第20話 置いてけぼりな忍者 (シノブ15)

 眠っているシノブは夢を見ていた。疾風のように野原を駆け巡りイナゴのように大空に向かって高く跳びムササビのように落下していく夢を、見ていた。夢であるがシノブは心地良かった。いつもの楽しさがそこにありそれを邪魔するものは何ひとつとして無い。自分とはそういうものである。


 自分はいつも自分の身体を使って思うがままに自然を楽しんでいた。束縛もなくこれが私なのだ。この夢こそ現実であり目が覚めればこの夢が現実となっているはず。強さと自由がワンセットで付いている。そう目覚めればこの落下していく意識のまま夢から起き上がれたら。


「失礼、娘さんちょっといいかい?」

 呼ぶ声によってシノブが目覚めると眼の前には兄弟二人が立っていた。

 ひぃ! 襲われる! とクナイを持ち構えるも旅装束の二人は慈愛に満ちた笑顔でもって応えた。


「おっと驚かせてすまないが、慣れないことをするものじゃないよ娘さん。あなたは騙されているだけなんだ」

「騙されている? 私がどこの誰に?」

 首を傾げると兄弟二人も微笑みのまましきりに頷いた。


「悪い忍者に」

 兄が言った。

「私がその当の忍者なんだけど」

 シノブは言った。

「だから騙されているんだって」

 弟が言った。

「何を言っているの? 私は忍者よ。忍者に決まっているじゃないの。当の本人がそう言っているのだから間違いないのよ」

 兄弟は首を振った。

「だからそれが騙されているということなんだ。いいかい? 君みたいな弱々しい存在が忍者なわけがない」


 シノブはみぞおちのあたりにかつてない衝撃を受けそれから奈落に向かって意識が遠のいていく感覚に陥った。

 夢で落ちていたのは奈落の底へだったってこと? お前、忍者に非ず、ユーは、ノットニンジャ、ビコーズザコOK? 遠ざかっていく自分の声。離れていく自我。まさにアイデンティティの危機!


「私、弱くない」

 奈落の縁になんとか指を掛け失っていく意識のなかシノブはかろうじて呟くと弟が即座に否定した。つまり踵でその指をぐりぐり踏みにじりだした。


「弱いって。でも別に君のような一般人の娘さんが弱くても当然だから気にすること無いよ。忍者だと思い込んでいるからショックを受けているだけでね。なぁに忍者ではない自分を受け入れれば解決するさ」

「弱くない!」

 シノブが叫ぶと二人は怯んだ。


「その身で以って後悔しろ!」

 シノブはいつものようにクナイを敵の心臓に目掛けて放つも明後日の方向に飛んで行き窓ガラスに見事に命中し粉々に割った。


「あっ……ごっごめんなさい」

 思わずそういうと兄弟は揃って手を振った。

「気にしないでいいよ。忍者に洗脳されているってことは理解しているから君に罪はない。この窓ガラスの修理は交替でやってくる人に頼んでおく。今晩は隣の部屋で眠るといい。じゃあ俺達はもう行くから元気でな」


「へっ? 私を置いてどこに行くの?」

 シノブは我ながら何を言っているのかと混乱していると兄弟は落ち着きながら答えた。


「城に戻る。そっちに本物の忍者がいるからな。そういう話だったんだよ。つまり俺達は大臣から忍者暗殺を命ぜられてね。御覧のようにまんまと忍者の罠にかかったということ。忍者は一般人の君を洗脳し身代わりにしこうして俺達は引っ掛った」

「なによその変な話は! だから私がその忍者だって! 信じてよ!」

「それは思い込みだから信じられないけど大丈夫、俺達がその忍者を倒して洗脳を解いてあげるから。ではさようなら」


 全然大丈夫じゃない! と憤慨しながら起き上がり追いかけようとするもシノブはその場ですぐにコケた。

「痛い!」

「おい大丈夫か?」

「よせよせ可哀想だが構っていられないぜ。おーい二階の窓は全部釘を打って開けないようにしたから自殺とかするんじゃないぜ」


 シノブは額から落ちた痛みにのたうち回っていると早くも降りてしまった二人の声が階段の下から聞こえてきた。

「待ちなさい!」

 本人としては大急ぎのつもりの速足で恐る恐るシノブは階段を慎重に降り、扉を開くともう手遅れそうなほどの距離な馬車の音が耳に入ってきた。


「待って! それがないと私は帰れない! せめて私もつれていってー」

 本当に私は何を言っているんだろうと思いつつ叫ぶも馬車は無情にも駆けていく。シノブは走る、もう全力疾走で走る。


 いつもなら、というかちょっと前なら馬車などあっという間に追いつく疾風そのものな脚力であったのに、今ではもうカタツムリである。走っているつもりが歩いている。というか立ち止まり膝に手を当て呼吸を整える。だめ、もう走れない。


「しっ心臓が……心臓が破裂しそう」

 まだ10秒も走っていないのに! ああ、その間にも馬車は遠ざかっていく……忍者は手を伸ばし馬車を掴もうとするもその掌は空間を掴むのみ。視力だけは落ちていないためじっと馬車を見つめるしかできなかった。まだ心臓が痛い。呼吸を整えないと過呼吸で死ぬ!


 あぁ私の身体はいったいどうしちゃったのか? やがて馬車は見えなくなり忍者は立ち上がった。もう夕暮れ夜は近い。疲れたしおまけにお腹もすいた。こうしてシノブはトボトボとした足取りで大臣の別荘に戻った。これは悪夢かもしれない……忍者はその可能性を検討し始めた。


 明日の朝になったら悪夢は醒め私は以前の自分に戻っているかもしれない。今日は特別な日なのかもしれないとにかく食べて寝よう、とシノブはその希望に賭け、寝た。


 そして翌朝に目覚めると……奈落の底が割れているかのように全身が筋肉痛で身動きが取れず床を這いずりまわった。

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