第2話

第5章 野菊の九女

1961年(昭和36年)3月。

国分寺の第二小学校を卒業した裕二は、その4月から町立の第一中学校へ入学した。

自宅の戸倉新田からは、裕二の足で徒歩30分近くもかかった。

その途中には、西武国分寺線の「恋ヶ窪駅」近くにある踏切を渡る。

なかなか学生服が購入できないため一学期の初めは登校できず、愛しい美少女の藤久美子にも会えないため、生きた屍のように裕二は落胆する日々を送っていた。


異母弟の誕生

その落胆する気持ちを、さらに暗く重くするのが異母弟の誕生であった。

異母弟は、この年の1月に生まれた継母・順子の長男になる。

当然のこと父の庄作の長男にもなる。だが、裕二もれっきとした庄作の長男である。

法律上(戸籍法)では、母体を基本としていので父親が同一人であっても母親が異なると、そこを基軸にして長男、次男、長女、次女などと戸籍上に表記される。


その異母弟の誕生の10カ月前といえば、継母の順子と裕二が交合した前年の4月のこと。

まさか、いたずらで少年を弄(もてあそ)んだことで、自分が妊娠するとは順子自身も信じたくなかった。

当然そのことはおくびにも出さずに、順子は腹の子の母親としてその誕生を楽しみにしていた。

いずれにしもその赤子は、裕二とは一回り(同じ鼠年)年下の腹違いの弟になる。


しかし、裕二の実母が庄作との離婚に応じていないため、義妹と同様に誕生した男の子も戸籍上では、私生児として順子自身の戸籍に入れられた。

そのため、順子の苛立ちは再び高まっていた。


裕二少年の童貞を意図的に奪った順子だったが、夫の庄作にその禁断の秘密を知られたくないため、その長男の誕生を心から喜ぶ態度を貫いていた。

そして、さらなる期待しない妊娠を避けるとともに、赤子の授乳などで裕二を再び弄ぶ機会もなかった。


だが、順子は二人の子供を産んだものの、引き続き庄作との婚姻が認められずに、その憤懣は高まる一方であった。

その闇の心底に眠るストレスの捌け口は、どうしても裕二に向けられてしまう。

裕二が中学校に入学したものの、まともに通学できなかった理由はここにもあった。

引き続き家事手伝いを強いられていたが、今度は生まれた赤子の子守り役が加わった。

つまり、家事労働に加えて、赤子の子守りにも追われることになってしまった。

当然のこと、級友らと遊ぶ時間もなく、宿題すらまともにやる時間がなかった。


次第に生まれた赤子のおしめ交換や、ミルクを飲ませることなども強いられた。

子守りも兼ねて乳母車に赤子を乗せて、国立町までお使いに出された。

戸倉から国立までの長い時間の往復では、顔見知りの友人達にすれ違った。

みすぼらしい恰好で、乳母車を押す姿を見られて失笑もされた。

それが女の子だった場合、一層恥ずかしい思いで顔面が熱くなった。

裕二の手足は、硬直するのであった。

その度に、男子の自分が何故に赤子の義弟の育児をやらされるのか、納得ができなかった。


再び本家を頼る

前回、千葉県市川市の鬼高町にある松岡本家が経営する工場を喧嘩で退職したものの、その後も就職せずに無職の状態が続いていた父の庄作は、順子に2人目の子供が誕生したことから、順子に強く正式の婚姻を何度も迫られていた。

