第6話 出会いと異世界

「ニホン……と言ったか? それは本当に国名か? 地名や島の名称ではなく。少なくとも、俺はそのような国には聞き覚えがないんだが……」


 その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。

 今まであった緊張感が全て吹き飛び、不安を通り越して恐怖へと移り変わる。

 

 日本は、確かに大きい国ではない。

 領海を入れるとまた話は変わってくるが、それでも大国に次ぐぐらいには有名なはずだ。

 それなのに、ただの一般人ではなく国王が知らないと言った……。


 言葉はちゃんと全員と通じる。

 間違いなく日本語のはずだ。

 にも関わらず、日本を知らない?

 んなバカな……。

 

 今にして思えば、謎にカラフルな頭髪や高級そうな鎧で身を包んだ人はそういるはずがない。

 それに……レセンブルク? そもそもどこだ、この国?

 いや、まぁ知らない国が多少あるのは不思議じゃない。けど、少なからず現在とはズレというか……違和感がある。

 

 心のどこかで、いまだに現状を信じられていない自分がいる。

 この部屋の奥で、テレビスタッフがモニター越しに俺のことを笑っていて。

 次の瞬間、突然後ろから見慣れた服装を人たちが入ってきて、看板を掲げながらネタ晴らしをする。

 ーーそうであってほしい。

 

 しかし、わかっている。

 現実味がないからと言って、それが現実じゃないなんて言い切ることはできない。

 むしろ、こんなに長い時間、その上に痛みすら味わったのにも関わらず、いまだそういう流れになる様子はない。

 すでに、俺の思い描いてることこそが非現実のことへと変わろうとしている。

 こんな状況になって……って、あれ?

 そこでふと気づいて、右手に目を向ける。

  

 ーーない。

 

 ーーない。


 どこを探してもない。

 いくら探しても見つからない。

 手首から肩にかけて、見える範囲を全て見渡すが、かすり傷ひとつ見つからない。

 一瞬、夢という言葉が脳裏をよぎったが、そんなはずはなかった。

 あの痛み、そしてあの苦しさは絶対に本物だった。

 血が少しずつ溢れていく気持ち悪さ、冷たくなっていくのに熱い傷口。

 あれは……夢なんかじゃない。

 あの出来事こそ、現実だということを知らせる証拠だ。

 もちろん、今でもその感覚は覚えている。ーーまぁ、思い出したいものではないが。


 ともかく、それにも関わらず、その証拠が跡形もなくなくなっている。

 現代の医療でも、あれほどの傷を痕すら残さないでかつ、ここまで早く治すのはどう考えたって無理なはずだ。


 まさかとは思うが……人体実験とかの被験者になったりしてないよな?


 ーーそうだ。目の前のにはすべてを知っているであろう人物がいるじゃないか。

 聞けばいい。

 それですべてがわかるっていうのなら、

 これから待ち受ける絶望なんて、安いもんだ。

 知った後の苦しみは、知る前の恐ろしさには敵わない。

 

 下を向いたまま、口を開く。

 

「俺の傷は……どうやって治したんですか?」

 

 長い沈黙が広がるーーそう思っていたが、思いのほかその答えはすぐに帰ってきた。

 

「あぁ、それなら簡単なことだ。セレシアが治癒魔法を使った。彼女はある程度の魔法が使えるからな。基本となる治癒魔法なら国内でも5本の指に入るぞ」


 と、当たり前のようにに話した。

 まるで、治癒魔法というのが珍しくもなんともないように……


 ーーは?


 今、なんて言った? 魔法? マジで言ってるのか?

