に息抜きさせるために誘ったけどさ」
川森は顔の前で両手を軽く叩いてそう言うと残っていたチーズケーキを急いで口に入れ立ち上がる。
「そうだったのって、今から店出るの」
俺は戸惑い、乱れた声が発してしまう。もう少しゆっくりする予定だったが川森の誘いに乗るしかないようだ。川森は俺の片手を引っ張り俺を椅子から引き剥がす。
「当たり前でしょ。夜までもう三時間程度しかないからね」
語気を強めに川森はそう言い返すと会計まで速歩きで進む。川森と二人っきりでいれる時間は限られている。なら最後まで存分に楽しむとするか。
俺たちは一階にある休憩スペースのベンチで休んでいた。近くには大人三人分程度高さの時計が設置されており、時計の針は十七時を回っている。十八時には帰宅する予定となっている。
「今日は一杯回ったね。買い物できたし永江のことも色々と知れたから良かったな」
川森の両腕は一直線に頭より上に伸びる。表情も解れており、彼女が今日を楽しんだことを証明している。
「川森には私生活のこととか色々話していた気がしたけど、まだ話していなこともあったことに気付かされたよ」
結局のところ学校だけの付き合いでは交流に限度があると思い知らされた。だからこそ今日川森と遊べたことに満足している。
「学校だけの付き合いじゃ話せる時間も限られてるからね。それと永江は将来のことばかりにこだわるんじゃなくて、もう少し違うことにも興味持つなりして人生楽しみなよ。そもそも今日は永江を無理にでも息抜きさせようと思って誘ったしね」
川森は両手を合わせ両膝の上に乗せると細めた目で俺を見る。思いやりを感じさせる瞳と対面した俺は今日の一件を心の中で感謝する。今日をきっかけに明日から違う自分になれそうな気がしていた。
「川森の言うとおりだな。俺はあまりには狭い視野を持ちすぎていたよ。最近は自分の人生が退屈に感じつつあった。けど今日のおかげでそれも変えていくよ」
「そう言ってもらえると遊びに誘ったかいあったかな」
俺の言葉に対し川森は喜ばしい意味合いの返事をするが川森の声から圧が消え去りあまりにもか細くなっていた。川森は依然として俺の瞳を見ているが口は噤んでしまう。川森の異変に俺は慌てそうになる。体調が悪いのかと心配するが川森の唇が微かに動くと、口が開き舌と歯が姿を表す。
「あとさ、いきなりだけど、今日一緒に居てさっき気づいただけどわたし昔から永江のこと好きだったみたい」
「本当に?」
川森の想いが頭に伝わってきた瞬間、俺は間を置かずつい聞き返してしまう。目の前に居る川森の顔は俺と向き合っているが瞳は下を向き視線は重なっていない。川森と両思い。その事実に嬉しさがこみ上げるが、同時に突然の告白に驚愕せざる得なかった。
「嘘はついてないよ。こういうことで永江をからかう気はないから。永江に一年の時から絡み続けてきたのも本能的に永江のことが気になっていたんだと今になってはわかる。永江と話しているの楽しいしさ。あと無理に返事しなくていいから。告白されて困っていると思うから」
川森の声は声量は普段よりも大きく、話す速度も早い。驚いた意味で「本当に?」と言っただけで、疑ったわけではない。俺の気持ちが決まっている以上すぐにでも返事はしたい。俺は息を吸い込むと喉から声を出し宙に自らの想いを刻む。
「俺も川森と同じ気持ちだよ。そしてこの気持ちに気づいたのも今日が初めて。川森って元気があって前向きでそんな川森が俺は好きだ。だから川森俺と付き合おう」
川森の瞼は一瞬釣り上がると頬は盛り上がり再び視線が重なり合う。
「想いを伝えるか悩んだけど、言ってよかった。お互い三年生で忙しい立場だけど一杯思い出作ろうね」
朗らかな声でそう求めてきた川森に俺は落ち着いた口調で言い返す
「俺もそのつもりだよ」
川森と一緒ならばこれからの高校生活は楽しくなりそうだ。この幸せをずっと維持していきたい俺は自分に誓った。
俺の恋はクラスの中にあった 陸沢宝史 @rizokipeke
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます