第2話 孤独の先に

 夜になり、周囲に明かりが灯り始めた。


「おおー!やべー!なんだこれ!」


 目の前に広がる建物の明かりの大群。俺はベランダから前のめりにその光景を眺める。


「ち、ちょっと!落ちますし近所迷惑です!大体ただの夜景じゃないですか!」


 飛び降りんばかりに興奮した俺を、マカは後ろから組み伏せるようにベランダに戻す。


「はあ…はあ……貴方は本当に常識知らずですね………記憶喪失ってみんなこうなんですか?」


 俺をベランダに引き戻したマカは、ゼェゼェと息を切らしながら言う。


「あのさ、アンタさあ……なんか隠してるだろ?」


 思わずタメ口で、マカに聞いていた。


 彼女は突然投げかけられた質問に黙った。


 しまった、何か触れてはいけない所に晴れてしまったのだろうか。


「はは…バレてたんですか。…私、ね。堕天使の間に生まれたんです。

 堕天使っていうのは……ほら、天使って言うのは天界に住んでるんですが……それが地獄に落ちた姿の事を言うんです。

 両親は私を捨てて、それで結局生まれた時から親なし。

 堕天使って、地獄でも天界でも差別の対象なんです。天界だと天使のなりそこない、地獄だと天界出身のボンボンだと思われる。

 ……私は少なくともどっちでもないんですけどね。」


 はは、と彼女は力無く笑う。それに、俺は何も返せなかった。


 自分の過去を振り返る。


『生意気なんだよ!』

『気持ち悪い。』


 生まれで虐げられた、過去の自分。


 それと彼女を重ね合わせた。


 差別されてきたのなら、人を恨んでも仕方ないはず。それでも彼女は、俺を助けてくれた。

 こんなに見窄らしい俺を手を差し伸べた。


 初めてだった。見ず知らずの人に助けられたのは。


 生まれた時から、俺に手を差し伸べてくれる人はいなかった。


「変えようのない生まれの為に蔑まれるのは、辛えよなあ。……俺もそうだよ。」


 ポツリと俺は呟く。


「どうしようもない過去、変えようのない過去。ならば、どうすれば良くなっていく?って考えたんです。

 ……未来しか、ないんですよ。未来に託すしか。

 罪を犯そうがなんだろうが、それは変わらない。」


 マカは、まっすぐな瞳でそう語った。


 己の強欲の為に、俺は地獄に落とされた。恐らく数百年もの間、苦しみ続けることとなった。自業自得だろう。


 罪を背負って生きるには、それを取り返すだけの努力が必要。彼女が語るのはそういう事なのだろう。


「なあ……アンタはどうして俺を助けたんだ?差別されてきたなら……人を恨んで当然だろう?」


 俺の質問に、少しの間彼女は沈黙する。その間、何を考えていたかはわからない。そして彼女の答えは、こうだった。


「だからこそ、ですよ。」


 だからこそ、と言うのは、差別されてきたからこそ、と言う意味だろうか。


 彼女は話を続ける。


「差別されてきたからこそ、正しくいなければいけない、と思ったんです。社会にとって、わたしが必要であるために。」


 その答えを聞いて、俺は何も答えられなくなってしまった。やっぱり彼女と俺は違う。


 こんな風に生きられたら、と素直に俺は思った。その姿に俺は、憧れを抱いた。


 忘れかけていた感情が、俺の中に蘇りつつあった。


 彼女に憧れたものとしての言葉。


 感謝の言葉を、告げなければ。


「ありがとな、マカさん。アンタに受けた恩は忘れねえよ。」


「いえいえ、……もう寝ましょ?」


 変わらない笑顔で、彼女は返した。


 もう寝る時間……

 そうなれば………


「一緒に寝る?」


「何言ってるんですかあ!」


 俺の提案に対し、マカは激しいビンタで返した。


 そして朝になって起床した俺は、いまだ眠ったままの彼女に言う。


「俺、実は記憶喪失なんかじゃねえんだわ。……人斬りのカンダタ。それが俺のあだ名だった。泥棒だのなんだの色々やったが、人殺した時が一番多い、そんな奴さ。

 でもアンタには感謝してる。アンタみたいなお人好しは好きだ。……だから、せいぜい幸せに生きてくれよ。」


 心からの言葉だった。今まで誰かに感謝したことがあっただろうか。いや、それどころか、

 人と通じ合った事自体あっただろうか。


 だからこそだろう。だからこそ、俺は彼女に感謝している。恩をなんとか返したいと思っている。


 だが今は、ここにいてはいけない。彼女が目を覚ます前にここを出よう。そう思って扉を開けたその時だった。


 突如遠方で、巨大な爆発音が巻き起こったのだ。


「……なんだ?!」


 火の上がる方を向く。すると、そこから得体の知れないものがチラリと見える。


 黒い塊。あれは、一体何なんだ。


「……!」

 マカが険しい表情で外へ飛び出すと、その場から飛び上がった。


「ちょっ!ええええ?!」


 とても人間とは思えない身のこなしに、俺は驚愕する。とにかく、追わなければ。彼女に続いて、飛び上がる。


「あ、しまった。」


 彼女ができたとても、俺が同じような身のこなしができるとは限らないじゃないか。それに気づいた頃にはもう遅かった。俺はその場から落下し、地面に激突する…………ことはなかった。