事実上の妻として、自分と腹を痛めた子供たちの入籍は、女としての当然の要求である。

繰り返すことになるが、2人の子も順子自身の戸籍に私生児として同籍されている。

特に、長女の小学校入学は間近に迫っていたので、順子は必死に正式の婚姻届けを要求し続けるのであった。


そうしたことから庄作は、今度ばかりは平身低頭で本家の父と兄に頭を深々と下げて、就労を依頼するとともに、裕二の実母に支払う慰謝料のための借金を申し出るのであった。

その実家では、初めて見る庄作の平身低頭の姿勢に、父も兄も事情を参酌して止む無く承諾するのであった。


こうして、裕二の一家は国分寺の自宅を売却して、千葉県船橋市本郷町(現・西船町)にある実家が経営する工場の社員寮に引っ越しするのであった。


そこは現在の原木・松戸道路と、JR総武線の間に位置する田んぼの跡地にあった。

その社員寮では、2階が工員の独身住宅で1階は庄作一家が専有した。


裕二はようやく学生服を買ってもらえて、船橋市立の葛飾中学校に転校する。

それは、中学1年の3学期のことだった。

生まれた義弟の男子は1歳になっていた。


そして裕二は、この中学校のクラスメートの女の子に二度目の恋をする。

その相手は、この地で代々大農を営む農家の九女の末娘だった。

貧しい裕二はここでも、同情からやさしく接してくれる清純なその女の子に魅かれる。


初恋の藤久美子との切掛けとは異なり、今回の恋愛は当初から裕二が積極的にアプローチをする。

それは恋する相手の小谷野亮子(こやのりょうこ)が、どちらかと言うと引っ込み思案の恥ずかしがり屋さんだったからであった。


離婚の成立

国分寺の自宅を売却した代金と本家から借り入れした金で、父の庄作は裕二の実母に対する慰謝料を用意した。


松岡本家から委嘱された弁護士の仲介によって、裕二の実母はついに離婚調停に応じた。

夫の暴力と一方的な我が子の奪取に、女の意地を貫いていた実母は、約10年間に及ぶ離婚拒否の姿勢を崩したのだった。

その後裕二の実母は、江東区南砂町に小さなマンションを購入して一人暮らしを続ける。


こうして継母の順子とその2人の子供の戸籍は、田辺順子の独立した戸籍から、松岡庄作の戸籍へと移されたのである。

継母の順子はようやく、晴れて庄作と正式の夫婦になることができた。

義妹は6歳、義弟は1歳となり、義妹が小学校へ入学する前年のことであった。


翻って、裕二の二人の母は庄作の我儘とその横暴さに、共に艱難辛苦の女の人生を送ってきたが、それは大人としての辛苦の当事者であった。

だが、子供の裕二には何の罪もなく、大人たちによる被害者であった。

さらに、それは二人の裕二の義妹と義弟の子供にも何の罪もないことでもある。

その後は、順子の裕二への継子苛めは影を潜めるものの、その実子の成長に伴い継子の裕二に対する<差別>はむしろ鮮明になってゆく。

そうした苦悩が続く中で、裕二には新たに生きる希望を照らしてくれる運命の少女と出会うことができた。


野菊の少女

転校した船橋市の中学校は、従来からの農家の子供らと、近年引っ越してきたサラリーマン家庭の子供達で混成されていた。その中には、外国からの帰国子女もみられた。

それらの親の家庭では、子供たちの私服の違いにもよく表れていた。

農家の子供たちはどちらかと言うと、地味な服装でオシャレ感は全くなく兄姉の古着を着せられていた。そして、男の子は丸坊主頭だった。

一方、サラリーマン家庭では、親の収入差はあってもデパートや洋品店で購入されていた衣服を纏っていた。

例外的だったのは裕二で、着た切り雀の衣服で、袖の短いままのセーターなどを着ていた。


さて、同級生となって裕二と席が近い男女の生徒数人が、転校してきた裕二の社宅にすぐに遊びに来た。

転校生に対する、挨拶替わりの家庭訪問。

その社宅は建築されてから間もないこともあり、真新しさがそこかしこにあった。

農家やサラリーマンの戸建てにはない、社宅の物珍しもあったのだろう。

彼らは、私服に着替えてきた子もいたが制服姿の子もいた。

皆は背丈が低くて席が近い仲間たちで、結構楽しく他愛もないお喋りをしてから帰っていった。


その中に、おとなしくて一言も喋らない少女がいた。

小柄だが、少々肩幅があって骨太な一面も感じる。

裕二の眼には、継母の順子とタイプは違うが、似たような野性美の魅力を持っていた。

去っていく彼女の後ろ姿のスカートの下で、かすかな腰の揺れに思わず目を奪われてしまった。スカートの下に隠れている妖艶さを直感的に感じた。

この少女を恋人にしたい。この強い衝撃が新たな恋の始まりであった。


翻って、学校の教室の席は基本的に背の低い生徒が前方にある。

一方、背の高い生徒は男女ともに後方に配置されていた。

当然のこと、小柄な裕二は最前列で同じく小柄な男子と隣り合わせている。

裕二が一方的に恋する小谷野亮子は、その真後ろの席に居た。

裕二は、その女の子の全ての言動から醸し出される清純な素朴さに魅入られてしまった。


国分寺の初恋では、その華やかなマドンナにリードされるままに恋仲になっていった。

かたや亮子には、藤久美子のような華麗さやエレガンスさはない。

ただ裕二が知っている大人の女性を含めても、彼女達にはなかった清純な素朴さがあって、そこに新鮮味を感じて魅入られてしまった。

その一方で、その内奥に秘められている野性的な神秘の美しさも直感的に感じていた。

野に咲いて地味ではあるが、「野菊」の可憐な美しさをその少女にだぶらせていた。


少女の心を引き寄せる

祐二は、飾り気のない素朴な少女の亮子にますます親近感を覚える。

文房具をまともに買えない彼は、後ろの席にいる亮子に甘えて、鉛筆や消しゴムなどをちょくちょく借りていた。

彼女は何の抵抗もなく、いつも彼の要望に応えてくれる。

初恋の久美子の上から目線の華麗さとは、真逆のタイプだった。

それでも祐二は、同じように少女のやさしい母性に魅入られる。

明らかな二度目の恋心の芽生えだった。


その二度目の恋では、祐二自身がかなり意識的に亮子に纏わりついている。

下校時でも彼女の姿を見つけると、駆け寄って用事もないのに話しかけた。

他愛のない少年と少女のやり取りが続く中で、2人は次第に仲良しの友達から、異性として意識するようになる。

そして、いつしかお互いに恋心を抱く存在に発展していった。


大農の九女

小谷野亮子は女系家族で、父親が亡くなった今は長姉が婿養子を迎えて、実質的な農家の後継ぎとなっていた。

亮子は美人ではないと思われていたのか、祐二以外の異性に話かけられた事がほとんどない。この中学校は帰国子女の受け入れ校でもあって、どちらかと言うと都会的なセンスがあって、おしゃれでスタイルの良い女の子が男子にもてていた。


そもそも亮子は無口で、一途な内向的な性格であった。

恥ずかしがり屋なので話しかけると、いつも下に顔を背けてはにかむ。

その照れ屋の笑顔が可愛い。

祐二は、地味だが素朴で可憐な亮子にますます魅かれていった。

彼だけは何と言われようが、亮子は美しい少女だと信じている。


亮子は色白でオデコが広く、目は奥二重で目元が窪んでいる。

そこは外国人のように彫りが深い。

顔全体と目鼻立ちのバランスも、まあまあとれている。

体躯は中肉中背で痩せてはいない。太ってはいないが骨太で肩幅が広い。

それが農家育ちと言うこともあって、中学生の男子にとっては洗練された美しさには見えなかったようだ。


ただ祐二は、若き叔母の小百合、継母の順子や初恋の久美子にはない、無垢でナチュラルな魅力を奥に秘めていると胸をときめかすのだった。

まだ磨かれてはいないが、内面に美しさを秘めた原石のような気がする。

幼く澄んだ瞳の中には、直向きで一途な思いを秘める女の情念すら感じる。

その野菊に似た素朴な亮子に対して、男として強い独占欲を抱くようになっていく。


一方、亮子は異性に関しては奥手で、これまで特に異性に胸を焦がすようなことはなかった。ただ裕二がそば近くの席になって、何かと自分に纏わりつく彼が可愛いと思うようになっていた。

彼が休むと、学校にいるのがつまらない。

自宅に戻っても寂しくて空虚な感じ。

祐二の声や仕草がいつも脳裏に残っている。

他の男子には感じなかった母性愛が沸々と渦巻いていた。

朝起きると、祐二のニヒルな笑顔が浮かんでくる。

そこから、彼女の一日が始まるようになっていた。


馬蹄(ばてい)

