桃太郎〈恋物語〉
@k_sakuraba
第1話
その偉丈夫の名を桃太郎と言った。上背一八五、横幅子供ふたり分といった大きさに似合わぬ名前であったが、彼は決していいところの出ではなく、生まれの由来から取っただけなので仕方ない。即ち、川から流れてきた桃を切ったら中から赤子が出てきたと。
しかし名前の単純さを競ったら桃太郎は良い方だ。鬼を討ち取るという宿命を背負った桃太郎が仲間として連れて歩いているのは犬、猿、雉である。人間ですらない。名前も種族もそのまま犬と猿と雉なのである。
とはいえただの動物ではない。ちょっとした曲芸ができた程度で鬼の討伐の戦力として数えられるはずもなく、犬は前足を上げれば桃太郎と同じ高さになる巨躯を持ち、どんな堅い木をもひと噛みでへし折ることができた。雉は吉兆の名に相応しい美しさで目を引き、その隙にどんな化け物の目も的確に潰すことができた。ただ、決して猿は強くなかった。人の肩に乗れる程度に小さく、身のこなしこそ人より軽いが、取り柄はそれだけ。けれど、その猿には知識があった。堅木を一分で腐らせ、化け物を五秒で失明させる毒を作る知識と器用さがあった。
犬、猿、雉。彼ら彼女らを桃太郎が見込んだ理由はそこにある。人間が束になっても敵わない鬼だとて、種族の垣根を越えれば或いは、そう思ったのだ。
「おい、犬」
焚き火すらない真っ暗闇の中、突然背後から甲高い声で呼ばれた。
「猿か」
体格も力も性格も相性の悪いふたりである。犬は意外な来訪者の名を呼び、それから挨拶をする。
「怖気付いて小便でもしに来たのか、猿」
「仮にも女性に向かってそれはとんだ言い草じゃねーか。俺ぁ、犬が怖くて眠ってねーんじゃねーか心配してきてやったんだぜ?」
「……今夜は暗い」
「あん?」
「こうも暗いと、どこからが陸でどこからが海か分からんな」
「海ってお前。鬼ヶ島のある、明日越える予定の海か? こっから何里離れてると思ってんだ」
「しかし警戒されぬよう焚き火を焚かぬ程度には近い」
どんなにからかっても犬は取り合わない。猿はそれがいつも気に入らない。
「お前、もしかして犬かきできねーの?」
「お前は猿真似ができるのか?」
「けっ」
犬は賢い上に弁が立つ。それは猿である俺の役目のはずだ、と彼女は常々腹立たしく思っていた。猿は「損したわ。寝る」と言い去っていった。犬は彼女が一体何をしに来たのか理解しかねて黒い鼻から大きなため息を吐いた。しかし、それも束の間、彼女がいなくなったのを背後で確認し次第、ぐるる、と夜の闇に唸り始めた。鼻筋をいく筋も立て、垂れた頬の隙間から歯茎を覗かせて、血を磨いたことすらない薄汚れた歯で見えない敵を威嚇する。
そうしないといけなかった。そうしないと震えて仕方なかったからだ。
ひとりと一頭、一匹と一羽は協力して海に鎮座する鬼の本拠地へ向かった。それぞれ船を漕ぎ、舵を取り、物見をし、鬼ヶ島へと辿り着いた。そこからはあっという間だった。奇襲というのもあったが、何より各々の能力を活かした獅子奮迅の戦いぶりにより、決着は半日とつかなかった。軍勢の半数を失った鬼の大将が「これで手打ちにしないか」と和解を申し出てきたが、今までの彼らの悪虐ぶりを見ていればそれが嘘だと簡単に見抜けた。桃太郎は鬼を指差し、犬に「脛を折れ」と無慈悲に命じた。犬は命令通りに動いたが、大将鬼の頑強さからか、犬自身が興奮していたのか、自身の歯が折れるほどの強さで噛み砕いてしまった。当然、桃太郎たちと鬼たちの和解の芽は潰れ、血みどろの全面戦争を制したのは桃太郎側であった。
「あたたた、猿くん、君の毒消しはよく効くが、どうにも人間には沁みるよ」
「大将が鬼の毒爪なんて食らうからいけないんですぜ」
「雉は怪我ないか」
「鳥の雄は美しさが売りよ。返り血ひとつないわ」
「おうおう、何を言ってんだい。顔面に真っ赤な返り血があるぜ」
「猿ちゃん、それは模様よ、も・よ・う!」
全く、犬ちゃんの優しさを見習いなさいよ、と雉は自慢の美しい翼を頬に当てて呆れた顔を見せた。
「そんなんだから犬ちゃんに」
「俺と犬が何だって?」
「いーえ?」
睨みを効かせる猿と、知らんふりを決め込む雉。それを見て桃太郎は苦笑いを浮かべるが、犬はそれを受けてくだらないと言いたげに鼻で笑う。鬼の屍体の山々、血溜まりの中でも彼ら一行はいつも通りだった。
