第12話
マリアンヌ。今すぐにわたくしを、わたくしと同じ気持ちで好きになってほしいなんて言わないわ。家族愛を持ってもらえるだけでも嬉しいの」
「あ、あ、でも、でも、わたし、あの、でもその……えっと、わたしよりもアンジェリカさまのほうが、きっとその、素敵な公爵様になれて、その、ムコイリなんてもったいないから、その」
混乱してイントネーションも怪しい俯いたマリアンヌの手を、アンジェリカがそっと握った。
「わたくしは、女公爵となるマリアンヌを、マリアンヌが大好きなミューバリ公爵家を、マリアンヌの大好きなお兄様であるノアが帰ってこれるミューバリ公爵家を守りたいと思うあなたを守って、ここを一緒に守りたいの。わたくしにも守らせてほしいの。好きな人が、幸せに笑う顔をわたくし、ずっとみていたいの」
「わたしといっしょに、アンジェリカさま、まもってくれるの?」
パッと顔を上げたマリアンヌにアンジェリカは大きく頷いた。
その様子はその辺りのお坊ちゃんたちよりも男前だ。こうした雰囲気に学園の女子生徒は「アンジェリカ様……」とうっとりしていたのだろう。
しかし顔を上げたマリアンヌの目は先ほどとは少し違っていた。
(お兄ちゃんの帰る場所を守りたいって、初めて言ってもらった……)
マリアンヌはチラッとノアを見る。
病弱だった時、毎日毎日礼拝堂で祈りを捧げてくれた兄ノア。
王子の婚約者になって泣きたい事もあったに違いないのに、マリアンヌに会う時は笑顔ばかりで苦しさなんて一つも見せなかった兄がマリアンヌは好きだった。
どんな時だってをマリアンヌが家の中で明るく過ごせるように、いつだって明るくしてくれた兄。ノアがいたから健康にもなれた。
“おうきゅうはわるいひともいる、ちみもうりょうのふくまでん”
この言葉の意味を当時さっぱり解らなかったが、兄のいる場所が怖い場所である事は幼いながらに察した。
──────お兄ちゃんがが疲れ切って泣きたくなった時、安心して帰れる場所であるこのミューバリ公爵家を自分が大切に守るんだ。病弱の自分を守ってくれたように、私はここを守るんだ。
マリアンヌがここを継ぐと決めた理由の一つはこれであった。
今までマリアンヌに媚びてきた人は皆、“公爵家を守ろう”としてくれる人はいなかった。そんなふうに感じる事も出来なかった。
幼くてもマリアンヌは聡明だ。まだ子供だからこそ見える事もある。
憧れの人が自分の思いを汲んで、喜んで助けてくれる。
マリアンヌは嬉しくてポロリと一粒、涙をこぼしてしまった。
これに慌てたのはアンジェリカだった。
珍しく本当に慌てている。
急いでハンカチを出して頬にそっと当て、顔を覗き込んで「やっぱり同性に突然言われたらいやよね。どうしましょう。もっと穏やかに距離を詰めるべきだったんだわ」と早口で独り言を言っている姿なんて、一生お目にかかれそうにもない。
「アンジェリカさま、私、お母様とお父様みたいな、お兄様とアーロン殿下みたいな、そういう夫婦になりたいんです」
ランベールが空気を読まず「ノアと殿下はまだ夫婦じゃない」と小声で突っ込むが、全員完全に無視した。
アンジェリカは美しい顔で美しい笑顔を作った。
「わたくしもそういう夫婦に憧れているの。わたくし、めいっぱいマリアンヌに愛を示すわ。さっきの『家族愛を持ってもらえるだけでも嬉しい』も撤回するわ。わたくし、わたくしと同じ気持ちで好きになってもらえるように、めいっぱいマリアンヌに愛を示すわ。そしてマリアンヌの理想の夫婦になって、一緒に幸せな家族を作って、ここを大切に守るって約束するわ。それが守られているかどうか、ずっとずっと厳しく見ていてほしいの。マリアンヌ、わたくしとゆっくり愛を育ててくださらない?わたくしの婚約者になってくれないかしら?」
情熱的な告白にマリアンヌはアンジェリカと視線を合わせて「はい、お願いします」と言って頭を下げた。
「ああ、とってもうれしいわ。わたくし、かならずマリアンヌ、あなたを幸せするわ」
はしゃぐように言うアンジェリカは本当に嬉しそうで、ノアは自分の事のように嬉しくなった。
大切な人が大切な妹を幸せにしてくれる。大切な人がそれを幸せだと言ってくれる。
こんなに嬉しい頃を喜ばないなんて事は出来ない。ノアだけじゃなく、大人もみんな嬉しそうな笑顔を作っていた。
ランベールだけ、なんでこんな事になったんだろうか、と頭を抱えていたけれど、それでも顔は嬉しそうだ。
部屋の中が眩しいほどに輝いているのを、エルランドが目を細め見ていた。
その日の夜、カールトン公爵家のアンジェリカの部屋に遅くまで明かりが灯っている様子が見える。
部屋中にいるのは当然、アンジェリカ。今は一人。侍女もメイドも全員下がらせているようだ。
徐に鍵のついた引き出しのロックをあけ、そこから分厚い封筒をだしたアンジェリカは少し悲しそうな顔をしてそれをベッドに置く。
そして自分もベッドに腰掛けるとその封筒を膝の上に置き、指でそっと撫でる。
