第18話 不死の研究
三年前、俺——
ウィングウイルスとは感染すると、体毛と瞳の色が虹色になり、背中から天使のような白い翼が生え、不老になるが寿命が残り一週間になる、というウイルスだ。
俺が行っていたのは、このウィングウイルスを利用した薬を作る事である。
元来、俺が行っていた研究は、抗生物質の研究だったが、不老不死の研究を始めると言った途端、他の研究員たちが離れて行ってしまい、残ったのは俺と、ほとんど来ない研究員数人。そして、もう一人、医者の
旧校舎の理科室に入り、電気をつける。
「海?早いんだね」
「ああ。あと少しだ」
ドアの隣にかけてある白衣を着ると、俺の隣から手を伸ばし白衣を取る。
「この前実験したマウスは、アポトーシス、つまり、細胞にすでにプログラミングされている、自然死が行われてしまった。このアポトーシスを抑制する必要があるね」
「……あー。その変な言葉使うのやめてくれ」
「悪かったね。アンタが、不老不死の研究を始めたいって言ったんでしょ?このくらいの言葉は覚えてよ」
「そうだな……」
俺は眼鏡をかけなおすと、パソコンを開く。
その瞬間、廊下にある電話が鳴り響いた。
俺は廊下に出て受話器を手に取った。
電話の向こうには、機械で声を変えた男の声が聞こえた。
『カルムだ。俺たちの研究に協力してくれ』
「無理だ。誰か知らないが、これ以上電話をするのはやめてくれ」
俺はそれだけ言って受話器を強く戻した。
「海。また奴らが?」
「……全く、バカげた奴らだよ。俺たちはアイツらのためじゃなく、人類のための研究なのにな」
「……そう」
雨は俺の方を見て、困った顔をしていた。
「どうしたんだよ」
「海は、なんでこの研究を始めた?」
「……死ぬことが怖いから。せめて寿命が延びればと思ってたんだよ」
「あーそう」
雨は部屋の中へ戻った。俺もそれに続いて部屋へ戻る。すると、雨は後ろを振り返り、俺に言った。
「この研究、やめて」
「な、なんで?なんでだよ!?」
「不老不死とは、人間の欲望のうちの一つだ。私は長生きすることを望まないし、生き続けることも望まない。なぜなら、私は医者だからだ。私は、人間の身体を正常に戻すのが仕事だ」
「……意味わからねえ」
俺は椅子に座り、パソコンのキーボードを打つ。
雨は突然話し出した。
「海。私が言いたいのはね。この不老不死の研究は、何人かの命を奪う引き金になる」
「どういうことだよ」
「真実を知っているのは、此処の学校では三人、この周辺の学校には一人いる。この研究が、どんな人間を犠牲にするか。それが誰なのかも人数も検討なんてつかないけど、海が、この研究を辞めれば、少なくとも幾人かは助かるだろうね」
「な、なんでそうなる?」
俺が聞くと、雨は言った。
「『不老不死』という技術は皆欲しがる。争いが起きるのは間違いない。その技術を奪い合う。間違いなく」
「……」
そう言う彼女の顔は暗かった。
沈黙が続いてからすぐだった、廊下から電話の音が聞こえたのは。
「なんなんだよ。またか?」
俺はイライラしながら受話器を手に取った。
「もしもし?」
『もう一度聞くが、協力する気は無いんだな』
「無い」
『そうか。なら、お前の相棒に手を出しても良いってことだよな?』
「は?」
俺は、電話越しの言葉を聞いた途端、自分の身体の体温が下がっていくのが分かった。
「海?」
「雨、今すぐ逃げろ」
「は?何を言って……」
雨は俺の忠告を無視し、どんどん近づいてくる。
俺は声を荒げる。
「早く逃げろ!!でないとお前が!!」
俺がそう叫んだ途端、雨が目の前で血を流し倒れた。
「……」
脇腹を撃たれたのか。
「雨!」
理科室のドアに倒れこみ、虚ろな顔をする雨を、俺は抱える。
雨の脇腹に一発の弾痕から、隠れて誰かが狙撃したのは間違いなかった。
「誰だ!」
「……」
俺が振り向いた時、茶髪の女がスナイパーライフルを背負っていた。
「ま、待て!!」
俺が追いかけようとした時、女は俺に嫌な笑顔を見せながら去って行った。
「か、海……」
「……」
雨は俺の方を見ていた。
「ま、待て!大丈夫だ!俺が、俺が何とかしてやるから!だから……」
「これ、ダメだ……死ぬ奴だね」
雨が口を開くたび、一筋赤い血を流しているのを見て、俺は、その時、涙が止まらなかった。
「死なない!!俺が死なせない!!」
「もう、いい。海、この研究諦めて」
雨の言葉に、俺は言葉を詰まらせる。
「無理だ。諦めない。俺は、俺の大事な人を死なせたくないから、この研究を始めたんだ!お前が死ぬなら尚更だ!!」
