第17話

王都のあちこちで花が咲き乱れ、心なしか人の顔も明るく、そして気持ちも高揚している様に感じる花栄月はなさかのつき

式典の日となった。

昼の部を終えたアンジェリカをはじめとする卒業生は一度タウンハウスや親が借りてくれた宿泊施設、もしくは寮などで正装に着替える。

アンジェリカはもう二度と着ることがない制服を大切に大切に、シシリーに任せず自分でしまった。


キースとは最後まで何も話せなかったし、最後のもできなかった。

これで本当に最後だ。そう思った。

何もかもが、これで最後になる。

アンジェリカは今日を区切りに、次の自分の人生について考え、キースとのことは過去の事として捨て置かなければならない。

けれども何度考えても、そんな簡単にはできないと彼女は感じていた。

(だって、好きだったんですもの。キースが推しでしたもの)

物語では王と王妃というパートナーにすらなれない程に最初から溝が開き過ぎていた。

しかし現実ではどうだろう。

家族としての愛情は一欠片も持ってもらえなかったし、自分もそれはできなかったけれど、キースは物語のキースの様に国のことを考え王妃となる自分のその部分は尊重してくれた。

お互いに国王と王妃としてこれ以上ないパートナーになれると、そう笑った日だって多くある。

そうして過ごしていつだったか、家族愛が持てる様になれればなんて、キースは言ってくれたのだ。あの言葉にどれほどアンジェリカが驚いたか。

あの時の彼は自分との仲は悪かったけれどそれでも、誠実であろうとしてくれていた。アンジェリカは今だってあの時の、申し訳ないと言う様な、少し恥ずかしそうな、そんな顔の彼の顔が忘れられない。

それなのにどうして、物語が始まろうとするにつれ、徐々に溝が開いていったのだろう。

自分がいけなかったのかと悩んだ事は数え切れない。

物語が始まっても、ヒロインが何かしても、アンジェリカはそれでももしキースが自分を未来の王妃としてこれまでのように尊重してくれるのであれば、そして最大限の協力だって惜しむつもりはなかった。

(シシリーは側近が悪いのだと言っていたけれど……はたして、そうなのかしらね)

思い出しても答えが見つけられない。

「わたくしは、できることはしたはず。そう、したはずよ」

呟いてシシリーを呼んだ。

夜会までに最高の淑女にならなければならない。

自分を磨き、最高のドレスを纏い、そして化粧をする。

それは戦闘服と武器である。

王妃になる時に覚悟しただろう、アンジェリカは自分に言い聞かせた。そして思い出させ、改めて覚悟を決める。


──────ヒロインの望む悪役令嬢なんかにならない。わたくしは、現実に生きるわたくしは、自分の人生を誰にも勝手に作らせないわ。


湯船の中でポロリと流した涙は誰にも知られないまま、ミルク色の湯に混ざっていった。

きっとそれは彼女がキースとの本当の別れを覚悟した、その決意の涙だっただろう。



、夜会直前に両親は城に呼び出された。緊切だと言う。

アンジェリカは物語の通りなのだと、努めて冷静に二人を見送った。

「わたくし、ノアとファーストダンスを踊る事に嫌はありませんわ。でも式典の夜会ですもの、お父様と踊りたいわ!」

エイナルにそう言ってメレディスには

「お母様、今日だけはお父様とのファーストダンスは譲ってくださいませ!」

と可愛らしくをした。

エイナルは嬉しそうに「わかった」と言って、メレディスは「わたくしはノアちゃんと踊ろうかしら」とウキウキして、二人揃って城へ向かう馬車に乗り込んで去っていく。

物語の通りだと、すぐに登城する様にと言われ向かったが、王は「エイナルから急遽話したいことがあると言われ待っていた」と言い、誰がどうして、どんな理由でをしたのかと原因を話し合ったせいで、断罪が行われ、最悪アンジェリカの首は飛ぶのだ。

