第40話 素振りをする中年男 (アカイ12)

 俺は木刀振るう。もう444回目、だがまだまだ続く。この俺は彼女のために強くなる存在なんだ!


 その一念によって全身から力が湧いてくる。あの日、俺はまたカッコ悪いところを彼女に見られてしまった! なにが俺は普通じゃないだ。異常者だという自己紹介か? そんなのみんな知ってるだろ間抜け! 嗚呼あんなに大見得を張ったというのに魔力がないことを露呈し朝に失神してしまったこと。死にたかった。そのまま意識が戻らなくてもよかった。


 そもそも一度死んでいるけれど、死にたかった。あんな醜態を晒して情けなくて目の前が真っ暗となり、そこから目覚めると俺は布団をはね、しばし妄想のなかで遊びそれからゆっくりと現実に向き合うや跳びあがった。

 

 彼女はいなくなったのでは! 逃げちゃったのでは?


 毎度毎夜繰り返される醜態に呆れ果てての逃走。有り得る大いに有り得る……ああなんてこった! こんなどうしようもない男といるのが嫌になって……分かるよ、うん、すごくよく分かる! 俺だってこいつが嫌だよ! 嫌で嫌でたまらないよ!


 死ぬほど嫌いで俺はこいつから離れたくて仕方がないよ! でもこいつは俺から離れないんだよ! 死んだってしつこくつきまとってくるんだ! デスストーカーにもほどがあるだろ! だってこいつは俺なんだからさ! 死ぬまで一緒だし転生したって朝から晩までって、せいぜい一日のうち半日ぐらいしかこいつに苦悩しないであろう君にこの哀しみと恐怖が分かるかい? 俺って存在とこいつは一心同体なんだぜ。嗚呼俺は自己嫌悪と共にこれまでの人生をずっと生きてきたんだ!


 でも君は俺を嫌いにならないで! 俺を嫌わないで。君だけは俺の心の支えとしてずっと傍にいて! こんなのと込みで受け入れて! なんだってするから! 世界を救うから! というか救われなくていいのかシノブ! 君のために言うけどそういう無責任な態度をとっていると将来君のためにならないし絶対に後悔するからちょっと人生を考え直した方が良いよ? まだ若いんだからさぁ。そうだよ世界は君の心にかかっているんだぞ! 君の愛に! だから俺を愛せよ乙女!


 うだうだしながら部屋の中にじっとしてもいられず俺は宿を飛び出し町中を探し駆け回るもそんなことでは埒も明かないから考える。そうだ馬車だ、と。あの身体で一人遠くに行くには馬車を使った方が良い。ならば馬車屋といったものを探そう。そうだ足を抑えておかないと。逃がしてなるものか! 俺は地の果てまで探し求め付きまとってやる! 俺を本気にさせた罪は重い!


 こちらが詳細を話すと馬車屋のオヤジは快く承諾してくれた。妻が行方不明になったもしかしたら馬車で遠くに行ってしまうのかもしれない。そう訴えたものの俺はすぐに自分の言葉に不安を覚える。バレたらこれも失言になるんじゃないのか? また私はあなたの妻ではない! と怖い口調で拒絶されたらどうしよう? これ以上嫌われたら致命的では? いやいやいまはそれどころじゃないんだ! 今はその嫁及び妻になる女がいなくなろうとしているところだ。これが大事な点なのだ。妻がいなくなろうとしている! 説教や軽蔑をいま恐れている場合なんかじゃない。いなくなったら嫌われるとかいった次元を超えた問題となってしまうだろ。むしろ罵声がありがたくなってしまうんだ。勇気を出して立ち向かえ、俺!


