第八話 常夜灯





 ……一応、疑問が解消した。ということで良いのだろうか?


 学校での仕事を終え、スッキリした気持ちとどうしても納得出来ないモヤモヤが同居した複雑な心境のまま、自家用車のハンドルを握っていた。


 緋山奈智子と葉山ひなは無関係だ。そう本人から言われてしまえば引き下がらざるを得ないし納得せざるを得ない。

 しかし余りにも記憶の中の奈智子と彼女はそっくりだし、奈智子のあだ名を名乗っているのもどうも腑に落ちない。


 何か重要な情報が明かされていないし誰かが噓を吐いている。

 そう思えてならないがならそれはなんなのかは一切見当が付かない。例えば葉山ひなの実の母親は奈智子で、彼女はそれを訊かされていないとか。


 ……その後、葉山ひなが奈智子を実の母親と知らずに育つ可能性について5通りくらい妄想してみたが、割と失礼な妄想だなこれはと途中で自覚し、行きつけのスーパーの駐車場に辿り着き停車する。


 仕事の疲れと疑念に対するモヤモヤが夕食を作るモチベーションを減退させていたのでお弁当と総菜のコーナーを物色。物凄く大雑把に栄養バランスを各食品の構成物から計算しつつ夕食を選び取り、カラフルに自己主張する商品群を巡りながら切らしていた日用雑貨や飲み物数種を買い物かごに投入していく。


 会計を済ませ、買い物かごからエコバックへ購入品を移し替え、スーパーを出る。爛々と明かりが灯された店内から夕闇が迫る駐車場へ。店内の極端な明るさと疎らに立つ常夜灯だけの駐車場の昏さのギャップに内心驚きながら自家用車に向かう。


 キーロックを解除し、後部座席のドアを開けエコバックを押し込む。

 そして運転席側のドアを開いてシートの腰を下ろそうとすると、横から素早くドアが開く音が響いた。


 わたしが反射的に視線を向けると、制服姿の少女が一人、するりと素早く助手席に身体を滑り込ませていた。


 少女は勢いよくドアを閉め、プリーツスカートの皺を直しつつ居住いを正し、わたしに勇まし気な笑みを向ける。


 わたしが務めている高校の制服を着た少女、昼休みに言葉を交わした葉山ひなその人だ。


「え……? ちょ、……え?」

 事態を飲み込めず硬直してしまった。


「あはは……、ごめんね。こんなの普通に驚くよね」

 わたしの様子に愉快そうに笑い、軽い感じで謝る、葉山。


「え、えええと、葉山ひなさん、よね」


 混乱しながら一応確認を取ろうとする。

 車に乗り込んできた瞬間は葉山ひなだと確信できたのだが、今はちょっとそれが揺らいでいた。


 待ち伏せされて車に乗り込まれる理由が不明だ。

 しかも、明らかに、学校の中でのわたしへの態度と全然違う。


「うん、葉山ひなだよ? でもみのりぃ、本当にソレ、信じてるの?」


「みのりぃ……」


 学生時代のわたしのあだ名である。

 葉山ひなが知り得ない呼び名。


 彼女が独自に思い付いた呼び名だとしても、教師であるわたしに対して敬語を使わない砕けた口調、不遜かつ楽しげな様子は明らかに異常だ。


「まさか本当に……、本物のひなさん、じゃなくて、緋山奈智子なの?」

「正解。てか旧姓で呼ばれるの凄い久しぶり。ちょっと吃驚した」


 そう言いながら悪戯に引っ掛かった大人を見るようにくすくすと笑う少女。その姿はやはり学生服のままで、愛らしい内巻きセミロングの髪を小さく揺らす。


「どうして……」

 どうして?


 余りにも疑問に思う点が多過ぎて逆に頭が回らない。

 何も考えが纏まらなかったから、反射的に


「どうして見た目が子供の時のままなの?」


 とか訊いてしまった。


「……実は若返っているんだよ」


 むしろ少女は待っていましたとばかりに返答をする。


「若返りの魔法で、この年齢にまで若返っているんだよ」


 自動車の助手席から微かにわたしの方に身体を乗り出し、世界の秘密を明かすように囁く彼女の声は、若干の緊張に震え、それ以上にわくわくを押し殺したような高揚感に満ちていた。


