やどかり人

筆入優

もぬけの殻

 僕は時々、親友のもぬけのことを考える。もぬけはすらりと背が高い(恐らく百八十㎝)好青年で、人当たりも良い。男の僕でも惚れてしまいそうな人間だ。


 そんな彼には百円均一のショップに寄り道して装飾品を買って帰る日がしばしばあるのだが、なんのための行動なのか親友である僕も知らない。もしかしたら女と寝るためにベッド・ルームの装飾をするのかもしれない。あるいは、家でバースデイ・パーティーを開くのかもしれない。真相は不明だ。


 僕は空き巣が続いているという報道が流れていたテレビを消し、家を出てもぬけの元に向かった。公園で待ち合わせていると言うが、僕が着いた時はまだいなかった。蒸発しきっていない水たまりの上でブランコを漕いでいるうちに時刻は十四時を過ぎ、十五時を過ぎ、瞬く間に日が落ちた。約束通り十三時に来ることはなかった。


 僕は七時に行ったコンビニで彼と鉢合わせたことを思い出した。あの時、彼は酒臭かった。きっとバーで脳がびちゃびちゃになるまで飲み、そこで知り合った女と寝たのだろう。今頃電車で彼女を送っているに違いない。


「やあ、遅くなった」


 水たまりに陽が映らなくなって退屈し始めた頃、もぬけが現れた。背中に何か背負っている。暗くてよく見えないが、僕の目が正しければそれはリュックではない。しかし、僕が見たそれを他のものに例えることはできなかった。正面から見ただけでは、いびつな形の何かという認識が限界だ。


「随分と遅い到着だね。何かあったか?」


「こいつを背負うのに随分と時間がかかってさ」


 もぬけは自ら背中を見せてきた。彼が背負っていたのは、家だった。本物と呼ぶには小さすぎるが、ミニチュアにしては大きすぎる。そこら辺のプラモデルよりも一回り大きな家だった。


「そんなもの、背負ってきたって無駄だろう」


「嫌でも背負わなきゃならないのだよ。やどかり人になったんでね」


 彼は砂場に家を下ろす。中々重かった、とため息をついた。


 家のドアがひとりでに開いたかと思うと、中から女が出てきた。二十代半ばに見える。


「初めまして」


 僕は戸惑いつつ、挨拶した。


 女は一礼し、部屋の中に戻って行った。


「僕、嫌われているのか?」


「彼女は無口なんだ。酒を飲むとよく喋るよ」


 もぬけは部屋の中に入れと促してきた。大人が入れる大きさではなかったが、無理やり足を踏み込んでみると、身体はスルスルと引きずり込まれるようにして中に入った。六月、雨の匂いが微かに残る公園に建った家の中へ、僕は入った。歴史的行為である気がしたが、なんだか、しょうもないことのようにも思えた。


 その後、我々は上等なソファに腰を下ろしてワインを酌み交わした。


 飲み始めてから数分で女は酔い始めた。


「ねえ、やどかり人になった感想はどう?」


 もぬけは考えるような素振りを見せて、重そうに口を開いた。その話題は僕も気になるところだ。彼の話に耳を傾けることにした。


「すごく快適さ。毎日違う家を旅するのは、上等なホテルに宿泊するよりも幸福なことだよ」


 もぬけは続けた。


「ただ、僕は立派なやどかり人ではない。明日住む家はまだ決まっていないし、やどかりらしく海岸に足を運ぶこともしていない。僕は昔からゴミだらけの海岸が怖くてね」


 これじゃ、やどかりじゃなくてチキンだな。


 もぬけは上手いこと言ったつもりなのか、非常に良い気分になった。装飾品はセックスを楽しむために使っているとか、部屋の中に散っている血は前の住人のもの(らしいと言っていた。噂で聞いたのだろう)だとか、他愛もない話をぺらぺらと喋った。


 気が済むまで語ると、我々は風呂にも入らず眠ってしまった。微睡の中で艶めかしい音が聞こえていたが、僕は眠かったし何が起きているのか確認せず夢の中に落ちた。


 目覚めた時、もぬけの姿はなかった。ソファの上にも、ベッド・ルームにもいなかった。ソファには下着姿の女がいるばかりだった。


「もぬけはどこへ?」


 僕は申し訳なさを覚えつつ、眠っている女の肩を揺すった。


「……何かしら?」


 彼女は瞼を擦り、僕の手を振り払った。起き抜けに肩を掴まれるのは誰だって嫌だろう。僕は口の中で謝罪し、先ほど述べたセリフを繰り返した。


「さあ」


 女はあくびを一つして、再び眠りについた。僕は最低限の支度をして、外に出た。


 南の方角に向かう。腕時計を見ると、まだ午前五時だった。もぬけはこんな時間に、どこへ何をしに行ったのだろう?


 日がその全貌を露わにした頃、僕はとある一軒家の前で佇むもぬけを見つけた。何をかはわからないが、止めなければならないと思った。しかし、僕の両足は言うことを聞いてくれなかった。諦めて、塀の陰から彼を見守ることにする。


 彼は家の中に入った。悲鳴のような何かが聞こえてくる。僕は手遅れだと確信した。その場に膝をつき、太ももに何度も拳を振り下ろした。


 もぬけは数分後、右手に真っ赤なナイフを持って出てきた。僕は彼の前に飛び出した。もう手遅れだが、捕まえないよりはマシだ。


「もぬけ!」


「ああ、君か。どうしたんだい?」


 もぬけは世間話でも始めるみたいに、平然と喋り出す。


「……それ」


 僕はナイフを一瞥した。


「え、ああ。これか。何をそんなに怒っているんだ? やどかり人なら当然のことだよ」


 彼はナイフを胸の前に持ってきて、首を傾げた。


「でも、僕の目的はこれだけじゃあない」


 彼はナイフを道端に放り捨てた。リュックから縄を取り出す。


 彼は縄を家にくくりつけて、「うんしょ」と力んで背負った。目の前にある家は、瞬く間に先ほどまでいた家と同じサイズまで縮んだ。


「お、重い」


 その一部始終を見た僕は、全てのことがどうでもよくなってきた。


「気を付けて」


 僕は一声だけかけて、自宅のほうへ踵を返す。


「ああ。そっちも気を付けて」


 我々はそこで別れた。


 帰宅してテレビを点けると、昨日空き巣の被害に遭った家が公園の砂場で見つかったという報道が流れていた。

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やどかり人 筆入優 @i_sunnyman

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