第5話 かつての荷物持ち


 有数の商業都市として知られるミネルバは、訪れる旅人をはじめに車輪の音で歓迎するという。


 ミネルバ市民のための街路としては広すぎる道は、今日も行き交う馬車で溢れていた。城門をくぐるとすぐに都市の中心を真っ二つに分けるような大きなメインストリートがある。観光名所としても知られていて、誰もが名前を知る一流の商店がずらりと並んでいた。整然と都市の端まで伸びる商店の数々は、商いに精通していない者でもこの都市が国の心臓部なのだとわからされる。


 その広大なメインストリートの中心部。ミネルバの中でも特別な意味を持つ一等地に『レイライン商会』の本店が建っている。商会の規模にしては小じんまりとした大きさで、様々な意匠を凝らされた表門にはレイライン商会の家紋である「翼を広げた鳥」の紋様が刻まれていた。


 レイライン商会は高価な宝石や神々の祝福をうけた武具を主に取り扱い、その業務の中には冒険者が発見した財宝の買取も含まれている。荒事の事前準備から事後までを支援するのがこの商会の特色だ。魔王軍との戦いの最中に大きく成長を遂げたこの商会はもはや商業都市ミネルバでの地位を盤石のものとしている。


 高名なレイライン商会のNo.2、クロイ・サンダルフは難しい顔をして書類を見ていた。


「んー……」


 先代の商会長と青年だった頃より商会を切り盛りしてきた男の頭は最近めっきり薄くなっていた。空いた手でピシャリと自分の頭を叩く。


「どうしたんだい、クロイ」


 その姿に微笑みながら声をかけたのは、金色の髪を短く切り込んだ二枚目の青年。名はラズ・レイラインという。いわずと知れたこのレイライン商会の若き二代目だ。垂れた目尻とどこか牧歌的な雰囲気は見る者の警戒心を薄れさせる。その才覚は父親に早すぎる代替わりを決意させた。


「あっ、若。これはみっともないところを」


 クロイの口調には羞恥が混じっていた。先代からの信頼も厚くラズの倍近い時間を生きるクロイだが、この若き二代目には常に敬意をもって接していた。


 今では誰もが知ってる大商会へと変貌したレイライン商会だったが、その立役者は間違いなく目の前の傑物なのだから。


「いいさ、いいさ。身内みたいなもんじゃないか。それとも商人は表情を変えるべからずって叱ればいいのかい?」


「いやはや……ご勘弁を」


 薄くなった頭が汗を飛ばす。


 クロイは自ら手でラズに商人の手ほどきをした過去がある。先代より任され、幼い頃から行商に連れ回して様々な心構えや対処を叩きこんできたのだ。先ほどの言葉はクロイがラズを叱るときによく使った言葉だった。


「それで、どうしたんだい?」


 無遠慮にラズはクロイの持つ書類をとり空いていた椅子に腰をおろす。普段だったらクロイがの小言が飛んできそうだったが、内容に気を取られているのか心配そうにラズを見つめるだけだった。


 ──こりゃ、結構参っているな。


 ちらりとクロイを盗み見てラズは書類に目を通す。


「交易路に……魔物?」


「ええ。どうも言葉を話す知性もあるようです」


 都市間の交易で金を生み出すミネルバにとって耳の痛い話だった。商会は移動のコストを含めて常に利益を計算しているのだから。


「ほぉ、じゃあ魔族だ。キャラバンの護衛程度じゃ難しいね」


「幸いうちには被害は出ていないんですが……いやはや」


 魔物はその身に宿る魔力の過多と比例して知性が上がる傾向がある。明確な知性を有する魔物は総じて『魔族』と呼ばれる。ラズは何年か前には飽きるほど見ていた。しばし目を閉じ、かつての魔王軍の精鋭を思い出す。それは冗談みたいな光景だった。天が鳴り、地が轟き、奇跡のような光景が何度も何度も現れた。そしてそこに立ち向かう


「弱りましたなぁ。この道が使えないとなると二日は余計にかかるでしょう」


 感傷に浸るラズをおいて「この道は代用して……」とクロイは早速ソロバンを弾きはじめた。悩みと対処はまったく別物であることをこの壮年の商人は心得ていた。


 交易において「物」と「時間」は非常に重要視される。それはレイライン商会も同じだ。時間を無視できるほど物が良いか、時間を重視して大量の物を取り扱うか。冒険者から買い取った高価な品物を扱うことが多いレイライン商会といえど、消耗品も多数扱っている。薬草や聖水といった冒険者相手の薄利多売は商会の血液のようなものだ。金は動かさないと澱んでいってしまう。


 ラズは現実に戻り、ぶつぶつと頭の中でソロバンを弾くクロイに苦笑する。過去のことで感傷に浸りすぎるのはラズの悪い癖だった。


「んー……僕のツテでも使ってみるよ。知ってた? 僕ってこれでも魔王討伐パーティーの一員なんだよ?」


「ええ、ええ、そりゃもう」


 ラズの言葉をクロイは適当に受け流す。見もしない。それはラズがこういう対応を好むことを知っているからだ。


「ま、荷物持ちだったけどさ」


 栄光なる魔王討伐パーティー。人類の守護者。


 ラズの胸元にあるくすんだ翠色ブローチが鈍く光った。


 はてさて、昔の仲間はどうしてるのやら。


 脳裏には三度の飯よりドラゴンを殴るのが好きだった勇者と魔族に土下座をさせて喜ぶ人相の悪い男が浮かんだ。パーティーはだんだんと増えていったがラズにとってこの二人は特別な存在だった。自分はへ押しかけたのだから。「光の勇者」、「ドラゴン殺し」、「女神の使徒」、「血の暴虐」。この世の隔絶したものを表すあらゆる異名で呼ばれたあの二人は今はどうしているのか。女神の加護を失い、追放されたあの人は。


 ──どけよ、荷物持ち。



 ベキっとラズの座っていた椅子の肘掛けが音を立てた。珍しく焦った様子でクロイは声をかける。


「おや!? 椅子が古くなっていたようですな。破片で怪我はしませんでしたか?」


「大丈夫、ちょっと肘掛けが割れただけさ」


 最前線で魔力を取り込んだラズの身体は前線から退いたとはいえ今だに一般人の力を遥かに上回っている。ラズはいつもの微笑みを浮かべて「さぁ、仕事」と言って立ち上がった。頭の中ではすでに街道へ向かわせる腕の立つ冒険者を選別していた。


 ラズ・レイライン。


 かつて魔王討伐パーティーにおいて事前準備から作戦の立案までを一手に請負い、手に入れた財宝を駆使してレイライン商会を大商会へと押し上げた鬼才ラズ・レイライン。最前線から豪商蠢く商業都市を支配したその手腕は英雄の名に連なるにふさわしいものだった。

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