「魔法……、あ……」

 その不意に現れたフレーズが、何故かわたしの中のわだかまりのひとつにかっちりと嵌まってしまい、急に胸を占める謎のひとつが明らかになった気にさせられた。

 わたしのそんな様子に少女は眉を少し吊り上げながら視線でわたしに言葉を促す。


「もしかして……、それって、『美魔女』的なモノ?」


 ……そう言えば『美魔女』って多分死語だな。

 最近滅多に聞かない。

 最近聞かない言葉だが、奈智子の今の状態に対する説明としてはそれなりに的を得た解釈なのではないかと思えた。

 葉山ひなは余りにも高校生の頃の緋山奈智子そっくりだったが、30年弱もの歳月による老いや肉体の成熟が彼女からは一切見られない。

 

 でもそうか、『美魔女』。

 

 年を取っても美貌を維持するエステなり健康管理なり栄養管理なりメイク術を駆使すれば、43歳でも美しさを保てるのでは、ないだろう、か?

 何せ奈智子は元が良い、わたしなんかと比べ物にならないくらい良い。それに加えて徹底された技術と情熱があれば40過ぎでも十代の見た目を保てるのでは……!


 わたしが口にしたフレーズに制服の少女は麗しい眼をまんまるに見開いた。

 そしてわたしの思考を打ち消すように吹き出し、手を叩いて笑い転げた。


「ちょっ、ちょっと、美、美魔女って、なに言ってるの……!」

 美魔女、美魔女! と口にする度に制服姿の少女は自分で更に笑い転げている。


「いや、美魔女……! メイクとか? そんなんで制服着て女子高生のフリは無理だよぉ、そんな勇気無い……!」

「いやでも……、じゃあ魔法ってなに?」

 激しく笑い転げる様子にわたしは憤慨するより戸惑いを感じさせられ、恐る恐る訊いてみる。


「えー、魔法は魔法だよ? ちちんぷいぷい、とか?」

 いや、その解答じゃさっぱりわからない。


「う~ん、科学で解明され得ない技術体系とか、人体の内外、自然の法則に直接手を加える相互干渉手段とか、そういう説明でわかる?」

 いや、やっぱりさっぱりわからない。

 しかし、それらの言葉は正直、少年漫画やらライトノベルの設定染みた話が奈智子の姿をした少女の口から話されたことに、わたしは密かに驚かされた。そんなオカルトとかファンタジーとかにはもっとも縁遠い人物だと、勝手に思い込んでいたからだ。

 いや或いは、本当に技術や学問として『魔法』を身に付けたと言うのか?


「……本当に、本物の魔法なの?」

「なにを『本物の魔法』とするのかっていう話はまたそれはそれで難しいんだけど……、そうだよ、『本物』の魔法」

 ……専門家やオタクのきめ細かな拘りみたいな物言いだな。

 そんな過度に誠実か意地悪かのどちらかみたいな言葉も、若干『緋山奈智子』のイメージと乖離がある。


「人体や自然に直接手を加えて、……若返る魔法?」

「そうだよ」

 笑顔で首肯する奈智子。


「そう……、なんだ」

 眉間に皺を寄せまじまじと奈智子を見詰めてしまうわたし。


 ある意味問題なのは、この時点で奈智子が魔法を使ったとかいう常識を超越した話をこの時点でほぼ信じてしまっていた点だ。


 魔法に纏わる話は突拍子も無いが、それ以外の、彼女の仕草や話し方は、記憶の中の緋山奈智子そのものなのだ。そっくりさん、と言われるより本人だと言われた方が信憑性がある程に。


「みのりぃにはわたしの正体を秘密にして欲しい」


 わたしの混乱を静かに解きほぐすように奈智子が言う。


「バレなきゃ黙っておくつもりだったんだけどね、みのりぃ学校でわたしの顔を見たとき凄く驚いた顔していたでしょ? 今日のお昼もちょっと釈然としてない顔してたし。これはほぼバレてるなぁって思ってみのりぃには本当のことを話そうと思ったの。その上で黙っておいてもらった方が確実かなと思って」


「……ひなはどうして若返って燐高りんこうに入学したの?」

 伝わったかどうかわからないけど、偽名と思しき『葉山ひな』の『ひな』ではなく、わたし達が高校生だった時のあだ名の方の『ひな』のニュアンスで口にする。 

 奈智子は、少し眉を持ち上げ、真剣そうだが内面が読めない表情を作る。


「それを話してもらわないと何も決められないわ」


「『恋愛』をするためだよ」


 奈智子は迷い無くそれを口にする。


「高校生の姿で恋愛をする、そのためだけにわたしは魔女になって若返ったの」




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