第35話 MI6連続殺人事件

 深夜二時、家庭科室の灯りが不穏に光っている。

 その家庭科室から、何者かの声が聞こえてくる。「——で……——ええ。しかし——まあ……」と途切れ途切れの声だ。


 家庭科室のドアに張り付いて、その声を聞く一人の青年。

 帽子を深く被っている。身長から景音けいんだと分かる。

 ガラガラとドアが開く。

 男はドアの前で立ち止まった。

 景音は急いで、側にある階段の後ろに隠れる。


「文垣先生のことは、こっちに任せろ。それと、気をつけろ。じゃ」


 深夜であることも重なり、月明かりによる逆光で顔がはっきりしない。

 ピッと高い一音が鳴った後、景音がゆっくりと顔を出した。

 電話をしていたのだろうか。声質は明々白々、男で聞き覚えがある。

 男はため息すらつかず、早歩きで歩き始めた。

 足音が聞こえず気味が悪い。


「…………」


 景音は帽子を深く被ったまま、男の後を追う。

 順調に歩を進めていた目の前の男だったが、突然足を止めた。


「……!!」


 景音が驚いて躓きそうになるが、どうにかして踏みとどまった。

 男は立ち止まったまま動かない。

 二人が居る暗い廊下に、鋭い空気が漂う。

 十秒ほどしてから、男はゆっくりと首を動かし、鼻先を右に向けた。

 暗くて男の顔は見えないのに、眼球は景音の顔を捉えているようだった。


「……」


 景音は微かな息遣いも許さない、というように目を見開いて微動だにしない。


「……気のせいか」


 男は小さく低い声で呟いて、何処かへ行った。


「ハァ……」


 景音は大きくため息を吐いて、帽子を取った。


「今日は、帰るか」


 景音は家庭科室の隣にある階段から降りて行った。



 翌日。

 歩美と紗季が一緒に登校する。

 下駄箱の傍にある階段を上がって行ってすぐの二階の床を踏んだ時、カメラのシャッターを切る音と今藤の声が聞こえてきた。

 二人の話す声に交じって、微かに血の匂いがする。


「こいつは……」

「うん。おそらく」


 階段を上った先に、今藤と愛川が頭を抱えている。

 よく見ると、愛川の手元に黒いものが見られた。


「姫ちゃん!!」

「あれ?歩美ちゃん?」


 歩美が愛川の名を呼ぶ。愛川が驚いて振り返り、黒い手帳を後ろに隠す。


「何かあったの?」

「殺されてんだよ」


 歩美が聞くと、愛川ではなく、今藤が答えた。


「誰が?」

「これだよ」


 今藤は愛川がとっさに後ろへ隠した黒い手帳を奪い取り、歩美に向けた。


「殺されたのは、英才中学校のMI6諜報員だ」

「え、そ、それ、本物?」


 歩美が思わずうろたえる。何しろ初めて見た上に、日秀学園にそんなものが有るなんて普通はあり得ない話だからだ。


「まさか……英才中学校で殺されて、日秀学園まで運び込まれた可能性は?」


 歩美の後ろにいる紗季が問う。

 彼女の質問に今藤が答えた。


「可能性は、ある。だがどちらにせよ、犯人は日秀学園にいることは間違いない。仮に英才中学校で殺されたとして、ここまで運び込むのには、協力者が必要だ。ある程度、校舎の内装を分かっているここの生徒がな」


 今藤が真剣に言う隣で、愛川が不敵な笑みを浮かべ歩美の顔を見る。


「疑いたくはないけど、一番怪しいのはそこの探偵気取りの二年生とか……」

「え!?」

「……冗談だよ」


 歩美の驚きように愛川が眉を顰めた。

 歩美は安堵した表情をしてすぐ、黒い手帳に視線を写した。

 MI6のIDが入っていて、顔写真と名前が書かれている。

 殺されたのは唐尾という青年のようで、IDの顔写真と死体の顔が合致する。


「なるほどね。被害者の近くにこれが落ちてたのか」

「それに、殺されたのは、彼だけじゃない」


 突然自分の隣でそう言う愛川に歩美は目を丸くする。


「土日の間に、この男と同じMI6の青年が六人見つかってる。君たちは、サッカーの試合を見に行ってたから知らないだろうけどね。私達も非番で、今日の朝聞かされたから、詳しくは分からないけど」


