第4話

同じ科に入学しないと気がついて落ち込んだアーロンとは逆に、ノアは一年後の入学を心待ちにしていた。

その楽しみようはミューバリ公爵邸内に“充満”しており、妹マリアンヌ・ヴィヨンの表情も明るくしている。


マリアンヌはノアの三歳年下の妹。病弱で何度と言われた事か分からない。

ノアはこの妹を本当に大切に思い可愛がっており、王子妃教育でどんなにヘトヘトになっても、自分自身の体調が悪くても、必ず毎日「マリーが元気になります様に」と願い祈り続けていた。

その祈りが通じたのか、本来ならば生まれた時に受ける祝福を当時5歳のマリアンヌは後天的に受けた。祝福を与えたのは光の精霊で、このおかげなのか、彼女は病弱とお別れをしている。

兄の愛を十分に受けて育った彼女にとって兄の願いが届いて受ける事が叶った祝福は、祝福を受けたと言うその意味以上の価値があり、同時に鑑定の際に判明した闇の精霊からの加護を受けている事実も彼女に喜びをもたらした。

なにせ闇の精霊からの加護は──同じ精霊からの加護ではなかったとしても──である。

判明してからずっと、寝る前には『お兄ちゃんと同じにしてくれてありがとう』と闇の精霊に感謝を述べているそうだ。

マリアンヌが後天的に祝福を得た事は、ノアの祝福痕の数同様に王家とミューバリ公爵家内だけに今はとどまっているが、これよりもずっと後にこれらも知られていき『精霊に愛されたミューバリ公爵家ふたりの兄妹』と言われる様になる。


マリアンヌは、どんな時も自分を慈しんでくれた兄を尊敬し、そしてだからこそ兄のために他の誰でもない自分がミューバリ公爵を継ぎ女公爵になるのだ、という気持ちを大きくさせた。

──────自分がこの家を守りたいのだから、自分が継ぎたい。誰にも譲らない。ここは、ミューバリ公爵家は、ヴィヨン家が守ってきた場所なの。

父ランベールは普段は子煩悩でマリアンヌを目に入れても痛くないという様に可愛がるが、このマリアンヌの強い決意を前に次期公爵として教えている時はそんな姿を一切見せない。

見せないどころか、厳しすぎるのではないかとランベールの右腕が心配したほどだ。

だから勉強をしている時は厳しく辛く大変だけれど、兄が帰ってくる家を自分が守るのだという気持ちで彼女はそれと向き合い、戦っていた。

そんな妹を見ているから、ノアはますますマリアンヌを大切にし、彼女の気持ちの変化に気を配っては支え助けている。


兄と妹、二人は固い絆で結ばれ、そんな二人を両親はもちろんミューバリ公爵家の使用人たちも温かく見守っていた。




「お兄様!おかえりなさいませ!」

ぴょん、と飛び跳ねる様にしてホールに出てきたのミューバリ公爵家の“お姫様”であるマリアンヌだ。

父譲りの綺麗な黒髪をふわふわと揺らし、ノアの帰宅を喜んでいる。

ノアは一瞬、「お姫様がそんなお出迎えをしてはいけないよ」と言ってみようかと思ったがそれはと可愛い妹の抱擁を受け取った。


公爵を継ぐと宣言したマリアンヌは、そんな事は無理だろうと囁く人間を蹴散らすために、ランベールだけはなく、母であるシャルロットからも厳しい教育を受けている。

教師も当初予定していたものからガラリと変わり、彼女は早くから次期公爵になるべく集められたランベールが選び抜いた教師たちと学園入学前にもかかわらず勉強に励んでいた。

両親もそうではない時間は目に入れても痛くないお姫様のマリアンヌと可愛がるが、ノアは自分だけはお姫様のマリアンヌとして可愛がろうと思っている。

自分だって王子妃教育で辛い時もあった、根を上げそうになった事もある。アンジェリカからので泣いた事もあった。

邸に戻ってきた時に、マリアンヌの無邪気な姿にどれだけ心癒された事だろう。もちろんアーロンの支えは大きいけれど、マリアンヌもノアの心を本人は知らないところで助けていたのだ。

だからノアは自分だけは、とマリアンヌの様々なサインを見つけたら目一杯そうしてあげようと思いそう行動していた。

今回はそれがこの行動を受け止める、である。


「ただいまマリー」

「おかえりなさいませ、お兄様!エルランドもおかえりさない!」

ノアに抱きしめられたまま、マリアンヌはエルランドにも笑顔で言う。

嬉しいという感情一色に染まっているマリアンヌに、エルランドも優しく微笑んだ。

こうしている時兄に甘えている時だけは、年相応、時にはそれよりも幼く見えるほどの姿を見せるのがこのマリアンヌだった。

「お兄様、今日のディナーはリンゴのデザートがつくんですの!わたくしがしたんです。真っ赤で美味しそうなリンゴが届いたって言うから、お兄様の好きなデザートにしてくださいって!」

