元皇子の寄り道だらけの逃避行 ~幽閉されたので国を捨てて辺境でゆっくりします~
下昴しん
第一章
第1話 幽閉された元皇子
大陸を支配する巨大帝国ベギラス。その中枢にある裁きの間で──
「以上の判決により、皇帝の第一継承者はアルフォスとする」
断罪の場へ引っ張り出された俺に、裁判官の冷ややかな言葉が浴びせられた。
裁きの間は被告人を中心として、半円状に一段高くなった裁判員席が設けられている。
その中央にはベギラス帝国の皇帝が鎮座していた。
そして皇帝の横には異母弟のアルフォスが俺を見下ろしている。
「フェア・ベギラス、お前は第一皇子という立場でありなら、軍略会議に出ず、魔法の研究ばかりをしていた」
父であり、皇帝でもある男の口からは、驚くほど冷徹で、打算的な言葉が飛び出て来た。
その言葉に、周りの執行官は呼応して誰もが同じように頷く。その様子から察すると、下された判決は父の思うところを忖度した、通常あり得ないものだということが分かった。そして、そのあり得ない判決を正当化するかのように、皇帝である自分の言葉を付け足したわけだ。
唯一、異母弟のアルフォスだけが憐れむように、周りと同調せずこちらをじっと見ていた。
俺は弟と違って智を求め、魔法の研究が得意だった。
一方、弟は軍人として武功を重ね、俺は治世のために魔法を使った。
軍略会議への召喚状は何度も来た。しかし軍略会議に出ても、俺の意見は通らず、むしろ帝都内に敵を増やすだけで、全く意味のないことだ。そもそも俺は、母国のベギラス帝国が他国を侵略することに反対しているのだから、意見が合わないのは当然だ。
だが、侵略こそがベギラスに富をもたらしていると考えている貴族がほとんどだろう。
それは間違いだ。
魔法で平民の生活を豊かにすることは可能だ。侵略など必要ない。
魔法を研究して活かすことで、実際に帝都の暮らしは豊かになった。そしていずれは、父が認めざるを得なくなる……そう願っていた。
「たしかに私は軍略会議より魔法の研究を優先しております。しかし、研究は都市の基盤構築に繋がる大切なことです」
平和は侵略によって築かれるべきではない。ここは抗って父の間違いを正すべきだ。
とはいえ、ここまでくれば自分でさえも、自分の言葉が空虚なものに思えた。父の考えは変えれない、俺はどこかでもう諦めていた。
「大切かそうでないかは、私が決めることだ。お前は皇子でありながら、その地位を利用して私の命令を無視し続けた。これは、帝国の秩序を揺るがす大変危うい行為なのだ」
父は俺の正論を言い訳としか考えていない。いつもそうだ。偏見に塗れた父は、最後に皇帝という権力を振りかざす。
しかし判決の内容はあまりに不本意なものだった。簡単にいえば、研究も貴族の位も捨て、将軍の下について戦争に行けという判決。しかも将軍のなかで魔法嫌いの、脳筋将軍の下にだ。そして決め手は『敵前逃亡』などという意味不明な罪状。
「納得できません! 『敵前逃亡』などという不当な罪状など、これこそ帝国の秩序を揺るがす行為ではありませんか!」
「まだ、私の命令に逆らうのか! この裁きの間で皇帝の私に歯向かうつもりか!」
眉を吊り上げて父が立ち上がると、裁きの間がざわめいた。
俺が何を言っても、結局皇帝の権力か。
「歯向かうつもりは毛頭ありません。ただ私の話をしっかり聞いてほしいのです」
「なぜ私がお前の話を聞かねばならんのだ。私はお前の話など望んでおらん。衛兵、フェアを独房に入れよ」
「父上!」
衛兵に腕を引かれた俺は何度も父を呼んだが、父の心には届かなかった。扉が閉じられるとき、アルフォスの申し訳なさそうな表情が見えて俺は歯を食いしばった。
***
城から離れた牢獄の独房に閉じ込められた俺は、不潔なベッドを見てため息が漏れた。
いずれ父とは対立すると分かっていたが、ここまでひどい仕打ちを受けるとは。権利剥奪か、廃嫡か、悪くて軟禁状態だと見積もっていたが甘かった。
父にも予想外の何かがあったのか。もともと弟を重用していて、第一継承権を託したい気持ちは分かっていたのだが、兄としておいそれと譲る気にはなれなかった。
「負けたのか、さすがに悔しいな……」
侵略を内省して、父が帝国の平和を考えれば、俺が地味にやってきた灌漑事業や街道の整備、上下水道の発展などを評価してくれると思ったのだが。
「もう少し耐えてみるか……?」
もしかすると父の心境が変わるかもしれない。
……だが、これまであの手この手をどれだけ試した? もう今さらの話だ。父が変わることはないだろう、そろそろ俺は俺の人生を歩むべきだ。
「ここから逃げて、田舎に籠るか」
名残惜しいが、19年間過ごした宮廷生活ともおさらばだ。
鉄格子の錠前に魔力を注ぐ。
「『
独房の錠前から金属音がすると、魔法の力で扉が開いた。
俺に全く興味のない父は、俺が使う魔法のことなど知らないだろう。だから番兵もいない牢に、旧式の錠前で閉じ込めておけると考えている。
さて、魔力を相当使うが、城の衛兵は魔法で眠らせよう。その間に夜闇に紛れて、兵の少ない門から脱出する。
通路を歩いていると、向こうからフードを被った給仕係が歩いてきた。敵かと思い魔法の準備をしたが、手前で止まりフードを脱いだ。
