第10話

父と娘の明るい声でサロンは満たされている。

しかしそれが途切れた瞬間エイナルは真面目な顔をし、控えていた全ての人間に下がる様に指示した。

そして全員が出たところで声が漏れない様に魔法をかける。

この魔法は多くの人間が使える簡単なものだが、その精度は個人の能力で左右される。またこの魔法を無効化し盗聴できるかどうかも、同じく精度で違う。

地位があるものであればあるほど、この魔法を鍛錬する。もしそれが難しい様であれば、忠誠心の高いものにこれを覚えさせ自分の代わりに使わせた。

それほどこの魔法は大切なものだ。

エイナルの場合。この魔法の精度はアンジェリカの前世が判明してから増し、今では相当の使い手でなければ盗聴は難しいだろう。

父の愛情の強さが叶えた、強度である。


「お父様、相談があります」

「そうか」

「もしかして、わたくしが帰ってきた時に気が付いてらっしゃったんですか?」

「さあ、どうかな?」

にっこりと笑う父にアンジェリカは“素直に”むくれる。

「どれほど淑女と言われても、お父様には敵いません」

「それは違う。私がの変化に気がつくことができるのは、私がアンジーの父であり、アンジーが私の可愛い娘であるから、という理由だよ。それ以上の理由は必要がないね」

『アンジー』と愛称で呼ぶ父に、アンジェリカの顔が恥ずかしそうに赤く染まる。

いつだったか──────そう、前世との記憶で混乱している頃だったか。

当時紛う方なし子供なのにに怒ったアンジェリカが家族に「子供っぽいからアンジーなんて呼ばないで!」と叫んだのだ。

子供っぽいも何もアンジーは愛称だったのだけれども、この時のアンジェリカにとってはそうではなかったのだろう。

それからアンジェリカをアンジーと呼ぶ家族はいない。愛しているよという言葉を使わずに「愛しているよ」と伝える時だけに、彼らは使う。


いわゆるこれは、アンジェリカ限定のなのである。

家族がアンジェリカにいつだって、愛という言葉を使わずしても愛を伝えることができる、家族だけが使える甘い隠語なのだ。




沈黙ののち、アンジェリカが意を決して口を開く。

アーロンに声をかけられ帰ってきたのは昼すぎと言っていい時間あったのに、今はもう空がオレンジ色に染まってきていた。

口を開いたけれど言葉を発せないアンジェリカの横顔が、レースのカーテンを通り抜けて入ってきたオレンジ色の光に染まっている。

エイナルがアンジェリカを見守っていると、ようやく彼女は声にした。

「ノアを、わたくしの卒業までの間、王城で留めて置けませんでしょうか?」

「ん?」

「いえ、申し訳ありません……わたくし、まだ、どう言って良いか分からなくて……少し説明を省いてしまいました」

父だから知る娘の年相応な様に、エイナルは微笑んで促す。

「わたくしは、まだ、諦めていません。キース殿下の幸せ諦めたくないんです」

「アンジェリカ……」

「だってわたくし、でしたのよ?それに……それだけじゃありませんの」

驚いた顔になったエイナルにアンジェリカは困った顔で

「キース殿下、本当に優秀なんですもの。お父様やお母様が望む様な愛情で繋がれる事はなかったですけれど、それでもこの国を思っていたあの時のあの方は間違いなくキース殿下でした。『お互いに夫婦愛で繋がれはしないけれど、国を守るパートナーとしては最高のそれになれる。君の望む愛を向けられなくて申し訳ない。けれど家族として愛が持てる様、君を知っていこうと思う気持ちは嘘ではない』そう言ってくださったのは、間違いなくキース殿下でした。第一、物語ではそんな言葉もかけていただけないほど険悪でしたもの……。だからわたくし、これならって。いつかもしかしたらという気持ちをわたくしが捨ててしまえば、今捨ててしまえばキース殿下はもう……」

アンジェリカは俯いていた顔を上げて、エイナルに悲しそうな顔を向けた。

「確かに、わたくしが理想とした夫婦にはなれないでしょうし、わたくし一人で奮闘している様だと思うお父様たちの気持ちも理解しているつもりです。でもね、お父様、わたくし、やっぱり未来を知っているのに指を咥えている事も、知らないふりをするのも、嫌なんです」

ごめんなさい、と目を伏せたアンジェリカにエイナルは見えていないが首を振った。


エイナルだけではなくアンジェリカの家族の誰一人、アンジェリカがここまで意地を張っている理由はわからない。

けれどどうしてもアンジェリカがここまで必死に言ってくると、反対できなくなってしまう。

一度だけ、聞いたことはあった。

どうしてそこまでキースを幸せにしようと思うのか、と。

──────前世での妹との、だから。正しく物語を進めるのなら協力はできる。もしのであれば、わたくしは許さない。この世界は生きているのだから。

その『しない』という事は彼らにはピンと来なかったのだが、アンジェリカが許せないと強く言い切ったその様子にただならぬものを感じて見守る事にしたのだ。

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