祐二は、中学校で陸上部の長距離走グループに所属した。

小学校での長距離走に、自信を持ったからだった。


千葉県では、当時は中学生による「野田駅伝」があって、各陸上部の長距離グループはその大会を目指して、猛練習に明け暮れる毎日を送っていた。

ただ入部したものの、裕二は部活にはあまり参加できなかった。

炊事や風呂焚きなどの家事手伝いはなくなってきたが、清掃と妹と弟の面倒を見るように命じられていたからだ。


引っ越した本郷町には、酒屋、八百屋、揚げ物などが近所にあって買い物は順子が担当していた。

さらに近くには公衆浴場(銭湯)があって、家に風呂場がないことから風呂焚きの必要性もなくなっていた。

つまり両親の都合次第で、裕二は部活に参加することができるのだった。

それでも貧乏所帯だったので、競走用の長パンツ(トレパン)や短バンを買うことはできなかった。


陸上部の練習メニューは、主にロードランニングだった。

コースは、中学校から中山競馬場近辺を一周する。

春の開催が終わった競馬場は、閑散としている。

現在のように、他場の場外馬券の販売はまだ実施されていなかった。


シゴキの鬼の先輩たちが、卒業間近で公式行事のために誰も参加できない日があった。

祐二らの後輩達は、和やかな雰囲気でロード練習のため学校を出発した。

正門を抜け、西船橋から行田方面に延びる一般道に飛び出した。

すると、もうワイワイ、ガヤガヤ、遠足気分のランニングになっていた。


やがて進行方向の右の方向に、一帯の森よりも高くそびえる進駐軍の無線塔(旧海軍の無線電信所・船橋送信所)が現れる。

この辺りは、今では武蔵野線の高架が敷設されているが、当時はススキの野原が続く広大な場所だった。そこを走り抜けると木下(きおろし)街道に出る。

これを左折して、中山競馬場の正門近くの北方十字路をさらに左折する。

すると、現在の原木松戸道路に入る。

さらに京成電鉄の陸橋の手前付近で左折して、学校に戻るというコースを走る。


しかし、その日はススキの野原に入ると、みんなは競馬場の裏手方向に走った。

当日は開催日ではないので、誰かが競馬場で練習をしようと提案したのだ。

その練習は建前で、本音は競馬場で遊ぼうということで、みんなの気持ちは一致していた。


当時の競馬場は、非開催日にはセキュリティが厳重ではなく、関係者に咎められることもなく場内に入ることができた。

彼らは幼稚園児のようにはしゃいで、ダートコースに飛び込み走った。

けれどもその動作は、ものの1分も続かなかった。

馬が走るダートは深く、足を踏み入れると地面は底なし沼のようにその足が潜り込む。

そして、その足を引き抜くことは容易ではなかった。

みんなは、砂の深さと重さに驚き思わず悲鳴をあげた。


その時、祐二の足は砂の中に異物を感じた。

埋もれていたのは、1個の『馬蹄(ばてい)』だった。

彼はその馬蹄を誰にも悟られぬように、そっとトレパンのポケットにしまい込んだ。

やがてみんなは、予測もしなかった足場の悪さに悪戦苦闘しながらも「いい練習ができた」と言い合って、楽しそうに競馬場を後にした。


その後、京成線の陸橋の手前付近で今の原木松戸道路を左折して、坂道を下ると一本の大きなけやきの木にぶつかる。

そのけや木の裏には「葛羅の井」と呼ばれる古井戸がある。

右折すれば中学校だったが、裕二は独り黙って左折する。

『新オケラ街道』と呼ばれている競馬場に通ずる裏通りに出た。

そして、小走りで一軒の大きな農家の庭先に駆け込んだ。

その農家は、彼が密かに淡い恋心を抱いている小谷野亮子の家だった。

拾った馬蹄を亮子にあげるという口実で、彼女に一目会おうという算段であった。


ちょうど亮子は、庭の井戸端の洗い場で髪を洗っていた。

傍らには、彼女の母親がタオルを持って立っていた。


亮子の長い黒髪が水に濡れ、すくうと髪が生き物のように動いた。

それは艶かしく官能的で、普段は清楚な少女であった亮子が大人の女性に思えた。

突然の訪問にもかかわらず、亮子も母親も大して驚くことなく、笑顔で祐二を迎えてくれた。彼は、特別に歓迎されたように思い嬉しかった。

そして、馬蹄を亮子に手渡すと、すぐにきびすを返して学校のグランドへと駆け戻った。


大農の家

例年よりも早く桜が咲き乱れる季節に入った春でも、朝晩は早春のようにまだ肌寒い。

それでも日中は、まだたよりない陽光の中に、時折のそよ風が頬を流れて心地が良い。

いつのまにか仲良しになっていた頃、後ろの席に居る小谷野亮子から誘いがあった。


「・・・私の家に来てくれる?」

「ええっ!いいの、まずくない?」

「毎日学校ばかりだから、たまには私の家に来て気分転換しましょう」

「でも、仲良しと言うことを知られてしまうよ・・・」、

「私、もう松岡君のことが好きすぎて、それを隠すことが辛くなってきた。裕二のことを家族に話しておきたいの、勿論いきなり彼氏なんて言わないわ、あくまでも同級生のボーイフレンドとして紹介したいのよ、いいでしょう?」

「もちろん僕は構わないし嬉しいよ、君に従うよ」


初めての口づけ

船橋市の街並みはすっかり春に馴染んで、もうソメイヨシノの花びらもちらちらとそよ風に飛んで、その姿を早春の道端に散らしていた。

亮子は裕二がやつてくる日の朝、母親に「クラスメートの松岡君が遊びに来るの」

と、告げていた。


晴天のその日の午後。

裕二が亮子の家の前に佇むと、まるで時代劇に出てくるような大きな木の門がそびえ立っていた。

その門の横にある木戸口を潜ると、広い庭があった。

遠くに見える奥のガレージには高級な乗用車とともに、白い軽トラック2台が駐車していた。右側にはトラクターや稲刈り機などの農機具が収まっている大きな物置小屋があった。左側の母屋は、古城ではないかと見間違うような、瓦屋根の雄大な日本建築がそびえ立っている。その広い庭の玄関前で、母親と亮子が揃って裕二を迎えに出ていた。


ゆっくり歩を進めながら、裕二は腰を小さく屈めて頭を下げつつ二人に近づいた。

愛想笑いを浮かべながら「お邪魔します。」と、一礼して二人の前で立ち止まった。

末娘の異性の友人の訪問にもかかわらず、年老いた母親は大して驚くことなく普段通りの穏やかな笑顔で、娘の級友の訪問を受け入れてくれた。

裕二は、歓迎されているように思い、胸を撫でおろした。


「さあ中に入って頂戴、居間でお茶でも入れるから、その後は二人でゆっくりしなさいね」と言われた。

裕二はうれしさを押さえながら、小さな笑顔を作って「うちは貧乏でこずかいが少ないのですが・・・これをどうぞ」と言って、もぞもぞと学生服のポケットからクッキーの小箱を母親に手渡した。

母親は笑顔でそれを受け取ると、

「まあ、ありがとうね。気を遣わしてしまったわねえ」

と、さり気なく受け取ってくれた。

3人は大きな玄関に入り、艶々に磨かれた広い廊下を渡り、大農家の居間に入って行った。


その部屋の中央には、檜の巨木で作られた日光彫の大きな和風のローテーブルと、座卓が4個ほど置かれている。

縁側にある廊下側に座った。

すると母親と亮子が一旦部屋から消えた。


しばらく待たされたが、亮子がお茶をお盆にのせて再び現われて3つの茶碗をテーブルの上に置いた。

続いて母親が戻ると、座りざまに「今日は勉強なのね、お茶を飲んだら2階のこの子の部屋を使いなさい。外ばかり出ているとインフルエンザに感染するから、家にいるのが一番安心よね」と、裕二の顔を正視しながら言う。

