最後の言葉は「はなさないで」

まらはる

オチがないのがオチ

「なぁ、お前なんか話しかけてやれよ」


 大学。今日の講義が一通り終わったおおよそ夕方。

 同じ学部の友人が俺を小突きながら言った。


 俺と友人の目線は、少し離れた机で、講義が終わったにもかかわらずボーっとした顔で動かない、共通の友人--アオエである。


「お前も知ってるだろ、アオエのやつ……」

「知ってるから、余計話かけられないだろ。というか、気にするんならお前が話しかけろよ」

「こうやって気にする気づかいは持ち合わせてるが、それ以上のケアを俺に期待するか?」

 ……確かにコイツは、悪いやつじゃないがデリカシーにかけるところがあり、その辺を自覚している。

「わかったよ。先にサークルに行っててくれ」

 コイツとはサークルも同じだ。今日も活動予定だったが、少々遅れることになりそうだ。

「すまんな、頼むぜ」

 ひょいと片手をあげながら、軽薄そうに去っていく。

 細かいしぐさや態度に少々苛立つところもあるが、アオエに関しては正直俺も無視できない話ではあった。


「アオエ、講義終わってるぞ」

「……ん、ああ。そうか」

 本当に気づいていなかったらしい。

「大丈夫……じゃねぇよな」

「まぁ、な……とりあえず単位取らなきゃって講義には出てるが……」

「無理はするなよ」

「とはいえ、無理でもしてないとな……つい考えちまう」

「つい、じゃねぇだろ。実際考えまくってるんだろ、今も」

「それは――」

「キクコのこと」

「……ああ」


 アオエは、学部が同じで友人ではあるのだが、彼には彼女がいた。

 キクコ、という名である。

 しかし、一週間ほど前、彼女は――亡くなった。


「あんまりにあんまりっぽいから、話くらい聞くぜ? 今のお前、見てらんねぇんだよ」

「だろうな。すまん、心配かける……」

「そうだよ、心配なんだよ。あからさまにトボトボ歩いて大学にまで来て、講義は受けてるけど放心状態。一日終わったらまたトボトボ歩いて帰るの……いっそ家で引きこもってろって感じだぜ?」

「ああ、そのほうがいいのかもしれないが、正直分からないんだ。俺は、どうすればいいのか……」

「何を悩んでるんだよ、結局のところ」

 言葉の端が、少しだけ気になった。

 単純に、恋人を亡くして落ち込んでる、というのとは違うニュアンスが見えた気がしたのだ。


「彼女の、最後の言葉なんだ」

「最後の言葉?」

「お前、キクコの最後がどうだったか、聞いたか?」

「聞き流しだが、耳には入ってきてるぜ」

 先週の週末。

 アオエとキクコは互いにアウトドアな趣味があり、その日は山へ二人でキャンプに行ったそうだ。

 その日の天気予報曰く夜中に少々崩れる、程度だったが、実際には外れて夕方から思った以上の雨風が吹いていた。

 天候のタイミングを運悪く見誤った二人は、キャンプ地と少し離れた展望台を結ぶ山道にいて、自分たちのテントへ急いで戻ろうとしていた。

 焦ったのが良くなかったのだろう。強い雨風はあっという間に地面をぬかるませて、キクコも足を取られて崖下へと滑落した。

 柵もある場所だったが、これまた運悪くガタついていたらしく、彼女の体がぶつかった瞬間に折れてしまったとか。

 崖下に落ちた彼女は、天候と場所のせいで大分手間取った後に救急車で病院に運ばれたが、間もなく……。


「とはいえ事故、なんだよな?」

「そうだ。事故だよ……でもな」


 聞いていた話に、アオエが付け加える。


「彼女の手を取ったんだ、一瞬……崖の下へ落ちそうな彼女の手を」

「それは――」

 責任、が生まれてしまう。

 本当に完全な事故なら気持ちの整理も付きやすかったのかもしれない。

 でも、「助けられたかもしれない」となると……。

「とてつもない、後悔がある……あるんだが、そう、実は……」

「? なんだ」

 そこでアオエは言い淀んだ。

 言葉を促すこと自体迷ったが、すぐに意を決したらしい。


「『ぜったいにはなさないで』って彼女の言葉が忘れられないんだ」


「そう、か……」

 そんなことを言われたら、余計に――

「待ってくれ、まだ分かったような顔をしないでくれ。本当に話をしたいのはここからなんだ」

 うっかり勝手に心中を察してしまいそうになったが、どうやら何か事情があるらしい。

「——あの日、山頂近くの展望台に二人で行ったんだ。雨が降る前のことだった」

 確か、聞いた話にも出てきた。二人がその日行ったキャンプ地には展望台があるのだと。

「あまり人がいなくてな、二人で少し話をしてたんだそこで……彼女に秘密を打ち合けられたんだ」

「秘密……」

 秘密とは。

 効こうと思った矢先に、落ち込んでいたアオエが今日一番の勢いで口を開いた。

「秘密の内容は話せない。内容自体は俺の悩みと関係ないし、その時は俺もキクコもこんなことになるとは思ってなかったんだ。ただそうだな……キクコの心中を全部理解していたわけではないが、話したら彼女は本当に心の底から俺を怒るだろう、ってことは間違いない内容だった」

 なるほど。秘密の中身はマクガフィンということだな。

 恋人を信頼して、絶対に話さないことを条件に、心の中をさらけ出した……と。

 ――ん?

