13時、アルノルト・ヘルメスベルガー
アルノルノは時々思う。
自分は同じ歳の時に、同じようにできたことはないなと。
一番可愛いものとしては、アルノルトが食に対する好き嫌いを完全に克服したのは五歳の時。
この時すでに将来マチアス王子殿下の従者の一人になる予定であったから。
毒味役が万が一いない状況下でその役目を担うためだ。
(その時の自分に言ったらきっと、驚くのだろうな……)
五歳の自分に、将来は『王子殿下の従者の一人』どころか『王子殿下の従者のトップ立つ』のだと言えば。
アルノルトだって自分ではせいぜい『従者の一人』、そんな存在止まりだと思っていた。
それが気がつけば、いや彼がここまで努力をし続け、マチアスに対する忠誠心を彼の配置を決める者たちが見続けてきた結果、彼はマチアスにとってかけがえのない最も必要とされる従者になり、若くしてマチアスの従者たちをまとめる役目にまで上り詰めたのだ。
次の授業は教師に何かあったのか、マチアスは自習となった。
だから彼は王族に用意されている一室でのんびりと過ごしている。
目の前に分厚い本があり、それを真剣に読みメモを取っていたとしても、マチアスは確かにのんびり過ごしていた。
アルノルトはその邪魔にならないようそっとそばに控える。
いつもと同じだ。
カナメが婚約者だと発表があって以降、マチアスがカナメを迎えに行くようになっている。
それまではカナメは側近との触れ込みもあったので、カナメがマチアスを迎えに行っていたのだが最近は変わった。
──────婚約者であるのだから、自分が行く。
そう言って譲らないマチアスにカナメは「そう?わかった」とマチアスの心情を全く理解せず了承した。
その時、アルノルトとアーネは顔を見合わせ、同時に二人は目で会話を済ませている。
──────カナメ様は、鈍感なのかもしれません。ああ、マチアス殿下、本当に申し訳ありません!サシャ様が、私の兄が、全力で守った弊害がここにもきっと!!私の兄が大変申し訳ありません!!
──────男心というか、牽制しようとする思いを、恐ろしいほどに全く理解しておられない……。
きっとマチアスも似たような気持ちだったことだろう。
そんな三人の思いを知らず、カナメはマチアスを待ち、時には──真面目王子殿下マチアスなので、ちゃんと時と場合を見極めてだが──エスコートされるようになった。
それでもそんな二人だからこそ丁度良いところもあるのだろうな、と長く長く二人を見ていたアルノルトは思うし、アーネも似たような思いだろうと思っている。
それに、理解していない時は本当に理解していなくて、「婚約者と発表されたのだから、俺が迎えに行こう」と言い切ったマチアスの心情を「ふうん」で了承してしまうようなところがあるカナメだけれど、本当にマチアスが気がついてほしいことだけは決して見逃さないことを、アルノルトとアーネは知っていた。
きっと、マチアスとカナメをずっと見守り続けてきた大人たちは皆知っているだろう。
マチアスがその時に気がつくかは別として、マチアスがカナメを思い行動するように、カナメもマチアスを思い行動する。
そうしてマチアスはそれに何かの拍子に気がついて「ばかだなあ」と言うのだ。
嬉しそうに。
少し前まで、そうアルノルトからすればほんの少し前まで、マチアスとカナメは生き急ぐかのように過ごしていてそればかりに目が入って心配し先回りできることはないかとそればかりになりがちで、すっかり些細なことを忘れていたけれど
(ようやく、私も落ち着いてきたようです。本当に、よかった)
例えば、今日。昼だ。
いつものようにエティエンヌとシェシュティンとともに四人で昼食をとっていた時。
好き嫌いはないものの自ら望んで食べないもの──カナメの矜持のためにそれが何であるかは控えておく──が昼食の中にあった。
四人は基本的にいつも全員同じものを食べているので、四人それぞれの皿にはそれがある。