──────誰がなんのためになんて今調べないといけないこと?調べるように指示出さなきゃいけないこと?こんな大切な日に?すぐに指示しなくてもいいじゃん。

前世のアンジェリカは妹とそう言っていたけれど、今はそんなことは思わない。

なぜなら、『王太子の婚約者の両親を嘘偽りで城へ呼び出し、国王へも嘘の報告をし式典への出席を遅らせようとする』なんて「何か企んでいます」と言っている様なものですぐに指示を出すべきことだからだ。

設定の通りであればこれは本当に些細な、新人文官同士でどちらが指揮を取るのかを決めなかったために起きた伝達ミスとなっている。

そうであった、と触れた程度でその新人がその後どうなったかはアンジェリカを始めには明かされなかったが、現実であるこの世界ではただでは済まされないだろう。

「シシリー、もう向かうわ」

「はい」

やはり予定通りキースは迎えに来なかった。

今ごろ、可愛らしいドレスを着たヒロインを“みんな”で取り巻いて式典会場へ向かっているのだろう。

もしここで迎えに来てくれたら、何をしたって、なんとかに戻そうとしてみたのに。

(悪あがきよね……覚悟を決めたってでもそんなに簡単に、気持ちは切り替えられないもの)


馬車に乗り込めばさすが公爵家の馭者。アンジェリカに揺れも伝えない程の操縦だ。

王都の主要な道は舗装されているというのもあるだろうけれど、その上で馭者の能力がこの快適な乗り心地を生み出している。

窓の外を見ると、柔らかい色の街灯がぽつぽつと点り始めた。

会場へ到着することには、街の明かりが美しく見えることだろう。

なんでもない日であればただただ綺麗だと見惚れていればいいのだけれど、今日はそういう気持ちにはなれない。

気を緩めてしまうと、どんなものを見ても涙を流してしまいそうなほどアンジェリカは心が揺れているのだ。

アーロンやノアがどれほど彼女を実際以上の年上の様に感じても、彼女はこの件に関しては──────いや今この時まで迎えてしまった今は、さほど強くあれないのだ。


「お嬢様、もう着きますよ」

「ええ。ノアはもう着いているのかしら」

静かに声をかけたシシリーにアンジェリカは独り言の様に問いかけた。

「ノア様ですから、いらっしゃってると思います」

「そうよねえ。でもノア、わたくしをエスコートするって知らないのよね。だからきっと、どこかで待たされていて『なんでここにいるんだろう』なんて呟いているわね」

「え!?」

「わたくしも昨日知ったのよ。ノアがわたくしをエスコートする事を知らないって。これは本当に驚いたわ」

誰の判断なのか、ノアはアンジェリカをエスコートすると知らずにいるらしい。

聞いた時はアンジェリカも素直に驚いた。

(そもそも、誰かをエスコートすること自体、知らないのではないかしら?)

ありえるわ。と心でつぶやいて、自分をエスコートすると知ったらどんな顔をするだろうかと想像したら、アンジェリカは笑えた。

そう、こんな気持ちで、何を見ても感じても泣いてしまいそうなほど揺れていたのに、アンジェリカは微笑んだ。

「お嬢様?」

アンジェリカの感情を敏感に感じ取るシシリーが心配そうに声をかける。

「想像してしまったの。ノアはもしかして、そもそもよ、どうして式典に呼ばれたかすら知らないんじゃないかしらって。そう思ったらわたくしを見て驚いて、エスコートすると聞いて驚くのかしらって思ったら、ふふふ……笑ってしまったのよ」


──────大丈夫。わたくし、笑えるわ。


肩の力が抜けたアンジェリカを乗せた馬車が、式典会場である王国立歌劇場に入る。


後悔も悲しさも、一生心の中で暴れるかもしれない。

それでももう覚悟をして決めなければならない。自分のためにも、この国のためにも。


「いくわよ、シシリー。今日で全て終わらせるわ」


歩いていくアンジェリカは美しく凛々しい。

もしこの姿を見て悪役だというのであれば、どんな姿をヒーローだと言うのだろうか。

きっと誰もがそう言っただろう、思うことだろう。

それほどまでにアンジェリカは美しかった。

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