第14話

ノアは言われた様に休学し毎日登城している。

入学して五ヶ月程度で休学することになったのは残念だけれど、講師のホーヘンバント子爵夫人エリアン・ミュルデルは実に博識で、学園を休学中のノアに魔法や精霊学についても授業に組み込んでくれ、意外にも想像以上に充実した日々を送っていた。

いや、魔法や精霊についての授業に関しては学園では聞けない様な細かいところにも触れてくれるので、この点に関しては幸せを感じているかもしれない。

ただ、今に始まったことではなくもう随分前からだったのだけれど、ここにきてまたが急に一足飛びに難しくなって、そこで随分苦労もしている。

今では覚えるのが大変で難しいとされている『加護史学』がまさかの状態。

一方、同時に『加護史学』を夫人から学んでいるアーロンには「え?これが息抜き……」と唖然とされ、この二人の差には王妃エレオノーレも思わず笑ってしまったほどだ。

ホーヘンバント子爵夫人エリアンに言わせると「これはもう魔法や精霊が好きだからこそ学ぶ様なものですから」で、魔法と精霊にノアが特別の様なもの、なんだとか。

「でしたら、私の妹であるマリアンヌもきっと好きになると思います。先生、独学の場合はどんな本から学んでいけばいいでしょうか?私が教えるより前に、まずは興味を持ってもらうために何か本を渡してみたいのです」

とノア──彼にもがあるのである──に言われたエリアンは喜んで一冊プレゼントをした。

もちろんマリアンヌはこれに喜び、すぐにエリアンにお礼状とお礼の贈り物を送った。


この一冊から大いに興味が湧いたマリアンヌはのちに、エリアンに『加護史学』の家庭教師になってもらうことになる。

この時のマリアンヌはエリアンに「ぜひ一緒に私たち夫婦とともに研究をしていただきたい」といわせるほど熱心であった。




花と緑が溢れる七彩月ななさいのつきから雨や雷が多い月を、そして木々が緑に輝く月すらも過ぎ、木々が衣替えの様に紅葉していたそれをハラハラと地面に落とし始めている。

雪待月ゆきまちのつきの名前の通り、子供たちは「今年は雪が降るかな?」なんて言い出したのはひとつき前のこと。

寒さが本格化してきた春待月はるまちのつきらしく、雪を待ち望んでいた子供たちも「春が早く来るといいな」なんて言い出して大人に呆れた様に笑われている。


すっかり寒くなって、ノアは休息の時間はアーロンが管理している温室でお茶をする様になった。

この日は朝から、みっちりと詰まったスケジュールにより勉強をし続けたノア。

漸く休憩が出来たのは真昼を少し過ぎた頃。

今日もノアは温室で休息中だ。

「ノア、いるかしら?」

温室に入ってきたのはアンジェリカ。

彼女も、ノアと同じく半年間学園に行かずに毎日登城している。

休学してからずっとアンジェリカはノアを以前よりも気にかける様になって、ノアはそれに対し不思議な気持ちでいたのだけれど「を過ごすのよ?ノアの顔を見て癒される以外に楽しみがないんですもの」と言われてしまえば、姉と慕うアンジェリカの癒し役をこなそうというもの。

今ではお互いの休憩の時間が重なる時、アンジェリカがこうして温室を覗く様になった事をノアは普通のことの様に感じる様になっていた。

「シシリー、準備をよろしくね」

「はい、お嬢様」

アンジェリカの侍女シシリーがてきぱきと、温室のテーブルに軽食とお茶の準備をする。

エルランドも手伝えばあっという間に、花に囲まれた中でのお茶の時間が完成だ。

「今日はとびきりの軽食を用意したのよ?」

「あ、ぼくの好きなカナッペがある」

嬉しそうに笑うノアに、アンジェリカは満足そうに笑い頷くと

「それでお願いがあるの」

「え?これ、賄賂?」

カナッペを摘んだノアは口に入れる寸前だった。

何を頼まれるのかと、不安げに様子を伺うネコのような様になったノアにアンジェリカはコロコロと笑って

「マリーにスカーフを渡して欲しいの。この間考えた意匠がマリーにぴったりだわと思って、刺繍をしたの。だから渡してくれないかしら?」

ノアは頷く。そんなことならお安い御用だ。

「マリーはアンジーお姉様の大ファンだから、飛び跳ねて喜ぶと思う。そして使えないって大切にしまいそう」

「あら、それは困るわ。わたくし、使ってもらいたくって送るんですもの。そこのところをマリーに言い聞かせてちょうだいね」

「かならず」

「絶対にね!マリーに似合うんだから!」

二人の後ろでシシリーが綺麗な箱をエルランドに渡していた。

あれがアンジェリカが刺繍したスカーフが入っている箱なのだろう。

「可愛らしい兄と妹がわたくしの癒しよ。もう、ヴィヨン家にしたいくらい」

「そんなことしたらカールトン公爵様が卒倒して、毎日泣き暮らして、そのうち、うちにしてきそうだから……それはダメ」

「お父様はそんなこと……」

アンジェリカは言葉に詰まる。

そしてこの場にいる四人全員が小さく頷いた。

娘を溺愛するカールトン公爵当主エイナルアンジェリカの父

その姿を想像するのは面白いくらい簡単だった。

襲撃という過激な意味合いを持つ言葉がちょうどいいと思うその様も、想像できるほどである。

すればいいかしら?」

「普通に泊まりにくればいいと思う!」

思わずノアがアンジェリカに大声で言ってしまったのは、仕方がないだろう。

その慌てた様子に、アンジェリカは淑女らしからぬ大笑いだ。

アンジェリカは目に涙を浮かべてまで笑い、それがなかなか止まらない。

シシリーの表情は「お嬢様、そのような笑い方を」と如実に語っていて、エルランドはノアやアーロンといる時の──────つまりであるアンジェリカだなと静かに二人の楽しそうな様子を見守る。

すっかり笑ったアンジェリカはすっきりした顔で、紅茶を一口飲んだ。


「わたくし、ノアが大好きよ。だから、ノア、わたくしを信じてね」


唐突にこんな事を言い出したアンジェリカに、ノアは不安そうな色を目に灯す。

「違うわ。この先色々と、でしょう?どんな形になっても、わたくしはわたくし、ノアを想うわたくしである事を忘れないで欲しいだけなの」

優しい姉の顔で言うアンジェリカにノアは

「うん。ぼくは、アンジーお姉様がぼくにそう思ってくれている様に、ぼくもアンジーお姉様にそう思っているよ」

アンジェリカは誰にも気が付かれないほど一瞬だけ顔の表情を暗くしてから、泣きそうな顔で笑う。

そのどこか儚い苦しそうな笑顔に、ノアは思わず机に隠れている自分の手をギュッと握った。


アンジェリカのその笑顔の意味を聞きたいけれど、きっとアンジェリカは言ってくれない。


いつか自分がアンジェリカにしてもらった様に、彼女を助けていける人間になりたいとノアが一層思った日でもあった。

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