裕二は、最近の亮子の下校が遅いのは自分と密会だと見破られていると感じて、動揺を隠せなかった。

その後に、母親自身はお茶を飲むこともなく家の奥へと消えた。

2人は顔を見合わせて笑顔を作った。

すぐにお茶を飲み干して、二人は2階にある亮子の部屋に向かった。


濃厚なキス

入室すると二人は、すぐさま抱き合って初めての口づけを交わす。

二人の初キスとは言え、そのキスは濃厚で長く続いた。

大人の口づけのように、裕二が主導するデイープな口づけだった。

裕二にリードされて、亮子は陶酔しながら純愛の口づけを続ける。

やがて、苦しくなった亮子は唇を放す。

ハァハァと、荒い呼吸とともにその両の肩を震わせた。

その後の二人は勉強することもなく、手をとりあい抱き合って時をすぎるのを忘れてベッドの上でいちゃついた。


その後二人は、肩を寄せ合い激しい抱擁に次第に放心状態となっていった。

どの位の時間が過ぎたのか分からないほど、二人は愛の確認に陶酔するのであった。


するとどういう訳か、急に亮子は、

「シャワーを浴びてくるから待っていてね」

と、言い残して、1階にある浴室へと向かった。

裕二はベッドに座り込んだまま、彼女が戻るのを待った。

静寂の中、部屋には西陽(にしび)が差し込んでいた。

しばらくすると頭に小ぶりのバスタオルを乗せて、髪を拭きながら亮子が戻ってきた。

裕二の眼の前で、その肉体を見せつけるように私服から学生服に着替える。

裕二は初めて、若い年頃の娘が着替える姿をまざまざと見せつけられた。

彼女の下着姿は、中学生にしては肉感的で色気があった。

裕二は、亮子が大人の女性のように見えた。

事実ではないが、裕二は愛の口づけで、急に亮子が大人の女に変身したと思い込んだ。


秘密の洞穴

亮子は家の人に断ることもなく、中学生のお出かけ姿でもある制服を着込み、裕二の手を引いて黙って家を後にする。

二人は静かに門を出た。


裕二は「どこに行くの?」と尋ねた。

彼女は、頭にタオルを乗せたまま顔を横に振って、

「・・・何も考えていない」と言った。

裕二は驚いた。彼女が情緒不安定なままに、行動を起こしているのかと思った。


しばらく二人は黙って歩いていたが、裕二が意を強くして疑問の口を開いた。

すると、亮子は「ついて来て!」と、少し命令調に言い放った。

そして引き続き速足で歩き始めた。その後を裕二が小走りで追った。


二人は、家の裏手に広がる畑へと通じる奥の細道に入った。

この辺りは、遠い昔に葛飾川から水を引いた堰(せき)や小川が残る低湿地帯。

すでに田んぼはなくなって、畑地になっている。

それでも今でも水気が多く、それほど畑での耕作はされていなかった。

人一人通れるほどの、古くからの<あぜ道>が続いている。

道は、いつもぬかるんでいる。

亮子は生渇きの髪をタオルで拭きながら、足元を気遣いながら歩を進めた。


裕二が後ろから「寒くない?頭冷たいだろう」と、声をかけた。

「大丈夫よ、いつものことだから」

と、強がりを言って、頭の上にあるタオルを動かす。

頭に手を置いているので、歩くにはバランスが悪いらしい。

裕二は後ろから手を伸ばし洗い髪の甘い香りを感じながら、彼女の片手を握って引っ張り、攻守交替して先頭に立った。

異母妹や継母の手とは違う、少女の柔らかな感触が手先から心臓まで痺れるように伝わってくる。

再び高まる心臓の鼓動を抑えながら、ゆっくりと歩を進めた。


しばらく進むと、湿地の跡地の畑のよりも高台にある中学校の裏手から続く崖の下にぶつかった。

道が、途絶えたそこには木立がある。

その奥の木立の中には、隠れるように小さな洞穴がある。

この場所は中学校のグラウンドに近く、そのグランドからは藪を通り抜けた場所にあった。部活動で疲れた中学生がサボって、密かに休む秘密の場所にもなっていた。

学校の授業がない日には、この洞穴に来る者はまずいない。

二人はその前にある木陰に座って、夕暮れが迫りつつある静かな畑の跡地を眺めていた。

すると裕二は、素早く亮子に近づき彼女の頭の上のタオルを払った。

そのタオルを握ったまま、彼女の額にゆっくりと顔を近づけて唇を触れさせた。

亮子は、目を大きく開いてなすがままに受け止めた。

すぐに二人の顔は離れた。

二人は静かに見つめ合っている。


次に裕二は、彼女の広い額に湿って流れる前髪を見届けると、それを左手の指でかきあげる。

亮子の瞳は、彼の顔を強く凝視している。

再び顔を近づけると、今度は彼女の右頬に唇を押し付けた。

少し長い触れ合いだった。少女の甘い髪と柔肌の匂いが鼻をつく。

そして、彼女のタオルをズボンの後ろポケットに仕舞った。


その後、思い切り両腕を広げて亮子の両肩を抱いた。

頬が触れ合う。少女の髪と柔肌の甘い香りが漂う。

二人は緊張に、体が硬直して動けなかった。

さらに長い抱擁が続く。それ故に、次の行動に迷いが生じていた。

それでも若い男の体に、次第に込み上げてくる欲情は止まることを知らない。

その男の炎にかられてしまった裕二は、彼女を立たせると手を強く引っ張って洞穴へと向かった。


洞穴の中は薄暗い。

裕二は、「好きだよ」と小声で言った。亮子は相変わらず無言。

彼女は、次の彼の行動を待っている。

裕二は次の行動を起こした。

彼は乱暴に彼女を押し倒し、組み伏せて覆いかぶさった。

そして女の胸元を開いて、女の新鮮で柔らかな乳房にかぶりついた。


亮子は初めての異性による乳房への吸い付きに驚くものの、その快感に全身がとろけ出していた。

亮子はここで、裕二に一気に射止めてもらいたかった。

だが裕二は、この場所で愛しい亮子を完全制服することを断念してしまう。

それはこの洞穴があまりにも清潔でなかったことと、亮子の自宅のすぐ裏手にあって、既に両隣の農家の人達の目に触れていたリスクもあったからだった。

この場所に裕二を誘ったのは、亮子の蠢動(しゅんどう)からだった。

そして、むしろこの亮子の女としての思いの丈を知って、裕二は安堵するとともに亮子はすでに俺のものになっている、と自信を持つのであった。


痩せどうかんの悪さ

この洞穴のある場所は、古くから言い伝えられている民話の『ねがら道』にあたる。

このねがら道には『やせどうかん』というキツネが洞穴に住んでいて、その昔にそこを通りかかる旅人に悪さを働くと言い伝えられていた。


その昔話によると、ある日この地である『印内』に住む爺様が船橋の宿場に出かけ、用を済ませておみやげを買って帰る。その途中でねがら道にさしかかった。

すると道端に大勢の人々が集まって、「丁だ」「半だ」と大声をあげて博打をしている。

「さては、これは『やせどうかん』の悪企みか、騙されるものか」と、爺様はその様子を隠れて見ていた。

しかし、根が賭け事好きの爺様はいつのまにか我を忘れて、夢中でその輪の中に入って行ってしまった。

やがて夜が明けると、いつ間にやら博打をうっていた人々は消え、目が覚めた爺様のおみやげと金は消えていた。


思春期を生きようとする若い二人には、知るよしもない昔話ではあった。

それは人間の強欲への戒めを伝えるとともに、複数のフィクションの顔を持つ女狐の化け物が存在する昔話である。

今その場所で愛し合う二人は、共にその愛を強く確認できた。

そして二人の胸中には幼いながらも、将来はいずれ結婚したいことを心の中に確認していた。

この昔話を知らない二人ではあったが、大切な思春期の愛を心の中に誓い合う思い出の場所となった。


第6章 恋する二人

1963年(昭和38年)の4月、恋する裕二と亮子は中学3年生になった。

松下庄作一家は、相変わらず貧しい暮らしが続き、父の暴力による折檻も続いていた。

それでも愛おしい彼女ができて、裕二を励ましてその心を支えてくれている。

亮子の純真の母性から生まれる、美しい微笑みの顔が痛む裕二の心の支えだった。


谷津遊園

そんな裕二を少しでも明るくさせるために、亮子は『谷津遊園』へのデート誘った。

勿論、その費用は彼女が負担する。

問題は、裕二が両親の許可を得られるかにあった。

正直に女の子とデートすると言えば、頭ごなしに拒絶されるのは必須だった。


裕二は、恋のために嘘をついた。

級友の男子に<ハト飛ばしに同道してくれ>と、頼まれたと作り話を理由にした。

当時は子供に限らず、伝書バトを飼育することが流行していた。

ハト(鳩)に脚管を付け、遠方から飛ばして自宅のハト小屋まで帰還させるのである。


この理由が功を奏して、裕二と亮子は初デートの谷津遊園に向かうのだった。

当時の千葉県では、この「谷津遊園」と「船橋ヘルセンター」が二大行楽地であった。

入場料は谷津遊園の方が安いとともに、二人の自宅と学校の最寄り駅である京成・葛飾駅(現在の京成・西船駅)から15分ほどで到着する。

その谷津遊園は、その京成電鉄が経営している。

1982年(昭和57年)に閉園して、今は「谷津バラ園」となっている。

当時は海辺近くにあって、潮干狩りや海水浴もできた行楽地であった。


2人は日焼けすると嘘がばれるので潮干狩りや海水浴は避けて、シンボル的な乗り物であった観覧車に乗った。

そこで2人だけで思い切り抱き合い、貪るように長い口づけを交わした。

そしてレストランで、2人だけの食事をしてサイダーも飲んだ。

その後には、洞窟の中の長いトンネルを探検した。

行きかう人達がなくなると、その洞窟の岩壁に寄り添って長い立ちキスを続けた。

裕二は夢中になりすぎて、服の上から亮子の胸の膨らみを鷲掴みにして揉み上げる。

キスと胸への愛撫に、亮子は身をよじってその快楽の喜びを示すのだった。


体育祭

中学校の体育祭は、雲ひとつない秋晴れの日だった。

高台にある校舎で昼食をとった生徒達は、三々五々、下のグランドへと向かった。

祐二は、折檻の後遺症で右手の指を怪我していた。

教室で一人居残り、包帯を片手で巻いていた。

だが利き手が使えないため、予想外に時間がかかっていた。

そのとき、亮子が突然に目の前に現われた。


「巻いてあげる!」

短くそう言うと、顔をうつむき加減にして甲斐甲斐しく、丁寧に包帯を巻き直してくれた。


荒んだ家庭にあって、祐二が恋心を抱いている亮子は、唯一の生きる希望の星。

彼女はとてもハニカミ屋で、何事にも控えめな性格。

素直な心根が清純にも写ったが、そのストレートで直情的な感情を普段は押え秘めていた。


祐二がそのことを知ったのは、ラブレター事件だった。

祐二が級友の男子に頼まれ、ラブレターを代筆して、男子に代わって亮子に愛の告白文を手渡した。その後、彼女は祐二宛てに手紙を書いて寄越した。

そこには、驚きの檄文が綴られていた。

冒頭に、はっきりとその級友は『嫌いだ』と書かれていた。

さらに、祐二に対して感情をむき出しにして『二度と代筆をするな』と、彼の代筆を見破るとともに『好きな男が代筆したラブレターを受け取った乙女の心がどんな気持ちなのか、判らないのか』と、激昂の内容が認められていた。