けれど桃太郎は知っていた。何故ならこの仲間たちの中で最も聡明だったからだ。このいつも通りは長く続かない。彼は片膝を立ててのんびりと空を見上げながら、ぽつり、呟いた。
「君たちはここで解散かい?」
「解散? そうねえ、あたしは何なら帰りの舟を手伝わなくてもいいんだけど、それじゃご主人様が困っちゃうでしょ。故郷までついてっちゃう」
「俺ぁ最後までついていくぜぇ。報酬ふんだくってねーからな。まーさか、団子ひとつでここまで来るとは思わなかったぜ」
「犬は?」
「俺は……」
犬は砦の出入り口をじいっと見据えた。まだ夕日は沈んでおらず、海面は橙を三角模様に波立たせながらその美しさを主張していた。
「行けるところまで行く。荷物が多そうだから手伝わないとな」
「あー、あれだね。金銀財宝、隠れ蓑、隠れ笠と打ち出の小槌、それと延命袋」
「うちで?」
「振ると願いが叶う小槌と、寿命を延ばしてくれる袋だね。隠れ蓑は大きさからして僕用かな」
「お、親分、その言い方だと?」
「まあ、その話は家に帰ってからにしようか。さて、僕の故郷までどのくらいかな、雉くん。確か来るのに一ヶ月かかったけど」
「帰りなんて三日もかからないわよ。途中で人助けばっかりするからああなるの」
「手厳しいなあ」
ひとりでわはは、と頭をかく桃太郎であるが、その顔は充足感に満ちていた。
一ヶ月の旅。動物たちには分からなかったかもしれないが、途中で受けた依頼は全て鬼の所業によるものだった。中には救われない物語もあったし、動物たちにはただ寄り道をした愚鈍な主人に見えたろうか。
否。
「山の麓の娘を攫われた家に金銀財宝をやるのはどうだ。人間には意味があるものだろう」
「打ち出の小槌とやらで井戸の毒を取り除いてもらうのもいいんじゃない?」
「けっ、毒消しなら俺に任せとけって言ったのによ」
「材料がないって騒いだのはあんたよ」
そっぽを向いて口笛を吹く猿。
ああ、全く。
「君たちとの旅は最高のものだったよ」
「……それを言うのは三日後よ、まったく。気の短いのばっかりなんだから」
「はは、違いない」
武家が首級を挙げて自軍へ帰ったなら国総出で出迎えてその日は一日無礼講、金の飛び交う一日となろうが、流石に桃太郎の故郷はそうもいかない。近隣の村を含めて盛大な祝杯を挙げてくれたが、さすがに金貨銀貨は飛び交わない。それでも数年取っておいた大切な酒を豪快に割ってくれたり、いつかできるであろう娘に着せるおべべだよと手縫いの赤い着物をもらったり――桃太郎は仰天したが、他の仲間は腹を抱えて笑った――、村人たちにできることを全て尽くしてくれた。
もちろん桃太郎ももらうばかりではない。途中の村々で配った報酬から余ったものを皆に配り、金で解決しないものを打ち出の小槌で出してやった。昼から始まったどんちゃん騒ぎは真夜中まで続き、体力のある二十代の若者に至っては夜を徹して遊んだとか。桃太郎も同郷の若者に挑発されて「僕だって夜更かしくらいするさ」と腕まくりをしたはいいものの、猿と雉に連れられて育てのおじいさんとおばあさんの家ですやすやと寝ることになった。
そうして、ひとりと一頭、一匹、一羽。最後の旅が始まった。
「ちょっと歩こうか」
山の上の方、黒い小さな鳥の影がみっつほど円を描きながら朝を知らせるのを村の中から確認する。お酒がそこら中にこぼれており犬なんか村へ近寄ってすらくれない。全員で人村を少し離れて、裏の竹林の方へ出た。それから桃太郎は懐から財宝の一部と、打ち出の小槌、そして背中に背負った白い袋を地面に置いてみせる。
「金と、ものと、命か」
犬が重々しく言う。その声音がひどく冷たかったため、雉は初めて犬のことを恐ろしく思った。
「そうだ。僕たちがお宝というものだ。人間はお金があれば何でも手に入るし、打ち出の小槌があれば奇跡も起こせよう。そして何より延命袋があれば命なんて安いものだ」
「けど大将決めたじゃねーか。金は動物にはいらねーし、俺らも別に欲しいもんはねー。寿命ならじーさんばーさんにくれてやろうぜって。それが何でここに?」
「覚えがいいね。確かそれは鬼ヶ島を出た時のやりとりだ」
「そうだぜぇ。俺ぁ、毒と毒消しの知識をぜーんぶ知ってる賢い猿さぁ」
