第11話 契約

 だんだん暗くなるように感じる空間の中で、冴香は改めて、歩美に問う。


「それで、契約を結んでくれる?」

「……今すぐには……」


 今すぐには決められなさそうだ。そう言おうとした瞬間、紗季が口を出した。


「いいわ。私は」

「えっ!?」


 歩美は斜め下から紗季の顔を見上げていた。

 紗季は歩美の背中をさすり続ける。


「でも、協力するのは私だけ。歩美は協力させない」

「……いいわ。それで契約完了にしましょう」


 歩美は紗季の袖を引っ張る。それに気が付いた紗季は歩美の顔に耳を近づける。


「……良いの?紗季ちゃん」

「良いよ」

「ただ、情報を渡すのは紗季だけ。紗季が歩美に情報を渡した場合は、処罰が下る」

「分かってる」


 歩美と紗季は立ち上がった。


「紗季ちゃん。このメモを元に彼について調べよう」

「うん。彼の最後のバディと、ラトレイアーのBの殺し屋を見つけないと」


 二人はそう言いながら、部屋を出た。


「……」


 冴香は意味深に目を細め、パソコンの画面を見つめた。



 事務所に戻った二人は、メモ帳を元に図を作った。

 その図を机の上に広げると、彼の人生が透けて見えるようだった。


「彼のCIAとしての情報は、現役CIAか、これを書いた局長か」

「じゃあ、局長に直接聞きに行く?行くなら、米秀学園まで行かないとね」

「電車か。まあ行けるでしょ」


 二人はその図を放置し、メモ帳とボールペンを胸ポケットに入れ、事務所を出ようとした。

 紗季は出て行こうとする足を止め、部屋へ戻る。

 書斎机に置かれたパソコンをじっと眺めると、そこの椅子に掛けられている制服のジャケットを手に取り、そのジャケットから一枚の写真を取り出した。


「……」


 そこの写真に写っていたのは、夏畑海と一緒に映る秋原雪あきばらゆきの姿だった。

 紗季はその写真の裏に書かれた、弟の名を見て、小さくため息を吐くのだった。



 米秀学園の門の前にたどり着くと、歩美はノックした。


「はい。どちら様でしょう?」


 出てきたのは、綺麗な女性だった。

 彼女を見て、二人は息を呑んだ。


「探偵です。CIAの局長に話があるの」

「あー……分かりました。案内します」


 その女性は何か意味ありげに歩美たちを中へと誘った。



 通された場所は、多くのモニターがある部屋だった。

 モニターを操作するであろうパネルに対してある回転椅子。その背中側に白く低いテーブルに二つの赤いソファが向かい合わせに設置されている。


「俺に何か用か?」


 赤いソファに腰掛け、コーヒーカップでコーヒーを飲んでいた男もそこに居た。

 その男は左目にモノクルをかけていた。


「突然ごめんなさい。元CIA諜報員の夏畑海のバディと、彼を殺した人物について、教えてほしいの」


 歩美が頼み込んだ途端、男はコーヒーを飲む手を止めた。


「探偵だろ?君はそのバディが誰なのか見当はついてるのか?」

「……恐らくですが——」


 歩美がそこで声を止めた。一瞬だけ息を吸う。


「——秋原雪、ですよね」

「さすがは探偵。良く分かったな」

「小学校が一緒だったので、聞き込みをしたんですが、それで、彼女がバディだったんじゃないかと」

「なるほど。彼女、そう言う、リスクを取るのが好きからな。どうせ君らに、バレたら面白いと思ってたんだろう」


 好きだった。過去形だった。それに違和感を感じた歩美は男に聞く。


「どういうことですか?」

「……彼女は、海が死んですぐCIAを辞職したよ」

「……」


 辞職したその言葉を聞いて、紗季は質問を続けた。


「二人の仲は?」

「最初は悪かった。どちらも最初の相棒を無くしたばかりで、気力を失っていたからな……だが、どういう風の吹き回しか、途中から仲良く仕事してたよ。その内二人はうちのエースになったくらいだからな」


 男はコーヒーカップを手に取り、突然ハッとした顔をした。

 その顔を歩美たちは見逃さなかった。


「何か、思い出したことがあるの?」

「ああ。雪は、海とバディを組んでいた時、一度だけ、大きなけがをしたことがあるんだ」

「その怪我って?」

「さあ、覚えてないな……もう二年も前だし、何せ、今もあの二人と似たようなバディなんていくらでもいる」


 俺の思い違いかもな、と男はコーヒーを飲みながら言った。


「海が死んだとき、彼女の様子は?」

「ひどかったよ。かなり落ち込んでた。無線を聞いて駆け付けた頃には、雪は呆然自失状態。泣き叫んだ後だったんだろうな、事情を聞いても、口を動かすだけで、声は聞こえなかった」


 男はコーヒーカップを机に置くと、向かい側のソファーに掌を上にし伸ばした。

 歩美と紗季は意味を汲み取り、ソファに座った。


「彼女と俺は一歳差だが、彼女の精神年齢は、年相応か疑うほど、低い時がある。というより、二重人格のように、理論的に考えるときと、感情的に考えるときと、話し方が変わることがある」


 男は両手の指を交差させ、机に乗せる。


「彼女が感情的になるときは、仲間が死んだりした時、反対に理論的になるときは、仕事で自分が怪我を負った時だった。海が死んだとき、彼女はどんな気分だったんだろうな」


 男は虚ろな顔をして、テーブルの上のコーヒーに映る自分を見ていた。


「……雪ちゃんの、皮肉屋な性格はいつから?」

「それは生まれつきだろうな。でも、感情表現は今に比べ乏しかった。海と彼女がバディになった時……そうだ、丁度二人が仲良くなったときに、雪は笑顔が増えた」


 男は言い終え、さらに顔を俯かせた。

 紗季は、男の顔を覗き込む。


「あなた、左目どうしたの?」

「はっ?」

「左目だけ、目の色が違う。失明してるの?」

「これは生まれつきだ。見えづらいだけだよ」


 男は自分の目を指さした。一瞬見ただけでは気づかなかったが、右目は黒い眼だが、左目は薄い茶色だった。

 紗季は一瞬だけ笑い、席に座りなおした。


「彼女は、本当に不思議な子だよ。海とバディになってからいきなり、ポニーテールにし始めたりしてたな。そういやあの二人、おたがいの誕生日にプレゼントを渡していた。雪は眼鏡を、海は雪の結晶のヘアゴムを。まあでも、海が死んでからは、そのヘアゴムもみなくなったな」


 歩美は立ち上がり言う。


「もういいよ。協力してくれてありがとう」

「これだけで良いのか。もう少しだけ質問してくれてもいいんだぞ」

「結構です。後は本人から直接」

「そうか」


 局長と呼ばれるその男は、虚ろな顔のまま、ソファを立ち上がった。


「局長さん。雪が居なくなってからその様子なの?」

「……」


 紗季の質問に、男はさらに顔を病的にする。


「雪が辞めたからではない。海が死んでからの雪の様子があまりにも、哀れで仕方がなかったから。見ていると、息がつまりそうだったよ。一人目のバディが死んだときより辛そうにしていた。彼女が辞めると言った時、優秀な彼女を手放したくはなかったが、とても止める気にはなれなかった」


 男の顔色は、本当に健常者か疑うほど青白かった。


「君たちは、雪と同じ中学か?」

「そうだよ」

「じゃあ、雪によろしくと伝えておいてくれ」


 彼はその顔色を一切変えずに、笑顔になった。


「じゃあ、そうするよ。ありがとう」

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