第12話 氷の結晶と、冬の海

 四年前。ちょうど歩美たちが成人した年。


 当時小学四年生だった夏畑海なつはたうみは、当時大学二年生だった兄が、小学校の時にCIAに勤めていたことから、一〇歳になると自動的にCIAを務めることになっていた。


 しかし、五年生の初めの頃だった。任務で最初のバディを失った。


 死因は階段で転倒したことが原因だ。随分とあっけなく死んでしまい、海はしばらく泣いて過ごしていた。


「海」

「局長?」


 階段の前で立ち尽くしていると、後ろから局長に話しかけられた。

 買ったばかりで不快でしかなかったセーターのタグも、もう何も感じなくなっている。

 名前を呼ばれたことに反応し、後ろを振り向くと、局長と、その隣に茶髪で髪の後ろの方がはねており、前髪を右側で分けている女がいた。彼女は肩の開いた服に側面の切れた長いズボンをはいている。


「新しいバディだ。挨拶しろ」

秋原雪あきばらゆき。よろしくな」


 雪はほほ笑んであいさつした。海は彼女の笑顔が、夏の太陽に見えて仕方がなかった。

 そんな彼女を尻目に、局長は紹介を続けた。


「彼女、お前と同じ時期にバディを亡くしたんだ。この機に仲良くしろ」

「……」


 自分と同じ状況とは、到底思えなかった。だって彼女は笑っていたから。同じ時期ということは、そこまで時間は経っていないはずなのに、どうして、こんな普通でいられるんだろうか。海はそう思っていた。訝しげな顔をする。


「お前、名前は?」

「僕は、夏畑、海」

「へえ。仲良くしようぜ」


 雪は海の方に手を伸ばした。



 仕事内容は前のバディとそこまで変わらなかった。

 しかし、全く仕事が進まない。


「おい海。いつまで泣いてんだよ」


 雪とバディを組んだ海だが、一向に泣き止む気配がない。

 嫌気がさした雪が、海に言う。すると海は、怒った顔で、雪の方を見た。


「雪ちゃんはどうして、泣かないの?」

「バディが死んだくらいでいちいち泣いてちゃ、仕事にならねえだろ?普通に考えれば、そりゃそうだろ」

「今みたいに、バディとは仲が悪かったの?」 


 海が聞くと、雪はさらに笑顔になった。


「あたしが、他人と仲良くできると思うか?」


 海は、イライラし始め、雪の事を無視し始めた。


「おいおい。なんで怒ってるんだよ。マジで分からん奴だな」

「雪」


 突然雪の後ろから局長の声が聞こえ、雪は振り返った。


「話がある」

「ああ」


 海は、振り返ることなく仕事に戻った。


 おおきな机に対しておかれている椅子に腰かけた局長は、入れたての熱そうなコーヒーをコーヒーカップに入れ、机の上に置いた。


「お前は、人の気持ちが理解できないのか」

「どうしてそう思う?」


 雪が聞くと、局長は答えた。


「お前、バディが死んだときどう思った」


 局長に質問を質問で返され、雪は首を傾げた。


「別に、殺されたわけじゃないしな。死んだのはあいつの落ち度だし、あたしが悪いわけじゃないしな。そりゃ死んですぐは悲しかったよ。でも、すぐ立ち直った。だって、泣いてる時間なんて無駄だろ?」


 局長は左目のモノクルを取り、眼鏡拭きで拭き始める。


「お前はそう思うんだな。海はまだ立ち直れていない。かける言葉を考えろ」

「なんでだよ。別に良いだろ?普通に業務連絡しか連絡しねえしな。連携をとる必要なんてどこにある?」


 雪の言葉に、局長は頭を抱え始めた。

 雪は純粋に疑問を持っていた。彼女の言葉には特に深い意味は含んでいないようだった。


「海はダメだよ。アイツはタフじゃない。少なくとも、あたしはあいつの言ってることは何一つとして理解できないし、見ればわかるがな」

「じゃあクビにしろと?」

「知るか。お前が決めろ」


 雪はずっと笑ったままだった。


「この世界にはルールやマナーがある。人が死んで泣かなければならないというのは、ルールではなく、マナーだな」

「そんなマナー誰が決めたんだよ。ルールやマナーなんて、昔の人間が都合のいいように決めただけだろ?ルールを守る必要がどこにある?」


 局長はモノクルをつけなおすと、もう一度口を開いた。


「ルールは世界の秩序を維持するため、マナーは人を不快にしないため」

「ほら。都合のいいようにだろ?それにな、局長、不快の概念は人によるんだから、絶対に守る必要はないよな」

「自分がされたらいやなことは、人にしてはいけない」


 局長がそう言うと、雪は鼻で笑った。


「それも人によるよな。やっぱり都合のいいようにしか決められてないんだよ。この世の中、あたしらみたいに損得勘定で物事を見て、損をする哀れな人間を切り捨てる奴らが敵や異常者のように扱われるんだ。おかしいだろ?」


 雪は両手をレザージャケットのポケットから出し掌を上にして見せた。

 局長はコーヒーカップを手に取り、口にした。


「この世は自由であるべきだ。ルールを作る必要はないだろ?」


 手に持っているコーヒーカップを机の上に置くと、局長は机の端に置いてあった白い手袋を手に取り、両手にはめた。


「ちょうど一年前、お前がCIAに入った時からずっとそうだったよな。俺はお前の扱いに困るよ。上司に向かって敬語も使えないクソガキだもんな」

「生きづらいルールを強制する方がより素晴らしいクソガキだと思うがな」


 雪はもう一度両手をレザージャケットに入れた。

 局長は、少しだけ困った顔をして雪に言う。


「あえてアドバイスするとすれば、君はもう少し、海に寄り添って考えてみろ。少しは変わるはずさ」

「死にかけていれば、助けるとかか?」

「まあそうだな」

「無理だ。死んでもやらない」


 雪ははっきりと言った。

 局長はもうそろそろ呆れて、席を立ちあがる。

 雪の横を通り過ぎたあたりで、局長は言う。


「それと、そろそろ敬語も使え。これはルールだ」

「はっ。そのルール気に入ったぜ。局長」


 雪は局長の後を追った。

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