 愛川が冷静に説明する隣で、歩美が考え込んでいる。すると今藤がいきなり歩美の持つ手帳を奪った。


「ちょ、ちょっと」

「『ちょっと』じゃねえよ。捜査は俺たちの仕事だ。歩美は引っ込んでろ」

「……」


 今藤はそう言い放ち、スマホで死体を撮影した。


「歩美、行こう」


 自分の後ろで紗季がそう言っている。歩美は紗季の後ろに立って、歩美の事を呼ぶが、歩美は目を細めて死体を見つけた。


「歩美?」


 紗季が何度がそう呼びかけとすぐ、「あっ」と言う顔をしている。


「ごめんごめん。行こっか」


 歩美は両手を胸の前で合わせ、ぞんざいな謝罪をした。


「もう……」


 紗季はそう言って、自分の方に追いかける歩美の姿を見てふっと笑顔になった。



 雪は朝、カバンを背負って登校している。特に普段と変わったことは無い。いつものように教室まで続く長い廊下を歩いていた。

 雪はふと、目の前から近づいてくる青年の顔を見て不思議そうに彼の顔を見た。

 向かい側から歩いてきた青年は加織皐月かおるさつき

 雪は彼の顔、目を見る。

 真っ黒で、とても神秘的な瞳をしている。虚無的な表情を一切変えず、雪の隣をすれ違った。

 すれ違う瞬間、雪は奇妙な感覚を覚えた。

 雪は皐月をはっきりと目で追う。

 ちょうど後ろに来たあたりで、雪が「皐月」と彼の名を呼んだ。

 彼は立ち止まる。


「ん?」

「その手、どうした?」


 皐月の左手には包帯が巻かれていた。


「ああ、これ、昨日弟とサッカーしてたら、転んでしまって。転んだ時に手を前についてしまったから、少し手にひびが入ったんだよ」


 彼は無表情のままそう言う。

 雪は安堵の表情を含んだ笑顔で皐月の目を見る。


「そうか。気をつけろよ」


 雪はそう言い、自分のクラスの教室へ、足を運んだ。


「うん。雪もね」


 皐月はそう言って歩いて行った。


「あたしも?」


 雪は珍しく訝しげな表情で、皐月の後ろ姿を眺めていた。



 放課後。

 コンコン。

 紅茶の匂いが漂う事務所の中で、ノックが響いた。


「はーい」


 紗季が事務所のドアに小走りで近づいて、ドアを開けた。


「愛川です。ちょっと聞きたいことが」

「何?今藤は?」


 紗季がそう言うと、愛川が頬を膨らませて言った。


「今藤は嫌がって来なかったよ」

「あーそう」

「不本意だな~私、そんな嫌かな」


 赤いソファに寝転がって文句を言っている。

 愛川はその様子を見て、深くため息を吐いた。

 紗季は彼女の隣で紅茶を飲む。

 愛川は赤いソファの前に仁王立ちすると、歩美に向かって言った。


「今朝の事件の事だけど、協力してほしいの」

「でも、今藤が引っ込んでろって言ってたでしょ?」


 歩美がソファの上でごろごろしていると、愛川が頭を下げた。


「今藤警部補には黙っている。さっきは彼が悪いことをした」

「うーん……分かったよ。その協力してほしいことっていうのは、今朝見つかったMI6の死体?」


 歩美がゆっくり起き上がり聞くと、愛川が顔を上げる。

 赤いソファの向かいに置かれた椅子に腰かけると、制服の内ポケットから紫色のファイルを取り出した。


「うん。MI6連続殺人事件。なぜか遺体がここまで運ばれてるっていうのが気になるところだけど。殺された諜報員の名前は、殺された順に、唐尾からお神崎かんざき小川おがわ灰塚はいづか瑠璃るり味岡あじおか対田たいだ


 ファイルのページの間から名を呼ぶと同時に顔写真を机に並べていった。


「全員、英才中学校の生徒?」

「おそらくは。ただ、全員英才中学校の制服ではなく、真っ黒なスーツを着せられていたから、ポケットに入っていたMI6のIDを見て、配属先と書かれたところに英才中学校と書かれていただけだったから、もし犯人が手練れで、IDを偽造するほどなら、この学校の生徒である可能性もある」


