お悩み解決カフェバー『クラウド』

仲瀬 充

第1話 刑事は手紙のあつかいに困っています

 私の妻である立杉たちすぎ伽羅きゃらは名前どおりにキャラが立ちすぎている。国語教師で弁が立つせいもあって生徒たちによくほらを吹いていたらしい。自分は平安時代の有名な陰陽師おんみょうじ安倍晴明あべのせいめいの子孫だとも言い張っていたようだ。私が疑うと妻は次のように説明したがどこまで本当なのやら分からない。江戸時代に安倍晴明の子孫で安倍革望あべのかわもちという貧乏な神主がいた。その安倍革望が生活に窮して武士の立杉家への養子縁組を申し入れて一人娘ハギの婿むこになり自分はその末裔まつえいなのだと。私は笑って話を混ぜ返した。

「まるで安倍川餅あべかわもちとおはぎの結婚みたいじゃないか」

すると妻は真顔で言った。

「それなのよ。私、子供のころ欲張って安倍川餅とおはぎを一緒に頬張って気を失ったことがあるの。どうもその時から超能力も身についたみたい」

どうにも信憑性しんぴょうせいに欠けるが一応どんな超能力か聞いてみると本人は何かしらあるみたいという程度でいたって暢気のんきである。ただ妻は風邪もひいていないのに時々「コン、コン、コン!」と狐の鳴き声みたいなせきをする。安倍晴明の母親は狐の化身けしんだったという説話があるから気になってしまう。それに妻が奇妙な咳をすると必ずと言っていいほど厄介な問題が起きるのである。そんな妻が60歳で定年退職すると自宅を改装してカフェバーをやりたいと言い出した。平凡なサラリーマンで妻と同い年の私も退職したばかりだったので異存はなかった。と言うより、安倍革望さんと同じく立杉家の婿養子である私に反対できる覇気はきはない。そういう次第で『かふぇばあ・クラウド』を妻と二人で始めて1か月になる。私が情報関連の企業に勤めていたことから「IT用語のクラウドから名付けたんですか?」と言う客が多いので妻は「この店をお客さんの『お気に入り』に登録してくださいね」などと応じている。

「コン、コン、コン!」

カウンター内の椅子に腰かけて妻と世間話をしているといきなり妻が咳をした。すると今日は平日でしかも開店早々の時間なのに若い男性客がドアを開けた。

「いらっしゃいませ。よろしければカウンターにどうぞ」

あえてカウンターを勧めるからには妻のアンテナに引っかかる客なのだろう。

「ずっと気になってたんです。今日は仕事が休みなので思いきって来ました。いいお店ですね」

「いえいえ、年寄り夫婦の道楽なんですよ」

妻がコーヒーをソーサーにのせてカウンターに置くと青年がしばらくして言った。

「あのう、間違ってたらごめんなさい」

「何でしょう?」

「今、ママさんが道楽だとおっしゃいましたが、お店の名前はひょっとしてそのシャレですか?」

超能力者を自認する妻が超能力者に出会ったように目を丸くした。

「お客さんが初めてですよ。クラウドを逆から読めば『道楽』になることを見抜いたのは。頭がいいんですね」

「そんなことありませんよ。『宿やど』をひっくり返して『ドヤ街』とか、『さがす』をひっくり返して『ガサ入れ』とか言ったりしますから」

「へえ。まるで刑事さんみたいだ」

私がそう言うと客の青年は「あっ!」と口を押えた。青年は頭をかきながら言った。

「僕も見抜かれちゃいましたね。僕は名前までシャレになってしまいました」

彼は自分の名前をカウンターの紙ナプキンに書いて見せた。「忠野慶次」と書かれている。

「『慶次』は『よしつぐ』と読むんですが友だちには『お前はただの刑事だ』なんて言われてます」

そう言って爽やかに笑った。私はいっぺんでこの青年が気に入った。

「刑事さんなら毎日事件に追われて大変でしょう?」

「そうですね。でもこの辺は住宅街なんで事件らしい事件はありません」

そう言ったあと彼は「事件と言えば……」と呟いて黙った。

「事件じゃないんですがどうにもわけが分からないことがあって。聞いてもらえますか?」

催促せずに待ったかいがあって彼は自分から話し始めた。

「恥ずかしい話ですが、僕の母親は僕が小さいころに男をつくって家を出て行ったんです。父親が男手一つで育ててくれたんですが、その父親が亡くなる直前に一つやり残したことがあると言ったんです」

妻は興味津々といった顔で聞いている。

「自分が死んだら母親に届けに行ってくれと手紙を渡されたんです。中身を聞くと、僕と母親で二人一緒に読んでほしい大切なことが書いてあるとしか言いません。僕は母親には恨みしかないので気が進まなかったのですが遺言なので父親が亡くなったあとに出かけました。母親は愛媛県の下灘しもなだというところにいるはずだと聞いていました」

私はテレビのCMで下灘の風景を見たことがあった。

「下灘と言えば予讃線で松山から宇和島に行く途中の海辺の町ですね。お母さんは見つかったんですか?」

「ええ、小さな町でしたので母親の所在はすぐに知れました。訪ねて行くと、皮肉なことに今度は自分が男に捨てられて一人きりで暮らしていました」

「でも、よかったですよね。すぐに見つかって」と妻が言った。

「ところがママさん、僕が名乗ると人違いだと言い張るのです。僕は母の面影を覚えていましたから人違いのはずはないんです。厳しい口調で問い詰めたらとうとう認めました。『だって、苦労をかけたあんたにどんな顔をして私がお母さんだよって言えるのよ……』そう言って泣き出しました」

彼はここで言葉を切ってうつむき、涙もろい妻もうっすらと目に涙を浮かべた。気を落ち着けるかのようにコーヒーを口にして彼は話を続けた。

「不思議なのはその後です。手紙を届けに来たわけを話して母親の目の前で手紙の封を切りました。すると、封筒の中には白紙の便せんが1枚入っているきりでした。僕は慌てました。親父が入れ間違えたのかと思って帰宅して探したんですが、それらしい書き付けは見つかりません。どういうことなのでしょう?」

彼はそう言って妻と私を交互に見た。

妻は頷いて言った。

「お母さまは今どうしていらっしゃるの?」

「私が連れ帰って一緒に住んでいます」

「あなたの疑問の答えはもう出ているじゃありませんか。お父さまがやり残したことというのは、あなたをお母さまに会わせることだったのですよ」

あっ!と驚く彼に私が妻の話を補った。

「別れたのは夫婦の勝手なのに、産んでくれたお母さんをあなたが恨みっぱなしで生きていくのがお父さんには心残りだったんでしょう。お母さんを引き取ってまでくれて、お父さんはあの世できっとあなたに手を合わせて喜んでおられますよ」

彼の頬を涙が伝った。私たち夫婦も含めた3人は無言でしばらくのあいだ静かに流れる時間の中にいた。

「ようやくこれまでの胸のつかえがおりました。ありがとうございました」

彼は頭を下げ、残ったコーヒーを飲みほして立ち上がった。そしてドアを開けながら振り向いて晴れやかな顔で言った。

「また来ます」

どうやらクラウドを「お気に入り」に登録してくれる客が一人増えたようだ。


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