ふふんと鼻の下をかくと、どこか遠くで鳥が鳴いた。猿は雉の方を睨んだが、雉は「知らないよ」とばかりに肩を竦める。
「色々考えたんだ。確かに今の君たちに金銀財宝はいらない。けれど打ち出の小槌で人間になれば一生生きていくだけの資金になるだろう。それに延命の袋をつかえば人間と同じ寿命に」
「……桃太郎様。差し出がましいことを申し上げますが、それには及びません」
犬は首を垂れて言った。それから苛立たしげに地面に爪を立てて引っ掻く。その所作が、この冷静で従順な犬の苛立ちを十分に表現した。
「俺たちは動物です。人間には遠く及ばぬ知恵と力を持った愚か者かもしれません。けれど、誇り高く生きた獣なのです。俺は犬だ。最後まで、犬でいたい」
「ごめんね、ご主人様、今回ばかりはあたしも犬ちゃんにさんせ〜い」
「そうか。すまなかった」
桃太郎はその気高い魂に敬意を払って背筋を真っ直ぐにしたまま四十五度曲げた。
そうだ、獣としての誇りがなければ別種族である人間のことを助けるものか。人間を好いて、そして自分の力なら助けられると思ったから、こうしてここまで来てくれたんだ。今更その力を捨てようとするべくもない。
「猿は」
「俺ぁ」
猿はちらりと犬を見たが、犬は猿を一切見ていなかった。自分で抉った地面の爪痕を優しく消しているようだった。
「その袋は、動物にも効くんですかい」
「神様の持ち物とも言われているから、きっと人間以外にも。欲しいかい?」
「じーさんばーさんは」
「もしじいちゃんに使ったあと、袋がぽんと消えたら大変だろう。ばあちゃんにも使わなきゃ。それにふたりには『一生どころか二生分くらいの幸せをもらったよ』と言われてしまった」
きっと村へ帰ってきて桃太郎は真っ先にふたりのところへ袋を持って行ったことだろう。そして熱弁したであろう様子が簡単に頭に浮かぶ。桃太郎の育ての親とは昨日初めて会ったが、なるほど彼を育てた人柄はこういうものかと納得する穏やかさと気品があった。
「大将は使わねーんです?」
「僕かい? 人間はね、長生きなんだよ。僕はこれからあと何十年も生きる」
「でももし病気になったら? 俺にだって治せねー病気がありますぜ。とっておけばもしかして」
「はは、猿くん、来てくれるのかい? なら病気にならなきゃな」
「来やせん!」
だん、と地面を踏むが、筍の先を踏んでしまったため、痛さに猿は飛び上がった。足の裏にふうふうと息を吐きかけながら痛みを飛ばそうとする。
「ごめんごめん。でも、延命袋って名前だから、きっと病気は治してくれないんだよ。病気のまま、長く生きるのなんて嫌だろう?」
「そっか……そう、ですよね」
「病気の友達でも?」
「いや、その……友達だったらよかったんすけどね」
俯き、拳を握る猿。その尻尾は力なく地面を這っていた。
「……雉くん、ちょっと仕事を手伝ってくれるかい? 狩りをしたいんだ」
「いいけど、あのふたりはどうするの?」
「ああ、猿くん、犬くん。筍を五本ほど掘ってきてくれるかい?」
「あ、ああ。いいぜ」
「……桃太郎様がおっしゃるのなら」
そうして二手に分かれる一行。竹林に残された猿たちの背中は分かりやすく負の感情をまとっている。犬は嫌いな猿とともに過ごす羽目になった現状を、そして猿は。
犬に言わなければならない現実を。
「猿。俺は筍をよく知らん。地面を掘るのは得意だから指示を」
「犬さあ」
一応協力の素振りを見せたにも関わらず不躾な態度に犬は「何だ」と眉間に皺を寄せた。耳を立て怒りを顕にする。しかしその威勢も次の台詞までだった。
「水を怖がる病気って知ってる?」
「……そんなものがあるのか」
「自慢のお耳が下がってるよ」
からかいの色はない。猿はいたって真剣に話していたし、犬もそれを一瞬で理解した。
猿は地面を適当にいじっているが、筍を探してなどいないだろう。
「鬼ヶ島に行く前の日も、この村に着いてからも、ずっと自ら離れてた。あんた、水が怖いんだ」
「……言う義理はない」
「あるんだなあ、それが」
「何だ、水でもぶっかけようってのか」
「俺さあ、犬のこと好きなんだよね」
時が、止まった。笹の鳴る音も、鳥の鳴く声も、遠くからの人のざわめきも、全てが世界から消え失せたように、犬には感じられた。
猿が、俺を、好き?
