第7話 時限装置

「おう、竹ちゃん。どうや?」

 竹山がリビングに戻ってくると、濱口は何か分かったかとせっついてきた。

「せやな~。仏さんがキレイ好きやって事はよう分かったで? 最後に台所も見せて貰ってええか」

「おう、勿論や」

 定年を間近に控えた二人の男が、揃ってキッチンに並ぶ様子は余りに不似合いで、竹山と濱口は顔を見合わせると笑った。

「濱ちゃん、アンタ奥さんに茶の一杯くらい入れたりすんのんか?」

「んなことせんわいね~。茶ァがどこにあるんかも分らんもん。まだ自分のエサのあるとこ知っとる犬の方が賢い言われとるわ」

「ハハハ。ワシも似たようなもんや。むしろ、あれこれ零すから触るなゆわれてんで」

「竹ちゃんは子供やな。そういや、ここの台所は随分きれいやな~。自炊とかせんがかね」

「いや」

 背後にある冷蔵庫を覗き込むと、竹山は「そうでもないで」と、濱口からも見えるようドアを大きく開いた。

 庫内も部屋同様、きれいに分類整理されていた。

 瓶には手書きでペリペリソースだのなんだのと、竹山たちが知りようもないようなソースの名前がシールに書き込まれて貼られている。手作り調味料と言う訳だ。

 冷凍庫を開ければ、食材がジッパー付きの袋に小分けされてストックされていた。中には半調理されたものもある。

「ホステスやって聞いとったから、料理なんかせんがかと思ったけど、これは相当やな」

「うん。それでもこれだけキレイにしとる。潔癖ゆうたらなんやけど、そんなタイプかも知れへんで。エアコンのタイマーも、そのせいかもなぁ。洗い場にしても……」

 竹山はシンクに顔を突っ込んだ。ステンレスのシンクはキレイに磨かれており、くすみすらなかった。

「排水溝も全然臭ってへん」

「ホントやな。ゴミも残っとらんがじゃないか?」

 そういうと、濱口は排水溝カバーを取った。中には深型のシンクバスケットが入っている。それを引き上げて、二人は感嘆の声を漏らした。

「新品みたいやな」

「ぺっかぺかやん。あ、でも底に洗剤のカスが残っとるがんない? 流し忘れたんか?」

「あれ? それって、アレじゃないっすか? 最近TikTokでもやたらと流れてて……」

 渡辺の声に、二人はきょとんと、それこそ鳩が豆鉄砲を喰らった顔をした。

「あん? チックタック?」

 濱口が眉間にしわを寄せる。それを見て、渡辺は困ったように眉尻を下げた。

「あー、もう。ティックトックですって!」

「なんじゃっさ?」

「SNSですよ。短いショート動画の。それで最近バズってるのが、重曹とクエン酸を反応させて掃除させるやつです」

「なんやて?」

 竹山がはっとしたように言う。渡辺は慌てて繰り返した。

「えっと、重曹とクエン酸をですね……」

「それや」

 言うなり、竹山はガチャガチャとキッチンの捜索を始める。その痩せた後姿を皆が見守った。

「あった……」

 竹山がシンク下から取り出したのは、まさしく重曹とクエン酸スプレーだった。

 重曹もスプレーも開封されており、使用痕跡がある。

「これを使ってガイ者はシアン化水素、即ち青酸ガスを自ら発生させたんや。ガイ者の死斑、見たやろ。あれは青酸ガス中毒の所見や」

「えぇ? それやったら、動画を見て実践した人はみんな死んでますよ?」

「重曹じゃなく、アオを使うたんやったらな」

 室内がしんと静まり返り、皆の視線が、竹山が持ち上げた重曹に集まった。

「この中身は重曹ちゃうで」

「竹ちゃん、まさか……」

 濱口がごくりと喉を鳴らし、竹山は頷いた。

「コイツはアオや──」

「お、おい! すぐコイツを科捜研持ってけ!」

 濱口の一声で現場が一気に騒々しくなり、渡辺は竹山から渡された重曹のパッケージを抱えて飛び出した。

「流石や、竹ちゃん!」

「いや、でもまだやで、濱ちゃん。同機はどうあれ、ワシも濱ちゃん同様、これはコロシやと思う」

 濱口は頷いた。

 自殺を考えているような人間が、同伴の約束をするとは思えない。勿論、事故もあり得ないだろう。恐らく被害者は、青酸カリ入りの重曹をそれとは知らず使用した。となれば、当然ながら犯人がどこかにいる筈なのである。

 犯人は被害者のタイミングで発動する時限装置とも言えるを被害者に渡し、被害者自らがそれを使用するのをただ待てば良かったのである。

「これはワシの想像やけどな?」

 竹山は腕を組み、小首をかしげると言った。

「犯人は女とちゃうかな~」

「女? 非力でも出来るからか?」

「まあ、それもあるけど。こんないつ発動するか分からん時限装置みたいな方法を使ったんは、アリバイ云々もあるやろうけども、自分の手で直接殺したくなかった。何より人が死ぬ所を見たくなかったんとちがうかなぁと思た。見知った人間の死ぬとこな」

「殺意がありながら、迷いもあった訳やな。なんせ当人が使わんかったら死なん」

「せやねん。アオは時間の経過とともに無害化して、最後には重曹になってまうからな。いずれ凶器も消える」

 実際無害化するまでには相当の時間が必要になって来るが、その間に殺意が治まったら、犯人は回収する気だったのかもしれない。

 なんにせよ、自分の想像だと竹山は繰り返した。

「おい! どう言うことや! 茜が死んだってホントかいや!」

 玄関先で男の狂ったような大きな声と、制止する捜査員の声が交錯した。

「濱口警部。ガイ者の、上田茜の交際相手の男が来ました」

「わかった。今行くわ」

「おっと、ほな濱ちゃん、ワシはこの辺で失礼するわ」

 時計を見ると、竹山は慌てて帰り支度を始めた。

 事件にすっかり夢中になってしまったが、ここへは嫁孝行のための旅行に来たのだ。流石にいつまでも主役の妻を放っておく訳にもいかない。

「ああ、そや、奥さんにはすまんことしたなぁ」

「いやいや、ウチのカアちゃんは出来た嫁さんやから」

 だからこそ、今まで甘え切って来た。今回の旅はその穴埋めだったのだ。

「そうやろうな。でも、竹ちゃん。女は怖いぞ~」

 濱口はからかう様にケラケラと笑う。それを横目で見ながら、竹山は肩をすくめた。

「せやで。怖いで~。やしな、第一発見者のお姉ちゃんな、ホンマに彼女を心配して来たんか、確認した方がええよ」

「え? 心配で、気になったから見に来たんやろ?」

「気になって見に来たのはウソちゃうやろな。でもホンマに心配してたら、一目散に部屋に入ったんちゃうかなぁ。でも、彼女は入らんかった。なんで上田茜が転がってたか、知っとったからかもしれへんで?」

 そこまで言うと、竹山は片手を上げて出て行った。

 かと思いきや、直ぐに戻って来た。

「悪い! 濱ちゃん、宿まで送ってんか? どうやって帰ったらいいか分かれへん!」

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