 そんな、バカな……

 常識的に考えて、魔法なんてあるわけない。

 そんなものはゲームの中、物語の中の空想だ。

 

 「馬鹿にしてますか? 魔法なんてあるわけないじゃないですか! ーーいくら嘘でももっとマシなのが……」

 

 ーーそこまで言ったところで、はっと我に返った。


 感情に任せて、思ったことすべてを口に出していた。

 顔を上げてみてみると、俺を攻撃してきた奴はいまだに顔をそらしているが、そのこぶしは力強く握られていた。

 さらに、先程までニコニコしていたやつも、少しだけ表情を歪め、怪しむような顔をしていた。


 そんな2人を様子は見れたが、当のグレイルの顔を見ることができない。

 さっきまであれほど気を付けていたはずなのに、あんなところで……

 

 後悔する時には何もかもが手遅れで、取り返しのつかない。

 これから言われることは罵声か、怒りの言葉か、もしかするとこの場で処刑が言い渡される可能性だってある。


「つまり、お前のいた国では、魔法が存在していなかったーーそういうことか?」

 

 半ば諦めかけていたが、やはりグレイルは変わらずに問いかけてくる。

 ここまでくると、その優しさすらも逆に怪しく感じてしまう。

 だが、ある意味、これが今の失敗を補える最後のチャンスだ。


「……そう、ですね。ただ、国だけじゃなくて、世界中のどこを見ても魔法はありませんでした」

「ーーなるほど。では、どうやって来た?」

「えーと、確か魔法陣……みたいなのがいきなり出てきて、それで気づいたらーー」

 

 そこまで話したところで、今まで冷静に聞いていたグレイルが初めて焦ったような様子で玉座を立った。


「まさか……転移魔法か!!」

「待ってください。いくらなんでもその結論を出すには早すぎます!」


 転移魔法ーーその言葉を聞いてハッとした。

 手段のわからない攻撃、そして会話に何度も出てくる魔法の存在。

 そして、悠菜を庇ったときに飛び込んだ魔法陣、あれが魔法だと言うのなら……

 俺が今いるところ、それはーー

 

 ーー剣あり魔法ありの異世界。


 ここに来てから山程のありえない出来事、その全てがこの言葉一つで片付いてしまう。


「あぁ、ミルナのいう通り、判斷するにはまだ早い。だが、状況から見てその可能性は高い。ーーセレシア!」


 俺が絶望している間にも、話し合いは続いていた。

 未だ、グレイルは立ち上がったままだ。

 そして、そのグレイルの目線の先には、ひたすらに目線をそらしてくる攻撃してきた女。


 聞いてる限り、セレシアという名前か。

 思考するのを諦めてしまった脳で、ぼんやりとそんなことを思いながら事の顛末を見守る。

 

「……確かに、彼は武器も何も持っていません。そのような物は、私が確認した限りあの謎の魔道具だけでした。後はお伝えした通り、レイナが確認に当たってくれています」

「そうか。なら、もう時期わかるはずだ」 


 そう言った直後、やっと椅子に腰を下ろした。

 だが、未だに顎に手を当てて考えている様子だ。

 それを察してか、隣にいる2人も黙ったままだ。

 

 聞きたいことは何も聞けていないのに、時間だけがただ過ぎていく。

 1分、2分と経過しても誰も全く動かない。

 いい加減、吊られたままの腕もつらくなってきた。

 

 転移され、攻撃され、質問攻めにされ。

 踏んだり蹴ったりとはこのことか。


 ーー果たして、このまま待ち続けて結果は変わるのか?

 どの国だって不法入国をした奴の末路は変わらない。

 それはこの異世界だって例外ではないはずだ。

 たとえ魔法で無理槍転移させられたのだとしても、どうせ罪になる。

 

 そんなことを思って、顔を下へ向けた時、重い扉の軋む音が部屋に響く。

 そして、それが止むと同時にカーペットを踏むやわらかい音が近づき、そのまま俺の隣で立ち止まった。


「報告します。周辺に魔法の痕跡はありませんでした。長時間の飛行魔法でも使わない限り、あそこへ立ち入るのは無理ですね」


 無機質な声が淡々と発せられていく。

 まるで報告書をそのまま読んでいるかのように全く感情を感じられない。

 それがどこか引っかかり、絶望に染まりきった俺の目を動かした。

 

