第49話 微笑む忍者 (シノブ33)

 どうする、とシノブは止まった時の中で考える。そう止めたのだ、時間を。


 いや厳密にはシノブの脳が超高速回転しているために周りが止って見えているだけ。一方アカイの脳の回転が遅いために発生したこの現象。とにかくシノブは焦った。あれを正直に話していいのだろうかと。あれを……突然アカイが強気な態度をとりだしたので、自分はその勢いに押されて頭を下げたり手を触らせようとしたこと。


 ふざけないで! 死んでも言うものか! とシノブは即時に判決を下した。こんなことを喋ったらこのアカイが態度を変えるかもしれない。強気に押せばイケると思わせてしまう。それは絶対に避けなければならない。


 腕力どころか身体能力が最低最悪な今の状況ではこちらの強気な態度で以てこの男を屈しさせているだけなのだ。上下の関係を保たなければならない。それが身の安全と旅の目的つまりは使命を果たすための唯一の方法。あちらの好意を利用するも頭も下げなければ身体にも触れさせない。だが荷物は持ってもらう。

 

 あの偽者にも呆れさせた壮大な矛盾。


 だがそうしなければ私は王妃に返り咲けない。利用するだけ利用せねばならない。それが世界と王子のためにもなるのだ。躊躇などしたら逆に不忠にもなり愛にも反する。となるとここは、嘘となるが、なに、構いはしない。このアカイも明らかに私に対して嘘を吐いたはずだ。


 さっきのあのゆるゆるふわふわなお話、どう考えても作り話。アカイは馬鹿だがあそこまで説明が下手なはずがない。ならばこちらがしたってお互い様だ。悪いのはアカイであり私ではない。


 だいたい私が感謝しないからってなに? 私と一緒にいることを逆に感謝しなさいよね。だってあなたは冴えないおじさんなんだからさ。私という存在の貴重な青春の大事な時を一緒にいられるだけでありがとうございますでしょ? そうしたら荷物を持ってくれてありがとうぐらい言いますよ。だがこんなことは、言えない。私には常識はある。どんな下の相手にだって尊重して礼儀をとります。この男はマナーの臨界点にいる存在であるが。


 しかし、気になるな。アカイの幻に出た私ってどんなのだったんだろ? なんと言ったのか? さっきの偽アカイのことを考えたら逆の存在として現れるだから、つまりこう私の顔をして下手に出て頭を下げながら身体に触れさせ、そして一言「結婚してください」では。


 死ぬ、死ぬ、妄想しただけで頭が痛くなる。私は死んでもこんなこと言わないから、これなのでは! おのれ偽者、死ね! 崖から落ちて本当に良かったこの生き恥及び死に恥! 蘇生させてもう一回崖から突き落としてやりたい! だが待てよ、だったらどうしてアカイは断ったの? そうだその誘いに乗らせて崖から落すのがあの魔物のやりかただろう。


 あなたのことが好きです、抱いてください。とかいった頭のおかしい誘惑をしてアカイがケダモノの如くに飛びついてきたら体を躱し哀れこやつは崖から落ちる、こうなる。アカイはそうする。簡単に罠にかかり、死ぬ。疑いようもなく、死ぬ。待って。でも生きているよこいつ。するとこいつ断ったの? 嫌がったの? 私の顔した偽者の求婚を? うわっムカつくなぁ。結果的にそれで良かったけど、ムカつくなぁ。生意気だなこいつ。そこは予想範囲内の行動をとってよ。たまに予測不能だから怖くて気持ちが悪いんだよ。バカなスケベはいいが小賢しいスケベは許容できない。


 好意的に考えれば私がそんなこと言わないという判断で偽者だと分かったというが、なんか気にくわないなぁ。こいつは私のことを大好きで気持ちの悪い欲望を抱いている癖にそこでちゃんと理性を働かせるとか、なんか可愛くないなぁ。そのまま落ちていたら可愛げもあるけど、それだと私の荷物を持ってくれなくなる。でも見破ったことは感謝しないといけないけど、ちゃんと騙されて落ちろという気持ちもある、なんだろうこの二律相反は。


