アントレッド

雪葉

第1話 新学年

あれから十年近く経った。今思えば、私たちは狂っていたのだろうか。

高度な科学技術を持ち、頭脳明晰だった。私達の先輩方は、学校内に社会を作ったのだ。いわば、その学校が≪国≫だった。普通に生徒が死ぬこともあったし、逮捕もあった。逮捕に関しては、その校内の中でってだけだったけど。そして、彼らの勢力は次第に広まり、別の学校にも社会ができて行った。これらの学校を私たちは≪外国≫と呼んだ。

これは10年前、実際にあった話だ。



4月。部屋の壁にはそう書いてあるカレンダーがかかっている。

ジリリリリリリリ……

目覚ましの音だ。誰かが手を伸ばしてそれを止めた。

「ふわぁ……おはよう……今何時?」

彼女は時計に目を移した。時計は長針が12、短針が8を指している。そこで彼女はハッと気が付いた。

「ああっ‼まずい‼もう8時だ‼完全に寝坊した~……」

彼女はそう言って鉛のような身体を起こすと、かけてある制服を手に取りすぐさま着替えた。

制服のブレザーを羽織りながら下へ向かうと、朝食の準備がしてあった。

「ちょっと、なんで起こしてくれなかったの?」

「起こすも何も、まだ楽勝で間に合うわよ」

階段を下りながら彼女は母に尋ねた。すると以外にも冷静な答えだった。

「へ?」

「だって今日始業式でしょ。走って行けば、集合時間の10分前には着くわ」

彼女はそんなことすっかり忘れていたようだ。もう荷物は前日に用意してあったし、今から玄関を出るだけでも1分はかからない。彼女は部屋のドアを勢いよく開けると、靴を履いた。