それを目にした瞬間、カナメの目が一瞬泳いだ。
本当に一瞬で、カナメがそれを好まないと知るからこそ気がつけるようなもの。
現に、エティエンヌもシェシュティンも全く気がついていなかった。
マチアスは二人に気が付かれぬよう、それの乗った皿を、それを食べた自分の皿と交換した。
これに気がつかなかったエティエンヌとシェシュティンに対して心配する方もいるかもしれないが、これはもうマチアスが素晴らしかったと言うことになるのだろう。
実に手慣れており、素早かった。
カナメは少しだけ表情を変えて「ありがとう」と声に出さずにいい、マチアスは涼しい顔のまま小さく頷く。
これに気がついたアルノルトとアーネは顔を見合わせて、口元を緩めてしまった。
きっと二人はそう言うことを今日までにも幾度もしている。
当然、そう言うことができる状況でしかしないけれども、幾度もしているのだ。
あの、辛い日々の中にあっても。
だって彼らにとってのこれはいつものことなのだから。
それなのにアルノルトもアーネも、久しぶりに見た光景に思えてしまった。
この時、従者の二人は気がついたのだ。自分たちの張り続けていた気持ちがようやく解けたことに。
どれだけ従者でしかない自分が苦しかったか。
もしもっと違う立場であれば二人を助けることができたのではないか。
何度考えたか分からない。
けれどどれほど考えてもアルノルトは従者でしかない。
だから自分が思う以上に張り詰めていたのだ。
マチアスが崩れないように。カナメを守れるように。
「紅茶を頼めるか?」
「はい、ただいま」
マチアスが本をパタンと閉じる。
どうやら、王宮庭師という肩書を作るきっかけを作った庭師が描き溜めた庭のデザインであったり、庭というものについての考察、また歴史であったりすることが書いてある本をマチアスは読んでいたらしい。
(珍しいものを……何か作りたい庭があるのでしょうか?)
もうずいぶん昔のもので、著者はとっくに、そして確実に墓石の下。
著者は王城や離宮の庭が今の素晴らしいものへとなる礎を築いた、いわば王宮庭園の父のような人物だ。
今でも庭師や自邸の庭をどうしようかと考えるものなどが参考にする本の一つとされ、多くの人が手に取っている。
(それでも、不思議ですね……マチアス殿下に必要はないのでは?)
思いながらも手はちゃんと動く、間違いなく美味しい一杯のために。
それをさっと並べると、マチアスもさすが王子の所作で手にして口に含んだ。
「ああ、やっぱり、アルノルトが淹れるものが一番だな」
じっくり感じ入った様子で言われ、アルノルトも素直に口角上げ頭を下げた。
「いや、すまない。当たり前のことを。ちょっと、色々と昼食の時に思い出してな」
「何かございましたか?」
「いや。小さな時の子供の喧嘩だ。小さな時のな」
なんでもない、と言う割に楽しそうな表情をしたマチアスはカップを戻し、また本を開く。
熱心に読むそこは城の庭の歴史だ。
ずいぶんと詳しく書いてあるようで、マチアスも感心しきりの様子が見える。
なぜ、何が目的でこの本を真面目に読んでいるか。アルノルトには見当もつかない。
けれど、こんな今読まなくてもいいような本を、もっと言えばマチアスにとって一生読まなくても良さそうな本を読む時間があるという現実は、アルノルトの顔を柔らかく保つには十分である。
「アルノルト」
「はい」
「これからも、美味しい紅茶を頼んだ」
「お任せください。決して一番を譲りませんよ」
「本当に、頼んだ」
一体何を思い出したのか。
子供の喧嘩とはなんだったのだろうか。
今度、この部屋でマチアスが本も持っていないことがあれば聞いてみようと思うアルノルトは
(ああ、よかった。お二人が無事に婚約なさって)
心から思うのである。
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