早く報告したい気持ちと喜んで欲しい気持ちで興奮気味なのか、リンゴに負けない真っ赤な頬で言うマリアンヌはノアに「ありがとう」と言われますますご機嫌だ。

「さあ、マリーも部屋に戻ろう?今日はアーロン様からマリーにお土産を預かっているよ」

「ほんとう?アーロン殿下から?」

「本当!」

マリーはノアとの抱擁をやめ、ノアの手をぎゅっとと早く早くと急かし始める。

この姿だけ見れば「本当に公爵になれるのか?」と思われそうだけれど、彼女はその時はこの時の彼女が想像出来ない様な真面目さで勉強と向き合っていた。

「お土産……エルランドは知っていて?」

「ええ、存じていますよ。ですが内緒です」

「ええー、もう!早く知りたい。なんでわたくしの足はこれ以上早く歩けないのかしら……もっと早く戻って早く見たいのに」

ムスッとした顔で言うマリアンヌにノアは笑って、その体を抱き上げた。

ノアだってこれくらい軽々やるのだ、男の子だから──────と言いたいところだけれど、精霊が力を貸してくれている。


が『ノアは精霊に愛されている』と思わせるところだ。


ノアは精霊を使役してもいないし、精霊魔法を使ったわけでもない。

精霊がを汲んで、手を貸してくれているのだ。

ノアはそんな精霊たち──なにせは誰に……というよりもどの属性の精霊に感謝していいのか、ノアには判断出来ないのだから──に感謝をしているし、彼らを大切にしようと思う気持ちを忘れない様にし、そして助けてもらう度にその気持ちを強くしている。

「ぼくの速度も大して変わらないけどね」

「でもわたくしより早いわ。さすがお兄様!」

はしゃぐマリアンヌに「はしゃいで暴れると危ないよ」と優しい顔で注意するノア。

いつもの兄妹の様子は、どの使用人の顔も笑顔にさせた。

「お兄様。お母様とお父様に気がつかれる前に早くお部屋に入ってくださいませ。ばれたらきっと怒られてしまいます」

「そうだね。そうなってしまえば、ぼくとマリーは残念ながらお説教されるね。よし、早くぼくの部屋に入ろう。そしてすぐにお土産を渡すよ」

ノアがこう言えば、彼が抱き上げるマリアンヌの重さがまた軽く変わる。

精霊がノアに負荷がかからない様に、どうやらマリアンヌを浮かせるような格好と言えばいいのか、精霊がノアと共にマリアンヌを持ち上げているような、なにかそんな事をしてくれている様にノアは感じた。

少し浮いている様な形のマリアンヌにもそれは感じられ、マリアンヌの顔は誇らしげなものに変わる。

精霊に愛されている兄を尊敬しているマリアンヌは、に立ち会えるとこんな兄がいる事が誇らしくてたまらないのだ。

「ありがとう、いつも助けてくれて」

小さくお礼を言うノアの周りを光が踊る。

ここで唯一それを視覚で確認出来るエルランドは、眩しいと言った様子で目を細めた。


に部屋にたどり着いたノアとマリアンヌは「バレなかった」と笑い合う。

エルランドはマリアンヌ付きの侍女と他のノア付きの従者に場を任せ、ランベールに報告すべく彼の執務室へ向かった。

報告というのは可愛らしい兄妹の事ではなく、今日ノアが王城で行った事や出会った相手についてなどだ。

ほとんどの人間はエルランドをだと思いノアと話すが、時には使などと思う人間もいる。

そういう人間の場合はエルランドがいようとも、平気でをノアに吹き込むのだ。

ノアが気にしていなくてもミューバリ公爵家としては、舐められて知らぬフリをすべき場合と、きっちりと場合と対応は様々。

そうしたとんでもない人間がいればその事を、あとは怪しい人間がいればそれも言う。しかし多くははノアがどのように王城で教育を受けているのか、とかそう言うだ。


ランベールは王族との婚約を結ぶ気なんて、一切なかった。

それは子供に無用なプレッシャーや危険を与えたくなかったという事もあるし、子供には子供の時間を多く過ごしてほしいと心底思っていたからだ。

王子と婚約をしてしまえば、早くから教育がなされるだろう。

子供が子供らしくあれる時間はどれくらいあるだろうか。そう思うとランベールはこの婚約に応と言う気は本当になかったのだ。

しかしたしかに、ノアの祝福痕を思えば王族と婚約し、王族の婚約者だからこそ守られる方法で守ってもらうべきかもしれないとも考えた。

アーロンとの仲が悪くなる様であれば、相性がよくなければ、いつでも白紙にしてもらおう。

そのつもりでいたのに、どうやら無事に婚姻だ。

だからこそ、ランベールは些細な事も決して見逃さず聞き逃さず。父親として出来る最大限の方法と力でノアを守ろうと思っていた。

王家も、そしてもノアを守ると言うが、ランベールはその役目を彼らに全て委ねようなんて少しも思っていない。

これは“父親の特権”なのだから、と。


夕食を取るために全員が集まる。

一番早く着いていたのはノアとマリアンヌだ。

マリアンヌの髪の毛には綺麗なのリボンがある。

「お兄様からいただいたんです」

嬉しそうに報告したマリアンヌにシルヴェストルは「よかったね」と微笑む。可愛い我が子たちの仲の良さを見ていると、疲れも簡単に吹き飛ぶと彼は周囲に豪語している。

「よく似合っているよ。いいものをもらったね」

褒められ嬉しそうなマリアンヌと、可愛い可愛いと見つめるシルヴェストルを見たノアはパッと訂正した。

「マリー。ぼくからじゃなくて、でしょ?」

ランベールは途端に苦々しく思った。

あのリボンはアーロンが自身の衣服に使った布のだと、ノアの発言ではっきり理解してしまったから、だ。

自分だって、婚約者時代から妻に自身の色の衣服や装飾品を数多くプレゼントしてきたのに、我が子がされるとなると別の話となるのである。

実にを表現しているリボンを忌々しい物のように見るランベールに、妻シャルロットは

(わたくしのお父様もこういう顔をしてらしたのかしら?)

とのほほんと考えていた。


ちなみに、シャルロットの父親も同じように苦虫を奥歯ですり潰したような顔をして、妻に「あなたも同じことをしたでしょう」と言われていたそうだ。

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