第23話 秘密の部屋

ミホコが姿を消してから、2年の月日が流れた。


久志彦は、ミホコの代わりに太田教授の助手として働いている。本当は、実家のある天野の里で仕事を見つけて、ひっそりと暮らすつもりだった。しかし、実の父親の研究を手伝いながら、ホツマツタヱと古代文字の研究を続けることにした。それが、陶邑家のお役目を引き継いでいくためにも必要だと思った。


会社を辞めることで、住吉社長との関係を完全に切るつもりだったが、結果的には太田教授を介して、間接的につながっている。久志彦にとっては不本意な状況ではあったが、実の父親を守りたいという思いもあった。


大学の近くにある大学職員向けの宿舎に空きがあったので、今はそこに住みながら、週末に実家に帰って掃除をしたり、傷んでいるところを修理している。最近はネットで検索すれば、何でも動画でやり方を学べるので、かなり腕が上がってきた。


実家の見た目は、あまり住みたいとは思えない古民家だが、内装はおしゃれな旅館のように仕上がっている。清潔感があって、都会育ちのミホコでも暮らしやすいように工夫してある。ミホコに見せれば、きっと驚いてくれるだろう。


初めのうちは、ミホコがいつ帰ってきても、すぐに生活できるように若い女性が暮らしやすい家を目指していた。でも、今は少しずつ気持ちが変わってきて、陶邑家の当主として家を守り、末永く暮らせる家にしたいと考えている。


全焼した大学の時計台は、誰もが再建は無理だろうと諦めていた。しかし、大学のシンボル的な存在だった時計台を元通りに再建して欲しいと、学生や職員だけでなく、卒業生や地元の企業からも多くの要望があった。それを受けて、外観はできるだけ以前の建物を再現するように設計された。


時計台の再建は内装の工事が完了したので、研究室の使用開始が許可された。研究室の引っ越しを前に、久志彦と太田教授は新しくなった研究室の下見をすることにした。


「ようやく完成か、長いようで、あっという間の2年だったな。死にかけたけど、それも遠い昔のようだ。こうやって新しい建物を目の前にすると、やっぱりワクワクするなあ。外観は以前の時計台を見事に再現していて、新しいけど懐かしさもあるから、不思議な感覚になるね」

太田教授は、新しくなった時計台を見上げながら、しみじみとそう語った。


「本当ですね。こうやって建物ができてしまうと、火事があったなんて、ウソみたいですね。今までは、仮の研究室で、肩身の狭い思いをしてきましたけど、やっと我々の研究室で、のびのびと研究ができますね」

太田教授が複雑な思いを胸に抱えながら、それでも感動している気持ちが、久志彦にもよくわかった。久志彦にとっても、色々なことを乗り越えてきた長いようで、あっという間の2年だった。


「本格的な引っ越しは、もう少し先になるけど、新しくなった研究室を案内しておくよ。ちょっとした秘密の部屋もあるからね」


「何ですか、秘密の部屋って?」


「まあまあ、お楽しみに」珍しく、太田教授がいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。ご機嫌な様子の太田教授を、久しぶりに見たような気がする。


久志彦は太田教授の後に続いて時計台の建物に入った。外観は以前とほぼ変わらないが、中は明るく、最新の仕様になっていた。以前のうす暗い雰囲気とはまったく違って、白を基調としたおしゃれなホテルのような内装になっている。


太田教授は明るくなった廊下をどんどん進んで行く。研究室は以前と同じく、廊下の一番奥のようだ。ドアの前で立ち止まった太田教授はカードキーを取り出して、ドアを解錠した。


「これでセキュリティも少しは良くなったけど、オートロックだからカードキーを失くしたら面倒なんだよ」


「僕も先生の部屋には、勝手に入れないんですね」


「そうだな、警備の人はマスターキーを持っていると思うけど、基本的には私以外の人は出入りできないはずだよ」


久志彦は太田教授に続いて部屋の中に入った。引っ越し前なので中はガランとしている。セキュリティのためか、部屋に窓はなく、壁一面には作りつけの本棚がある。


「今は何もないから広く見えるけど、部屋の広さは、前の部屋とほぼ同じなんだよ」


「そうですね、机やソファを置いたら、狭くなりそうですね。こっちに引っ越してきたら、すぐに足の踏み場もない状態になるんでしょうね」


「たしかに整理整頓には自信はないけど、そう決めつけるなよ」


「まあ、学生が質問に来たときに、恥ずかしくないようにしてくださいね」


「わかったよ。息子のくせに、父親みたいなことを言うんだな」


「先生の部屋はもうわかったので、そろそろ秘密の部屋に案内してください」


「そうだったな。実は秘密の部屋への入り口は目の前にあるんだ。どこにあるか、わかるか?」


そう言われて、久志彦は部屋の中を見回したが、入り口らしいものは見当たらなかった。

「入り口なんて、見当たらないですけど、どういうことですか?」


それを聞いた太田教授は、部屋の奥まで進んで振り向くと、

「さて、それでは秘密の部屋に、ご案内しましょう」そういって、ニヤッと笑った。


久志彦は、太田教授がふざけていると思ったので、冷たい視線を太田教授に送った。太田教授は、そんなことを気にする様子もなく、一番奥の本棚に手をかけた。そして、本棚を手前に引っ張ると、作りつけで壁と一体化していると思っていた本棚が、ドアのように動いた。