「キース殿下、わたくし、嫌いではなかったんですのよ。本当に家族になれなくても、一緒にこの国を守り発展させていける人だと、そう思っていたのは嘘じゃありませんの」
封筒は少しくたびれいて、何度も中を取り出したのだろう様子が感じ取れた。
「マリーはずっと推しでしたもの。わたくし、彼女と結婚したいほど愛していたのは本当ですの。だから今回だってチャンスは逃しませんでしたわ。でもね、殿下、いくらわたくしがマリーをずっと愛していても殿下をあんなふうにさせないようにと、これでも頑張りましたのよ」
アンジェリカは封筒に手を押し当て、魔力を解放しようとしてそれをやめた。使わないと決めた魔力が瞬時に空気に混ざり消えていく。
そう出来た事にアンジェリカはホッとした表情を見せ、封筒を抱いてベッドから立ち上がりまた元の場所に戻した。
そして自身の魔力で鍵を閉めると、どこか名残惜しそうに引き出しを見つめる。
どのくらいかそうしていると、遠慮がちな音で扉がノックされた。入ってもいいかな、と彼女の父親の声がする。
寝衣だったアンジェリカはさっと上着を羽織ると、扉を開け父を部屋に入れた。
彼はアンジェリカを見てほっとした表情になり
「アンジェリカ、大丈夫かな」
外での彼とは随分と違う、優しく柔らかい声で問いかけた。
「はい。お父様。殿下の事はわたくしの力が及びませんでしたが、結果マリーと添い遂げる事が叶いそうで嬉しく思っています」
「そうか。お前には苦労をさせたね」
「いいえ、わたくしが決めたのです。結果がどうなろうとも、殿下が王太子になれなくても、国王になれなくとも、せめて殿下が幸せになれるように変えたいと思って、わたくしが決めたのです」
アンジェリカは父にスツールに座ってほしいといい、自分は再びベッドへ腰掛ける。
「わたくし、最初は物語はハッピーエンドに必ずなるとそう信じていたのです。ですがわたくしの知る事を話し、お父様とお母様、お兄様からも話を聞いて、そうはならないのだと理解したあの時から、せめてもと、全てを知っているわたくしがせめてと思わずにはいられなかったのです。わたくしは殿下も推しでしたもの」
「ふふ、そうだったね。アンジーはそう言って聞かなかったな。そのうえ『破棄されるような事があれば、白紙に持っていきます。ですからわたくし、マリアンヌと結婚したいのです!』だなんて聞かなくて。まったく……マリアンヌ嬢は闇の精霊の加護だけしかないから子は望めないから婚姻は無理だと言っても、『光の精霊の祝福を後天的にもらう事になるはずです』の一点張り……本当に全く」
「でも本当でしたでしょう?わたくしの最推しですもの!」
年相応の無邪気な顔をする娘に、父親は頬を掻いて「まいった」と呟くばかり。
荒唐無稽な話をし「ですがここは現実に生きている場所。未来は変えます。わたくしが必ず」と言い切った娘は確かに変えて見せようとした。
物語を話し、それを聞いた両親から現実を聞かされた娘は「自分だけが知っている事だから」と、『みんなのハッピーエンド』を目指しても努力をした。
殿下との関係が悪化の一途を辿ってもそれでも「国を守り栄えさせるパートナーになれるのなら、婚約を解消はしない」と、大人たちに頭を下げた。
結果キースの幸せを守れなかったアンジェリカが、愛しているマリアンヌと婚約出来た今もきっと心のどこかで後悔しているのを父親だから感じ取っている。
婚約が叶った今日、こんな夜更けにきてしまったのだって、あんまりに心配したからだ。
「お父様、安心してくださいませ。わたくし、これでも、口では色々と言っておりますけれど、精一杯やったと自負しておりますの。ですからきっとこの後悔も、そのうち消えますわ」
父の気持ちを察したアンジェリカに、それでも心配そうな顔で父親は頷き、アンジェリカの頭を数回撫でて立ち上がる。
「夜のこんな遅くに悪かったね、アンジー。ゆっくりお眠り」
「はい、お父様も」
「アンジーは明日から、求愛に勤しむんだろうけれど、私たち夫婦やミューバリ公爵家の皆様にええなんだったか……そうそう、ドン引きされない程度に。マリアンヌ嬢にもね。公爵殿はご家族の事となると、ええと、ほら、あれだ、案外早く激おこになるから」
「ふふ、お父様は相変わらず、激おこの使い方がいまいちですわ」
得意げに笑うアンジェリカに不安を感じたが、今日の様子を見れば多少大袈裟な求愛も向こうの家族は受け止めてくれるのかもしれないと彼は思ってそれ以上言わない事に決めた。
おやすみ、と言って扉を閉める直前、アンジェリカが父親を呼び止め微笑んで言った。
「お父様、わたくし以前からもうしていましたでしょう?『運命なんて要らない』と。自分で掴み取っていくものだけがわたくしの全てであり、運命なんですわ」
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