金色の長い髪が零れ落ちて、女性の顔が現れた。牢獄の暗さのせいで、より一層、真っ白な肌が目立つ。
「お兄様、やはり脱獄されるのですか」
「マトビアか……」
給仕に扮していたのは、俺の義妹でありベギラス帝国の皇女、マトビアだった。年齢が二つ下のマトビアは、若さも後押しして、宮中で毎日のように話題にあがる人気者だ。その才色兼備っぷりは他国にも名を轟かせるほどで、将来有望なお姫様と誰もが思うだろう。
「このような形で、お兄様と再びお話しできるとは思っていませんでした」
貴族らしい枕詞を並べると、膝を軽く折って頭を下げる。
「マトビア、ここは牢獄だぞ。お前が来るようなところじゃない」
マトビアとは子供の頃に一緒によく遊んだものだが、大人になってからはほとんど会話はない。たまに貴族の集まりや式典で顔を合わせるぐらいだった。というのも、義母が俺を遠ざけていたからだ。
「お兄様に下された判決を聞きました」
判決からまだ日を跨いでもいない。
きっと裁判前から気にして情報が入るようにしていたのだろう。
「なんだ、まさか脱獄を止めにきたのか?」
「私に止める権利があればそうしたのですが」
珍しく顔を曇らせて、マトビアは自嘲気味に微笑む。俺の記憶には、金色に光り輝く皇族らしい高貴な笑みのマトビアの横顔しかない。
「俺はもう、父を説得するのは諦めた。ベギラスを捨てて自分の人生を歩むことにする」
「私はお兄様が味わった今までの苦節を、誰よりも知っているつもりです」
母が亡くなってから、貴族のなかでマトビアだけが味方だった。マトビアは不思議と周囲の人間を魅了させる力があり、俺が研究に没頭できるように陰ながら手を回していた。
「しかし、もっと他の方法はなかったのでしょうか」
他の方法か……もちろん、あらゆることを考えたつもりだ。
「アルフォスのように武功をあげればよかったか」
「いいえ。弟のアルフォスと一緒に、母上を説得すべきでした」
お? おお……。
たしかに。
皇子という立場で直接皇帝に歯向かうよりも、女性という立場を利用して、皇后から意見すれば、角が立たなかったかもしれない。
そして義母には、俺よりもアルフォスから話すようにすれば、可能性はある。ただそれには、アルフォスと俺が昔のように仲良くやっていないとまず無理だが。
頑固な父に一辺倒で説得しつづけるよりも、マトビア案を試してみる価値はあったな。
しかし、いつの間にか俺よりも政治に詳しくなっていないか?
つま先から頭まで、品だけ整っている貴族と違って、異母妹のマトビアは頭が切れる。
「父上ばかりに拘り過ぎて、周囲が見えていなかったのは俺だったということか」
「私も今になって、お兄様と力を合わせて動くべきだったと反省しています。しかしもう、どうにもなりません。アルフォスは第一継承権を握り、お兄様は囚人。今、お兄様の味方をする者は、無法者と同じです」
囚人に無法者……ほんの少し前までは、この帝都の権力者だったのにな。周囲の兵士や、側近の者たちの手のひら返しが滑稽に思えた。
「笑い事ではありませんわ」
「まるで喜劇のようじゃないか」
笑っていると、マトビアもくすくすと笑い始めて、急に不安になる。
「マトビア、何を企んでいるんだ」
「お兄様、私も連れて行ってください」
「いやだ」
そんなものは即座に拒否する。
「ベギラス帝国の侵略を止めて、大陸に平和をもたらすことは不可能だと、お兄様の判決を聞いて確信したのです。ならば、父の政略の駒にされてたまるものですか。隣国の共和国と戦略結婚するなんて……」
相手は共和国議長の息子だと聞いているが、ほぼ敵といって過言ではない国のお偉方と結婚するのだ。どんな仕打ちを受けるのかと思うと、兄として耐え難いものはある。
「し……しかし、皇女としての役割でもあるのではないか。国を背負うという……」
「お兄様! 私の目を見て、もう一度同じことを言ってください」
う……。
相手を丸め込ませる頭の切れ具合は、一層鋭くなったな……。
言った瞬間、俺自身も失言だとは思ったが。
「国から追われる身になるのだぞ。脱走するのだから。今までのような暮らしはできないし、一生、身を隠して生きなければいけない」
「そうですね。頑張りましょう!」
はあ……。こんなことがあるのか、本当にまるで喜劇……というか悲劇だな。
ここで一服盛っておくか。
……いや、しかし、妹を眠らせるなど、この犯罪者が収容されている牢獄ではさすがに酷すぎる。
「しょうがない、分かった」
「ありがとうございます! お兄様!」
もっと良い場所と時間を選べばいいだけのこと。なにせ俺にはもう、皇子としての役割はないのだから。あるのは、余りある時間と普通の生活。
笑顔のマトビアが手を取った瞬間、階段から大勢の足音が聞こえてきた。
「脱走だーー! 東の収容棟で脱走だぞ!」
東の棟といえば真向かいにある別の棟だ。急ぐ番兵たちは脱走騒ぎで俺たちに目もくれず、走り去った。
「「えっ……?!」」
空になった収容棟に俺とマトビアの声が響くと、目を合わせた。
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