 真っ先に目に入ってきたのは背中まで伸ばした艶のある茶髪。赤や紫などといったカラフルな色ではなく、日本でもそれなりに見かけた安心できる色だ。

 そして次に気になったのは彼女の服装だ。

 グレイルは除くとして、前に立つ2人は鎧に身を包んでいる。

 もちろんそれは彼女も同じだーーだが、彼女の場合、濁った青のスカートとラフな黒いシャツ、そして最低限の装備として胸当てや甲冑をつけているが、それを隠すかのようにパーカーのようなものを前を開けて羽織っている。

 軽装と言ってしまえばそれまでだが、どう見ても周りとは違った格好をしている。

 しかし、その背中には、彼女の身長と同じぐらいの槍があった。


「それで、この後は結局どうするつもりですか? まさか、牢に入れるとは言いませんよね?」

「あぁ、まだ確実に言えるわけではないが、おそらく白だろう。だが、確かに扱いについては別途考える必要があるな……」


 グレイルが口を閉じると、彼女はまるでそう言うのがわかっていたかのようにため息を履いた。

 


「じゃー、レイナに監視を任せるのはどーですか?」

「は?」

「それだと助かるんだが。ケイト、それで問題はないか?」

「え……あ、はい。大丈夫です……」

「勝手に話を進めんな」

「報酬は弾もう。期間は長くなくていい。どうだ?」

「それは遠回しな命令だろ? はぁ……」


 いきなり、話の矛先が俺へと向き、反応できなかった。

 だが、それを聞くに、さっきまで予想していた最悪の未来は来なさそうだ。

 それが分かった瞬間、内心ほっとする。


 だが、俺の監視役に抜擢されたのは、あのなんだか怖そうなレイナという人だ。


 明るい未来が見えたとしても、そのことが別の不安を掻き立てる。


「なら、大丈夫そうだな。ではレイナ、それとミルナ。あとは任せてもいいか? 俺はちょっとこの後……」

「ちょっとー、面倒くさい事は人任せですか? まー、王様は王様でいろいろとあるのは分かりますけど……。」

「そんなのいつものことだろ。はぁ、何を今更……」

「さすがにそこまで言わなくても良くないか? ま、まぁともかく、後のことは任せたぞ。だから残りは任せろ!」


 そう言っていきなり立ち上がり、風のスピードで俺の横を通り過ぎ、逃げるようにこの部屋から出ていった。


「ちっ、これだからあの王は……」


 そう言いながら、レイナと呼ばれていた人物が俺の手枷についている鍵穴に、どこから取り出したのか、いつの間にか持っていた鍵をはめていく。

 

 思ったのだが、彼女は王様に対してこんな態度を取っても大丈夫なのだろうか?


 そうこう考えているうちに、カーペットから鈍い音が響き渡り、腕に自由が戻った。とはいえ、ずっとつられていたせいで疲れたうえに、手首がしびれる。


 元はと言えば、おそらく彼女の仲間たちが拘束したのだろうが、今それを言い出すとキリがない。

 それに、あの状況から突破できたのは彼女たちのおかげもあるのも確かだ。

 たとえ異世界だとしても助けてくれた人に感謝を伝えなきゃいけないのは変わらない。

 

 次は左腕の手枷を外してくれている彼女の方を見る。

 やっぱり、整った顔立ちだ。ーーなんというか、悠菜とはまた違った美しさがあり、そのおかげか、こうして改めて正面から見るとあの独特に感じた服装も似合っているように思える。

 

 ちょうど枷が外れたタイミングで、彼女も見られていたことに気づいていたのだろうーー目が合った。

 だが、すぐに逸らされてしまった。


 初対面の人にいきなり目を逸らされるのはちょっとショックだが、それ以上に彼女の持つ瞳が印象に深く刻まれる。


 そんな瞳は……とても暗く、光が宿っていなかった……。


 その瞳はーー死んでいた。

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