祐二は驚いた。

自分のことを好きだ、と明言されたことも飛び上がるほどに嬉しかった。

それでも相思相愛の想いは既に確認していたから、そのことは試験問題の正解をもらった感覚だった。

もっと驚いたのは、その自分の感情を大胆にぶつけてきた少女の情念だった。

普段の大人しく清楚なイメージからは、想像できないものだった。

大農の9女に生まれ経済的な苦労も知らず、大家族の末っ子にあった純朴さと、それに反して異性に対する強い想いとが、彼には予期せぬアンバランスに映った。


かくして若い二人の恋愛模様は、すでに肉体的に結ばれる限界点に達していた。

校舎の坂下にあるグランドからは、体育祭の大歓声が遠く響き、静まり返った教室には2人しかいない。

祐二はいつのまにか、亮子の腰にそっと左手を回していた。

教室は静寂に包まれ、心臓の鼓動が聞こえるのではないかと思うほど、胸の高鳴りは激しくなっていた。

裕二は心の中で、亮子を抱いて男の本望を遂げるのは今日しかないと決意した。

彼は、少女の広い額にゆっくりと軽い接吻をした。

すぐ顔を離すと、少女の潤んだ瞳がじっと彼の顔を捉えていた。

彼を見つめるその表情は、それまで見たことのない美しさに満ち溢れていた。


次の瞬間、どちらともなく顔を近づけて唇を合わせた。

二人の唇は震えながらも、互いを激しく求め合った。

それは1分にも満たない短い時間だったが、その甘美な感触は永遠に続くかのように感じられた。

少年の胸が、少女の胸のふくらみを押さえ、立ち姿で強く抱きしめた。


再び、唇を重ね合わせた。

今度は、思い切り舌を吸い込んだ。呻き声がもれた。

いつの間にか、少女の舌も少年の口の中を這っていた。

一瞬たじろいだが、すぐに甘露の媚薬に酔っていった。

少女の舌は、蛇のようにとぐろを巻き少年の舌を絞めた。

若き二人の体の中で、情炎が蠢動(しゅんどう)していた。

思春期の二人の体は、もう限界だった。

少年は少女を床に押し倒すと、そばにあった制服を手に取り、彼女の腰の下にそれを敷いた。


「私、ハト胸出ちっりなの・・・」

いつもの亮子の口癖の言葉が聞こえた。

仰向けに寝ても、乳房のあたりは少女なりに十分隆起していた。

乳房が大きいというよりも、胸全体が大きい。


性急に体操着を脱がして、ブラジャーも取り外した。

白い清らかな上半身が輝いていた。

少女は、なされるまま静かに待った。

愛おしい女を自分のものにするための、憧れの儀式が始まろうとしている。


少女の体操着のショートパンツを脱がすと、白い清楚なスキャンティも一気に足元から抜いた。すぐに少年と少女は重なり抱き合った。


「あっあっ」

初めて少女が呻いた。

少年は勝ち誇ったように少女の頬を両手で挟み、あごを突き出させると熱い口付けを交わした。

「亮子さん」と呼んだ。

少女の虚ろな瞳が彼を見る。

(もう射止めて欲しいの)そう訴えていた。


「祐二、大好き!」

少女の両腕が、少年の肩に回された。

しばらくして「祐二!!」と大きな声を発して、野菊の少女は喜びの声をあげた。

少女の長い黒髪が西日に照らされて、光り輝くのを祐二は見つめていた。

まるで生きているように、その黒髪は艶めかしい。

祐二の脳裏に、この光景が強く焼き付いた。


この初めての感動と喜びに、しばらく二人は放心状態でいた。

やがて体を離すと、彼は少女のブラジャーと体操着を着つけてあげる。


「ありがとう、やさしいわね。私の祐二!」

いつもは「松岡君」と呼ばれていたが、名前を呼びつけにされたのは、この日が初めてだった。こうして静まり返った教室の中で、愛し合う二人は初めて結ばれた。



第7章 母をたずねて

父の庄作は、実家が経営する市川市にある家具製造の工場長として再び雇用されていたものの、会社組織の中では相変わらず頻繁にいざこざを起こしていた。

自宅の電話口では、兄の社長と怒鳴りあいのケンカが耐えなかった。

中学生の裕二にも、いずれ退職するのは時間の問題のように思えた。


そして、その裕二の予感は的中してしまった。

再び庄作は退職を余儀なくされた。同時に、本郷町の社宅を追い出された。

このことから松岡家の住まいは、千葉街道沿いの勝又池(現在は勝又公園)のほとりにある古ぼけた2階建ての借家に引っ越すのであった。

ここから裕二は、新オケラ街道に出て中学校に通うことになった。


一家離散

しばらくすると、祐二は父の<家族解散>の宣言により、家を出ることを余儀なくされた。

失職した庄作のあまりの無責任さに呆れて、再び、窮乏生活の危険を予知した正妻となっていた順子は、二人の子供を連れて福生町の実家へと舞い戻るのだった。


完全に、裕二の家庭は崩壊した。

父の庄作は自暴自縛になって、裕二に家庭崩壊を告げるとともに実母の元に行くことを命じる。すでに、継母の順子とその二人の子供の姿はなかった。


祐二はお金も食料も持たされないまま、船橋市から歩いて横浜市にあるという母の実家を目指した。庄作は、離婚した裕二の母の現住所を知らなかった。


学校の事や恋心を抱いていた小谷野亮子のことも気になったが、とにかくこの家には住めないのだと思い、その顔も声も覚えていない実母と祖母が住んでいるであろうという横浜市子安町に一人向かった。

愛する亮子に連絡して、事情を打ち明ける時間も機会もなかった。

裕二もこの突然のアクシデントに、冷静に対応する余裕はなかった。


自転車泥棒

江戸川にかかる市川大橋を渡り江戸川区に入ると、精神的な痛手と空腹もあって歩き疲れてきた。学生服の下には汗が噴き出ていた。

土手を見ると、自転車が1台置いてあった。

貧しくても万引きひとつしなかった祐二だったが、神様に許しを請いてその自転車を黙って借用した。


自転車泥棒は、心を一層重くさせた。

だがこの非常時には、悪事を否定する気持ちも薄らぐ。

やがて自転車は都心へ入り、蔵前橋を渡ると左折して日本橋浜町近辺に向かった。

浜町公園の水飲み場に着くと、彼は夢中でガブガブと水を飲んだ。

陽のあるうちに横浜に着くためには、あまりゆっくりと休憩はとれなかった。

再び、一路横浜市の子安を目指して走った。


陽が暮れた頃、実母らが住むという新子安駅に着いた。

駅の近くに自転車を置き、徒歩で目的地の家を探し始めた。

電信柱の地番案内を頼りに、祖母の名の表札を探した。

やがて、国鉄と京急線の間にある「本慶寺」近くの狭小の地域にたどり着いた。

するとすぐに、目当ての地番の家を発見した。

ただ、表札には実母や祖母の名字はなく、違った名字が刻まれていた。


祐二は勇気を出して、その家の呼び鈴を押した。

玄関に灯りがつくと、一人の老人が出てきた。

祖母の名前をあげて、事情を説明しその所在を尋ねた。

「半年前に転居されてね、今は私たち夫婦が住んでいる。確か大倉山に引っ越しされたと聞いているけど、詳しい住所は知らない。知りたければ、駅前の交番にでも行って相談してみなさい」と、言われた。