「その秘密、話さないって約束、したんだよな?」

「秘密の内容はな。秘密を教えてもらったことくらいは……お前を信用してこうやって話すけど――」

「それはありがたいんだが、それはそれとして……」

「気づいたか? ああ、俺も気づきたくなかったんだが……」


 崖下に落ちようという彼女。

 その手をつかんだ恋人。

 あわやというところで、彼女が発した言葉は

「ぜったいにはなさないで」

 そして彼女は、ほんの少し前に、彼氏に「秘密」を打ち明けた。


「どっちの意味か、悩んでたのか?」

「どっちの意味なんだろうな……」

「……」


 ――絶対に離さないで。

 ――絶対に話さないで。


 危機的状況に陥ったとき、人が心配するのは自分の命か、自分の秘密か。

 ケースバイケースではあるとはいえ、確かにこのケースはどっちとも言えなくもない。


「俺の心は今ぐっちゃぐちゃなんだよ……! キャンプに行ったことや、天気予報の確認不足だったことや、展望台に行ったことや、急いで慌てたことや、掴んだ手を……結局離したことも……全部ないまぜになって、最後にとどめにアイツの言葉が……忘れられない……」


 ……それは、つらいだろう。

 簡単に推し量っていいことではないが、聞いてるだけでも、こちらもつらいのだ。

 ともすれば。

 ひとつだけ頭に浮かんだ答えを、伝える――いや、実行する。

「キクコ、さんだっけ、俺も何度か顔見たのと聞いただけだけど……けっこう頭いい人だったよな」

「え? ……ああ、普通に勉強って意味でもいい成績だったらしいし、頭の回転も早い方だったな……チェスとか、ボードゲーム系だいたい負けてさ」

「なるほどな」

 やはり、そうか……。


「正直、相談に乗りはするが、答えは出せないな」

「どういう、ことだ……」

「死人に口なし、っていうと悪い言い方だが、俺はここで『どっちだ』って言えないよ。勝手に死んだ人の気持ちを決めつけることになるからな」

「それは……そう、だよな」

「ぶっちゃけ『秘密を聞いた』ってのもギリギリだぜ? いや聞いた俺も悪いのかもしれないけど、人によっちゃ『秘密がある』ってこと知られるの自体が嫌だってこともあるだろうし」

「それも……そう、だよな」

 泣いてはいないがめそめそとしていたアオエの表情が、少しずつ落ち着いていく。

 納得できないなりに納得しているみたいだ。

「結論は出せないけど、まぁだからお前が考えるのが大事なんじゃないか? 逆にそれが、恋人だったお前がキクコさんにしてやれることだろうよ」

「ああ、そう、だな!」

 元気が出た、というほどではないがどうやら気持ちがわずかながら切り替わったらしい。

「うん、なんか……モヤっとしてたが……いや、モヤっとした気持ちは晴れないが、それでも向き合うことが、大事なんだな」

「そこまで深いことを言ったつもりはないけどな。そうとらえてくれたなら、それでいいよ」

「ありがとう、恩に着る」

「おう、恩を感じておけ」

 そう言ってアオエは、荷物をまとめて立ち上がった。

「俺がずっとこんなだと、キクコにも悪いよな……! うん、考えても仕方ないことはないだろうが……グダグダと考えるのは辞めるさ。きっと考え続ければ、答えは見つかる、かもしれないからな」

「そうしろそうしろ。あ、あと恩を感じてるなら、今度飯でもおごれ」

「そうさせてもらう。暇なときにまた声をかけてくれ」

「おうさ」

 そう言って、アオエは帰っていった。トボトボという擬音はもう聞こえない。


 一件落着、ではない。

 オチてもいない。

 ただ、少しだけ思いついたことを最後に言っておこう。

 キクコ、という女性は賢かった。

 彼女はアオエという男を愛していた。

 そして突然の事故。

 自分の助からない可能性が頭によぎったなら、どうするか。


 その一瞬で何を優先するかはわからないが、なるべく多くのものを何とかしたいというのが当然の考えだろう。


 ・助かりたい。

 ・仮に自分が死んでも秘密を喋ってほしくない。


 その二つを満たしつつ、もしももう一つ彼女の思惑が浮かぶとすれば、


 ・自分が死んだ後も、恋人に想われていたい。


 彼女は状況的にそうせざるを得ないにしても、あえて大事なことを省いて強く伝えた。

 よく考えれば意味が複数ある言葉を。

 単純にどれだけ愛した恋人が死んだとしても、死んでしまえば時間経過で忘れたり向ける感情が減ってしまう可能性は大いにあるだろう。

 ならば一つの謎をぶつけてやればいい。

 答えが出ない謎ならば、一生悩み続けることになる。

 ずっと心に引っかかるものができてしまう。

「ぜったいにはなさないで」

 その一瞬は、アオエの心に焼き付いてしまった。

 推測でしかないが、もしも、そこまでキクコが考えていたとすれば……。

 本当に推測で、そんなことまで計算ずくだったかはわからないが、それでも故人が一応知り合いだった関係からすれば、それくらいの配慮はしてもいいだろう。

 あえて断定的な回答を提示したり、忘れろといって励ますようなことはしない。

「秘密を喋った」こと自体も話さない方がいい、という流れに持っていったから、今後アオエが下手に誰かに相談して、別の答えを探ることもたぶんないだろう。


「余計なおせっかいや、深読みかもしれないし、アレで上手くいくかもわからないけど」


 あえて話にオチをつけてはやらない。

 悩み続けたり、考え続けることが、死者に向けてできる最大の供養なのかも知れないから。

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最後の言葉は「はなさないで」 まらはる @MaraharuS

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