「……だったら……アンタが医者だったら良かったのに」
「……」
雨は涙を流した。
俺は雨を抱える手の力が強くなっていった。
「海、死んでは、いけない。私が助けた患者の一人も、死んではいないのだから……」
「ま、待って……雨!」
雨は虚ろな目を開くことは無かった。
「雨……」
俺は雨の身体を抱えて、涙を流した。
片時も忘れたことは無い。間違いなく、雨を殺したのは、この……。
『——海?今から行くから待ってろ』
無線の向こうから雪が話す。美菜は焦ったように、無線を机の上に叩き付ける。
「……雪が来る前に殺してやる」
「……お前、雨を殺した奴だろ?」
「ああ。今ようやく思い出したか」
美菜は何かを含んだような笑顔で海を上から見下ろした。
「三年前、お前がスナイパーライフルで撃った、俺の相棒。俺が電話してた、そのカルムっていう奴に命令されたんだろ!!何が目的なのか知らないが、俺はこれからも協力なんてしないからな!!」
海は声を荒げる。美菜はその様子を見て、机の横に引っ掛けてある拳銃を取り出し、海の眉間へ当てた。
「何も協力してほしいなんて言ってない!!私が求めるのは、このウィングウイルスについての研究内容。端から協力なんてされないなんてことは分かってる。さあ死にたくないなら吐け!!」
「……」
美菜が引き金を引こうとした瞬間——ドンッ……とドアが破れる音が聞こえた。
「よ、美菜。久しぶり。相変わらず詰めが甘いやつだな。昔から何も変わってない」
雪は笑顔になって、美菜の方を見る。美菜は焦り、鎖を握ったまま、後退りする。
「おお海!やっぱここにいたか。元気してたか?」
雪は笑顔で海に話しかける。
「……」
海は驚いた顔で私服の雪を見る。緑のジャケットを着て、茶色のベルトで止められた灰色の半ズボン。その姿は、昔の雨の姿にそっくりだった。
「美菜、お前にいくつか質問がある」
「その前に、良い?」
美菜は焦った顔を元に戻し、海の眉間から拳銃を離す。
銃口を下に向けると、雪に言った。
「私は雪の事、よく覚えているよ。初めてラトレイアーに潜入してきて、私の顔を見たとき、驚いた顔をしたのに、一瞬で戻した。相棒の
雪は笑顔のまま俯く。
「何が言いたい?」
「分からない?もしあなたが本当に組織の一員として、配属されたのなら、私の顔を見て驚かないはず」
雪は顔を上げると、美菜の方を睨みながら笑った。
「いつから気づいてた?」
「最初から」
美菜は笑っている。雪は口角を下げると、海の方へと視線を移した。
「詰めは甘いくせに、勘だけは良いんだな。勘が良いから、そこのアホ面の眼鏡も捕まえたんだろ」
「癪だから馬鹿にするのやめてくれない?」
美菜は「そうだよ」と続けた。
「けどもう良い。だいぶ時間を食ったしね。ボスにバレる前に片付けるつもりだったんだけど、もう時間も無いし、海はそっちに返すよ」
美菜は握った鎖を雪の足元まで投げつけた。
海は顔から躓いてしまう。
「犬じゃねえんだからさっさと立てよ」
雪はしゃがみこみ、海の顔を覗き込む。海の鼻からは鼻血が出ていた。
「おいおい。はいこれ。やるよ。洗濯もめんどくせえし」
「雪、この手錠取ってよ」
「お前の鳩尾を撃っても良いんなら、これで切ってやるが?」
雪は、足元に忍ばせていた拳銃を取り出し、笑顔で海に見せた。
「おとなしく待っとけよ。すぐ終わるって」
雪はそう言い美菜に向けて拳銃を向けた。
「ここのマフィアはラトレイアーの配下だろ。お前ら、というか、ラトレイアーの目的は何なんだよ」
「そんなん知るわけないでしょ?私はただ、ラトレイアーAの幹部であるカルムに頼まれて研究資料を盗っただけだし。第一、その研究資料もMI6に先を越されて、重要な資料は手元には無いしね」
美菜は呆れたように言う。
机の上から異音が聞こえることに気づいた美菜は後ろの机から無線を取った。
『美菜か』
機械で声を変えた声が聞こえてきた。
「はい。カルムですか?」
「カ、カルム……」
海が呟く。
『そうだ。さっき、二人が侵入してくるのを見つけた。お前にさっき、画像を送った確認しろ』
ピッと美菜が無線を切る。
美菜はスカートのポケットをあさり、スマホを出した。
そして画面を撫でて数秒後、笑顔でスマホの画面を雪に見せた。
「これ、雪の友達?」
「だったらどうした?」
美菜の見せた画面の先には、歩美と紗季が階段を下りている写真だった。
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