第4話 ゲートタウンでは慎重に。

「宿をとれました。なんとか三部屋。日が出て、明るくなる前に宿に移動しましょう」


 スピカの言葉を聞いて、鞄の中にあったマフラーを適当に頭や口元に巻いて出ると、マトビアも盗ってきた給仕の服にあるフードを深くかぶる。


 軒下を早足で歩いて、宿に入ると、宿主が俺たちを入口で待っていた。

 階段を上がって、宿主が案内する一部屋に三人とも身を隠すように入る。すぐにスピカが鍵をかけた。


「誰かに見られましたか?」


 手際よく、部屋の窓を閉めながらスピカが尋ねる。


「宿主は大丈夫なのか?」

「はい。それなりの賄賂を渡していますので。それにもちろん、お二人の名前は出していません」

「私は誰にも見られていないと思います」

「俺もだ」


 マフラーを外して部屋を見渡した。


「狭いとは思いますが、出入りも楽で、人目につかない場所がいいかと思いまして」


 たしかに狭いは狭い。ひとりギリギリ寝れそうなベッドと、小さなサイドテーブルがあるだけなのだが、三人いるだけで息苦しさを感じる。


「そうですね……ちょっと狭いですが、追われる身ですので」


 マトビアの自室とは比べられないだろうな。クローゼットの半分ぐらいかもしれない。


「申し訳ありません。私は馬車を隠してきます」


 一礼して部屋を出て行こうとするスピカを俺は呼び止めた。


「ええっと、ジオドレッドさん?」

「え?」


 驚いた様子で機敏にスピカは振り返った。


「陛下……じゃなかった、フェア様、スピカと呼び捨てにしてください」

「そうか、ではスピカ。俺が脱獄する時に東の牢獄で別の脱獄騒ぎがあったのだが、あれも計画のうちだったのか?」

「……東の牢獄……?」


 すぐにスピカは頭を横に振った。


「いえ……私は馬車を手配するのに精一杯でしたので」

「……そうか」


 まあ使用人が城の牢獄にいる囚人を脱獄させられるわけがない。

 あのタイミングのよさといい、俺を支援している誰かがいることは確かだ。


「もしかすると、アルフォスではないでしょうか」

「なるほど……」


 あの裁判でいち早く手を打てるのは裁判官と父とアルフォスだけ。その中で俺を脱獄させたいと考える可能性があるのは、アルフォスぐらいかもしれない。

 とはいえ、アルフォスとの記憶はマトビアよりも少なく、なぜ俺を脱獄させたいと願うのか、はっきりとした理由は分からない。

 俺に同情して、なのか……。


「アルフォスは俺の味方なのか?」

「さて、アルフォスの本意はどうなのでしょうか。弟は寡黙なので、お兄様のことはほとんど話したことがありません」

「しかし十年ほどは一緒だっただろう」

「アルフォスは戦に出るようになってから、もっと寡黙になりました。凱旋の祝賀会で話すこともありましたが、当たり障りのないことばかりでした」

「兄弟だというのに、俺の場合は会話さえ許されてないからな」

「それもこれも派閥せいです。お兄様は保守派、弟はタカ派という構図がありましたから……」

「まあそれはそうだが、俺の子供の頃は……」


 と話し始めると、スピカが素早く手を挙げた。


「あ、あのう! 私は馬車を隠しに行ってまいります」


 ああ、そうだった……。今話し込んでいる場合じゃないな。

 貴族の悪い癖だ。平和ボケというやつかもしれない。


「引き留めてしまっていたな……すまないがよろしく頼む」


 スピカは急いで部屋を出て階段を軽快におりていく。窓から道を見下ろせば、スピカがいそいそと馬車の方に走って行った。

 そんなに急がなくてもと思ったが、馬車には高価なドレスや装飾品が積んであるし、この町に不釣り合いな豪華なキャビンなので、盗人に狙われる可能性は高い。

 そう思うと、スピカが急ぐ理由に合点がいく。と同時に、一緒に付いてきてくれてありがたく思った。庶民の生活に疎い俺たちにとって、大切な存在だ。


「お兄様、私はもう瞼が落ちてきそうです。おやすみなさい」

「ああ、今日は大変だったな。おやすみ」


 疲れた表情で部屋を出ていくマトビア。

 俺も疲れたのでベッドに横になると、そのまま眠った。


 ドアのノックで目が覚めた。

 窓には赤らんだ日差しがある。いつの間にか夕方になっていた。

 ドアを開けるとスピカが食事を運んできてくれた。


「ありがとう。本当に助かる」


 スピカがいなければ、食事をとるのも一苦労だっただろう。


「いえ。ところで、軍事施設の船の話ですが……船を盗むのですよね? 大丈夫でしょうか……姫様は全然平気だとおっしゃられていたのですが……」


 不安でいっぱいのスピカは、心なしか顔色が悪い。

 それはそうだ。

 皇子と皇女を城から連れ出して、いまから軍所有の船をまるごといただくのだから、もし捕まれば重い刑罰がくだされるはずだ。

 そしてさらに、楽観的なマトビアの根拠のない自信を目の当たりにすれば、不安になるのは当然だろう。


「まあ、大丈夫だ。施設では身を隠して置けばいい、あとはなんとかする」


 しかし俺も多分に漏れず楽観的ではあるが。


「はぁ……」


 意気消沈したスピカは、余計に不安になった様子で部屋を出て行った。


 食事を終わらせると、今度はマトビアが部屋にやってきた。


「お兄様、先ほど吟遊詩人が下の道を歌いながら歩いていったのですよ!」


 興奮気味のマトビアから遅れて、スピカが部屋に入ってくる。目の下にクマができたスピカと黄色い声のマトビアは、すごく対照的だ。


「町には何かと面白い娯楽が多いからな」


 宮廷の娯楽と違って、刺激的なものが多いと聞く。

 マトビアの笑顔は遠くで見ていた社交界に見せる固い笑顔とは違って、人間らしい生き生きしたものに変わっていた。


「ところで、ここを今夜のうちに離れたいと思う」

「えー、もうここを出るのですか?」


 不満げにマトビアは視線を落とした。


「日に日にベギラス帝国の捜索網は拡大していくだろう。いまのうちに船は手に入れておきたい」


 手に入れるのは、長旅ができるように動力源に細工をした船舶だ。移動の度に宿をとる必要もなくなるので、スピカの負担も減らせるはずだ。

 そして速度も軍艦並みに出るので、容易には捕まらなくなる。


 深夜になると、俺たちは馬車に戻って軍の施設に向かった。

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