 これは結構な問題だ。この私が偽者とはいえ求愛したのにこいつは断る……そういえばさっき感謝の言葉がないとか文句を垂れていたな。もしかしてアカイはちょっと私のことをムカついている? 高飛車過ぎた? その可能性は、あるかもしれない。そもそも下手に出た私に違和感を覚えるとか、エラそうなのがいつも通りで反感を抱かれているのかも。こいつに好かれたりするのは不快であるが、そこを拒絶しきると私から離れるのは必至。


 私がこいつを嫌ってもこいつが私のことを一方的に好いてくれる完璧な奴隷のように尽してくれればいいが、いくらなんでもそんな都合のいい存在を望むのは、いけない。今の状態でもかなり都合がよい荷物持ちなのだから。そう、警戒し過ぎて好意を失うのは愚策。ちょっとぐらい期待させるぐらいしないと元も子も失ってしまうかもしれない。しっかしこれで少し年上のお兄さんとかだったらまだ良かったのに、こいつは完全に年上だから困るんだよな。しかも幼い感じのする駄目な中年男感も出していて激しめな心理的抵抗感が生じてしまう。こうなんというか油を差していない工具みたいに金属音を伴った軋りが発生して気持ち良くない。


 私にとって王子以外はどの男もかぼちゃとかじゃがいもとか嘯いていたものの、その二つにだって下から上までランク付けされているもの。だからこれに関してはアカイ、あなたにだって責任があるの。旅の同行人に対して私だって嫌な気持ちは持ちたくはないしぶつけたくないの。苦楽を共にする仲間として尊敬や好意を自然に示したくなるの。私はごく普通な自然な人情を求めています。それなのにあなたは奇行に奇声にお前は俺の嫁宣言したりと、それじゃ私の警戒心が最大値になるのはそんなの当然じゃない。しかもこっちは身体の状態が最悪で力づくでかかってきたら抵抗し難いという恐怖感が強い。


 そうであるから私のこれまでのあなたへの態度は正当であり当然という他ない。むしろ私が仲間に対して親愛を示すことができないという苦労や苦悩を与えているという点であなたはとても良くないことをしているの。大いに反省して悔い改めなさい。そこをあなたは心のどこかで理解しないといけないのだけど、まだその境地には達してはいないでしょう。


 こちらも説明できないというこの苦悩。でも私はあなたのそんな邪悪な心を、許してあげます。何故なら私は次期王妃になるものであり、国民であるのなら愚民でも恩恵を与えなければならないのですから。アカイ、王妃シノブはあなたを許します。


 ですからこれからもこの私にその一身を捧げ……いや、そこまで捧げなくていいので、献身をするように。シノブはほんの一瞬きの間にこのように考え、それから微笑むとアカイの顔に驚きの色が走る。マズいな、こいつは私の笑顔を見て驚くのか。すると私はいつもこういう表情をしないのだなとシノブは少し反省をし、それから言った。


「大した魔物ではなかったわ。すぐにあなたではないと見破って谷底に落とせたぐらいだし。それよりもアカイ。私の偽者を見破ってくれて良かった。あなたがいなくなったら旅が難しくなってしまうところだったのでよくぞ魔物を倒してくれました。私はあなたの親切心にとても感謝しています。いつもありがとう」

 シノブは頭を少し下げ上げるとアカイの固まった表情はすぐにぐにゃぐにゃに溶けだしくぐもった歓喜の声が口から漏れだし何やら礼を言い出した。


「いやぁいやぁいやぁこっちこそぉそのぉありがとうございますぅ」

 もうちょっとカッコよく言えないのかなと笑顔のシノブは心の奥でそう溜息をついた。

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