特別な時間

 数日後、シンシアは喘息発作を起こし、再び医務室での生活になってしまった。


 吸引薬のお陰で少し発作がマシになったが、まだゼエゼエと怪しい呼吸のシンシア。

 一日中ほとんどベッドの上での生活である。

 ベッドに横になり、つまらなさそうに天井を見つめているシンシア。窓の外からは他の子供達の楽しそうな声が聞こえる。

(いいなぁ……。私も遊びたいのに……)

 シンシアは寂しそうに窓の外を見つめる。

 その時、医務室の扉がそっと開いた。

「シンシア、起きてる?」

「ティム!」

 勢い良く起き上がるシンシア。しかし、体に負担がかかったのか、ゴホゴホと咳き込む。

「ごめんねシンシア、無理に起き上がらなくて良いよ」

 ティモシーは慌ててシンシアの背中をさする。

「ううん。大丈夫。お薬のお陰で少し楽になったから」

 何とか咳が止まったシンシア。呼吸は浅く、まだゼエゼエとしている。

「でもティム、医務室には入るなって言われてたのに」

 シンシアは心配そうな表情だ。


 風邪ではないが、先生達は念の為子供達には医務室に入るなと言っていたのだ。


「大丈夫。バレなきゃ平気だ」

 悪戯っぽく悪い笑みを浮かべるティモシー。

「それに、しばらくシンシアは一人で過ごさないといけないなんて、寂しいと思って。体調を崩したら、シンシアはいつも一人ぼっちになるからさ」

 ティモシーは優しく微笑んだ。

「ティム……ありがとう。私……寂しかった」

 シンシアは少し泣きそうになった。

 下ろしていたストロベリーブロンドの真っ直ぐ伸びた髪が、ハラリと目に掛かる。


 呼吸器が弱く、風邪や喘息などで体調を崩して頻繁に医務室生活になるシンシア。体を動かしたくても動かせない。その上、他の子供達との接触を制限され、寂しい生活だった。しかし、ティモシーは毎回先生達の言い付けを破ってまでシンシアに会いに来てくれる。シンシアにとってティモシーは大きな存在となっていた。


「ティムが来てくれて嬉しい」

 シンシアはストロベリーブロンドの髪を耳にかき上げ、アメジストの目を嬉しそうに細めた。

「僕も、シンシアがいないのは寂しいから」

 ティモシーはシンシアの笑顔を見てホッとする。

「実はさっき、お貴族様が来たみたいでさ。凄く高級そうな焼き菓子をお土産でくれたんだ」


 ネンガルド王国の貴族は、ノブレス・オブリージュの精神を持っている者がそこそこいる。それゆえに、時々貴族が孤児院に来てはお金や物資を寄付してくれたり、時には読み書きや算術を教えに来てくれたりするのだ。

