第29話 夜襲と忍者 (シノブ21)

 その深夜に寝床のシノブは突然目覚め、布団から出て素早く窓を開きブーツを履き戸棚の中に入り身を潜めた。

 

 誰かが、来ている。もちろん宿屋には他の客がおり廊下を歩くことはある。だがこのような足取りで歩くことは絶対にない。これは抜き足差し足しのび足。明確に意識がこちらに向けられている。


 身体能力が超絶に劣化しても他の勘は冴えていることにシノブは自身に感謝した。もしかしてこれはあの男が? と耳を済ますと隣室から男のいびきが聞こえる。違うがうるさい。あの男は中年らしく身体のどこかが悪いのかな?

 

 となるとこれは追手の? そう思うと足音がふたつに増え、扉の前に立った。しかし隣は、とシノブは謝罪の気持ちが少し湧いてきた。この宿でシノブはアカイと夕食を共にしたが、その杯の中に眠り薬を入れた。無論夜這い警戒のためである。効き目は薄いもののアカイは夕食後に眠気を訴えそのまますぐに寝てしまった。


 一方のシノブは忍者の睡眠法によって深く眠っても異変を感じたらすぐさま覚醒できるよう訓練されている。加えていつも机の上には書置を用意している。万全の体制。扉が蹴飛ばされ開く音が部屋中に響いた。


「おらぁ! 神妙にお縄となれ暗殺犯!」

 暗殺などしていない! とシノブは心の中でツッコみながら息を殺し気配を消した。私は無、存在しない。シュ・シノブはこの世には存在しませんよ。


「むっいない!? あっ窓が開いていてこの書置きは!」

 これは常在戦場の意識をもつものとして当然のことである。書置きにはこう書かれている。先に行きます、と。そのために窓を開き靴を履いたのである。焦る敵はそれ以上部屋を探らない。そんな時間は無駄だからである。予想通りに悪党は毒づきながら隣の部屋に入っていった。声が聞こえる。


「やられた! 女は先に行っちまったようだ! まど遠くに行っていないだろうから探してくる。お前はそいつから情報を聞きだしといてくれ!」

 よし! と思うと同時にどうする、という二つの意識がシノブの中に発生した。逃げるか、助けるか、どうか。もう一人の悪党もあの男を放ってどこかに行ってくれれば。シノブは願うも悪党の慈悲なき声が聞こえた。


「お前が全部喋るまで解放しねぇからな」

 その人は私について特に何も知らないよと教えたい気持ちだったがシノブはそこは抑え、さて逃げるかと腰を上げるとアカイの声が聞こえた。


「喋ることなんかなにもない、無駄だ」

 すると暴力の音が鳴りアカイの嗚咽の声が聞こえた。

「もう一発蹴りを喰らいてぇのか? あのなぁ、あの女は逃げたんだよ。お前を放ってな。お前は捨てられたんだよ。だから喋れよ」

 そうそう素直になんでもいいから喋ってその男を行かせてやってとシノブは同意した。そこで粘ってもなにも良いことはないって。だいたいあんたはこちらのこと何も知らないじゃないの。重要な秘密を握っているような雰囲気を出さないでもらいたい。


「こっ断る。俺は何ひとつとして彼女のことは話さないぞ」

 シノブの溜息と蹴りの音が一致した。二回目の嗚咽の音。

「その態度は男として立派だが、聞け。お前は騙されたんだよ。だって逃げたんだぜ。隣はもぬけの殻だったんだよ。いいか? こっちとしては賞金の掛けられていない、ただ騙されたお前には興味がないんだ。ただ知っていることを少し話してくれるだけでいいんだよ。どんな身なりをしているとか身長とか顔とか。次はどこに行こうとしていたとか。そうしたらお前を解放する。話してくれ」

 そうだ話していいんだよ、とシノブはやきもきする。そんなのは無駄な努力なんだから早く喋ってと。だが無言である、シノブは絶望的な気分になった。どうして、喋らない。


「……王子暗殺未遂犯をこれ以上庇うとお前も同罪として連行するんだが、いいのか? 駄賃ぐらいくれそうだしそれでもいいな」

 脅しに対してまた無言。シノブは息を呑みまた悪党の息を呑む音も聞こえてきた。どうして、どうして?


「目撃情報からして会って一日程度だよなお前らは? いったいどういう関係なんだ?」

 知り合いでも何でもありません、とシノブは心の中で答えた。その人はただの荷物持ちです。


「運命の関係なんだよ」

 アカイの答えにシノブは首を振った。そんな運命は知らない。もしもそうだとしたらその運命とやらを抹殺すべし!