久志彦は思わず「えっ」と声を上げていた。


本棚の背後に壁はなく、ぽっかりと空いた空間の下には、地下に向かう階段があった。

「実は、ここには昔から地下室があったんだよ。簡易シェルターになっていて、火事の被害も一切なかった。これを設計図に載せないようにして、秘密のまま隠し扉にするのに苦労したんだよ」


「そんなこと、権力のない先生に、よくできましたね」


「まあ、そこはスポンサーの住吉社長の名前をうまく利用して、住吉社長にも知られないように作ったのさ」


「そこまでして秘密にした地下室に、いったい何があるんですか?」


「それは見てのお楽しみだ。陶邑君に見せたいものもあるからね。とりあえず、ついて来て」


太田教授はそういうと階段を降り始めた。久志彦は言われるがまま、太田教授の後に続いた。地下はコンクリートの頑丈な作りになっていて、地下室の入り口には鉄製の頑丈そうな扉があった。


太田教授は足を踏ん張って、その扉を開けた。扉はかなり重そうだ。太田教授に続いて室内に入ると、古い本やファイルが雑然と積み重ねられていた。


「以前も話したけど、私の父は仕事用に借りていた部屋の火事で亡くなった。そのときに研究資料はすべて燃えてしまった、ということになっている。でも、実は大事な資料はここに隠していたんだよ」


そして、太田教授は地下室の隅にある黒い箱のようなものを指差して、

「あれは父が残した金庫だ。開け方が分からなくて、ずっと開かずの金庫だったんだが、何度もダイヤルの番号を試して、最近、開けることができたんだよ。中から出てきたのがこれだ」


そういって太田教授は久志彦にファイルを手渡した。少し黄ばんだ紙製のファイルで、表紙には「陶邑家資料」と書かれていた。


「これは、まさか」

久志彦は『秘伝の書』と言いかけて、その言葉を飲み込んだ。実の父親とはいえ、言ってもいいのか、すぐに判断できなかった。


「たぶん、私の父が君のおじいさんの試練を手伝ったときのものだと思う。君が知りたかったことも、それを見れば分かるかもしれない。ただし、そのファイルの存在は私と君の二人だけの秘密にして、持ち出しも禁止にする。見たいときは、この地下室で見るようにしてくれ」


「わかりました」

ファイルが、じいちゃんが試練に挑んだときのものなら、数十年間、金庫の中で保管されていたことになる。


久志彦は、少し緊張しながら、手渡されたファイルをゆっくり開いた。中には、手書きの文書をコピーしたものが錆びた金具で綴じられていた。丁寧に数枚めくってみると、ヲシテ文字も書かれていた。


おそらく陶邑家に伝わる『秘伝の書』で間違いないと思ったが、久志彦は実物を見たことがないので確信はなかった。これが本当に陶邑家が先祖代々受け継いできたものなら、陶邑家当主としての役目を、再び、次の世代へつなぐことができる。


もし、久志彦に子どもができたら、その子も陶邑家当主の試練に挑むことになる、というのは何度も考えてきた。久志彦自身が経験したことをまとめて、新たな『秘伝の書』を残すべきか、ずっと悩んでいた。


久志彦が新たに『秘伝の書』を書いても、陶邑家が先祖代々受け継いできたものを残せるわけではない。老舗のうなぎ屋のタレと同じだ。同じレシピでタレを作っても、同じ味にはならない。


久志彦が経験したことをまとめるだけでは、代々のご先祖様が、子孫に伝えたいと思ったことは伝わらない。本来の『秘伝の書』を残すためには、どうすればいいのか、久志彦はずっと考えていた。


「ゆっくり見たいだろうけど、今日のところは、とりあえず戻って引っ越しの準備をしよう」


太田教授にそう言われて、久志彦はファイルを閉じた。本物の『秘伝の書』かどうかしっかり確かめる必要はあるが、少なくとも、じいちゃんが試練に挑んだときのことはわかるだろうと思った。


二人は時計台の建物を出て、研究室として使っている部屋に戻った。部屋中に段ボール箱が積まれていて、床には必要かどうか判断できない書類が散乱している。それらを整理することを考えると、久志彦は気が重くなった。


太田教授の携帯電話の着信音「水戸黄門のテーマ曲」が部屋中に鳴り響いた。どんな曲を設定するかは、もちろん自由だけど、一緒にいるときには少し恥ずかしい気持ちになってしまう。


「もしもし、あっ、住吉社長、はい、えっ、はい、わかりました。廣田病院ですね」

電話を切った太田教授は暗い表情をしていた。


「何か、あったんですか?」久志彦は心配になって尋ねた。


「住吉さんが見つかったらしい」


「えっ、ミホコが、でも病院ってどういうことですか?」


「とにかく会いに行こう。兵庫県の西宮市だそうだ。意外と近くに居たんだな」

せっかく、ミホコが見つかったというのに、暗い表情のままの太田教授が気がかりだった。それと、我々ではなく、住吉社長が先にミホコの居場所を知っていることが、久志彦をますます不安にさせた。

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