 ちなみに、ターラント孤児院は子供達の教育もしっかりしている。故に、シンシアやティモシー、その他の子供達も読み書きや算術は出来るのである。


「それでさ……こっそり取って来たんだ。後でだとシンシアの分がなくなる可能性もあるからさ」

 悪戯っぽく笑うティモシー。

「ティムったら、どんどん悪い子になっているじゃない。ガキ大将だったカイルですら最近は小さい子を虐めなくなっているのに」

 クスッと笑うシンシア。

「そうだね。でもシンシア、これで君も共犯だよ」

 こっそり持ち出したショートブレットをいくつかシンシアに渡す。

 バターの香りが鼻の奥を掠めた。

「一緒に食べよう」

 優しくて悪いお誘いである。

 シンシアはクスッと笑い、頷いた。

「これ……美味しい……!」

 ショートブレッドを一口食べ、シンシアはアメジストの目を輝かせた。

「そうだね。お貴族様はこれを毎日食べているのか」

 シンシアと同じく、エメラルドの目を輝かせるティモシー。

「そう考えるとお貴族様が羨ましく思うけれど、私はこうしてティムがいてくれるだけで十分じゅうぶんだわ」

 シンシアはティモシーを見つめ、満足そうに微笑んでいた。

「僕もだよ。こうしてシンシアといられるだけで十分じゅうぶんだ」

 ティモシーは嬉しそうにエメラルドの目を細める。

「だけど、体はもう少し強くなりたいわ。死んじゃったママも体は弱かったみたいだし」

 そこだけは不満に思うシンシアだった。

「これから体力をつければいいさ」

 二人は笑い合い、ショートブレッドを食べ終えた。

 その時、医務室の扉がノックされる。

 ティモシーは急いでシンシアがいるベッドの下に潜り、シンシアは毛布を被り寝たふりをする。

 扉が開き、先生が入って来た。

「シンシア……寝ているのね。……呼吸もさっきよりは正常だわ」

 シンシアの様子を確認するなり、ホッとした声になる先生。そのまま医務室を後にするのであった。

「ティム、出て来て良いわよ」

 先生がいなくなったことを確認し、シンシアはベッドの下にいるティモシーに声を掛けた。

「ありがとう、シンシア」

 ベッドの下から出て来たティモシー。栗毛色の髪には少し埃が付いていたので、喘息のシンシアにかからないよう振り落とした。

 先生や他の子供達にバレないように過ごす、医務室での秘密の時間。

 二人にとって、この時間は宝石のようにキラキラと輝く大切なものだった。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 数日後。

 シンシアの発作は治り、医務室生活から解放された。

「ようやくみんなと一緒に走り回れるわ!」

 シンシアはワクワクとアメジストの目を輝かせる。

「良かったね、シンシア。でもその前に勉強の時間が待ってるよ」

「あ……折角忘れていたのに……」

 ティモシーの言葉に項垂うなだれるシンシア。

「でもシンシア、元々文字が書けるからまだ良い方だと思うよ」

「それはティムも同じでしょう」

 二人で話しながら学習室へ向かっていた。


「シンシア、この単語綴りが違うわ」

「あ……」

 先生にミスを指摘されるシンシア。慌てて綴りを直す。

「シンシアって喋り方は上流階級アッパークラスの発音だけど時々綴り間違うよね」

「確かに。それにさ、確かに上流階級アッパークラスの上品な発音だけど、時々何と言うか……少し発音が鈍る時あるよな。どの階級とも違う訛りが」

 他の子供達からもそう指摘されるシンシア。


 ネンガルド王国では、階級により言葉の発音に違いが現れる。

 シンシアが話している言葉の発音は上流階級アッパークラスのものであった。しかし、時々聞いたことのない発音が混じっているようだ。

 ちなみに、ティモシーが話す言葉の発音も上流階級アッパークラスに近い。


「昔ママが話している言葉を真似たから……。それに、綴りはパパがこう書いてたような気がして」

 シンシアは困ったように微笑んだ。

「やっぱり朧げだけど、親の影響はあるよね」

 ティモシーは隣で優しく微笑んだ。

「お前ら二人は良いよな。発音がお上品だからきっと良い家に引き取られたりするんだぜ」

 元ガキ大将カイルが恨めしそうにシンシアとティモシーを見る。

 カイルの話す言葉の発音は労働者階級ワーキングクラスのものであった。

「この前お貴族様とまではいかねえけどジェントリの家に引き取られたデイジーもお高く止まった話し方してたしよ。喋り方一つで人生左右されるんだしな」

 ペンを放り出し不貞腐れているカイル。

 ちなみにジェントリとは、商業などで成功して上流階級アッパークラスに分類される平民のことだ。

「もう、そんなこと言ってないでカイルも勉強に励めば良いのよ」

 そうカイルを注意するのはメイジーという少女。

 ターラント孤児院の中で最年長の十四歳だ。面倒見が良くシンシアとティモシーも世話になっている。彼女の話す言葉の発音も労働者階級ワーキングクラスに近い。


 ターラント孤児院の子供達はほとんどが労働者階級ワーキングクラス下位中産階級ロウワー・ミドルクラスが多い。

 シンシアやティモシーのように少し上品な発音をする子供は極めて珍しい。それゆえに、シンシアとティモシーは余計に絆が深まっていた。

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