万事休す、だった。


途方に暮れた祐二は、空腹のまま周辺を歩き回った。

公園にたどり着くと、ベンチに倒れ込むように横になった。

すでに足は棒状態で、とても夜道を走り抜けて家に戻る気力もなかった。

帰ったところで、父に追い返される可能性もある。

思案したが、名案がなく途方に暮れた。


午後9時を回った頃、先程の老人が彼の姿を見つけて声をかけてきた。

「まだ居たのだね、ほれパンを持って来たから、食べなさい。食べたら終わったら家に戻りなさい」と、抱えていた紙袋を開けて菓子パンを2つ差し出してくれた。


「ありがとうございます」

祐二は頭を下げて、そのパンを受け取った。

老人はすぐに立ち去った。

夢中でパンを貪った。そして、公園の水飲み場で水を飲んだ。

落ち着くと再び考え込んだ。

結論は、今晩はこの地で野宿することだった。


寝られそうな場所を求めて、しばらく子安の町をさ迷った。

1時間ほど歩き回ると、大きなコンクリートの土管が置かれた空地に辿り着いた。

土管は、数本重ねられ置かれている。

一番下の土管の穴に、潜り込んだ。

晩春でも、夜の野宿は冷えた。


翌日、陽が登るとすぐに目が覚めた。

家に戻るつもりだった。

父親が居なくて鍵がなくても、何とか貸し家の自宅には入れる。

家に戻れれば、少なくとも夜露は防げる。

食料の問題は、二、三日分なら、恋しい亮子に差し入れを頼むつもりでいた。

それから先のことは、頼れる人もなく具体案がなかった。

父親の暴力や身勝手な振る舞いに対する恐怖感はあったが、自宅に戻る以外の選択肢はなかった。

すぐに新子安の駅前においてあった自転車に乗って、先ずは東京を目指した。


児童相談所

昼過ぎには港区の芝付近に着いた。

高くそびえ立つ東京タワーを見つけた。

(東京タワーへ行こう、水飲み場もトイレもある。ゴミ箱を漁れば、弁当の残飯ぐらいあるかもしれない)


東京タワー1階のおみやげ店などが入るフロワーは、入場が無料だった。

地方からの団体客や、修学旅行の学生で溢れていた。

先ずトイレに入った。

用を済ませ、洗面台で顔と手を洗った。水も飲んだ。

混雑するフロワーの中をしばらく歩くと、足元がふらついてきた。

空腹で倒れそうだった。

混雑するみやげ店に入った。

おいしそうな豚饅頭の袋が目に留まった。

手を伸ばして、その袋を掴むと学生服の下に隠した。

すぐに、その場所を離れて小走りに外に出た。


その少年の後を追いかけて来た中年の男が、彼の肩を押さえた。

「一緒に警察まで来てもらおうか!」

「えっ警察!?」

「さっき東京タワーのみやげ店で万引きを働いたね、署でいろいろ聞きたいから一緒に来なさい!」

祐二は、事の成行きを察した。

私服の警察官に、愛宕警察署まで連行された。


愛宕警察では、家を出た事情と昨日からの行動を正直に説明した。

但し、自転車を盗んだことだけは本能的に隠した。

電車を利用して横浜の子安まで祖母と母を訪ねたが、転居のために会えなかったと説明した。

その帰り道に東京タワー見物に寄ったと言うと、悲しくなって泣き出してしまった。


1時間ほどの事情聴取の後、私服の男の警察官と制服の婦人警官に引率されて、浜松町駅から山手線に乗車した。

その後、大塚駅で下車し10分ほど歩くと、鉄筋コンクリート作りの建物の中に連れられて入った。


そこは大塚の『児童相談所』だった。

警察官は、何やら事務手続きをしている。

その間、事務所のソファで1時間ほど待たされた。


その後、この施設の事務服を着た坊主頭の職員が、祐二を誘導して階段を上がった。

上部に鉄格子の窓が付いた大きな鉄の扉の前に着くと、

「しばらくここで寝泊まりしてもらう。食事は3食出る。トイレは中にある。風呂は別室だが、毎日は入れない。消灯などの規則は、部屋の中に書いてあるからよく読むこと。仲間が10人ほどいるが、仲良くやれ」と言った。


鍵を差し込み、扉を引くと重く軋む音が響いた。

扉が開けられ、入るとすぐに階段がある。

そこを降りると、そこには講堂や体育館ほどの広い板敷きの部屋があった。

南北に窓がある。二つの窓には鉄格子が組み込まれている。

部屋の片隅には、畳が何枚も重ねられ積まれていた。


部屋の一番奥で畳を数枚重ねた上に、坊主頭のがたいの大きな少年が腕を組んで、あぐらをかいて鎮座している。

他の少年たちは床に寝そべったり、足を投げ出して本を読んだり、ぼんやりと格子窓から外を眺めたりしている。

会話はなく、静まりかえっている。


祐二を背にして起立した職員は、声を張り上げて「新入りの中学生だ。仲良くやれ、名前は自己紹介させるから、後で聞け。『頭(かしら)』は、面倒をしっかり見てやれっ!!」と、大きな声が部屋に響いた。

職員が去ると、頭と呼ばれていた少年が畳から降りてきた。


「名前は?」と、聞いてきた。

祐二は姓と名を名乗った。

その後に年齢と出身を聞かれ、さらに入所の理由、即ち罪状も聞かれた。


それが終わると、ランク付けのための格闘を命じられた。

この部屋における、格付けの順位を格闘で決める。

それを取り仕切っているのが、頭と呼ばれるリーダーの少年。

後で聞かされたことだが、彼はこの部屋の牢名主で、大阪出身の中学3年生。

罪状は、19歳の女性を強姦した「強姦罪」だった。


この部屋に一時保護されている10人あまりの少年は、小学生と中学生で混成されている。格闘による順位付けによって、ベッド代わりに敷いている畳の枚数、配布されているチリ紙の枚数、トイレの順番などが決まってくる。