それはどう聞いても恋愛としての好きだった。
猿の横顔を見ることもできない。何故ならきっと目を丸くしてしまうから。そしてそれは猿にとってとても失礼な目つきであるから。
「俺の好きな男が病気にかかってる。俺の知識が合ってれば、その病気にかかったやつはみーんな死ぬ。どんなにでかい外来種も、犬だか猫だかわからねーような犬もどきも。みんな、これは犬がかかる病気でな」
猿は言葉を閉じたのかそうでないのか分からなかった。ただ、猿はうずくまった。そして力強く拳でその場を叩いた。何度も何度も叩いた。
「俺ぁ、毒と毒消しについてなら人間の薬師より詳しい自信がある! どんな毒だって作れるし、どんな毒だってなくしてみせる! なのに、知らねーんだ! その、犬、お前の毒の消し方を!」
こんな手、こんな頭、何の役に立つんだ? 病気の知識だけあって病気に気付けたくせに、治すことすらできねー! 水が怖いなら水不足であと数日と保たねー! 延命袋が何だ、病気を治してくれないなら意味がない! 打ち出の小槌に病気を治す力があるか? なあ、あると思うか? それとも人間になれば治るか!? 犬、答えてみろよ!
「……俺は犬だ。最後まで、
「何でそうなんだよ、お前のそういうところが、どうして俺は大好きなんだよ、お前なんてどうして、どうして」
猿の目からはもう誤魔化せないほどの涙があふれていた。ただでさえ皺だらけの赤ら顔を更に赤くして皺のひとつひとつに涙を滲ませて顔全部で泣いていた。
犬はそっと、猿の肩を鼻で押し上げた。その体格差はあまりに大きく、先に死ぬのが犬だなんて誰も信じないだろう。
「犬だけが死ぬ病気なんだな。他の者に移ったり死んだりしないんだな?」
「あ、ああ」
「そうか、よかった」
言うなり、犬は猿の目元をぺろりと舐めた。熱いくらいの薄っぺらい舌に、猿は一瞬固まったのち状況を理解し「な、何を!? 女の子にそんなことしていいのは!」と舐められたところを押さえて叫んだ。
「はは、なるほど。猿もそんな顔をするんだな」
雉みたいだ、と笑うと「他の女と比較するから朴念仁なんだよ」と返されるが、犬の記憶が正しければ雉は雄だ。それとも自分には分からない雌雄の観点があるのだろうか。
「……延命袋、誰が使うんだろうな」
「お前以外でってこと?」
「ああ。俺が使っても仕方ないだろう」
「犬は死ぬのか?」
「死ぬと言ったのはお前だろう。えーと、あとどのくらいだと言った」
「数日だ」
「そうだな。数日か、そうか、数日か。俺な、かかあに言われたことがあるんだ。男なら女より先に死ぬんじゃないぞって。俺の親父はどの妻よりも先に逝っちまったからな」
「へえ」
「さて、そんなわけで俺は、お前より長生きしなきゃいけない。どうしたらいいか教えてくれないか、お医者様」
「は?」
猿は本当に分からないという顔をした。しかしそれが自分たちの関係性が変わったということだと理解したらしく、しばらく口をぱくぱくと金魚のようにさせたのち、「あの、えっとな」と言葉と言えるような言えないような曖昧なことだけを吐き続けた。
一頭と一匹の動物が山中を疾走する。人の整備した道どころか獣道さえ無視して茂みで皮膚を切り裂きながらどんどんと頂上を目指す。ふたりに残された時間はとても少なかった。犬はその巨躯を生かしてとんでもない速度で登ってくれた。時折川があると、猿が器用に遠回りの道を探してやった。そうして目指すのは、一番近くにある大山の頂上だった。
「何してんだろうな、俺ら」
「逢引だ」
「もう少しゆっくり景色を楽しみたいもんだね」
「……準備はできてるんだろうな」