 愛川が説明する前で、歩美が「うーん」とうなった。

 その様子に、愛川が顔を顰める。その瞬間に鼻の先で紅茶の匂いがしたことに気が付き、愛川は、左上に視線を移す。

 紗季が自分の紅茶を片手に、もう一つ、紅茶の入った、綺麗に装飾された綺麗なカップを机の上に置いた。


「ありがとう」


 愛川がそう言うと、紗季がフッと鼻で笑った。


「何が可笑しいの?」

「いえ、別に。ただ、刑事も紅茶を飲むものなのかと思って」

「え?」


 紗季が愛川の隣に座り、紅茶を一口飲む。


「刑事ドラマじゃ、コーヒーをよく飲むから」

「ああ。私、苦いの苦手だもん。今藤は、コーヒー飲むみたいだけど、甘いのだけね。この前、尾行調査の時に、かっこつけてブラックを頼んで、我慢して飲んでたわ」

「今藤らしいね」


 愛川の語る今藤が滑稽で、思わず歩美が吹き出す。


「それで、何か分かった?」

「顔写真と名前だけ言われて気づくと思う?」


 歩美の顔が笑顔から途端に不満を表した。


「この七人、共通点は無いの?」

「さあ。今藤が言うには、何かの大きな組織に潜入捜査をしていた先輩の後輩だって。でもその先輩、三年前くらいに全員殺されてるよ」

「そう。彼らが何の組織に潜入してたのかは?」


 愛川の隣で紗季が聞く。


「MI6に聞いても教えてくれないんだもん。嫌な顔一つされず突き返されたわ」


 愛川は、当時の不快感を思い出すように歯を食いしばった。その様子を見た歩美が愛川に言い放つ。


「うん。そうだね。じゃあ、その組織に殺されたってことでしょ。それは確定。今分からないのは、なんで潜入捜査してた諜報員の後輩が今になって殺されたかってこと」

「ま、それでいうとそうね。それに犯行も一人であるとは考えにくいし」


 紅茶の匂いが一段と濃くなったように感じた。

 頭を抱える二人をよそに愛川が紅茶を一口飲んだ。



 薄暗いバーで、カミカゼの入ったグラスとレッドアイの入ったグラスが並べられている。

 カミカゼのグラスの前には流が座り、レッドアイの入ったグラスの前に景音が座った。

 そして少し離れたところに雪が座り、ホワイトレディの入ったグラスを持ち上げくるくる揺らしている。

 流の隣に冴香がレジのところにもたれかかり、コスモポリタンの入ったグラスを口につけた。


「昨日の夜、怪しい男を見つけたから追っていたんだよ。電話の会話から察するにMI6だ」


 景音がワイングラスを掴みそう語る。景音の横顔を見ながら流が問う。


「誰かは分かるのか?」

「ああ。サッカー部の、加織皐月だ」


 景音の口から発せられた名に流の目が震える。


「MI6だろうというのは、確定じゃない。ラトレイアーの可能性も拭えない」


 彼がそう言った後、雪が少し間を開け言った。


「ああ。この前景音がカルムの手に怪我を負わせたろ。皐月のやつ今日、手に包帯を巻いていたさ」

「何?」


 景音が顔を顰める。

 流が冷静に「皐月に限って、そんなはずはねえよ」と、簡単に雪の言葉を否定してしまった。


「でも、可能性はあるわね。この頃MI6が連続で殺害されているし。やったのは恐らくBの幹部であるフロワ」


 冴香がレジの横にグラスを置いて言う。

 雪がホワイトレディを飲もうとしたが、フロワの名を聞いた途端に手を止めた。


「フォリー亡き今、組織で動けるのは彼女だけ。それぞれの殺しの手法が、銃殺であることからもあり得るわ。まあ、刺殺の死体もいくつかあったみたいだけど」

「カルムは人殺しなんかしねえよ。殺すのはあの女だけだ」


 雪はまるで常に笑顔を張り付けたように一切笑顔を崩さなかった。


「随分入れ込んでるのね。そのカルムってやつに」

「Aのメンバーは殺し専門じゃないからな」


 雪はグラスをカウンターに置いて後ろにもたれる。


「まあ、殺しの腕は確かだよ。Bのメンバーは少ないからな。だがその分、配下のマフィアに殺させている。だから、MI6の諜報員を殺したのが、一概にフロワとは言えない。どちらにせよ、協力者がいる時点で、と確定するのはおかしいしな」


 流が立ち上がり雪の横まで移動する。

 雪の横に仁王立ちした流を、雪が椅子の上から見上げる。


「お前、皐月がカルムだと思ってんのか」

「さあ。ま、何かしらあるのは間違いねえよ。カルムだろうが、カルムじゃなかろうが、MI6だろうが、MI6じゃなかろうが」


 雪の笑ったままの顔に流が少し赤くなる。店内の灯りか、それとも彼自身の怒りによる顔色の変化なのか、第三者から見る分には見当もつかないが、雪は彼の心情を読み取ったらしく、不敵に笑った。


「世の中には知らない方がいいことってのがあるんだよ。それは、知ると辛くなるからなのか、激しい憎悪を募らせるからなのか、酷く哀しくなってしまうからなのか。

 一度そう言う事を知ってしまえば、本領を発揮できなくなる。それは、知ってしまった事によるショックからなのか、それとも今まで大事にしていた人に騙され続けていたという憤慨からなのか」


 雪は立ち上がり、ジャケットから財布を取り出す。


「何が言いたい?」


 レジまで歩く雪の姿を三人が目で追いかける。

 流だけが雪の背を追った。


「ようは、皐月が誰であれ、ショックを受けず立ち直れよと」

「俺はショックなんか受けない。まさか、皐月が警察だっていうのか?」


 財布から百円を取り出した雪に向かって流が叫ぶ。

 雪は不気味に笑い、流に問う。


「だったらなんだ?そうだとしたら、お前はショックなのか?」


 そう言う雪の瞳の奥には流の黒い感情が見えているようだった。

 流は、雪の顔を睨みつける。


「知ってるくせに……お前はぁ……!!」


 少しだけ広いバーに流の声だけが響く。


「まだ、引きずってるのか」

「黙れリュゼ!!お前は、本当に……!!」


 流の目に涙が浮かぶ。

 雪は一瞬驚いた顔をしたがすぐに元通りになった。

 カランコロン。

 ドアが開く音がし、雪以外の全員がドアの方を見た。


「騒がしい。外まで声が漏れていたぞマスター。リュゼ、流を挑発するのは控えろ」

「挑発なんかしてねえよ」


 雪が百円をレジの横に置くと、管理官とすれ違う。


「おい待て。なんで……」

「悪いな。管理官、あたしは帰るよ」


 雪はふざけたように小さく手を振った。

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