「もういい埒が明かない。じゃあ俺は行くからな」

 よしきた! とシノブは棚から出る体勢をとった。悪党が宿から出たら荷物を手に外に出る。大通りではなく裏道を通って町を脱出する。そう脳内で計算していると隣から物音が響いた。


「行かせない!」

「おっおいなんだお前! 手を離せ」

 なっ足を引っ張っているってこと! シノブは頭を抱えた。そのまま! 行かせてよもう! 足を引っ張らないで!


「このやろこのやろ! 離れろ!」

「俺の嫁のもとには絶対に行かせない!」

「えっお前らそういう関係なのか!? だったらなおさらお前を連れて行かないと」

「違う!」

 堪らずシノブは叫び棚から出て早歩きでアカイの部屋の前に立った。扉は開いており双方でその姿を確認した。呆然とする男二人を前にしてシノブは宣言する。


「冗談じゃない! 私とその人はそういう関係じゃ断じて絶対にありません!」

 あまりのことに悪党はシノブとアカイの二人の顔を交互に見る。

「なんだ突然……喧嘩なんか始めちまって。というかお前いたのか」

「そこはいまはどうでもいいから! その人の言葉は違うって認識して! こんな嘘を元にして手配書とかに夫婦関係とか絶対に書かないと誓って貰いたい! 彼と私は赤の他人同士なんですからね!」

「はぁ? ええっとお前そうなの? つまり嘘ついたのか?」

「それは……」

「嘘ってことでいいんだな? 見栄なんて張るなよ」

「……」


 口ごもり黙ったことによって力が抜けていることを感じた悪党は好機とばかり駆け出そうとする。それに反応したシノブは反射的に懐からクナイを取り出し投げた。そこにまたアカイが気を取り戻しまた眼の前の足に縋りつくと悪党はバランスは崩れ前方にコケ出す。

 

 倒れゆく悪党はシノブの明後日な方向に飛ばされ床に当たり跳ね返り上に向かうクナイの先端が目に入った。そこからどうしてかスローモーションとなり始める。ゆっくりと前に倒れていく意識の中で近づいてくるクナイの先端。おいおいとんでもない方向に飛んだのにまるで真っ直ぐ自分の顔に向かってくるようだと悪党は認識する。この世界がゆっくりになっているのはもしかして自分が死ぬからでは? 悪党は自分に近づいてくるクナイから目を離せない。


 まるで近づきつつある死のように導かれる様にそれは来る。眉間が、冷たい。悪党は恐怖を覚える。ここに刺さるのだと、俺は眉間を射抜かれて死んでしまうのだと。いやだいやだ! 悪党は頭を動かそうと必死になるが動かない。左右に上に避けようとするも、動かない。頼む動いてくれ!悪党はクナイの刃先を見つめながら祈った。神様死にたくない! 助けてください! するとどうだろう頭が下に動き床に正面衝突しクナイはベットの背もたれに刺さった。


「わっ!」

「わわっ!」

 鈍い大音響にアカイとシノブは同時に声を上げ驚いた。あれ? この人死んじゃった?またこれかとシノブは悪党に近づき確認すると、生きているようだった。


「大丈夫。脳震盪による気絶だね。まぁ私達には関係ないけど。それよりアカイ、逃げましょう」

 私はいまなんて? とシノブは思いつつも大急ぎで荷物をまとめ宿を出て予定通りに裏通りから草原へと出た。


 もう夜明けに近い薄明りのなか二人は歩いている。無言のまま。なにか気まずいなとシノブは妙な気分になっていた。なんでだろう……と思考するとまず嫁宣言を全否定したことが来た。それで自分は頭に血が昇り激昂したこと。けどそれって当然のことだよねとシノブは自らの疑問に対して不服であった。だって私はこの男の嫁でも何でもないし、そもそもこの私は王妃候補。身分が違うのよ身分が。そんな私がなんでこんな男の嫁宣言を聞かされなければならない! こんな理不尽はおかしい。シンプルに侮辱である。あなたレベルの男が私レベルの女を自分のものだと他人に対して言うなんて、犯罪的であり名誉棄損にも成り得るレベル。そうだ私は謝らない。悪いのはむしろそっちであるのだから、私はなにがあっても折れませんよ!


「さっきの件だけど」

 アカイの声が聞こえシノブはドキッとした。なんて来る? 怒って暴力を振るってくるんじゃ……こうなったら殺すしかない? この愚かな存在を滅亡させるしかないの? 新たなる存在に賭けるしかないの? 心配のあまり振り返ろうとするとアカイが続けた。


「助けに来てくれて、ありがとう」

 へっ、そっち? シノブは振り返りまた首を捻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る