頭は、副頭の少年と祐二を最初に対戦させた。

腕力が強くケンカ慣れしている副頭は、簡単に対戦相手の祐二を組み伏して倒した。


そして、頭は「次だ!」と叫んだ。

次の対戦相手は、部屋の3番手の中学2年の少年。

暴力が嫌いな祐二は、殴り合いのケンカの経験もなく、腕力には自信がない。

決闘はなす術もなく、またしても敗れた。

この結果、年の功もあって祐二の順位は、4番手に留まった。


頭の少年は、格闘を終えて満足そうにその結果を皆に喋った。

それは、年下の少年に敗れた新入りの祐二を存分にけなしていた。

「ほんま、弱いやっちゃ。あかん『がしんたれ』やで」

と、大阪弁で軽蔑するのであった。

その言葉を浴びたとき、その昔、継母の実家の親戚から、その『がしんたれ』の言葉を何回も浴びせられたことを思い出した。

確か継母の両親は、大阪出身で就職のため東京に上京してきたと聞いたことがあった。


その日の夕方、祐二はようやくコメの飯にありついた。

正確には白麦米。

貧乏な家庭なので白麦米は慣れていた。勢いよく、がっついて食べた。

少年たちの食事は大部屋でとる。

アルミ製のトレーに、アルミ製の茶碗とお椀が乗せられ、給仕当番がごはんとみそ汁をよそっていく。

おかずは、コロッケなどの揚げ物か野菜の煮物が多かった。


食事が終わると、頭に呼び止められ「先輩によう挨拶せんといかんから、こっちさこい」と呼ばれた。

北側の窓際に連れられて立った。

鉄格子の窓越しに、3階にある別の部屋の窓が見える。

そこには、高校生以上の年かさのいった少年たちが収容されている。

頭が声を張り上げて、新入りの祐二を上級の部屋頭などに報告した。

祐二が頭を下げてあいさつをすると、上級の頭は罪状を尋ねてきた。

祐二に代わって、頭が万引きであることを伝えた。

ここでは、罪状が重いほど尊敬されるらしい。

万引きではとても尊敬されることもなく、誰も祐二には関心がなさそうだった。


相談所の一時預かりでは、必ずしも罪を犯した者ばかりではなく、家出、事故、災害などによって身寄りを失った者も含まれていた。

しかし、非行から罪を犯した少年たちも多く収容されており、一時預けかりを経て少年院に移送される者も少なくなかった。


当時の児童相談所は、現在のような『児童虐待』の業務が主体ではなく、『児童の非行化』問題が主体業務になっていた。

戦後の高度成長期の光と影の中で、浮浪児、不良児などの非行問題が社会問題化し、欧米を範として保護施設の敷設が進み、鉄格子の窓を設置するなど鑑別所的な一時的な預かりの保護施設が整備されていった。

要するに、戦後のベビーブームで生まれた子供らが成長するのに従い、従来の児童福祉法の概念による業務と施設では、対応が困難になっていた背景があった。


犯される

ある深夜、祐二は3人組に寝込みを襲われた。

羽交い絞めにされ、腕を後ろ手にされると手ぬぐいで縛られた。

口も、手ぬぐいで猿ぐつわを噛まされた。

2人の少年が、両脇からうつ伏せになった祐二の体を取り押さえた。

残りの少年は、祐二のズボンとパンツを乱暴に脱がす。

むき出しになった尻を叩かれた。

二人の少年が、それぞれ祐二の足を広げた。

肛門と尻の周りに油性のクリームが塗られた。

すぐに、肛門の中に異物が突っ込まれた。

声を上げたが、声にはならなかった。

男が覆い被ってきた。かなり重い。

頭の少年だと思った。長い苦痛の時が続いた。


男に犯された翌朝になっても、肛門にはまだ異物が詰まっているような気がする。

痛みもあってまともに歩けなかった。

ただ、痩せ細った少年は好みではなかったのか、その後は再び襲われることはなかった。

こうして、あっという間に10日間がすぎて、父の庄作が引き取りに現われて祐二少年は船橋の自宅に戻った。


中学校に、久々に登校した。

先生から叱責されると、覚悟を決めていた。

しかし、何も咎められる事はなかった。

職員室に呼ばれることもなかった。

欠席した理由すら、尋ねられることもなかった。

級友たちも何事もなかったように、彼に話しかけることもなかった。


後に亮子から聞かされて分かったことだが、担任の教師は、祐二の連続欠席について生徒にかん口令を敷いたそうだ。

欠席の理由なども聞かずに、以前と同じように接することを厳命したとのことだった。


小谷野亮子は、久々に祐二の顔を見ると安堵の表情を作り、いつもの笑顔で迎えてくれた。ただすぐに背を向けて、彼には分からないようにうれし泣きの涙を流していた。

少女は、誰よりも少年の家庭の異常な状態を知っていた。

少年を守ってあげたいと、ますます母性愛を強く意識するのであった。



第8章 独りぼっちの上京

祐二と亮子との、思春期における相思相愛の恋は本格的に始まった。

この頃、彼らは就職か、高校進学かの決断を迫られていた。

家庭が裕福でなかったこともあり、小柄ながら耐久力や脚力に自信のあった彼は、漠然と競馬の騎手になりたい、と考えていた。

しかし、担任の先生は祐二の就職希望については否定的であった。

教師は高校受験を薦めた。

ただ、彼はそれが容易に許されない家庭の事情との狭間で、思い悩む日が続いた。


ところが、最終的には月謝の安い公立高校という条件付きで、親も進学を認めてくれた。そのため、俄かにミカン箱の机に向かって、受験勉強に励むことになった。

後に知ったことだが、当時、偶然にも松岡本家の商家の創始者だった祖父が急死して、父の庄作は兄弟とともに、その遺産を手にした直後であったのだ。


遺産が入ったことで、庄作は実家に戻っている妻子を帰宅するように説得した。

しばらくすると、順子と二人の子供も戻ってきた。

妹は、葛飾中学の隣にある葛飾小学校に4月から通学するとともに、幼い弟は保育園に通うにことになった。裕二は、その弟の手を引いてその送迎を担当させられた。


昭和30年代の日本

1960年(昭和35年)から1964年(昭和39年)の我が国は「所得倍増計画」が発せられるとともに、「農業基本法」が発布されるなど経済復興の大号令が現実味を帯びてきた時代であった。

