第十話 実行委員





 

 『恋愛』をするためだけに魔法で若返りかつての母校に偽名を使い入学した緋山奈智子。


 余りにも手に余る存在である上に誰に言っても信じてもらえそうにない話なので、しばらくこの件はわたしの胸に秘め、監視対象とすることに留めるしかなかった。


 傍から見ている分には普通の女子生徒だ。


 学校内でも、時々わたしの視線に気付き、笑顔で手を振って来て、こちらが逆に嬉しい気持ちにさせられるのは正直自分でもどうかとは思っているのだけど。


 こうして保留と言うか一定の距離を置いた状態で夏休みを迎えたのだが、夏休み中に奈智子がわたしの家に上がり込んでくるようになり距離を取るどころでは無くなってしまった。


 九月が近付く辺りでは最早半同棲のようになってしまって監視とかそういう次元を通り越してしまって今に至る訳だ。もちろん、それを許しているわたしの責任であるので、奈智子の無軌道を責めるのはお門違いなのだが。






 新学期が始まる九月。


 奈智子との生活をそれなりに受け入れられるようになり始めてしまいつつあった最中、園部先生に不意に尋ねられてしまったのだ。


「……もしかして、高津先生って、一年の葉山と仲が良いの?」

「……え゛?」


 例によって休憩時間の食堂前、養護教諭の園部と並んでペットボトルでのティーブレイクの最中に振られた話題だ。


 全く想定していない相手からその名前が出てきたので、わたしは一瞬、表情を強張らせてフリーズしてしまった。


「えー……。仲が良い風に見えてましたか?」

「いやだって、何度か挨拶し合っていたり、会話したりしてるのを見たから」

「あー、はい。たまに喋ったりとか、してますね」

「高津先生と彼女の接点がぱっと思い付かない」


 そう尋ねる園部の様子には、特に疑念や憂いの色は無い。純粋に疑問に思ったから質問している様子。


 思わず生唾を飲みそうになる。

 迂闊だった。

 生徒と先生が会話している様子は結構目立つ。場合によっては特定の生徒に対する贔屓を疑われ、思いもよらぬ角が立つ。

 一応、気にはしていたつもりだが実際こうして指摘されないといかに警戒が不十分だったのか中々気付けない。

 日々の警戒を怠ったせいで、いまわたしは窮地の只中だ。どう答えたらいいかわからない。


「先生、一年の授業は受け持ってないでしょ? 葉山は茶道部でもないし」

「あー、わたしから話し掛けたんですよ」


 一瞬の思案の後、半分真実を混ぜて誤魔化すことにした。


「葉山さんが幼馴染にそっくりだったのでもしかして娘か親戚なのかなぁと思って。結局全然関係無かったんですけどそれ以来仲良くなって……」


 ヤバいくらい嘘が下手糞だな、わたし。


 わたしのしどろもどろの説明に園部は「へぇ……」と感情の読み取れない無表情で納得した。

 納得してくれた、と思う。


「彼女は中々人誑ひとたらしな子みたいね。気ごころを許してしまいたくなる雰囲気があると言うか……」


 ……わたしの下手な嘘は特に詮索されること無くスルーされているみたいだが、どうもそもそも、園部の関心はわたしが生徒と仲良くしていることよりも、葉山ひな(緋山奈智子)の方にあるらしい。


「……園部先生も彼女をご存じなんですか?」

「あ、うん。というか、彼女は中々有名人だよ?」

「有名?」

「バレー部の副キャプテン、ああ、繰り上がりで新しいキャプテンになった男子、その子と付き合っているらしい。名前は何だったかなぁ……、確か、柏木かしわぎとか」


 ぶっは!


 危ない、ミルクティー口に含んでいたら思わず吹き出していた所だ。


 てかなんだその話。

 そんなこと奈智子からは一言も訊いてない。


「……いやそれ、初めて知りました」

 わたしは何とか平静を装いつつ抑えめに驚いた風の態度を見せた。


「……先生は、どこでそんな情報仕入れてくるもんなんですか?」

「それこそ生徒の噂話を訊かせてもらったり。男子の運動部員は特に女子生徒に動向をチェックされているからそういう話もよく聞けるのよ」


 ……養護教諭独自の情報網とでも言うのか? そんな噂話はわたしの元には一切入って来ない。


「それこそ、葉山さんとそのバレー部の男子生徒との接点が全然思い付かないんですけど?」

「ああ、葉山も柏木も体育祭の実行委員なのよ。夏休みの中頃から活動をしているはずだから、その時から知り合ったんじゃないかしら」


 ……そんな所から上級生男子との接点を作るのか。抜かりが無いというか、奈智子の貪欲さの一端が垣間見えてしまった。


「体育祭の実行委員と、あと保健委員に対しては、毎年怪我人が出た際の対応とか応急処置に関する指導をすることになっていてさ。今年もやったんだけど、その時にも確かに葉山が居たよ。一年生の女子で一人利発で積極的な子が居たなって。包帯を巻く実習もさせたんだけど彼女に対する好感度の高さと言うか、同年代も上級生の男女共に目に見えて信頼を置いているのがひしひし伝わるのよね。彼女の方も色んな相手に気さくに話し掛けて談笑してたし」