 咄嗟に前に出した両足は、その地面を蹴り、俺を宙に浮かせていたのだ。


「おおおおお?!何だこれ?!……何だか分からねえが行くか!」


 俺は家から家へと飛び移り、煙の上がる方向へと向かった。



「グォォォォォォ!」


 向かった場所では、黒い化物が暴れていた。

 8本の足、そこらじゅうに張り巡らされている糸。間違いない、あれは蜘蛛だ。


 蜘蛛、と口で言ってみる。かつて自身に一度下ろされたあの糸。どこからかフツフツと怒りが湧いて出てくる。


「きゃー!」


「悪霊だー!」


 逃げ惑う民衆の中で、一人、逃げない女がいた。マカだ。一体、何をするつもりだ。


「そこの悪霊に告げる!今すぐに投降せよ!」


 彼女は、蜘蛛の怪物に向けて、何かを突きつける。それは、一丁の銃だった。


 俺の時代のものとは遥かに形状が違う。


「クックック…銃を向けるたあ大層勇気ある行動だよ。」


 蜘蛛の怪物は口を開き、喋り始める。


「抵抗するようなら、ここで討伐いたします。」


「へぇ…じゃあこれ……どうすんの?」


 怪物は、逃げ惑う民間人の一人を掴むと、彼女の前に突きつけた。


「……!」


 マカは歯を食いしばると、銃を握る手をブルブルと震わせ始める。


「さあて…動くなよ?ほおらぁ!」


 怪物はマカを蹴り上げると、ビルの壁面へと叩きつけた。


「おっ…お前…堕天使か。」


 怪物は、彼女の背中についた羽に気づくなり、ニヤニヤと笑い始める。


「ははははは!!堕天使が銃を持つたあ世も末だな!!」


 怪物の蹴りが彼女に飛ぶ。


 このままでは…死ぬ……マカが手を伸ばしたその時、何者かが彼女の前に立ちはだかった。


「え……?」


「よー、マカさん。さっきぶりだな。」


 俺は蜘蛛の足を右手で受け止めると、勢いよく上へと弾いた。


 その衝撃により、凄まじい風圧が辺りを包み込む。


「テメェ……何者だ。」


 怪物は俺に問う。


「誰かって?人斬りのカンダタ。かつて40人殺した大罪人……言ってもわかんねえだろうなあ。」


「ははははは!ほおら人質だ!お前にできるか?!」


 怪物は俺に向かって、人質の民間人を突きつける。


「あ?知ったこっちゃねーよ。そんな奴は……なあ!」


 あまりの予想外の回答に、怪物は仰天する。

 その隙を狙い、俺はその場に転がる車を担ぎ上げ、怪物に向かって投げた。


「は、はあ?!お前………ぐぁぁぁ!」

 巨大な爆発により、蜘蛛の怪物はその場で悶え苦しむ。


 そして俺は怪物の手から離れて落下する人質に駆け寄ると、その首元を右手で掴んだ。


「あ…あ……」


「んだよ?助けて貰ってありがとうって言えよ。」


 俺に睨まれた人質は右手を振り払うと、その場から逃げていった。


 そして顔に引火した火が消えた蜘蛛の怪物は、崩れた顔で俺を睨みつけた。


「テメェ…このクソやろうが!」


「俺は俺の守りてえもんを守る。良いか?幾らクズみてえな奴でもな、通すべき流儀ってのがあんだよ。受けた恩くらい、返してみせるさ!」


 俺は勢いよく前に飛び出す。


「テメェ……知らねえぞ!」


 蜘蛛の8本の腕が、俺を囲い込んだ。


 俺は後ろに一歩分下がると、腰についた刀を四方八方に振り回した。


 だが、闇雲に振り回しているわけではない。


 より的確に、より早く切り裂く。まさしく侍と呼ばれた者の剣筋。それもこの世に2つとない、唯一無二の剣技。


 その斬撃は、8本の腕を全て切断した。


「なああああ?!」


 怪物の手から、紫の血が噴出する。


「戸惑う暇なんざねーぞ?!」


 俺は飛び上がると、滑り込むような形で、怪物の顔面に刃を走らせる。


「俺は……!蜘蛛なんざ………まっぴらごめんなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 そのまま駆け上がるように、俺は勢いよく怪物の体を両断した。


「ふぅ……よーしよし、何とかなったぜマカ……」


 悪霊の亡骸の上で、彼女の方を振り返る。


 だが、俺に向けて、マカは何故か銃を向けていた。


「その尋常ではない瘴気……貴方を第一級以上の脅威指定として拘束します!」


 彼女は冷徹な目つきでそう言い放った。

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