「行ってきまーす」

「ちょっと‼歩美、朝ごはんは?」

母は玄関を出て行った歩美を呼び止めようとした。歩美は、玄関のドアが閉まったところで、「いらなーい!」と言って光のごとく走って行った。



物凄い速さで公道を走り抜けると、門の中に見事にスライディングした。

「はぁ……間に合った。ギリギリセーフ」

歩美は身体を起こすと、膝に着いた砂を払った。

「砂が飛ぶでしょ。せっかく美化委員が掃除したのにもったいないじゃない」

聞きなれた声に顔を上げると、そこには親友である、福浦紗季が居た。

「紗季ちゃん。お久しぶりです!」

「よく言うわ。この前、事務所の事で一度会ったじゃない」

「でも2週間前の事でしょ?」

「1週間前ね」

歩美の言葉は紗季が言い返す。歩美は「あれーそうだっけ?」と首を傾げた。

「それでは、二年生の人はクラス替えをするので、こちらに来てください」

先生の声が聞こえてきた、二人はその声の方へ向かった。



二人はもともと同じクラスだった。都合が良かった。というより、都合よく同じクラスにしたのだ。紗季の弟がクラス替えのデータを書き換えたのだ。

何故、同じクラスにする必要があったのか……それは、諸々準備することがあったから。

準備とは、探偵事務所を構えるための準備だった。

2年前、当時中一だった歩美の兄、在人が失踪したから。その兄の行方を追うため探偵になった。

何故失踪したのかも、原因不明。すべて不明。探偵になることで、警察に協力だってできる。だから探偵になったのだ。



「まさか、違うクラスになるとはね。今回は書き換えてないからどうなるかと思ったけど……」

廊下で私たちは話した。紗季ちゃんが窓の向こうで頬杖をついている。

「私は、雪ちゃんたちと同じクラスだよ。国語苦手だから教えてもらおうっと」

「へえ。あのプロの小説家と……それは良かったじゃない。絵菜も一緒なんでしょ?」

「うん。似顔絵描いてもらおうと思って」

私がそう言った瞬間、廊下の端で何か揉める声が聞こえた。

「さっきから、話聞いてりゃ勝手なこと言ってんなあ」

「は、はあ?」

「借りた金が返せねえってどういうことだよ!」

廊下の角に押し当てられているのは、山路琉生やまみち るい、押し当てている側は、ヤクザみたいだ。

「おっとおっとそこまでだ。乱暴は止せ、捕まるのはお前だぞ」

帽子を深く被った男が二人の間に手を入れる。

「はあ⁉俺は捕まらねえよ」

余裕そうに彼は腕組をした。

「捕まらない?俺は警察だけど?」

「嘘つけ!」

ヤクザは声を荒げた。私は呆れた顔でそれを見ている。

「……あほらし。山路もなんで借金なんてしたのかしら」

「さあ。芥川賞もとったくらいだし、有名だからお金に困るわけじゃなさそうだけどね」

私たちはそんな会話をしていた。その会話を遮るように、警察と言っている方の男がポケットから手帳を取り出そうとした。

黒い手帳だったので、警察だと思い、ヤクザの方は颯爽と逃げて行った。

「はああぁぁぁ」

山路は疲れたように両手を膝につく。

「いや、ほんと、助かりました。本物の警察官なんて初めて見ましたよ」

「いや。俺は警察じゃない。ただのはったりさ」

男はそう言うと、帽子を取った。

「あっ!松村君だよ‼」

私が大きな声で言うと、紗季ちゃんはくるりと体の向きを変えた。

「ええ?どうしたの?」

「い、いや別に……」

紗季ちゃんはそのまま教室の中へと戻って行った。

私はそれを不思議に思いながらも、視線を戻した。

「それで、いくら借金してるんだ」

「借金なんかしてねえよ。俺は10円しか借りてない」

「それは借りてるっていうんじゃないのか?」

「でもたった10円だけだ。ガムを一個買っただけさ」

山路のいいように、松村君は、はあああとため息を吐いた。

「分かった。一応警察は呼んでおく。しっかりほんとのこと言えよ」

松村君は両手をポケットに入れた。

「アハハハハハハ!ほんとに面白い!なんだよこれ!アハハ」

その一連のやり取りを見て、腹を抱えて笑っていたのは、魚浜尚都うおはま なおと。皆からは尚と呼ばれている。

「さすが、龍雅。やっぱイケメンは違うなあ」

尚くんは本当に面白い人だ。笑いすぎて流れた涙をぬぐうと、松村君に近づいた。

「尚。お前なあ。仕事が残ってるんだろ。早く戻れよ」

「今はまだ営業時間外だ。山路、お前今日も食べるんだろ?持ち帰り?それともその場で食べる?」

尚くんが聞くと山路は「持ち帰りで」と言って去って行った。

「なんなんだよお前らうるせえな」

残された二人の後ろを通ったのは秋原雪ちゃん(あきばら ゆき)。

「雪、なんだよその荷物」

「先生に運んでくるよう頼まれたのさ。手伝ってくれよ」

雪ちゃんは二人に、というより、尚くんに頼んでいる。

それもそのはず。二人は幼馴染だから。

「ハイハイ。手伝ってやりますよ。幼馴染として」

「よーしサンキュー」

雪ちゃんはそう言ってわざとらしく半分より少し多く、教科書を尚くんに渡した。

「おい!なんで俺の方が荷物が多いんだ?」

「別に良いだろ。お前の方が成績低いし」

「フン。その内追い越すからな」

二人は、喧嘩するほど仲が良いの言葉がよく似合う。しかし、雪ちゃんが好きなのは尚くんではないらしい。

「松村、もう行った?」

紗季ちゃんは教室から顔を出した。

「え、うん。行ったけど?」

「良かった。それより、あの二人はほんと仲いいね」

紗季ちゃんはゴマ粒のような二人の背中を見て言った。

「そうだね。でも、雪ちゃんは別の人が好きらしいよ」

「え⁉だれだれ?」

「さあ。タイプなのは、眼鏡かけてて、頭が良くて……背が高い人だってさ」

私がそう言うと、紗季ちゃんは小馬鹿にしたような顔をした。

「背が高い以外はかいそっくりね」

「だよねえ。私もそうだと思ったんだけど。海くんと会うのは今日が初めてらしいから、誰なんだろうね~」



私は教室へ戻った。教室には、山積みの教科書を取り出している雪ちゃんがいた。

「よ。歩美。これ、出すの手伝ってくれよ」

「うん。良いよ」

私は隣にいる雪ちゃんに聞いた。

「……ねえ。海くんの事どう思う?」

「かい?かいって誰だ?」

私は教室の端を指さして言った。

「あそこにいる子。あの眼鏡かけてる子だよ」

そう私が言った途端、いや言いかけた途端、雪ちゃんは教科書を置いた。

「……アイツは……」

彼女が見つめていたのは、海くんのようでそうではなかった。彼の向こうにいる誰かを見ているようだった。切ないような、絶望したような表情だった。目には涙が少し溜まっていた。

「雪ちゃん?どうしたの?」

「い、いや。随分昔に会った友人に似ていたから」

「……そうなんだ」

夏田海なつだ かいはかなりのイケメンだ。眼鏡を取ったらの話だけど。眼鏡をかけているのは顔が良すぎて目立たないようにするためらしい。どうやら小学生の頃ストーカーに会って、以来、女子が苦手なようだ。

「ねえ。もしかしてその昔会った友人が好きな人なの?」

私は少しにやけて彼女に言った。

「さあ。どうだろうな」

雪ちゃんは全ての教科書を出し終わると、海くんの後ろの自分の席へ向かった。

数日後……

「おっかしいなあ」

歩美は本を開いて顔に乗せながら言った。

「探偵って始めたらすぐに依頼が来るもんなんじゃないの~?」

「違うでしょ。最近ツイッター始めたインフルエンサーの投稿にいいねが一つしかないのと同じ。本が傷むから閉じて」

紗季が歩美を咎める。

歩美はソファから体を起こす。

「そのたった一つのいいねもついてないんだよ!いつになったら来るんだよー依頼人……」

そう呟いた途端、

コンコン。

ノックが鳴った。

「あのー。依頼場所は此処だって表の看板に書いてあったんですけど……」

記念すべき一人目の依頼人が来た。

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