 ……改めて、嬉々として高校生として生活している彼女に驚かされる。その情熱は一体何なのだろうか。


「しかし、彼ら彼女らの嗅覚は何なんだろうね? 男子にしろ女子にしろ『あっ、この子は異性に好かれそうだなぁ』と思ったら瞬く間に恋人作っているアレは」

「根本的に、学校や異性に対しての視点が違う、とか?」

「……わたしが学生の頃には全く縁遠い世界だね」

「いや……、わたしとしては先生もモテそうな雰囲気ありますけどね?」

「あはは、ありがとうね。でもわたしの場合はどうも我が強過ぎて倦厭されるのよねぇ……」

「はぁ……」

「それに男に気を遣う愉しさより、独りとか友人とかと適当に馬鹿をやる愉しさの方が圧倒的に勝っている」


 緑茶のペットボトルと小首を優雅に傾ける園部先生。

 夜のバーでカクテルグラス片手にやればすごく絵になりそう。


「それ、凄くわかります」

「はは、高津先生には理解してもらえると思ってた」


 高校の自販機の前で、密かに共感を分かち合う独身2人組の図である。






「ううん、付き合ってないよ?」


 園部から、『葉山ひな』に関する知られざる交友関係を明かされた日の夕食時、奈智子が作ったビーフシチュー等々を囲みながら、さっそくそれについて話題を振ってみた所、奈智子から特に思案するでもなく帰ってきた回答がそれである。


「……そうなの?」

 申し分無いコクと味わいのビーフシチューに密かに感動しながら、訊き返すわたしの声色には若干の猜疑心が帯びていた。


そもそも『恋愛するため』に高校生になったなどと口にしたのは奈智子本人なのだが。


「ええとね、仲良くさせてもらっているのは本当」

「仲良く……」

「うん。まー、体育祭の実行委員以外でも出くわしたらちょっと会話して盛り上がるかなぁ、くらいの感じ」

「なるほど……、仲は良いのね」


 なるほどとは口にしつつも、多分あんまり納得しているようには見えない表情をしてしまっているとは思う。


「うん、恋愛とかそういう感じじゃない。今の所は」

「予定は未定か」

「うん、未来はどうなるのかわからないし」


 シチューおかわりしよ。

 そう言いながら立ち上がり、お皿を片手に台所のコンロの鍋へ向かう奈智子。

 今の服装はサイズの小さめな黄色いTシャツとデニム地のハーフパンツ。ラフな格

好だ。発育途上のボディラインを無邪気に強調し、若さが瑞々しく揮発させてく

る。少女特有の甘くねっとりとした空気を感じ取れてしまいそうだ。


 わたしの方も、ジーンズとTシャツの部屋着ではあるのだけど、見る者を魅了する鋭利さ加減が全然違う。

 奈智子は、間違い無く、『若さ』を愉しんでいる。


「……噂話が実現する未来も有り得るということ?」

 嬉々としてテーブルに戻ってきた奈智子にわたしは純粋な好奇心のみで質問しているように声色に気を付けながら尋ねた。

 てか、随分並々とよそってきたな、食べ切れるの?

 そうか、それも若さか……。


 質問に奈智子は、シチューを掬ったスプーンを口に運び、うーんどうだろう、と思考を巡らせる。

 そのアンニュイに悩んでみせる仕草に、微かな充足感のようなものが香ってくる。


「軽薄そうに見えるけど意外と優しいのよね、柏木くん」


 ずっと年下の男の子を話題に出すおばさんのように、高校の先輩を『くん付け』する奈智子。


「でも女の子に物怖じしないあの感じは女の子に慣れている証拠。まな板の上で調理されている最中なのが自分でもわかるわ」

「……好きになりそうになっている、とか?」

「好きになってあげてもいいかな? って思い始めている最中っていう方が近いかな? 今はまだ、柏木くんが好意をチラつかせながら一生懸命『頼れる先輩』を演じながら好感度を上げようと頑張っているのを見てるのが愉しいし」

「……ぅわ」


 思わず声が出てしまったが、奈智子は少し得意げにふふふと笑うだけだった。


 本気なのだこの人は。


 思春期の少年が自分に向ける思慕や劣情を、本気で愉しんでいる。


 爆発的に増殖するウィルスのように脳裏に湧き上がったおぞましさはしかし、十代の少女にしか見えない奈智子の上辺で中和されてしまって、友人の惚気話レベルに落ち着いてしまう。


「……十代の男の子を恋愛対象として見做せるものなの?」


 わたしは、出来るだけ角が立たないように、『純粋な好奇心』に満ちた質問であるように声色に十分に気を遣いながら質問した。


「わたしには高校二年生なんてもうただの子供にしか思えないから」


 それは、自分が教師だからとかそういう以前の問題だと思う。

 25歳年下に恋慕を抱いたり心の拠り所を求めあったりなんてこと、想像も出来ない。


「立場が人を造るんだよ」


 しかしわたしの意見に対して奈智子は、滑らかな笑みと共にそう答える。


「年齢の壁って、確かに高いけどね。そのためにわたしは自分を『女子高生』に最適化したの。中身は確かにみのりぃと同じ年だけど、立場はどうあがいてももう『高校一年生』だから、わたしはあんまり、そこには違和感を持たないな」


「立場としては問題無くても」

 いや多分大問題なのだが。


「子供相手に本気で恋愛出来るの?」

「意外と出来そうかも、って最近思ってる」


 そして奈智子は怖いくらい愛らしく、にっこりと笑う。


「恋愛がわたしを子供に変えてくれるから」




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