夏の終わりに
火属性のおむらいす
第1話
僕には、誰よりも多くの時間を共にした大の親友がいた。
彼はなんでもできた。足は早かったし、テストの点数もいつだってクラスで1番だった。それでも調子になんて乗らず、見下さず、皆と笑顔で話しているような、非の打ち所のない人だった。
そんな彼には、当たり前のように友達が沢山いた。というか、出会った人の殆どと友だちだった。勿論僕も例に漏れずその1人だった。
僕は、彼とは真反対で何も出来ない奴だった。足は他の誰よりも遅かったし、勉強もよく分からない。
それでも彼には、僕が1番の親友だったらしい。彼に見合う人なんて他にいくらでもいるだろう。それでも彼は僕と一緒にいた。どうしてなのかは分からない。1度尋ねてみたような気がするが、もう随分昔のことなので忘れてしまった。
じわりと暑さのまといつく夏の終わり、僕は彼に会うために自転車に飛び乗る。体力など微塵もない足はものの数分で重くなった。それでも止まらず僕は必死に足を動かす。動かさなければならないと心のどこかで自然と思っていた。
10数分後、僕は大きな木のしたに自転車を止めて歩き出す。しばらくすると、目的地が見えてきた。正面で座り込み、えらく堅苦しくなった彼の居場所をしばらく眺める。手入れの行き届いた花が妙に眩しい。暑苦しい空気を吸い込んで、僕は「彼」に笑いかけた。
「やあ、久しぶり。会いに来たよ。」
目の前には、ひとつのお墓。
__彼は数年前、僕を庇って死んだ。
今日のような日差しの照りつける暑い夏の日、僕はいつものように彼と他愛もない話をしながら歩いていた。
「暑いね…」
僕が呟くと、彼は財布を持ち上げて言った。
「アイスでも買って帰る?」
「うん!」
僕も自分の財布を取り出して、中身を確かめる。10円と5円と1円ばかりの小銭を必死に数えた。なんとかアイス1個くらいは買えるお金は入っている。
「どうしよっかなー。アイスクリンでも買おうかなぁ」
「いいね、美味しそう。」
はやる足を落ち着かせながら、僕は横断歩道を渡る。
「悩むなぁ、棒付きアイスもいいかも」
「っ止まれ!!」
「…え?」
後ろからさっきまで横にいたはずの彼の声がする。驚いて振り向こうとして、突然背中に強い衝撃が走って僕は転んだ。
「痛っ…なんだよ、もう…」
地面に手を着いた体制のまま、僕は振り向く。すこし離れたところ…丁度さっきまで僕がいた所には彼が立っていた。
彼は、切羽詰まった顔で真っ直ぐ僕のことを見ていた。
「どう…」
どうしたの、と聞こうとしたけれど、その言葉が紡がれる前に彼の姿が消える。僕の足すれすれのところを見たこともない速さでトラックが通り過ぎた。
「…え?」
頭の中が真っ白になる。肌を焼く暑さが遠のく。蝉の声だけがうるさく耳元で響いた。
立ち上がろうとして、足元に何かが当たる。
…それは、赤い何かが付いた一円玉だった。
直感的に、血だとわかる。でも、誰の…?
答えは頭のどこかで理解していた。けれど心がそれを拒んだ。けれど夏の日射しに照らされ、転々と転がっている硬貨を目で追いかけて、僕は嫌でも目にしてしまう。
血まみれで倒れて動かない、彼の姿を。
「あ…ああ…」
僕は恐ろしくて、ただ震えることしか出来なかった。いつの間にか大人たちが集まってきて、病院へ連れて行かれた筈なのだけれど、僕にその記憶は無い。母親から何か聞かれたような気もするが覚えていなかった。
ただ呆然としていて、気がつくと僕は彼の写真の前に座り込んでいた。
あれから少し気持ちの整理はついたはずだが、やはり目の前にするとどうしても思い出してしまう。彼の笑った顔と蝉の声、そして轢かれる直前の必死な目。
僕が死ねばよかったのにと何度も思った。彼はなんでもできて、優しくて。けれど僕は何も持たぬ凡才だ。彼の未来も、可能性も、僕が奪ったんだ。何も出来やしない僕の不注意のせいで。
僕は手を合わせる。蝉の声がうるさい。
謝ることしか出来なかった。彼の両親に、友達に、そして彼自身に、僕は何度も謝り続けている。僕のせいです、ごめんなさい、僕さえ居なければ…。繰り返す度心が重くなる。自分が嫌いになる。僕は生かされる程価値のある人間では無いのに、どうして彼は僕なんかを庇ったのだろう。
『そんなことはないよ』
後ろから彼の声がして、僕は驚いて振り向く。いつの間にか僕は公園に居て、彼はあの日の姿のまま古びたベンチに腰掛けて笑っていた。
ああ、この光景は見たことがある。彼にどうして僕なんかと仲良くしてくれるんだ、と聞いた時だ。君には何も無い僕よりももっと似合う人が居るだろうに、と。
「でも、そうだろう?僕は君みたいに何でもできるわけじゃない。むしろ何もできない劣等生だ。」
僕がそう言うと、彼は悲しそうな顔をした。
『それは違うよ。君は僕に無いものをいっぱい持っている。』
「嘘だ。」
『嘘じゃないよ。』
「なら…何ができるって言うのさ」
彼は微笑んだ。見た者の心を落ち着かせるような、あたたかい笑みだった。
『君はいつだって僕が見つけられない物を見つけてくれる。』
「…?」
『なんでもないことさ。空が青いこと、雨の音が綺麗なこと、小さな花が咲いたこと。』
「そんなの、当たり前だよ。誰だって見つけられる。」
『確かに、当たり前かもしれないね。…でも僕は、君に言われるまでその存在に気が付かなかった。青空や雨音、ありきたりなものの美しさに』
「…。」
『僕には、生きている意味とか使命とか、そういうのは分からない。けれど君が教えてくれた沢山の物の美しさに触れた時、ああ、生きててよかったなと思うんだ。』
「…よく分からないよ。それは勉強や運動よりも大切なものなの。」
『勿論さ。君も、いずれわかるよ。だから…その時まで、何かを美しいと思うその気持ちを忘れないでね。』
…ああ、そうだ。彼はそう言って僕に笑いかけたんだ。目を開く。僕は確かに墓場に居た。いつの間にかすっかり夕方になっている。白昼夢なのか、何なのか。もしかしたら彼がみせた一時の夢だったのかもしれない。
「ありきたりなものの美しさ…か」
見上げると、橙に染まった空が一面に広がっていた。その鮮やかさにしばらく見とれて、僕はその場で立ち止まる。ふとそよ風が吹く。夏の終わりの、独特な匂いがした。
僕はまだ、生きている。だからいつか彼に会う日まで、この美しさを沢山見つけよう。
そして彼に話すんだ。彼が見つけられなかった物の話を、彼がうらやむくらいに、たくさん。
夏の終わりに 火属性のおむらいす @Nekometyakawaii
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