さらに、資本の自由化が促進され、GNP(国民生産)は世界第2位に躍進する発展を示す。

まさに「高度経済成長」が、進みつつある時期であった。


しかし、その陰では大気汚染などの公害も起こっていた。

他方、ビートルズが来日し、若者のグループサウンズが台頭するなど、戦前とは異なる新しい音楽や欧米文化の波が寄せていた。

テレビでは「おはなはん」や「巨人の星」などの庶民的な番組がヒットし、『巨人・大鵬・卵焼き』の言葉が大流行していた。


翻って、こうした経済成長の中では就労の意思があれば、老若男女を問わず仕事に就けないことはなかった。

「金のたまご」と、言われていた集団就職者が都会に進出してきたのもこの頃のこと。

だが、傲慢で怠け者の松岡庄作は、こうした時勢の流れには乗れず、定職に就くことさえできなかった。

これまでは実家の家業を頼るとともに、手先の器用さを生かして宝石の研磨を自宅で行う、あるいは陶器製作の講師をするなどするも、どの職業も長続きはしなかったのである。


ところが遺産が入ったことから、懲りずに庄作は再び自ら会社を興し、遺産の多くはその資金に回されるのだった。

そのため裕二の松岡一家は、相変わらずの貧乏生活が続いていた。

満足に食事もとれない日々が散発していたのだ。


そうした中で、祐二は、ますます亮子との恋愛だけが生き甲斐になっていた。

そういった家庭の事情を察してか、放課後になると亮子が駆け寄って来て、食べ物を差し入れてくれた。

また、文房具や学習ドリルを買えないでいると、買って与えてくれた。

彼女の母性溢れるやさしさに、折れそうになる心を救われていたのである。

折檻で外に放り出されると、夜空に散りばめられた星の谷間に、亮子の微笑む顔が浮かんでくる。

亮子との心の絆が裕二の生きる希望の星だった。


別れのキス

中学生活もあと僅かになった、土曜の晴れた日のことだった。

学校の校庭は、前夜に降った大雪に一面の銀世界が広がっていた。


放課後、雪合戦をやることになった。

男子の中には意中の女子に雪玉をぶつけようとする者も多く、女子はキャーキャーと言って逃げ回る。

当然、祐二は手加減をしながら、雪玉を作っては亮子を追いかけていた。


亮子も雪玉が当たると大げさな声をあげ、時折いたずらっぽい笑顔を返しながら、相好を崩してはしゃいでいた。

そのうち亮子は、校舎の裏側に向かって逃げ出した。

彼女を追いかけて行くと、北に面した校舎の裏側に出た。

そこは直接陽が当たらず、ひんやりとした空気が頬を刺す。

彼女は校舎の壁に寄りかかり、立ち止っていた。

亮子に近づいた祐二は「みぃーつけた」と言いながら、雪玉を投げようと右腕を上げかけた。

その瞬間、彼女は体を反転させ、背中を祐二の方に向けた。

彼は、思わず投げかけた雪玉を落とした。


静けさの中に沈黙した二人の吐く息が、微かに周囲の冷気を揺らしていた。

祐二はにじり寄った。

それを察知したように、彼女は再び体を彼の方に向けた。


祐二は、だらりと下げた亮子の両手を握った。

温かい感触が直に伝わってきた。

その姿勢で祐二は、彼女の体に自分の体を重ねた。


少年の胸が少女の胸のふくらみを押さえ、唇を重ね合わせた。

体育祭の日以来のキスだった。

少年の手は少女の手を離れ、校舎の壁に寄りかかる少女の背中に回った。

少年は唇を合わせたまま、少女を強く抱きしめた。

呻き声がもれた。

いつの間にか、少女の舌が少年の口の中を這っていた。

少年は一瞬たじろいだが、すぐに甘露の媚薬に酔っていった。

少女の舌は、蛇のように少年の舌に絡みついた。

長く激しいディープ・キスだった。

強く激しい口吸いに二人は酔った。

この時間が永遠に続けばと願った。

しかし、それは悲しい別れのキスになってしまった。


亮子の悲劇

二人の別れの序曲は、公立高校の合格発表から始まった。

祐二と亮子は、同じ公立高校を受験した。

二人の学力はほぼ同レベルだったが、彼女は不運にも不合格になってしまった。

それは、同じ高校を受験した級友達がみんな合格したにもかかわらず、亮子だけが落ちてしまったWの悲劇だった。

亮子は傷ついた。


祐二は、自分の合格を喜べなかった。

自分が騎手の道を選択していれば、彼女は合格して入学できたかもしれないと、複雑な後悔の念に襲われた。


祐二が受験できるようにと暖かく励ましてくれ、参考書や文房具まで支援してくれたのは、他らない亮子なのだ。

その彼女一人が、不合格の憂き目にあってしまった。

合格発表の日から亮子は、祐二だけではなく、級友達とも距離を置くようになっていった。


彼は何度も励まそうとした。

そして、自分の変わらない愛の気持ちを伝えようとする。

だが彼女の悲しみにうち沈む姿が、その行動を制止していた。

祐二は、悲しみ泣いている亮子を抱きしめたいと心から願った。

しかし、彼女は愛する男の視線すら避けて、孤独の暗夜をさ迷うばかりだった。


とうとう卒業式がやってきた。

だが、そこには小谷野亮子の姿はなかった。

そして桜の花咲く頃、祐二は失意のうちに高校への進学が始まった。


市立の高校への通学後、しばらくして国鉄・西船橋駅で会った旧友が、亮子は習志野市にある私立の女学校に入ったと教えてくれた。

内心安堵したが、どうしたら亮子に会えるのかと思案に悩んだ。

手紙を出すか、家を訪ねるしか連絡をする方法はなかった。

だが、気弱で相手の心を大事にする祐二は躊躇した。

まだ、彼女の心の傷は癒えていないはずだ。

もう少し癒される時間が必要だ、と自重してしまった。


二度目の一家離散

ところが、今度は祐二の身にも、不幸な出来事が起こってしまった。

父は祖父の遺産を元手に会社を興していたものの、半年もたたずにその会社は倒産してしまった。

家計の窮状は深刻さを増し、再び、家庭崩壊の危機が迫っていた。


ついにその家庭の経済事情から、祐二は都立高校の夜間部に編入する話を父から聞かされた。

同時に東京に出て、住み込みで働くように強制されるのだった。

つまり、体(てい)の良い家からの追い出しだった。

その結果、松岡家を出て1人で生きて行くことを余儀なくされる。

船橋の市立高校入学後、半年も経たない夏休みが始まる頃だった。

東京に行ってしまえば、亮子とはますます会えなくなる。

また、どうせ働くなら騎手になりたいとの思いも心底に残っていた。

切なかった。

自分の進路すら、自由にならないことに対する怒りもこみ上げていた。


東京行きを告げられた翌日の放課後、祐二は自宅に帰らず、独り中山競馬場に向かう道を歩いていた。

亮子に人目会いたかった。

彼女は、まだ帰宅していないかもしれない。


新オケラ街道の小谷野家の前に立った。

しかし、入る勇気はなかった。

しばらく立ち尽くした後、足は無意識に厩舎のある市川市の若宮町へと向かっていた。

ここは中山競馬場と一体化しているが、厩舎は市川市の若宮町になり、厩務員や騎手の自宅もその近辺に多くあった。

ただダートコースなどの馬場は、船橋市の古作町になっていた。

その後に、厩舎が茨木県美浦村に移った跡地には、競馬場の施設が大規模に新築され、現在のJRAの中山競馬場の敷地は、それでも旧態然として船橋市古作町と市川市若宮町に跨っている。

その施設の多くは船橋市であり、当市に億単位の税金がJRA中山競馬場から船橋市に支払われている。


もしかしたら、騎手への扉が開かれるかもしれない。

そんな独りよがりの淡い期待を抱きながらただ歩いていた。

だが騎手への門を叩く術を知らなかった。

当時は競馬学校もなかった。

夢遊病者のように、けやき並木の馬道を歩いていた。

並木を抜けると、丘陵地帯に連なる畑地に出た。

そこには、畑ばかりの田園風景が広がっていた。


しばらく歩いて、もう一度若宮町へ戻ろうとしたとき、遠く西の方向にそびえる法華経寺の森の上に、真っ赤な夕陽が輝いて見えた。

畑の向こうの地平線に浮かぶ美しいその夕陽は、少年の暗い気持ちに燃えるような感動を呼び起こしていた。

この美しい景色に心を揺さぶられた祐二は、何故か東京へ働きに行こうと決心がついた。

いつの日か、必ずやこの地に舞い戻り、この夕陽を亮子とともに見よう。

それは亮子と結婚したいという、願いとその強い決意でもあった。

夕陽を見つめる眼に、自然と涙が流れた。

その涙は、適わぬ願いの行く末を予感しての、惜別の一雫であったのかも知れない。


その直後、祐二の家族は再び一家離散した。

彼は亮子とも会うこともできず、精神的にも経済的にも独力で生きることを強いられた。愛しい亮子にこの特異な事情を伝える時も機会もなく、彼はこの地を去った。


社会的に苦労のない亮子には、この特異で急激な環境変化は、すぐには理解できないとも考えていた。

受験の失敗で苦しみを引きずり、心の痛手を背負っている彼女に、落ちぶれていく自分の姿を見せることは、さらに大きく精神的な負担を与えると思った。


いつか自分の新生活に落ち着きができたら、再会してそこで事情を説明しようと、一時的な別れの言葉も伝えられずに船橋の地を去るのであった。


翻って、市川市若宮町にあった厩舎、調教師と騎手の住まいなどの多くは、1977年(昭和53年)に茨木県稲敷郡の美浦村へ移転している。

裕二の中学校の同級生も、厩務員一家として船橋市から美浦村にあるトレーニングセンターへと移住している。

その昔に騎手、調教師、厩務員などの生活の場であった若宮商店街は今も残っているが、今は当時の賑わいがなくなっている。


また競馬学校が設立されたのは、1982年(昭和57年)のことで、周知のように千葉県臼井にある。

騎手候補者は公募であり、2度の試験があって身体検査、体力測定、学科試験、面接などがある。

合格すれば3年間合宿して学ぶが、卒業するには騎手免許に合格する必要性がある。

試験資格は、小学6年生又中学生となっており、また入学金や会費は必要がない。

もしも当時、競馬学校があったならば、裕二は間違いなく騎手への道を目指して競馬学校へ入門していただろう。

学校には、騎手課程の他に厩務員課程もある。

貧しい家庭の裕二が生きていくには、適した騎手への道だったともいえる。





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