「犬がぐーすか寝てる間、俺が何してるか分かってんのか? これだから朴念仁は」
「そうだな、薬の調合の合間、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる」
猿はぐ、と顎を引いた。犬の表情は生憎見えない。ただ風に吹き飛ばされそうになるものだから犬にしがみついて、自分の持っているずた袋に大切な薬がふたつきちんと入っているか確認している。
ひとつ、犬が苦しくないよう逝く薬。そしてもうひとつは――。
「どうしても猿も死ななきゃならないのか」
「惚れた女より先に死んじゃいけないんだろ、犬の雄は」
「だが」
「あんた、告白されたら全部断らずに付き合う柄なんだろ。そんで数ヶ月で振られる」
「何で知ってる!?」
「ははっ! 初めからお願いすりゃよかったのさ。延命袋を俺に使ってくれって。そんで伸びた寿命の間に猿様が治療法を見つけてくださいますからって」
「猿、お前、案があったなら」
「……自信がなかったんだよ。延命したところで、水が飲めないあんたは苦しみ続ける。その姿を見ながら薬を探し続ける自信なんかこれっぽっちも」
「俺は、これでよかったと思ってるよ」
「思いたい、だろ?」
「俺は犬として死にたい。そこに添い遂げる女がいるならそれほど嬉しいことはない」
「あーあー、そういう歯の浮くような台詞を言う男にだけは引っかからないって決めてたのにな」
「残念だったな。俺もあんたみたいな淑女は勘弁だ」
ふたりの笑い声は風の後ろへと飛んで行った。もし山の中で何かの笑い声を聞いた者がいたのなら、それはきっとこのふたりとすれ違ったのだろう。
その晩命潰えたふたりは今もなお山の中を楽しそうに走り回っているだろうから。
「筍ご飯、食べ損ねたな」
せっかく上等の飯と肉だったのに、と言いながら桃太郎は庭で米粒を啄む雉を眺めた。彼曰く竹林には延命袋があっただけで、ふたりの痕跡はきれいになくなっていたそうだ。獲物の追跡は専ら犬の役目であり、雉にできることは空からの探索のみなので、本気で逃げたであろうふたりを捕まえることはできまい。
「なあ、雉」
「何です、ご主人」
雉は桃太郎より少食だ。というよりは大男の桃太郎が大食いという方が正しい。
「延命袋のことなんだが」
「嫌だわ、あなたまでそんなこと言うの?」
「あなた“まで”?」
「分からない? あの犬と猿、私に使えって言ってるのよ。何でか分かる?」
「……ああ、分かるよ。だってそのふたりの願いは、俺の願いと一緒だから」
「ま、いいでしょ。鳥が何年長生きするかなんて知らないけど? 寿命の続く限り、同じ歌を歌い続けるくらいお安い御用よ」
「歌?」
「そうよ。歌いやすい歌にしてちょうだいね。その方が印象に残るでしょ。ああ、桃太郎っていう人が動物たちを連れて鬼退治したんだなって」
「ああ、分かった。最高の歌を作るよ」
「琵琶法師の知り合いでもいるの?」
「まさか。こうするのさ」
桃太郎はそう言うと懐から打ち出の小槌を取り出してひと振りした。すると何もない空間から一枚の紙が現れる。
「あら、賢い」
「猿に似たかな」
「そうだな、桃太郎殿」
「それは犬の真似かい?」
「そうよ。さ、それじゃ私はそれを歌ってあげるから、見せてちょうだい」
「ああ。是非、美しく歌ってくれ」
「任せてちょうだい」
ふたりの分まで。
そうして桃太郎の鬼退治伝説は全国各地へ広まっていった。事の顛末の知られていない、犬と猿の結末を除いて。
桃太郎〈恋物語〉 @k_sakuraba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます