「はなさないで」と君は言うから【KAC20245】

千八軒

あるアオハルの光景

「センパイ、絶対、ぜえええええったい、離さないでくださいね」


 必死に僕にしがみついている人がいる。眼鏡の奥で輝く大きな瞳。うっすらと涙をためている。彼女の力は結構強くてあんまりにも強くしがみつくものだから腕が痛い。


「そんなに引っ張ったらちぎれちゃうよ」


「そんな簡単にちぎれませんよゾンビじゃないんですから! それにちぎれたら私が引っ付けてあげます。それよりもですね、ちゃんと手握っててくださいね! センパイが手離したら私泣きますからね! ――く、このこの! 近づかないで!」


 彼女はよく無茶を言う子だ。

 怖がりな癖に、負けん気が強い。僕の腕をホールドする一方で一生懸命ゾンビを威嚇している女の子。


 僕のひとつ下の後輩。小学生からの幼馴染。

 名前は石原雪名ゆきな

 

 彼女は僕の恋人って意味での彼女だ。


「ひえええ、ひえええ!? コワッ、怖すぎませんココ、どうなってるの! これ本当にスタッフさん!? 本物以上に本物感ある!」


 本物以上って、君は本物のゾンビを見た事があるのか? そう言いたい気持ちをぐっと抑えて彼女を引きずる。


「ほら、もう行こう。あのゾンビ追いかけてこないみたいだから」

「く、このこの! ばーかばーか、怖くなんてないですからね!」


 これ。スタッフさんに暴言を吐くのはやめなさい。ゾンビさんがきょとんとしているじゃないか。


 僕たちは今お化け屋敷にいる。某テーマパークの新作アトラクション。テレビでCMをバンバン打っていて、とにかくリアルで怖いと評判の出し物だ。


 シチュエーションはゾンビパニックが起きた後の病院の中を出口を求めてさまようってもの。その途中で恐ろし気な格好のゾンビやお化けに驚かされる。実際、ありきたりと言えばありきたりのコンセプトだけど、薄暗い病院のセットは中々雰囲気があった。


「ゆ、る、せ、ない! あの太っちょゾンビ、いきなり私の耳に息吹きかけたんですよ、こうぶはーって、もわーって。それで、背筋ぞわぞわーって! なんでセンパイはスルーで私ばっかりに来るんですか!?」


「それは君が『脅かしてOK』のアイテムを買ったからでしょうが」

「ええ!? あのアイテムにそんな効果が!?」

「知らないで買ったの君」


 ここに来たいと言い出したのは彼女だ。彼女は怖がりのわりに、こういうのが好きなのだ。ノリノリでゾンビの標的になれる目印を購入していたが、まさか意味を理解していなかったとはね。


「ずいぶん勇気があるなと思ってたんだ。それもってると普通にタッチされるからね。血のりが付くから衣服は汚れてもいいものをって書いてあったと思うけど。見てなかったの?」


 ゆきなはうーん、と首をひねったあと。


「見てませんでしたね。これもただの気分を盛り上げるためのものだと思ってました!」


 なんて言い放った。


 彼女の首からかかっているグロテスクなデザインの首飾りはアトラクション入口の売店で買ったもの。税抜き1500円。そこそこの値段だ。それを気分だけで買うとは。


「人の生首は、まぁ気分も上がるかもしれないけどね」


 ちなみに生首の表情は、まさに断末魔というようなもの。

 このデザインでなんとドリンクホルダーになっている。


「ねぇゆきな、あんまりそれ振り回しちゃ駄目だよ。ゾンビさんに当たっちゃうよ」

「いいんです! 驚かしてくるのが悪いんですー! とりゃー!」


 やんややんやと騒ぎながら、病院の廊下を模した通路を曲がる。


 出会いがしらにゾンビナースのお姉さんがゆきなに襲い掛かった。顔面至近距離まで能面みたいな真っ白な顔が迫る。それで雪名は笑っちゃうくらい大きい悲鳴を上げた。


「で、デタ――――――ッ!!!!????」


「おっとっと。危ないよゆきな」


「出たーッ! 出たーッ!」


 目を白黒させている彼女を引っ張る。ゆきなは本当に怖いのに弱い。


「ぜんばいぃぃい、肩、肩ぁ触られましたぁ……」


 触れられた手が氷みたいに冷たかっただの、なんだかぺっとりとしててだの、生きてる感じがしなかったあれはきっと本当のゾンビですよと喋りまくるゆきなの背を撫でながらセーフルームに入った。ここでならゾンビの追及は無いらしい。


「ねぇセンパイ、私のこと離さないでくれますよね、ずっと一緒にいてくれますよね」

「え、あうん。はい」


 ゾンビの不意打ちがよっぽど堪えたのかなと思っていたら、背中に手を回された。そして、そのままぽすんと僕の身体に頭が押し付けられる。


「絶対、ぜーったい約束ですよ」


「ええ、どうしたのいったい。そんなに怖かったの?」


 何て言いながら、僕はゆきなを抱きしめる。ちょっとこれ恥ずかしいなと思うけれど。セーフルームには僕たち以外いないからまぁいいかと思った。


「センパイちゃんと私のこと、つかまえててくださいね。勝手にどっか行っちゃったら嫌ですからね。私もセンパイの事、ちゃんと捕まえてますから」


 そう聞かれて僕は「はいはい、捕まえてる捕まえてる」と軽い調子で返す。


「そういいながらセンパイはいつもどっか行っちゃいますよ」


「いや、行かないよ。今だってゆきなのそばにいるだろ」


「ううん。行っちゃうんですよ。前の時もそうだった。ほら三年前」


「――ああ、高校に進学したとき。でもそのあと、ゆきなも同じ学校に来たじゃないか」


「一年、離ればなれでしたっ」


「そりゃ学年違うんだからしょうがないだろ」


「その一年が、つらいんですよぉ……」


 ゆきなはそう言って顔を伏せた。身体を離して、正面から顔を見る。僕は少し膝を屈めてゆきなと視線を合わせた。ゆきなはうなづいて僕の手を握りなおす。


「センパイ、今度も待っててくれますか? 大学に行っても、私がいない一年の間、浮気とかしないで私の事待っててくれますか?」


 ゆきなの目には、はっきりと不安の色が浮かんでいた。


「うん。待ってるよ。来年ゆきなも同じ学校に来てくれるって信じて待ってるよ」


「絶対、ぜーったいですよ」


「うん。待ってる」


 僕は来月、大学進学のために、田舎をはなれる。

 東京は初めてだし、ひとり暮らしも初めてだけど、ゆきなが彼女でいてくれるなら、大丈夫だと思っている。


「ぜーったい、離さないでくださいね!」


 そういう彼女の手を僕はしっかりと握りなおした。

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