「ひとつ確認しますが。この女の方はあなたの奥さんに間違いはないんでしょうね?」

 顔や見た目を説明したところ店のオヤジが確認してきた。犯罪目的や一方的な捜索という例があるという理由とのことで。そうと分かったらこちらも相応の対応をとりますとのこと。俺は少し緊張したがはっきりと言い切った。

「彼女は俺の嫁です!」

 分かったとオヤジは返事をし外に出るとすぐに戻ってきた。見つかったと。すぐそこにいたって、すれ違いだね。ここでも、いつでも。


 でもなんという偶然! と俺は駆けだすとそこにはシノブの姿が。遠目からでも美が際立っている。数時間前に別れたきりとはいえ、意識の中ではもう今生の別れをしたという感じであったから嬉しく嬉しくてたまらなかった。その代わりシノブの顔は呆れたといった感じでいっぱいであったから急いで宿に戻ろうと馬車の無理やり乗せて出発させた。もうどこにも逃がしてなるものか……そう思っての行動だったがやはりまぁ怒っていた。


 こちらの弁明といったものを聞いてシノブの気が乱れ不機嫌になっているのがよく分かった。当然とはいえやはり哀しくはあった……そのうえシノブはどこか俺のことを嫌がっているようにも感じられる。それもそうだ俺は駄目な中年男。シノブは若くて賢くて綺麗な女なんだ。そう思って当然だ。だけどさぁ……これまでの俺の頑張りも認めてくれてもいいんじゃないのか? 君のために頑張っているんだから俺に優しくしてよ。


 結果が出ているとは言い難いがそれでもそこを鑑みて一言でもいいから頑張りを認めてくれたら、俺はその優しさのぶんだけどれだけ無理ができるもしくは男を発揮できるのに。見てくれないのならやはり冷たい女だ、所詮女はみんな同じだなと思っていると、シノブは言ってくれた。「御苦労さま」と。


 それだよその一言だと俺は感激した。社交辞令的な一言で毎日聞くねぎらいの言葉ではあるけど、これが若い女の口から、いや愛する女ひいては自分の未来の嫁から貰えたらどれだけ幸せか。そしてそのあとなんとシノブは俺に対して励ましの言葉までくれたんだ。あなたは馬鹿ですね、という親しみのある言葉までくれた。


 嫌われてなどいなかった。それどころかあの怒りは俺の不甲斐無さに対しての真摯な問い掛け、つまりあなたはそんな弱い男ではないはずという俺の潜在能力に対する心からの信頼によるもの。そしてあなた以外の男と旅はしません、というか私がそんなことする女と思ったのですか? あなたって本当に馬鹿なことを言いますねという究極の一言によって俺は、俺は……感激から俺は反射的にシノブの手を取った。


 驚きの反応はあったもののその手の感触はこれまでの人生というか前世を含めて感じたことのないものだった。温かい宝石……血の通った生きている宝玉……まさにそれであり、この先できればずっと握っていたい! そう思っているとすぐに手は離れシノブは俺を武器屋へと導いて行った……。


「俺を見切らず俺の才能を信じてくれている」

 今度は口に出して木刀を振った。あの日に買ったのは剣と言った刃物ではなくこの木刀である。中々に重い。俺は剣を欲しがったが言下に却下された。シノブ曰く。斬るというのは技術であり心構えであり少しの訓練で身につくものではない。生兵法は大怪我の基とは古来からの至言。人を斬るという覚悟が足らず、人を傷つけ殺めてしまうという可能性に対する恐怖に負けると、剣は己を護る武器とはならずかえって自らを傷つけるものと化してしまう。素人ならば剣よりも棒のほうが良く、棒よりも木刀のほうが扱いやすい。とりあえずこの木刀で相手を正しく力強く容赦なくぶっ叩けるのなら十分に威力のある護身用となります。打撃で人間は簡単に死にませんから思いっきり叩いても大丈夫ですよ。


 賢い、と俺はシノブをまた好きになった。見た目だけ良くて若い女であっても頭が空っぽな存在はいくらでもいるし、これまでにもたくさん見てきた。その多くが馬鹿で薄情なクソ女揃いだった。必然的にかみんな俺に対してひどい扱いをし見捨ててきた。


 女というだけで若いというだけでそんなに自分が偉いというのか? おっさんはいくらひどく扱ってもいい思っているのか? 女に生まれたというだけで神にでも選ばれたつもりか? 天竜人みたいな傲慢糞女どもが滅びろ!


 しかしシノブはそれとも違って若く美しくそのうえ理智的で俺のことを見捨てない。旅を共にし使命に導いてくれている……ああやはり運命の女。俺はお前のために死ねるからどうか俺の嫁になれ。お前は俺の嫁になるんだよ! いいやこうだ。俺はお前の夫になるんだよ!


 俺の木刀は宙を斬り音を立てながら反復運動を繰り返した。

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